1話ー② 少女は運命と出会う

 空から降ってきた光は、やや狭い道から少し外れた、ぽっかりと空いた場所、崖の前に広がった花畑に落ちて、消失した。代わりに、先程道を通りがてらに目を通したはずの、何もなかったはずだった場所に、一人の人間が倒れていた。

「──この人、いったい……」

 少女は戸惑う。正体不明の光が空から降ってきて、それを追ったら光の中から人が出てきた、少女の目の前の事実はそれだけ。それだけの単純なものであるが故に、意味不明でしかない。何をするでもなく、そこに眠る人間を見下ろしていた。

 髪は、右目を覆い隠す程度に長い黒髪。とはいっても、右目をアンバランスに伸ばして隠している以外はそこまで長くない。着ている服は真っ黒な、やや鈍い金色のボタンが前に並んで留めてあるようだ。纏う衣服、上下ともに結構汚れたそれ以外に、身に纏っている物、この場所に踏み込むなら当然持ち歩くはずの道具の類は特に見受けられない。

「空を……飛んできた?人、だよね……?でも……光る……?」

 少女は途切れ途切れに、頭に浮かぶ言葉をただ呟く。少女を呆然とさせたまま、夕日はただ暮れてゆき──

「──っ、……」

「いったい──あっ……」

 考える、というほどに思考を回すでもなく少女が立ち尽くしていた内に、眠っていた人間は目を覚ました。そのことに気が付くも、未だ戸惑ったままの少女はうまく反応を返せない。ただ、目の前の人間が意識を取り戻すまでの様子を見ていた。

「ふぁぁ……。──?……っ──、──⁉」

 人間は欠伸をしながら起き上がる。起き上がり、目に見えるものを見て、数秒、固まって──驚愕した。傍目にもそうと分かる慌てた素振りで口をパクパクさせ、目を見開いて首を振る。そうして初めて、傍に立っていた少女と、目が合った。

「あ──」

「っ──⁉」

 少女はふと声を出し、人間は再度、驚愕したかのような表情を示して飛び起きる。少女から距離を取るように跳躍し、数歩分の距離を置いた。少女がただただ目線で追うと、人間はその視線の先で細い指を拳と握り、いかにも警戒心露わといった様子で少女を睨みつけていた。

「──あの、えっと……」

 少女はやや呆然としながら、ようやく言葉を発する。目の前の人間にいきなり警戒心剥き出しにされて混乱しつつも、何を言おうか、言うまいか、ようやく思考が巡り出す。

(……どうしよう……)

 人間は、目の前の少女を睨み続けている、が、その後どうするかの思考がまとまらない。普段と同様の己が身を守る反射とつい距離を取ったが、目の前の状況が全く理解できず、何をすればいいのかが分からなかった。

 そんな膠着状態が数秒過ぎて、少女が話しかける。

「……後ろ、危ないよ?」

「……危ない?」

 人間はどういうことだろう、と現状への無理解をそのまま口ずさみ、視線を逸らしてゆっくりと振り返る。

「……っ⁉」

 振り返ると、1,2歩程の距離を置いて、その先に足場がないことを理解した。慌てて数歩前に踏み出し、再び少女に視線を向けるが、握っていた拳を開いた辺り、会話を試みることはできるだろうか、と少女は見て取る。そうしてようやく、その人間の容姿を確認した。

 右目はやはり髪に隠れて、その容姿を全ては窺えないがひどく痩せこけていて、加えて少女自身より幼いと思えた。身長も少女よりだいぶ低い。見慣れない形式の服は身体に合っていないらしく、その手は半ば以上隠れていた。左手だけが手袋で覆われていて、手首に固定するかのように袖の上から紐が巻いてあった。

「……どちら様ですか?」

 人間が口を開く。その声はやはり幼いものに聞こえる。未だ不審げな顔を向けているが、睨みつけるといった様子はなく、放った言葉も、単に名前を聞いた……のだろう。警戒の色自体は存在するので刺激しないよう、できるだけ優しい声を出すことを心掛けて、少女は返事を返した。

「私は、カノン。あなたは?」

「……たすく、です」

 意外にもあっさりと、人間は答え返した。


(答えて……よかったかな?)

 やや迂闊すぎただろうかと、タスクは心中で僅かに悔いる。現状が飲み込めていなかったから間違っているとも限らない、と自身に言い訳しつつ、混乱しっぱなしの頭をどうにか落ち着けようと、思考を整理し始める。

 自分の名前は、分かる。年齢、誕生日、その他諸々のパーソナルデータも滞りなく頭に浮かんでくる。痩せこけた、そして直視したくない身体も、把握できる範囲ではいつも通り。髪を浮かさないよう慎重に指を滑らせ、触れた右目も、いつも通り。ここに来る前の記憶は──首を振る。

着ている物は制服、いつものサイズの合わない、そして古ぼけた学ランと靴、紐でくくり付けた左の手袋。ポケットに小物が──その中に大切なものが入っていることを手袋越しの手触りで感じて、安堵する──入っているくらいで、特に持っている物はなかった。

 目の前にいる少女は、たぶん自分と同じ15歳くらいだろうか。名前はカノンというらしい。身長は155から160の間くらいか。髪は、ピンク色のショートカット。瞳の色は緑。日本人どころか外国人とすら思い難かったが、少女に髪を染めただのな偽りの不自然さは感じられない。他者とまともな交流を持つ機会が稀なタスクですら、素直に可愛らしいと思える容姿を彩る髪色としてよく似合っていた。服装は、野外活動か何かでやや薄汚れている、赤と白を基調にしたジャケット。その下はミニスカート、あるいはワンピースの類だろうか?観察眼も衣服への理解も足りないタスクには、それ以上に評しようがなかったが。丈の長めなソックスが膝までを覆っている。身体には、右肩から左腰に一本、そして腰を覆うようにもう一本、ベルトの類だろう太めの帯が走っており、腰のそれにはいくつかの大きめなポーチが吊り下げられていた。背中には、何かを背負っている。それの大きさが比較させるのかもしれないが、全体的に華奢な印象を受ける。とはいっても、タスクとは違って健康的には思えるが。

 今いる場所は、おそらくどこかの高原、あるいは山。もう夕暮れ時なのだろう薄暗さだったが、見える範囲に、民家の明かり等といった人がいる様子が伺える気配はなかった。自身の少し後方、一歩か二歩後ろには崖があり、今いる場所から見る限りでも、たぶん、落ちれば容易く死ぬ高さはあるだろう。足元、そして正面に広がるのは花畑。カノンの後方を除き、花が広がる先はやはり地面が途切れているようで、山道から外れた行き止まり、ぽっかりと空いた空間なのだろうか、と推測する。

 とりあえず把握できることを把握して、やはり頭は状況が把握できないと訴える。思考を回せば回すほど、ここはどこなのか、なんでここにいるのか、といった知りたいことは分からないという事実が浮き彫りになる。

「──はぁ……」

 現状が全く理解できないにしても、とりあえず動くしかない、そう決めて、カノンというらしい少女から距離を取りつつ歩き出す。彼女の背後にある、唯一だろう道へ。

「えっと、タスク……?どこに行くの?」

「……」

カノンに呼び止められた。タスクは無視して歩く。とりあえず道なりに行けばなんとかなるだろう、と信じて。どうにかならないだろう、という思考を踏みつけようと足を一歩、踏み出して──

(⁉)

「っ‼」

 どこからか、獣の咆哮のような低い声が響き渡った。思わずタスクの身体が強張り、カノンは即座に反応する。

「──下がって‼」

「わっ──⁉」

 カノンは瞬時にタスクに迫り、その肩を掴んで自身の背後に追いやる。反応する間もなくタスクは引っ張られ、背で押されるままに後退させられた。

「な、何を──」

「危ないから下がってて。私が何とかするから」

「え、あ、……はい」

 いきなり掴まれ、背で押してくる彼女を突っぱねようとして、先程とはうって変わった、真剣な声に思わず頷く。少年が離れたことを感じて、カノンは右肩に手を回す。

(あれは……剣?)

 彼女に背を向けられたタスクには、それが見えた。暗くなる世界の中でも分かるその形状は、日常では絶対に目にしない物。少女の身の丈に迫りそうなくらいの、棒というよりは板といった形状。足元に伸びた先は鋭くなるでも四角でもなく何故か半円の曲線を描く。カノンが右腕を動かして、鞘から抜かれた金属製の煌めきがその思考の正しさを訴える。大の大人でもそう簡単には持ち上げられると思えないそれを、カノンは両手で握り、正面に構えていた。

(え、なんで──)

 タスクに分からないことが増えた。何故、剣などというありえないものを少女が握っているのか。呆然としながら、少女が見据える視線の先、そこに何かがいることに気が付く。目を凝らして、暗がりに立つその影達の姿を朧気ながら把握した。

「な、なんだ……あれ……」

 タスクは、先程響いた咆哮の主を、獣の類だろうと思っていた。狼なのか熊なのかはたまた別の何かかは知らないが、まあ、山の中にはそんなものくらいいるだろうと。確かに、見えた影の中にはそのような姿もある。では、それに混じる屹立した影──人間にしては小さく、かといって人型のそれにしか見えないアレは何なのか。

「グルゥゥ……」

「シャァッ……‼」

(っ⁉)

 思わず漏れ出しそうになる恐怖の声をタスクは辛うじて押し留めた。自然と、一つの言葉が脳内に浮かぶ。

(──魔物──)

 パッと浮かびそうな単語が浮かんだ。まさしく、正体不明の異形を一言で表すには手っ取り早い単語に続き、新たな情報が脳裏に浮かぶ。

(──狼の類が狂暴化したもの、生息圏内である山岳地帯に合わせた進化を遂げており、高低差には強く瞬発力や跳躍力にも優れるが、単純な体躯や疾走の最高速度は他種に劣る──亜人、原始的な道具の運用能力や製作能力に加え、下等な魔物や動物を、原始的な共存関係とはいえ飼い慣らす知恵を持つ──)

「え……」

 タスクは小さな声を上げる。どうして、こんないかにもな情報が自分からスラスラと出てくるのか。あんなバケモノ、見たことがあるはずがないのに──

「……ぃっ……」

ズキッ、と痛みに似た感覚が走る。右手で思わず、その根源である左腕を掴んだ。

(──な⁉)

「なんで⁉」

 タスクは、驚愕する。叫びをあげて、その視線を左腕に向けた。どうして──

「タスク⁉」

 タスクに背を向け相対する魔物達の様子を窺っていた少女は、背後で何かあったのかと声を飛ばす。感じる気配はタスク一人分だけのはずだが──

「シャア‼」

「──っ」

 それを皮切りに、正面の魔物達が動き始めた。狼は強靭な足腰で地を蹴りつけ、一瞬で加速し少女に迫る。数秒で距離を詰めて跳躍し、振り下ろされる爪が一閃──ガキンッ、と金属と衝突する音を響かせ、受け止められた。

「やあ──っ‼」

 剣を持ち上げて、迫る爪を確かに受け止めた少女は己を鼓舞するために叫びをあげる。勢いを止められ重力に従う獣に肩からぶつかる。獣は無防備に吹き飛ばされ、後続の進撃する足を止める。

「グガッ……⁉」

迫る獣や、その上に騎乗する、あるいは自らの脚で走る亜人達は、ある者はその障害物を避けきれず衝突し、またある者は咄嗟に横に飛んでそれを躱し──

「は──‼」

「ギャ──」

 その内の一匹が、カノンの剣に貫かれた。跳ね飛ばした獣で対応を阻害したところに踏み込み、自ら距離を詰めていたのだ。カノンはすぐに剣を振って身体から引き抜くと、傍にいる敵に斬りかかる。鈍い輝きを以って描く弧の鮮やかは、ただ一瞬を彩るだけではない。

「グギャアァァァ──‼」

 振るわれる剣閃、その全てが必殺の一撃として、重く鋭く速く、魔物達の身体を断ち切り絶命させる。爪牙を振るうのであれば爪牙ごと砕き、武器を振るうのであれば武器ごと折り、防具を纏うのであれば防具ごと断つ。普通の少女には荷が勝ちすぎるはずの巨大な剣を、むしろその重量を存分に活かして障害を打ち砕く。そこには確かな少女の実力、どう足掻いても埋まらない、技量と装備の質の差があった。瞬く間に傍にいた集団を殲滅した少女を、集団の後方にいたから出足の遅れた、交戦していなかった魔物達が取り囲む。

「……っ‼」

 数の差で取り囲まれたことを即座に理解し、カノンは瞬時に判断する。取り囲む輪の厚さ、今やるべきことを見極め、飛び出す。

「やぁっ‼」

 振り下ろされ、ズトンッ、と剣が地面に叩きつけ衝撃を生む。大地から響く衝撃に怯む魔物達。カノンが包囲を突破する、それを容易く実行するために選んだ場所にいたその数は当然多くない。カノンは地に突き刺した剣を支点に、剣を叩きつけた力を殺さないままに身体を浮かす。

「ふっ──‼」

 そのまま回転、蹴りを放つ。横薙ぎに振るわれるそれは亜人の一匹の頭を打ち、そこをテコにカノンは跳躍する。地に突き刺さった剣は軽業の勢いを利用して引き抜かれ、少女の手から離れず跳躍に共連れる。その着地先で再び剣を両手で握り直し、構え直す。狙い通りに着地したその場所で、守るべき人間を背後に背負い、立つ。

(──‼)

 守られるタスクは、少女が見せた驚異的な戦闘術に、ある種の感動を覚える。同時に、ある一つのことを理解する。

(あの剣、刃がない)

 左腕に響き続ける感覚に顔をしかめつつも、頭は何故か冷静に処理させられる。確かに、少女の握る剣には刃がない、本来何物かを切断することは叶わない代物だった。剣の知識などあるはずもないタスクに何故分かるのかは分からない。ただ、タスクの脳には事実が提示される。タスクの目は少女の剣になにか淡い輝きが纏わりついていることを示し、頭の中にはその輝きの正体と、剣が切断する力を持っている理由、その二つの解答が提示された。

(──ったく、なんなんだよ……‼)

 自分の知らないことを勝手に理解させられる。身体には理由の分からない現象が山ほど起こっていて、その心は纏わりつく痛みと混乱ではち切れそうだった。自身のことを処理しきれないせいで、視界に映る魔物達への恐怖が打ち消されていたのは幸か不幸か。そんな一人を置いて、戦況は更に流転していた。

「いっ──けぇ‼」

「グッ⁉」

 魔物達が突撃を仕掛けようとした矢先にカノンは突如、剣を投げつける。少女の細腕から、相当な速さで投擲された重量は容赦なく数匹の身を打ち、切り裂く、あるいは圧し潰す。開戦とは別のやり口で機先を制された先頭に、身軽になったカノンは既に踏み込み、手を伸ばしていた。亜人の一匹の首を掴み、一瞬の躊躇いを振り払って叫ぶ。

「あああぁぁぁ──っ‼」

「ッッッ──」

 ゴキッ、と少女の手の内で首の骨が砕ける感覚がした。走る怖気を振り払い、掴む死体を構えて、地に突き刺さった剣まで一直線に走る。道を塞ぐものを蹴り、殴り飛ばし、爪牙を武器を向けられれば掴む肉塊で押し退ける。程なく剣に辿り着き、握るや否や思いっきり振り回して重量でまとめて弾き飛ばした。

(これなら……)

 薙ぎ払うついでに身体を一回転させたカノンは、その動作で全方位を確認していた。指揮統率を果たす亜人、手足として働く狼、双方ともにもう数は少ない。統率自体も、既に幾らかが逃走を始めている、または戦況不利ゆえか怯えるのも幾らかと、もはや集団の利を成せるほどの力はないと見えた。負傷した分を数に加えても、もう少女に害を成せるほどの戦力があるとは思えなかった。大勢は決した、と見た少女は、剣を握り、高く掲げて、残る内の一匹に向けて歩き出す。

「グ、シャアアァァァ──‼」

 その個体が叫び、否、悲鳴を上げる。その声に必死さを示しながら、少女に背を向けて逃げ出した。それが呼び水となったのか、その場に残っていた動ける魔物達は、各々の全力を振り絞って逃走を始める。負傷した身に鞭打ってでも、たとえ動いて傷が悪化しようとも構わずに。今動かなければ、目の前のバケモノ、自分達の獲物のつもりだった一人の少女に殺されるのだから。

「……」

 カノンはこの場に生きている魔物が残っていないか見渡してから、逃亡する魔物達を追う。仕留めるためではない。ある程度は追い立てて、安全の確保をより確かなものにするためだった。少女が走り去ったその場で、タスクは戦いが終わったことを理解して、声に出す。

「なんなの……今の……」

 その声は、震えている。見たことなどあるわけもなかった化け物、鬼気迫る様を見せつけ戦った少女、そして視界の内で地に溢れている鮮血と転がる死体、その全てか、どれかか、あるいはそれ以外にもか、自分でも分からないまま震える。

「……っ」

 まだ感覚が響く左腕から右手を放し、足を踏み出す。とにかく、ここから立ち去りたい。行く先に何があるかは分からない。それでも、今はここから動きたかった。立つ場所から歩き出し、戦場だった花畑を往く。


 しかし、タスクは一つ、勘違いしていた。

 戦いはまだ、終わっていなかった。


「……ッ──シュゥ──」

(――⁉)

 立ち去りかけた場所、背後から何かが聞こえた気がして、タスクの息が詰まる。

(──違う)

 何が違うのか、自分でもよく分からないままに否定する。

(違う──違う違う──違うちがうちがうチガウチガウ──)

 心臓が早鐘を打ち始める。勘違いだ、と否定する。否定したいという叫びが間違っている、とどこかで訴える自分がいる。手に汗が滲む。動いていないのに、息が苦しくなる。

(チガウ──)

 そっと、振り向く。

「シャアアァァァッ‼」

「ひっ──」

 そこには、一匹の亜人がいた。カノンにより片腕を千切られ、胸に切り裂かれた跡があって──それでもまだ、生きていた。傷の、出血の、生命が零れ落ちる苦しみを訴えながらも、その魔物の瞳は生を求め、禍々しく、あるいは輝かしく、鮮烈な色を湛えていた。

 タスクは無意識に一歩、後ずさる。逃げなきゃ、と頭の中で警鐘が鳴り響き、しかし身体と心は応えない。震える膝が折れ、地に座り込む。立ち上がり、逃げる──たったそれだけのことを実行する、その意志が形成できない。ただ震えている間にも、亜人は一歩、また一歩と動かない人間に近づく。

(こんなの……慣れてる、はず──なの……に)

 やがて人間の目の前に辿り着いた亜人は、残された片腕を振り上げる。握られたのは、一振りの棍棒。木をただ削って作っただけのその出来は、粗雑。しかし、一つの命を殴り殺すのには、それだけで事足りる。

(──っ)

 タスクは反射的に左腕を振り上げていた。目を閉じ、顔を逸らし、衝撃が響くのを待つ。己の無力と不甲斐なさを悔いる余裕は、なかった。

「……?」

 衝撃が響き、しかしタスクはそれを疑問に持つ。その痛み、のたうち回るには十分なはずだけ響くだろうそれが、妙に軽い。少々小突かれたくらいにしか感じない。

「……っ」

 左腕に感覚を覚える。叩かれた感覚ではなく、何かが動いた脈動のような。思わず目を開き、見上げた。

「──」

 魔物はタスク自身に覆い被さる様に立っている。その片腕は振り下ろされ、棍棒は確かに左腕に命中したまま、固まっていた。

「シャアッ‼」

 魔物が再度、自身の生命力を振り絞る様に叫び、腕を振る。不意打ちかのように入った一撃は、今度はタスクに反射的な行動すら許さず、また、左腕を打つ。

「っ⁉」

 瞬間、タスクは理解した。放たれた一撃は狙い過たず左腕を打ち、それは容易く弾かれる。タスクの目に映ったのは、淡い光、暗闇でも気づかないだろう程のそれが左腕を纏う様。その現象を、知っている。

(さっきのと同じやつ──‼)

 力が身体を強くして、己が身を守護した──それがカノンの剣に帯びていたそれと同種の力だと理解して、共に感じたのは、熱。身の内から溢れ出すそれは自身を侵食し、何かを塗り替えていく。違和感、不快感はない。何故かその熱量が初めから自身の内に在ったと確信できて、閉められていた栓が解き放たれただけだ、とタスクに思わせる。

(っ熱い──‼)

 左腕が熱い。こちらは、溢れ出すものとは違う、明確な違和感を感じていた。それも、とんでもなくおぞましい、受け入れてはいけない、何か。しかしどうすることもできず、熱と熱は交り合い溶け込む。思わず目を閉じ、再び開いたタスクの視界に、変化はない。しかし、その身体の内側には、満たされた感覚があった。

「……いける」

 そして、知識があった。今にも気絶しそうなくらいに頭に叩き込まれた、命の欠片を使う方法。タスクは左手を振り翳す。そこには、与えられた知識を解き放つ、力があった。溢れ出しそうな記憶を意思を、生きるというを燃やせ――最も心に近しいのは、いつか訪れた終わり、その冷たさを否定する脈動。

「──『焼き尽くせ』──‼」

 命の欠片をほんの僅かに取りだして、知識と力を解き放つ。魂の熱が精神を通し、肉体を経て現実に具現する。形作られたその在り様は、炎。生み出された輝きは視線の先に立つ亜人に迫り、世界に定められた理の欠片、万物を焼く、という役割に従った。

「グギャアアアァァァ──‼」

 亜人の断末魔が響く。大地をのたうち回る肉体は火炎に包まれ、程なくして力尽きる。

「はぁ──はぁ──」

 タスクは荒く息を吸う。目の前の凄惨な死に様、それを己が振るったことに感慨を抱く余裕はない。

(──やめて)

 左腕から、何かが伸びる感覚を覚える。目には何も映っていない。なのに周りを埋め尽くす如く何かが迫り繋がってきていて、自身を侵食していく気がしていた。逃げようにも逃げられない、そもそも逃げ方が分からないまま、タスクの意思を無視して繋がっていく。

(──やめて‼)

 深い何か、どこまで覗き込んでも潜っても底が見えないような、深遠と呼ぶにふさわしい何かがあって、そこに引き摺り込まれていく。運命の墓場、という語彙が何故か、しかし如何にもふさわしいと主張して生まれた。何も分からない中でただ一つ確信できたのは、その場所の意味が「絶望」であること。

(──や……めて……)

「タスク⁉大丈夫⁉」

 そんな声が聞こえた気がして、しかしタスクには届かない。

(……や……)

 そのまま泥沼に沈み込むように、タスクの意識は途切れた。

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