1話ー④ 少女は運命と出会う
「……っぅ──ふぁぁ……」
そんな欠伸をしながら、タスクは目覚める。身体を起こすも、そのままぼうっとする。
「おはよ──」
「──っ」
声をかけられたのを感じて、タスクは身体を固くする。しかし、目覚めたばかりの頭では身体を動作させられない。どうにか、鈍い動きで顔を横に向ける。
「……おはよう、タスク」
カノンはどこか落ち込みながらも、腕を軽く持ち上げる。その手は彼の身体には、あと数歩は近づかなければ届かない。警戒されているのは分かっているのだから、それ以上近づくことは、しない。
(タオル?)
タスクはまだ鈍っている頭で、カノンがその手にタオルらしき布の類を握っていて、それをこちらに渡そうとしていることを理解した。両手を上げると、それは投げられて緩い放物線を描き、タスクの手の内に収まった。
「それで身体を拭いて。私も見ないようにするから」
そう言うとカノンは離れるように歩きだす。タスクが行動を起こさないうちに、少女の姿は岩陰に隠れて見えなくなった。
「……どうも」
届かない礼を口にしながら、タスクは学ランのボタンを外す。見られてないことを念入りに確認しつつ脱いで、丁寧に置いてシャツを捲る。そこから手を突っ込んで身体を拭き、さっさと終わらせて学ランを着直した。のんびり拭きたい気持ちもあるのだが、待たせるのが申し訳ないし、そこまで無防備にもなりたくなかった。少女を呼び戻すため、声を飛ばす。
「お待たせしました」
「それじゃ、行こっか」
食事を終え、キャンプの後始末を終え、日程を話して、二人が歩き出してから時間が経って。
(早ければ今日の夕方、遅かったら明日だっけ)
そう聞かされたタスクの足取りは、重くはない。そのことをタスクは不思議に思う。もうだいぶ歩いたはずなのに、タスクの身体に疲労はあれど、限界が見えるにはまだまだ遠い。タスクの知るはずのこの身体が持つ体力はその貧相な体格通り、機能としてはそれ以上に欠如した脆弱な代物だったはず。まともに歩けてしまうという異常を、存在する感覚と感じない感覚で把握する。昨日から靴を脱いでいないが、脱いだらまともな足があるのだろうか……?
「タスク、疲れてない?」
「大丈夫です」
そう聞くカノンも、特に疲れているようには思えない。その背には荷物が詰められているのだろうリュックと、彼女の身体に迫る大きさの剣を背負っているというのに、振り返って笑ってみせる。こんな生活に慣れているのかもしれないが、それでもちょっと信じがたい光景だった。
(やっぱ、あの力なのかな……?)
その理由に心当たりがあるとすれば、思いつくのはただ一つ──昨夕に溢れ出してきて、振るったあの力。目を薄く閉じ、あの時に受け取った知識を、探ってみる。
(……っ)
探るや否や、溢れかえった情報量が多すぎて頭が痛くなる。思わず目を開いて現実に逃げ出すも、響く記憶はまだタスクの頭を叩く。
(もう一度……)
決心して、目を閉じる。また、翻弄される。叩かれて、叩かれて、身体に傷一つついてはいないのに全身を抉られるかのように響く。痛い。辛い。キツイ。目が回る。左腕が熱くなり、右手は自然と、右目の在った場所を抑える──その手にそっと、重なった。
「大丈夫?」
タスクが目を開くと、そこにカノンがいた。心配を露わにした表情で、その手はタスクの右手に重ねられている。
「……だいじょうぶです」
そう答えたタスクは、そっと手を引き抜いて拒絶する。数歩下がって、カノンから離れる。
「無理しないでね」
カノンは寂しそうに笑いながら振り返り、歩き出し──その足が止まり、下がる。
(カノンさん?)
不審に思いつつも、感じるところがあったタスクは敢えてそれを口には出さない。気づけば、左手が持ち上がっていて、まるで手先を慣らすかのように指が動いていた。右手が自然と伸び、カノンのリュックを掴んでいた。まるで、それが身体に染みついた動作であるかのように、無駄も硬さも思考もない手際。
(ありがと)
目線だけでカノンは礼を言いつつ、リュックを脱ぎ捨ててタスクに預ける。
(重っ──)
その重量に思わず倒れ込みそうになるのを堪えて、両腕で抱えて地面に置く。カノンが背の剣に手を回すのを見ながら、タスクはそっと動き、地形の陰から彼女の見る先を窺う。
(……っ)
その視界に映ったのは、昨夕見た、怪物だった。粗雑な武具を握り纏い、人型でありながら人でないと分かる醜い容貌。それが、数匹。その距離は即座の脅威というにはまだ遠く、しかし至近に迂回路のない一本道の山道では、急な坂道、というよりは壁か崖というべきをよじ登りでもしない限りは、相対することは避けられない。
「通せんぼか……」
何となく呟いたタスクは、今度は対応のための思考を零す。
「狼は……いない?」
「そうっぽいね……」
小声で交わし合うと、カノンは背後を窺ってからタスクを押し退けようとする。無論、安全を考慮した距離の確保だった。あの数なら速攻で斬りかかって終わらせられる。周囲、少なくとも彼女の知覚できる範囲には他の魔物の気配はない。迂闊にタスクを移動、避難させる手間をかけるより、この場に隠れさせて単身突っ込む、勢い任せの速攻でケリを付ける、の方がいいという判断。そう思考したカノンの判断と行動を、ある程度は理解できたタスクはその場に踏ん張る。反射的に行動した意味は分からないまま、やはり思考の外で言葉を零す。
「戦います」
思いがけない抵抗に不審の目線を向けたカノンに、タスクは小さく、しかしはっきりと宣言した。タスク自身その言葉の理由はないしどうしてそんなことを言ったのかは分からないけれども、戦うという意志に揺らぎは持たない。一瞬の困惑と躊躇、それが示す無言の視線、込めた言葉を、知ってか知らずかタスクが受け止めた──ように感じたカノンは、自然と口に出していた。
「……まずは私が行くから。剣の間合いには入らないで。自分の身は自分で守って。怖かったら逃げて」
こくんっ、とタスクが4度頷き、視線を外し合う。カノンが剣を強く握る一拍、足に力を込める二拍、息を整える三拍、自然と合図となったそれが、戦闘開始を告げた。一歩踏み込み、次の二歩目で全速に至るカノン。間合いを測り、踏み込みを測り、剣を抜く時を測る様を見ながら、タスクは背後で地形の陰から身を晒し、しかしその場から動きはしない。
(記憶の整理──昨日と同じ──力の使い方を思い出せ──辿れ──追え──‼)
昨夕のことは身に心に焼き付いている。自身の内側に溢れかえった知識は今の彼には膨大で把握しきるのはあまりに遠く、それを見るだけで頭が混乱する。しかし、それでも、今の状況を打開するに足る知識はそこにあり、それを取り出すことも、己の武器、障害を砕く力と成すこともできる──肉体が精神が魂が、そして記憶達が、そう告げた。左腕は自然と持ち上がり、指が開いて伸びて突き付けられる。命の欠片は掬い上げられて、伸ばされた手の先で形を変えていく。
(──)
そんな、自分が左腕を伸ばしている、ということに、タスクは違和感を覚えた。
(──なんで、左手が……?)
瞬間、集中の糸が解ける。深く沈んでいた意識が覚めると共に、指先に在る力はその役割を果たさぬまま散ろうとする。どうにか統御しようとするも、一度崩れ始めたそれを整え直せない。再制御する知識は在る。しかし、それを左腕に通す、そのことへの違和感がどうしても拭えなかった。
(──っ‼)
強く意識する。手という端末に頼らない、意識のみでの統御を試みる。初めてのそれと何ら変わらない力の行使、その経験量では、使い手の技量が想像が圧倒的に足りない。そうしている間にも編まれた力は無情にも解けて、タスクの焦燥に変わっていく。何か、代わりになる端末が――
(──そっか──)
一瞬、ほんの僅かの空白がタスクの内側に生まれる。突如思考が、あるいはそれ以外の全てが消し飛んだ、冷静が生まれて、その目は己の身体を見下ろしていた。
──腕って、二本使えるんだ──
普通なら当たり前のことが湧いてきた瞬間、タスクは再び焦燥の現実に呼び戻される。しかし、そこに手の内がないという焦りはもうない。何をすればいいか、思考する。右腕を動かして左腕を掴めばいい、そう答えを出して、当然動く右腕を持ち上げる。その手は左腕、その手首だろう場所を掴む。
(──ぇ)
左腕を掴まれたという違和感。左腕を掴んだという違和感。そんなものが溢れて、溢れが混乱と化すと共に左腕の感覚を意識から切り離す。左腕から力が抜かれ、それは今、ただ右腕に捕まれた物体に過ぎない。右腕に接続された力は、その幾割かを揺らしながらも安定していく。どうにか、制御下における──そう認識すると共に、まだ足りないものを補うため、叫ぶ。
「──『燃えろ』──‼」
力が炎に形成され、タスクの手の先で浮かぶ。指先で浮かび、言葉により起動したが故に明確を得て、更に力を注がれて強さを得る炎は傍に在る左手をその熱で炙りそうなものだが、不思議なことに自滅する予感はない。タスクは前を、戦場を見つめる。先を走る少女が、カノンが敵との交戦に入るまで、あと三秒──
「──『飛べ』──‼」
狙いは定められ、告げられるは衝動。炎は命令と共に撃ち放たれ、その在り方を炎の矢として理に従い空を駆ける。刹那の内に少女を追い抜いて、相対すべき魔物達に狙い過たず突き刺さり、燃え盛った。
「グギャ──」
走り来る少女にはとうに気付き、迎撃態勢を整え間合いを測っていた亜人達は、突如として飛来した炎に撃ち抜かれ焼かれて悶絶する。一匹はその一手で斃れ、残された数匹も少なからず痛みと混乱を覚え──今まさに迫り来ていた脅威を忘れた。
(魔術士⁉それなら──‼)
突如として背後から炎が駆け抜け、目の前の魔物に突き刺さる様に驚くも一瞬、カノンはそれを決定的な優位と確信して己が初手を遅らせた。先手を取る最速を捨て間合いの外で剣を抜き、歩を変え距離をより精密に調整する。そのための時間、攻撃の予備動作を無防備なままに許される暇はタスクが与えてくれた。ならば、この戦いを一撃の元に決しよう。
「──」
無言の気迫と共に、剣は刹那の時を水平に駆ける。それが纏う輝きは昨夕よりも明らかに強く大きく、しかし同時により静かで洗練された──剣が延びた、遠く見るタスクにそう感じさせた一閃。片腕で剣を振り切ったカノンは、それで戦闘が終わったとでも言わんばかりに纏わせた輝きを散らし納刀する。魔物は数匹いるのに、と思いながらも、タスクは自然と戦闘態勢を解き、気付けば岩陰に戻り荷物を拾い上げようとしていた。
「やっぱ……重……」
手に抱えようとしたそれの相当な重さにそのままでは運べそうにないと判断し、抱えるのを諦めて背負おうとしてみる。肩を通し、立ち上がろうとする。
「ふんぬ……っ‼」
あっ、やっぱダメだこれ無理。そんな確信を得ながらもどうにか立ち上がり歩き出す。歩き出すが、その歩みは遅々として進まない。どころか、油断すれば背負った重さによろめき、その場に倒れ込むか下手をすれば崖下まで落ちるんじゃとすら思わせる。
「ぜえっ……ぜえっ……」
カノンのどこにこれを運ぶ力があるんだ、と思いながら、一歩、また一歩と必死に踏み出してはよろめく。あの剣といい、一体どうなって──
(あ、そっか)
突如、思いつく。よろめくに任せて地面に座り込む(というより倒れ込む)と、目を閉じる。辿るのは昨夕やったことの応用。
(いける……かな?)
せーの、と内心で呟きながら、立ち上がる。立ち上がると同時に、全身に力を流す。
(──っ⁉)
全身が麻痺した感覚。立ち上がれずに座り込んだまま、一瞬記憶が意識が飛んだ。何も考えないまま荷物に背を預けて、楽な姿勢のままで思考する。
(なに……今の感覚……?)
疑問を持っていながら、その答えももう持っていた。例えるなら、エンスト、あるいはブレーカーの切断。突如身体に流した力、その行為そのものとその量を身体が受け止めきれず、供給を途絶えさせると共に無意味に放出したのだった。全身の痺れは、許容量以上の力の通過と放出の名残である。
「よし……」
無制限には力を流せないことを身をもって学びつつ、痺れの抜けてきた身体に、今度は量を測りながら慎重に流す。慣らすように少しずつ出力を上げ、どこまでなら統制しきれるか、自身の技量とも測りながら調整していく。
(こんなとこ、かな?)
初めてやることとはいえ自分の身体、訴えることは大体把握できた。文句を言われれば出力を落とし、まだいけそうと思って上げ、目が回る感覚を覚えながら落ち着かせ、しばらくの時間を使ってようやく立ち上がる。やはり重いが、先程と違って歩けない程ではない。
(……怠い)
同時に、長い時間は無理だ、と自身が訴えていることを感じる。生命力そのものとは離れたエネルギーとはいえ命の欠片を使うという行為、それを肉体に流し統御し続けるという行為、身体も精神も擦り減るかのようだった。それを意識したまま、行使しながら、人知れず全力で動いている感覚を長く維持すれば、程なくして自滅する──そういうものなのかそれとも不慣れゆえか、あるいはもっと使い方や手の抜き方を覚えればいいのかは分からないが、少なくとも、タスクにはそう感じられた。投げ出したいのを堪えて歩くこと僅か、その足はカノンの元へ辿り着く。
「……供養?」
再び座り込むようにして荷物の重さを地に預けながら、タスクは思ったことを口にする。カノンが荷物を取りに戻らずその場で行っていたこと、一閃で両断された魔物の死体を道の隅に並べ集めて薄く土をかけて、祈るように座り込んで項垂れていた行為が、タスクにはそう見えていた。その行為が済んだのか顔を上げ、振り向いたカノンは、頷きながら答える。
「うん。命を奪った後はこうしなさい、って」
「……そうですか」
タスクは相槌を打ちながら肩から荷を離し、カノンはそれをあっさりと引き受ける。タスクがだいぶ苦労していたはずのそれを軽々と背負い持ち上げ、軽く笑いかける。
「少し休む?」
「……いえ」
どこにそんな力があるんだ、それとも力の使い方が上手いのだろうか、と疑問を持ちながら、タスクもまた、立ち上がった。
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