1話ー⑦ 少女は運命と出会う
翌日。だいぶ日が昇って、昼食にはもう少し早い頃。
「あそこですか」
「うん」
タスクとカノンの二人は、舗装された道を行く。その先、さほど遠くもない先に、門が見えた。門番か管理人だろう人の影が数人、街に入っていく人間と、入るための手続きをしている最中なのか動かない人間もいくらか、その数は多くはない。
昨夜はキャンプ場への到着自体が暗くなりかけた頃で気が付かなかったが、イニーツィオと外を隔てる壁はそこから見える距離にあった。正しくは防衛拠点として街から遠く機能する外門であり、街と隣接する内門まではまだあるが、そこからの道も石畳でしっかり舗装されており、山道に比べれば歩きやすさは段違いであった。それでも昼前という到着の遅さなのは、朝早くは出入国で混むから、というカノンの知識から来る配慮、それでのんびりしていたからである。買った菓子を舌に転がすカノンに連れられて、道を行く。
「はい、どうぞ」
(本当に入れちゃった……)
証明証の類を一度は求められたものの、カノンが手続きをこなしにいったのか一度城門に消え、さほど待たずに入れてしまった。握らされた、読める訳のない文字が幾らか書かれた小さなカード、たぶん仮の証明証と思われるそれを生徒手帳に挟んだうえでポケットにしまうと、タスクは街の中に一歩、踏み込む。
「……わあ……」
目に入るのは、まず踏み込んだ広場、その中央で水を吹き出す噴水。見回すと人が行きかい、荷か人かは知らないが何かを引く馬車も見られる。広場の端には露店が広がり、それぞれが呼び込みや商売をしていた。道は城壁に沿う左右と、噴水の向こう側でまっすぐ伸びる、左右より太いそれがある。その先にもそれぞれに人の行きかい、屹立する店の賑わい、等といった街らしい光景があった。
(思ったより……平和、かな?)
入る前は荒れた光景だの暴力が舞う修羅だの、警備っぽい人が道に多数立つ厳戒態勢だのを想像していたが、それがどうして影の見えない程度に平和だった。いや、そんな世紀末都市をタスクが望んでいたわけではないのだが。どこか安堵を抱きながら振り返ると、自身の手続きを終えたらしいカノンがこちらに歩いてきたのが見えた。
「お待たせ、タスク」
「今までありがとうございました」
カノンから言葉が投げかけられると共に、タスクは礼を口にする。頭を下げ、今までの感謝を伝える。
「あっ、うん」
突然の謝礼に意表を突かれ、カノンは生返事を返す。そんな中にも、タスクは言葉を、思考を続ける。
「それじゃあ、これでお別れですね。いつかお礼ができればいいのですが……それでは、お元気で」
「……えっ──」
タスクは別れの言葉を当然のように切り出した。予想外のそれに、カノンは固まる。タスクはどこかに行こうと、背を向けかける。
「……タスク、行く当てはあるの?」
カノンの咄嗟の、引き留めなきゃ、という問いかけ。タスクは、答える。
「……ないですけど、とりあえず何かできそうなことはないか探してみます。いつか会えたら、その時は何かお返しをさせてください」
実際、どうにかなりそうな考えはないし、それが見つかる保証もない。とはいえ、見つけるしかないのだから行くしかなかった。背後の少女に頼る気は、ない。そもそも他人に頼るという思考はできない、したくない、するという発想がなかった。それに、彼女にはだいぶ助けてもらった。この恩を返せる保証がないほどに。命の恩人、それくらいの少女にこれ以上を望むのは、嫌だった。生き抜く手段くらい、自分で見つける。そう思って、決めて、タスクは一歩、踏み出した。
「待って‼」
カノンの叫びが聞こえて、しかしそれを振り払うように、タスクは駆け出した。
駆け出して、カノンと別れた場所なんてとっくに見えなくなって、街を巡って、見て、見て──
「広い……」
住宅地だろうそこで、タスクは呆れに似た感情を覚える。空を見上げると太陽は傾いていて、もう夕方に近しい時間か、と感じる。その間何も食べていないが、不思議とお腹が空く感覚はない。
タスクはあの後、あの場所を少女を振り払うように、あるいは逃げ出すかのように、城壁に沿って進み続けていた。城壁を入って左側、その時の正面が確か太陽の上る方角だったと思うから、地球と同じなら、たぶん北に行き続けた。しかし、行く先には店、住宅だろう建物、あと一度進入禁止ぽい門が見えたくらい。タスクの歳と身で入れるのかは分からないが、酒場なり情報収集が出来そうな施設は見えない。最も、見つかったところでタスクに真っ当な会話、情報を集める行為ができるか、よしんば出来ても上手くいくかは別問題だったが。それにだんだん、見える住宅の造りも少しずつ貧相になっている気がする。失敗したかな、と思いつつも、戻ったところで成功する保証もないので、何か特徴的な変化が見えるまでは、と惰性的に歩き続ける。
「少々、よろしいでしょうか」
ふと、背後から話しかけられた。
「──っ⁉」
ビクッ、と反応を示しながらタスクはサッと振り向く。そこに立っていたのは、二人の人間。着ている物は、執事のそれみたいな、結構高級そうで清潔そうで、かつ二人に統一感があるもの。身なりもそれにそぐうよう、髪などきっちりと整えられている気がする。
「……なんですか?」
これがいかにも不良然とした汚い身なりのそれなら何の迷いもなく逃げ出していたのだろうが、予想外に上流階級感のある、およそタスクの人生とは関わりのなさそうな雰囲気だったので判断に迷った。若干の警戒心が声に表れながら、いつでも逃げ出せるよう腰を落としつつ観察する。観察される二人はタスクの顔、姿をまじまじと見て、二人顔を合わせる。その視線と様子に見られる側としての気持ち悪さを覚えながら、タスクは見る。二人は頷き合うと、タスクに再度向き直る。
「失礼しました。重ねてお許し願いたいのですが、もしよろしければ──」
(──これ聞いちゃだめだ)
自分に興味を持たれている、そう確信したタスクはそれ以上の話を聞かない。即座に振り返ると、全力で走り出す。
「──お待ちを‼」
(待たない‼)
聞く耳を持つ必要がないことは身体に記憶に染みついていた。直進して脚力勝負する愚は犯さない。とりあえずまずは目の前の路地に飛び込む。その後は──突然、タスクの腕に強い力が絡みつき、引いた。
「──っ⁉」
引っ張られる感覚、実際引っ張られる腕に思わずタスクはつんのめる。転ぶことは拒否し、引っ張られた腕に力を込めるが、背後に引かれたままタスクの言うことを聞かない。
「なに──っ⁉」
その腕を見てみれば、何かが絡みついていた。絡みついたもの、その先を目線で辿る。それが鎖であること、伸びる先、鎖の始点が、人間の片割れの手元からであることを把握して、理解した。
(あの力‼)
タスク自身が使う力と同種のそれ、命の欠片を力に変換、行使する現象であることを察した。自身の記憶から自動的に汲み取られ、こんな物質的な使い方が出来ることを理解する。
「申し訳ありません‼」
鎖で拘束する側は、突然そんなことを叫んでくる。そう言いつつ、もう一人がタスクににじり寄ろうとする。捕えようとしたり謝罪したりと、何をしたいんだか分からない混乱に襲われながら、タスクは腕を引き、空いている手で鎖を解こうとするも、出来そうになかった。
「離して‼」
鎖が引かれ始め、転ばないよう前に踏み出さざるを得なくなる。タスクを傷つけようとするつもりはないようで、鎖を引く速度は遅い。しかし、徐々に距離を詰められ、捕えられようとしている焦燥は募るばかり。
「ああもうっ‼」
冷静さを失ったタスクは、踏ん張って腕を引く。解くためではなく、僅かでも拮抗状態を作るために。その抵抗に合わせて空いた側の手を、突き出した。タスクの内で一瞬にして統御される力があり、それが手の先から、激情を露わにするかのように溢れ出す。
「──『焼き尽くせ』‼」
感情に任せた炎が迸る。単純に現出されたそれは、故に単純な力強さを以って駆け抜ける。駆け抜け、鎖を手繰る敵に迫る。
「うわっ──と」
人間は迫る炎に一瞬の動揺を示し、しかしその炎は届かない。ガラスで出来ているような、半透明の障壁が展開され、迫る激情を確かに遮る。
(っ⁉)
それを炎越しに見たタスクもまた、驚く。驚くも、その頭の片隅では、鎖を引く力が弱まった隙を冷静に処理していた。
(早く引け)
炎を撃ち放ったばかりの手で即座に鎖を掴み、全力で引っ張る。鎖は主の手を離れ、拘束の意味を失う。
「──あ」
手放してしまった本人は、失態を即座に咀嚼しきれずポカンと口を開く。
(よし‼)
タスクはそのまま振り返り駆け出した。しかし、絡みついたままの鎖が、純粋に重りとして鬱陶しい。かといって、引っ張っても解けてくれないし、鎖を断ち切るような手段は──あった。
(なんかないか──あった‼)
一瞬で記憶を探ると、鎖の拘束を解く手段が脳に溢れかえる。思わずパンクしそうになるのを堪えつつ、その中の一つを試すべく、鎖を掴む手をより強く握る。
「『消え去れ』‼」
命の欠片は掬い上げられ、記憶に理に従い意味を、発現された理を力を解けと示す。タスクが手を離すと、掴んでいたはずの鎖はその箇所が消し去られていた。そのまま抜け落ちるように、タスクの腕が拘束から解き放たれる。そのまま路地まで全速力で駆け抜けて、そのまま飛び込む。
(どっちに行く⁉)
一瞬、道をどう進むか迷って、辺りを見回すかのように顔が動き──
「うわっ──⁉」
目の端に入った輝き、直感的にやばいと感じて飛び退る。輝きの正体たる鎖が空を切り、地を打ったことで焚きつけられたかのように遮二無二走り出す。そもそも道を知らないのでは、どう逃げようかなんて思考に意味はなかった。曲がり角、分岐に突き当たる度に曲がり、直進し、込み入ったそれを全力で駆け抜け続ける。どれだけ走ったか分からなくなって、振り返って、誰かが追ってくる様子がないことを把握して、ようやく足を止めて息をつく。
「はあっ……はあっ……はあっ……はあっ……」
建物に囲まれたその場所で見上げた狭い空は、もう暗くなろうとしていた。荒げた息を落ち着けようと壁に背を預け、辺りを見渡す。
「……どうしよ」
元から分からなかった道が、もっと分からなくなってしまって途方に暮れる。元の場所に戻ろうにも戻り方が分からない。そもそもこの街はどんな構造をしているのだろう、今その中でどこら辺にいるのだろう、と思いながら、酸素を求めて息を吸い込みつつ、ゆっくりと立ち上がって歩き出す。
(行かなきゃ)
いっそ座り込んでしまいたいが、そうしても暗くなるばかり、そうなればまだできていない情報収集がより困難になるので止まることはできなかった。時間が追い立てる中でどこか焦りを感じながら、どこへ行くともしれない道を不安と共に進んでいく。
(早く……)
狭い路地を歩き、やがてその足が小走りになる。それもだんだんと速度が上がっていき、また息が上がり始める。行けども行けども出口の見えない迷路のような暗くて狭い道、焦りが時々足をもつれさせ、タスクの思考を、心を削り、奪っていく。
(早く……)
一瞬、諦めが意志を上回って、タスクの足が鈍る。一瞬でも感じてしまって、歩みが止まろうとして──何か、聞こえた。
(──)
振り向く。聞こえたのは……足音?歩く、というには拍子が早く、重い。そしてそれは、タスクのところに近づいてきているように聞こえた。暗い路地に響き、更に聞こえてきたのは、息遣い――
「ぜえっ、はあっ──うおっどけ‼」
「うわっ──⁉」
大きな影が突如、曲がり角を曲がって現れた。突然現れ向かってきた姿に避ける間もなく、タスクは吹き飛ばされ地に尻餅をつく。
「くそ‼」
「いっぅ……」
口汚く罵る、多分男性だろう影と、座り込んだまま呻くタスク。ドサッ、という落下音らしき響き、何か金属音がジャラジャラと鳴る。タスクが目を開けると、輝く何かが無数に、地面を転がっていくのが見えた。何だろうと思いつつも、なんとなく頭上を見上げる。空はもう夜の暗さで、目の前に立つ影の姿ははっきり見えない。ただ、何故か睨み付けてきているような気がして──
(──っ)
唐突に湧いた衝動は、危機感なのだろうか。タスクは自分でも思考が処理しないままに、立ち上がるのではなく動かないのでもなく、後ろに転がった。直後、衝撃。
「がっ──はっ……」
息が詰まって、崩れ落ちて、一瞬視界が暗くなって、蹴り飛ばされたこと、壁に叩きつけられたことを理解した。咄嗟の対応の上でそれでも重かった、鈍く響く痛みに吐きそうになる。必死にかそれとも反射的にか分からないが目を開いて、見た。地面を転がった状態で見えたのは、影が近づいてくる様子。何かが輝いて、持ち上げられて──振り下ろされた。
「──」
言葉が、出なかった。別に喋れなくなったわけではない。何か冷たい感触が右腕に走って、壁と挟んで強く押し付けられる。腕が、動かせない。息が止まる。何かが引き抜かれる感覚。もう一度輝きが持ち上げられて、見えるそれから何かが滴り落ちる。視認すると同時に、右腕、引き抜かれた場所が熱くなって、溢れ出して──
「──うわあああああぁぁぁぁぁぁ──‼」
「黙れガキ‼」
刺された、と理解した瞬間に側頭部が殴られる。転がっていた地面から反動がそのまま伝わり、脳が揺さぶられて訳が分からなくなる。混濁する視界と思考。今まで何度となく覚えのある危地……逃げなきゃ、という経験から来る判断だけが残っていて、しかし身体は頭は動かない。痛みが響いているのか、響いていないのか分からない。そんな動かない子供、自分の障害物となったクソガキに、男は鬱憤を、衝動を、八つ当たりするために、ナイフを握った手にもう一度力を込め──
「死ね──グオッ⁉」
突如、先程のタスクのように吹き飛ばされた。受け身を取る暇もなく地を転がり、衝撃に手からナイフが弾け飛び転がる。タスクは、その光景を何の思考も持たないまま、ただ見ていた。
(……)
「……大丈夫かい?」
やはり認識できないが、投げかけられたのは、タスクよりはずっと年上だろう、しかしおっさんと評するよりはずっと若いだろう男の声。今まさにタスクに暴力をぶつけようとしていた男に比べ粗暴さを感じない、どこか細さを感じる声。青年はタスクの前に、粗暴な男からかばい守るように立つ。立って、動き出す。
「……っくそが──っ⁉」
起き上がった男は顔が熱いのを感じる。顔を地面に強く打ちつけて、もしそれを鏡で見てみれば鼻血やらなんやらで凄いことになってそうだと痛みで把握してぶちぎれる。ぶちぎれて、しかし、その衝動をどこかにぶつける機会は、なかった。
ズシャ、と、濡れた音がした。
「……」
青年は、無言。
「……」
男は、口を開かない。否、開けない。青年の手に握られた、刃渡りが短い剣に一突き、心臓を潰され即死していた。素人目にも手慣れた者の技量と分かる、背中まで突き抜けた剣はさっと引き抜かれ、既に絶命している肉体は力を失い崩れ落ちる。青年は纏う服、その袖に返り血を僅かに浴び、倒れ伏した死体の胸から更に溢れるだろう血で靴を汚さないために数歩動く。数秒、死体を見下ろしてから、振り返った。
(──)
タスクはまだ身体も頭も動かない。何が起こっていたのかも咀嚼できていない。ただ、目の前で一人の人間が殺されたことだけは理解していた。
──ああ、ここで死ぬんだ──
人殺しが凶器を握ったまま、こちらに一歩踏み出したのが見えて、なんとなく、ただそれだけを思った。逃げないと、という思考が今度は湧かない。まるで全身から何もかもが抜け落ちたかのように何もかもが動かない。命の欠片を使う力で抵抗しようという発想すら生まれない。何も理解していなくて、ただ、右腕から血が流れていること、それだけが全てだった。人殺しがかがみこんで、タスクを覗き込んでいるらしい。手を少し動かす、ただそれだけで触れられる距離。こんな暗闇でも視認できているのか、人殺しはタスクの傷に触れずに、片手でタスクの右腕を持ち上げた。その位置を調整するかのようにそっと動かして、剣を握っていた手を、その柄から、離した……?
「『──』」
青年は力を込めた言葉をそっと呟く。今のタスクにその言葉を理解することはできない。先程まで剣を握っていた手を翳し、タスクの傷口に近づけ──その手から、淡い光が溢れ出した。それはタスクの傷口を、ほのかな、しかし確かな暖かさを以って包み込む。時間が幾らか経ち、青年が翳した手を離し、持ち上げたタスクの腕をそっと下ろす。確かにつけられたはずの傷が塞がっており、出血もやはり止まっていた。青年は袖が血に塗れた上着を脱ぎ捨てる。ポケットからハンカチを取り出し、タスクの腕、傷口のあった場所に結び付けると、全身を調べ出す。服は脱がさないため打撃の跡は分からないが、とりあえず切り裂かれた跡は他にないことを把握すると、そっと横たえ、妙に動きのなかった子供に、その反応のなさを心配して声をかける。
「……君、大丈夫かい?」
タスクに、返事はない。タスクはただ、もう何の思考も持てず、何も動かせず、そのまま、あったのかも定かじゃない意識を、目を、閉じた。
「……おい⁉しっかりしろ、おい⁉」
取り残された青年の声が、夜の闇に虚しく響き渡った。
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