第19話  会談

木本は、自らが代表を務める政治団体主催のセミナーが開かれている京葉ホテルにいた。しかしそのセミナー出席は隠れ蓑で、真の目的は、そのホテルでのある人物との会談であった。セミナーでの挨拶を終えると、木本は久遠と共に最上階のスイートルームに向かった。部屋のドア前で、手を後ろに組んで仁王立ちしていた警護のSPが木本の到着を中の人物に伝え、その後木本が部屋に入ると、ゆったりとしたブラウンのオールドイングランドスーツを優雅に着こなした男が出迎えてくれた。木本は握手を求めながら言った。「お待たせして申し訳ありません、一条さん。」                        ソファーに座ると、木本は一条をゆっくりと観察した。「観察」という言葉は元々、仏教用語で「かんざつ」とも読み、「自分の持つすべての知識を使って、対象となるものを正しく見極めること」を意味し、まさに木本が今、行っていることがそれであった。両手を軽く組んだ足の上に置き、ゆったりと座るその姿は、知力が体全体から溢れ出ているようなオーラがあるが、それを感じさせない優しい眼差しに思わず引き込まれそうになる。これまで会ったどの人物とも明らかに異なる感覚だった。彼を見ていると、自分の周りにいる政治家たちが「無能な野蛮人」にしか見えなかった。             一通り「観察」した後、木本は言った。「お忙しいところお時間をとっていただき、有難うございます。」一条は微笑みながら答えた。「お忙しいのは木本さんの方だと思いますが…。一国の総理大臣として、様々な難題に取り組んでいらっしゃる訳ですから。」木本の隣に座っていた久遠は、一条が木本を「総理」ではなく「さん」付けで呼んだことに少し驚いた。しかし木本は総理大臣という肩書を持つ自分を前にして緊張することもへつらうこともなく、自然体で話す一条の言葉が心地よかった。                  木本は一条がハーバード大学の若手経済学者たちと発表した新しい資本主義に関する論文を読んで、一条の分析力に驚き、自分の考えがいかに稚拙で不完全なものであるかに気付かされた。それから一条の関わった他の論文や彼の業績を調べるにつれて、次から次に出てくる人並み外れたその能力に、尊敬の念さえ抱くようになっていた。木本はある決心をして一条との会談に臨んでいたので、これまでの経緯を隠すことなく詳細に話した。一条は静かに頷きながら木本の話を聞いた後、迷いのない言葉で言った。「木本さんの考えておられる「方向性」は間違っていません。ただ「手段」が間違っていたのだと思います。」「それはどういうことでしょうか?」「今の資本主義体制を維持しながら、それに反する事をやろうとしても不可能だということです。最低賃金の大幅な引き上げは、利潤を上げることが至上命題である資本家にとっては相いれないものです。当然、その資本家たちに寄生している政治家連中も反対する。しかし、資本主義の担い手を、一握りの資本家から国民全体に変えることができればどうでしょう?それが実現すれば企業活動で上げた収益は広く国民のものとなる。」  木本は戸惑いながら言った。「私には遠く理解が及ばないのですが、社会主義のような形を目指すということですか?」一条は優しい眼差しで木本を見つめながら答えた。「いいえ、働こうが怠けようが給料は同じ、などという努力が報われない社会では国は滅びます。それは歴史が証明している。また中国は共産党の一党独裁を維持しながら市場経済を導入するという歪な体制をとった。つまり、資本主義でありながら民主主義ではないのです。当然の帰結として、富は一握りの特権階級に集中し、14億人の人口のうち12億人の国民は年収が100万円に満たない、という結果になる。これはだれが見てもまともな国ではありません。」木本はさらに困惑した顔で言った。「それはよくわかりますが…では国民がその担い手となる資本主義とはどのような形なのでしょうか?」一条は右手の甲を顎の下に置き、少し考えて答えた。                        「これからのAI時代における技術革新では莫大な富が生まれます。その富を一握りの資本家ではなく、国民が手に入れる。それが我々の目指す方向性です。」木本は驚いた顔をして言った。「そのようなことが可能でしょうか? 確かにGAFAのように、これまでにない技術を開発して、新しいビジネスモデルを構築した企業は莫大な利益を手に入れてます。しかしその利益が国民に分配されることはない。」「仰る通りです。ですから国民がその企業の所有者になればいいのです。」「国民が所有者に…」「はい。木本さんを前にして失礼だとは存じますが、これまでの民自党政権は、AIやITの技術革新を推し進めるという触れ込みで、何とか推進計画と称して中途半端な計画案を策定し、無駄な補助金をばら撒いてきた。その結果が今のIT後進国日本です。私は国がコアとなり、日本の英知を結集した企業群を作るつもりです。当然、その資金は国民の税金な訳ですから、国民がその企業群の大株主になる。そして、それらの企業が収益を上げるほど、国民への配当が増え、国の税収も増えるという訳です。」「そのような企業群が本当にできるでしょうか?」「目指す方向性を決めて、的確に資金を投入すれば、世界が驚くような企業が生まれる…わが国にはそれを可能にする知力と財力と技術力があるのです。これまでは、各企業が限られた資金の中でバラバラにやってきたので大きな成果は生まれなかった。その結果、途中で技術革新を放棄し、非正規労働者という、安くて使い勝手の良い労働資源を生み出し、それを酷使することで利益を上げる方向に傾いた。これがわが国の年収と生産性が20年間上がらず、貧困層を大量に生み出した原因です。」                             木本は返す言葉がなかった。まさにその通りのことを民自党政権はやってきた。途中何度か党の方針に異議を唱える事もあったが、幾重にも張り巡らされた「しがらみ」という糸に絡みとられ、身動きできずにいた自分が情けない。それは総理大臣となった今でも同様である。                                           二人の間に沈黙が流れた。一条が木本の心の内を察するように言葉を繋いだ。    「木本さんは民自党の中でも異質の存在のようですね。長老の方々が、コントロールしづらいように見受けられます。失礼は承知で申しますが、どうでしょう、私と一緒にこの国を…国民を救っていただけませんか?」                                木本が帰った後、秘書の片岡があきれ顔で一条に言った。「一国の総理大臣にリクルートをかけるなんて、いったい何を考えているんですか!それに彼は民自党の総裁ですよ。敵に手の内を見せてどうするんですか!!」「まあまあ、片岡さん、落ち着いて。彼は敵じゃないよ。我々と同じ価値観を共有できる人物だ。それにおそらく彼はその覚悟を持って私に会いに来たんだと思う。」一条がさらりと言うと片岡は驚いて尋ねた。「現職の総理が我々に合流すると言うんですか?まさか…そんな…」「もうすぐ政局は大きく動くよ。覚悟しておいてね。」一条はそう言うと、モカ・マタリをゆっくりと飲み干した。               

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