1話ー① 少女は運命と出会う
「ここまででよかったんですか?」
「ああ、うん。山を越えるまで、って約束だしね。」
今立つ場所、人里までは未だ遠い荒野で仕事の終了を告げられた少女は、依頼主たる女性へと確認を取った。問われた女性は、念のためと自身の上司の顔色を伺いながら返すが、視線の先、会話が聞こえているはずの者達に非を示す気配はない。
少女はその様子を把握すると、完了した契約の内容、その後の手続きについて、慎重に、かつ無駄なく確認を進めていく。渡された書類を筒に入れ、足元の荷物に収納するとそれを背負う。
「そっちこそ、これから一人で山脈越えでしょ?護衛してもらった身で言うのもなんだけど──その、大丈夫?」
女性は心中を露わにする。目の前にいる少女、まだその顔立ちに幼さを残す、大人と呼ぶにはもう少しだけ遠い半端な未成熟を纏う彼女が、これから危険な──旅路の最中で、戦闘と行動判断の専門家が要求される程度には──山脈越えに単身挑むというのは、一人の大人として心配せざるを得ない。その少女に守られたが故に今までの旅路が成功したという事実があっても、それでも。少女も無論、その危険性は理解している。だからこそ、笑ってみせた。
「慣れてるので大丈夫です」
「……そっか、うん」
どのみち少女は山脈を越えて、自らの居場所に帰還しなくてはならない。それを助けようにも、どうこうできるような手段を、女性は持ち合わせていなかった。せめて少女に幸あれと、己の無力さを示したかのような力ない表情で笑い返す。
「それでは、またのご利用、お待ちしております」
少女は最後の挨拶を口にすると、背を向けて歩き出す。その場に残された者達は、少女への感謝、あるいは別れを惜しむ気持ちを込めて見送った。
別れて、幾日かが過ぎた。
「明日の夕方には帰れるかな……でもあんまり遅くなると門が閉まっちゃうしもうちょっと早く……いやちょっと、きついかな」
少女は野営の準備をしながら日程確認の独り言を呟く。少女一人の旅路は、心細くはあるものの、順調だった。危険がないわけではないが、幸いにもそれが手に余るほどだったこともなかった。一応は比較的安全なルートを取っているとはいえ、それでも危機というものは突然降って湧いてくる。そんな理不尽が存在することも、人間一人が処理できる厄介ごとには限度があることも、少女は知っていた。故に、今は確かに平和であるという事実に、寂しさと一体の安堵を抱く。
「早く……帰りたいなぁ……」
暗くなっても問題ない程度には目の前の作業を終え、少女は一人ごちる。何が起こるかわからない危険な状況から離脱して安心したい……というわけではなく、胸中の寂しさを他者との交流で埋めたい……というのもなくはないが、これは単なる我儘の類である。少女が求めるのは野外にはなくて街中にはあるもの、すなわち、柔らかいベッドと温かいシャワー。旅塵にまみれ汗などで汚れる身体は他者の目に気を遣いながらお湯を含ませた布で拭うしかない、寝るにしても寝袋越しとはいえ地面に転がって寝るしかない、という状況は、何度街の外で過ごしても快適と呼べた試しはなかった。よく足を運ぶ食堂や、行く頻度こそ多くはないがお気に入りの洒落たレストランで食べたい物を食べ、快適な環境で休息を貪りたい。そんなささやかな願いを胸に抱きながら、ふと、来た道を振り返る。向けた視線の先、傾いた太陽が目に入り──
「……あれ?」
眩しさに目を細めつつも、少女は目を凝らす。気づき呟いた違和感を、その瞳で確かめる。
「──なんだろ……あれ……?」
視界に見えた輝きは、太陽によるものだけではなかった。夕陽とは別の輝き、何色とも判断のつかない光が空にある。視界の中で、その光は高度を下げている、つまりは落下しているように見える。そして──
「結構、近く……?」
案外、その輝きと少女自身との距離は近いように感じられた。そう思った瞬間、少女自身の内側から沸き上がった何かが胸の内を満たす。気づけば手に持っていたはずの野営道具を手放し、無意識の動作で重い仕事道具を背負い、少女は立ち上がっていた。
「──行ってみよう」
抱いたものが興味、その輝きの正体を知りたいという感情であることに気が付いた時、既にその足は軽く走り出していた。しかし正体不明の輝きに魅了された少女の心は、その歩みを止めることができない。危険かもしれない、という疑念は吹き飛ばされ、今もなお高度を落としていく光を追いかけていった。
光は地に落ち、少しずつ輝きを失った。
その場所に駆け寄った少女はその有様を目撃し、そしてその正体を見た。
そこには、一人の人間が眠っていた。
二人の運命は、動き出した。
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