1話ー③ 少女は運命と出会う
それは、夢。
(──嫌だ)
鈍い銀色の輝きが、高く上がった。そこには紅い痕跡があって──遅れてやってきた痛みがあった。
(──違う)
視界が高く上がって、呼吸が詰まる。宙を飛んで、割れるような音と共に鈍い衝撃。透明な結晶が降り注いで、視界が半分真っ暗になる。
(──こんなの)
声が聞こえる。言葉になっていないそれはすぐ傍で聞こえて、意味は簡単に理解できた。引っ張られて、動く中で引っかかれる。また飛んで、ぶつかる。
(──やめて)
だんだん、暗くなってくる。最後まで見えていたのは、紅色と、銀色。それと、たぶん、人間が二人。いつしか見えていたものが途切れて、代わりに目の前に、一人の子供が立っていた。
……。
目の前の幼い子供は、手を伸ばす。気づけば、手を取っていた。
(だめ──)
撥ね退けようとして、できない。繋がれた手から、色んなものが流れ込んでくる。目の前の子供から大切なものが失われて、それが自分に足りないものに代わっていく。同時に、子供の悲しみが、絶望が――そして、大切な何かが、引き継がれていく。
(待って──)
急速に浮上していく感覚。子供はいつしか手を離し、どこかへと消えていく。行かせちゃだめだ、と叫び、行かせるんだ、と叫び。身体が動かなくて──
「──待って‼」
「きゃっ⁉」
がばっ、とタスクが身を跳ね上げる。手を伸ばした先には人間はおらず、暗闇が広がっていた。
「……」
タスクは周囲を見渡す。少し離れた先に炎が焚かれていて、近くに一人の人間が座っていた。こちらを驚いた顔で見ている。ようやく頭が回り出して、先程見ていた子供が夢の中の存在であり、今は現実、山の中で夜を迎えているんだと理解した。
「そ、その……タスク、大丈夫?」
少女が心配した声色と表情で声をかけてくる。
「……大丈夫です」
何が大丈夫か分からないまま、反射的に答えた。何をすべきか、とテンパった頭で考えて、ひとまず、思いついたことを聞いてみた。
「さっきの場所は?」
「あっちだよ」
カノンが指差す場所は、夜の闇に呑まれて見えない。しかしながら、そこから移動したんだということは理解できたので、続けて問いかけようとする。
「えっと──」
「とりあえずこれ……食べられる?」
その矢先にカノンは腕を伸ばした。その手に持っていたのは、皿。それを地面に置き、もう一つ、器を置く。今夜の夕食、普段は自分一人で食べるそれを、カノンは差し出した。
「……」
抵抗はあったが、タスクは立ち上がり焚火に近づいた。座り、カノンの顔を窺う。カノンはそっと、微笑みかける。
「どうぞ」
「……いただきます」
手を合わせてから、タスクは皿を引き寄せる。消化できるかな、と不安を抱いて──
「──っ」
「……タスク?」
頭が痛む。何かがこんがらがって、引っ掛かっているような錯覚に陥った。不審な様子を見せたタスクをカノンは心配して、問いかける。
「どこか、悪い……?」
「……いえ」
何かが自分を書き換えているような気がして、それを振り払うために手を伸ばす。添えられたフォークで刺したのは、少々焦げの付いた肉。一欠けらを口の中に放り込む。焼き過ぎなのか少々固いが食べられる。もう一つの器に入った固いパン共々、二切れずつ飲み込んだ。
「ごちそうさまでした」
「もう食べない?」
タスクの食べた量の少なさを気にしつつも、体調自体は問題なさそうな様子が不安げな表情を安堵のそれに変え、カノンは皿を片付ける。
「魔物の肉、苦手な人も多いんだけど、大丈夫だった?」
「……はい」
あれは魔物のだったのか、と思って、しかし胃に収まった以上は今更だった。差し出されたコップに入ったお茶を一口、飲む。
「……聞いてもいいかな?」
「何をですか?」
会話していいのだろうか、と思って、害する気ならいつでもできたか、と思い返す。少なくとも、今すぐどうこうするつもりはあるまい、と信じて、タスクは少女の問いかけを待つ。
「えっと……タスクは、何であんな所にいたの?」
「あんな所……ああ、えっと……分からないんです。そもそも、ここはどこですか?」
タスクは問いかけを「なぜこんな辺鄙な場所にいたのか」と解釈して、正直に答える。本当に分からないのだからそう答えるしか、なかった。そんな答えと問いかけにも、カノンは丁寧に答える。
「ここはプロロー山脈って場所。今から行くのは、イニーツィオ、って街。『最果ての自由』って言えば、分かるよね?」
「……?」
なんだそりゃ、とタスクは呆れにも似た声を出しかけて、留めた。代わりの質問を返そうとして──
「……ここはどこの──」
国ですか、という質問を、途中でやめた。瞬時に思考を巡らせ、その質問に意味がないと今更のように思い至る。地球上に190いくつだっただろうかな国全ての名前と場所を覚えきってはいないが、ここはアジアか、アメリカ大陸か、あるいはヨーロッパ、またはアフリカ大陸か、などといった理解できる問いに変えても意味がないことは、会話が通じていることで明白だった。
「……もしかして、知らない?」
問いかけには答えられず、念のためと、タスクは問い返す。
「……地球、って分かりますか?」
「なにそれ?」
「えーと……じゃあ、アースは?」
e、a、r、t、h、と、地面にスペルを書いてみせる。地球の上でならば世界共通で通用するはずの、予想を裏切るならせめて見覚えくらいはあるだろうとタスクが思う概念である英語、それを形作るアルファベット。それを見せてカノンの顔色を伺うが、やはり反応は、芳しいものではなかった。
「これは、文字?」
こくん、とタスクは肯定する。分かっていた、突拍子もなくて非常識極まりない解答を改めて、理解した。ピンク髪に緑の瞳という、どうみても日本人ではない相手に当然のように日本語が通じている、その事実が物語っている。少なくとも、タスクの常識を無視した事態であることは、確かだろうと。
「遠い国から来た、ってことなのかな?」
「ですかね……」
言語に関しては何らかの補正が働いているのだろう、と答えの出しようがない思考を放り投げ現実を見る。少女の口の動きをよくよく見てみれば、読唇術の類を習得していないタスクにも、その口の動きがおかしいものだ、日本語で聞こえる通りのそれじゃないということくらいは理解できた。ともあれ、その思考、自身の内で構築した推測を理解してもらうことは不可能だろう、と今は彼女の言う「遠い国から来たのかもしれない」で現状を誤魔化す。仮に逆の立場ならば、タスクだって理解できない。魔物が当たり前?に存在しているっぽい世界なのだから、似たような事象が日常茶飯事な可能性もあるが、そうでないのかもしれない。今後の指針、生き延びるための最低限の把握が間に合うまで、安易に身の内、自身が身寄りのない、それこそここで殺されても誰も気にしてくれない存在であることは明かせられない──
「どこの国にいた、とか、聞いてもいいかな?」
当然のように探られて、タスクは言葉に詰まる。素直に日本と答える、出まかせでも言う、分からないとでも言う、黙り込む、どれが正解か、今のタスクには判断する材料が全く足りない。本当に少女が自身に無害な存在なのか、この世界はどんな世界なのか、タスクは知らなかった。
(いっそ、逃げた方がいいのかな……)
そんな考えが浮かんできて、軽率な選択だとは思いつつもいっそ本当に逃げてしまおうか、と考えて、腰を上げかけて──
「やっぱり、言いたくない?」
「……」
何がやっぱりなのかは分からないが、タスクは無言で小さく首を振る。この回答も、正しいのか間違っているのかは分からない。それでも、時間は進む。
「そっか……そうだよね」
カノンは思うところを胸に秘めつつ、視線を向ける。それはどこか、辛そうだった。少女は目を閉じる。そこに浮かぶのは、過去。見た物見た姿からタスクに何があったのかはある程度予想できても、それで何を思うのかまでは全く分からない。カノンにタスクと同じだろう経験は、なかった。しかし、その先の現在、今タスクが黙り込んでいる訳は、理解できた。そこは同じ──孤独に怯え、誰も守ってくれない無力な独り──そんな思考を振り払うかのように、カノンは言葉を紡ぐ。
「寝よっか……ごめんね、寝袋、私の分しかないんだけど……」
「……ああ、いえ、適当に転がってます」
助かった、という安堵をなんとなく抱きながら、タスクは動く。焚き火とカノンから少々の距離を取り、空を眺める。
(綺麗だな……)
眺めた夜空は、そんな警戒心も一瞬、忘れさせるくらい綺麗だった。街の明かりがないからか夜は暗く、星は無数に溢れかえって瞬く。探せば流れ星の一つでも降っているんじゃないかと錯覚させる、純粋でしかない空の輝きに手を伸ばしたくなる。
「タスク……」
「……なんですか」
少女は言葉を放る。見る先にある暖かな輝き、燃料を足す者が眠るが故に、後は弱まるばかりの焚き木を見つめながら、自身の心中を探り、何を伝えたいのかを探す。そんな思いが、口から零れる。
「ちゃんと街に連れて行って……なんとかするから。今は……安心して……ね……」
「……どうも」
受けたタスクは適当に返して、目を閉じる。何の寝具もない場所での寝心地、土の上で眠りにつく程度は慣れていたし、コンクリートよりは柔らかい。傍で眠る少女という不安要素はあったが、恐れるべきはたったそれだけ。こんな快適な眠りはいつ以来だろう。精神か肉体かは分からないが、疲労したそれがタスクを引き摺り込んだ。
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