第10話 一党

内閣支持率はついに20%を割り込み、大賀総理は11月1日、衆議院を解散した。解散直前、民自党は総裁選挙を決行、次期総裁に木本武が選出され、木本を前面に出して解散総選挙に突入した。                                    衆議院の解散より2週間ほど前の10月15日、帝京ホテルの会議室で、後藤は初めて衆議院選挙に立候補するメンバーに会った。著名な法律家や経済学者、国際ジャーナリストから文学者まで、その顔触れは多様であったが、ただ一つ共通するのは、「あの一条の目にかなった人物」ということだった。そのメンバーを前にして、一条は選挙戦に関して驚くようなことを話した。「間もなく衆議院は解散されると思われます。皆さんは各自、地元の選挙区から立候補することになりますが、選挙運動を行う必要はありません。」メンバーの中から小さなどよめきが起こった。国際ジャーナリストの加治浩が、挙手をして質問した。「選挙運動を行わないとは、街頭演説や選挙カーでの票固めなどを一切行わないということですよね。我々は皆、今回が初めての選挙で、まったく名前も知られていないのにそれで勝てますか?」「ご心配はもっともですが、その点に関してはこちらの氏家さんから説明していただきます。」一条に紹介された氏家和樹は、関東新聞の社会部デスクを10年間勤め上げ、メディアの表も裏もよく知る人物だった。氏家は柔らかな、しかし太い声で説明を始めた。    「はじめまして、氏家と申します。結論から申し上げますと、選挙戦はもう終わっているのです。」一同がまたざわつく中、氏家は続けた。「私は一条健という人物を、できるだけ多くの人に知ってもらうため、あらゆるメディアを利用してきました。誤解のないように申し上げますが、嘘・偽り・誇張といったたぐいのことは、一切行っておりません。」一同の間から笑いが起こった。「一条さんの行動や発言を通して、国民は彼の人柄や信念に共感し始めると同時に「今の日本の社会で当たり前と思われていることが、ひょっとしたら根本的に間違っているのではないか」と思い始めた。これまで無党派層と呼ばれていた人たちが、政治に関心を持つようになったのです。そして今、これは非常に大きな流れとなり、一条さんを支持する原動力になっています。その力は、一条さんを支える皆さんへの力でもあります。今週、各メディアが実施する世論調査で、「一条派」に対する支持率は、おそらく民自党を上回ります。先ほど私が言った、「選挙運動は終わった」というのはそういうことなのです。」 この場にいる誰もが驚いた。皆の思いを代弁して後藤が発言した。「何か根拠となるデータがあるのでしょうか?」「はい、私の古巣である関東新聞の予備調査と我が国有数のデータバンクの情報を詳細に分析した結果ですので、信頼していただいて結構だと思います。」氏家が自信に満ちた表情で断言した。                              静粛な時が少し流れた後、元財務官僚で「暴れ馬」の異名を持つ手島武が、よく通る声で一条に尋ねた。「党名はどうするのでしょうか?」一条は虚を突かれた様子で、「うーん、やはり必要なんでしょうねえ…」と小さな声で言うと、手島が呆れた顔でぴしゃりと言った。「当たり前です!我々全員を無所属にしたいのですか?」                    「いえ、そうではないのですが…そうですよね…皆さんが困りますよね…。」               「自分の事になると、途端に優柔不断になるなあ…」と思いながら後藤は一人で笑った。 「よろしいでしょうか?」吉村香が挙手した。吉村は日本文学研究の第一人者で、その著書「美しき日本」で日本語の素晴らしさを説き、人の心に響く多くの詩文を発表していた。「吉村さん、何かいい案がありますか?」一条は満面の笑みで彼女に言った。「はい、私たちは今の政治・経済体制を一から作り直す、という共通目標を持ってここに集っています。そこで、その「一」をとって「一党」というのはどうでしょうか?」  「一党…我々の信念を表現した、素晴らしい党名だと思います。皆さん、どうでしょうか?」一条の言葉に全員が拍手で答えた。                       会議の後、立食パーティーが催され、お互いよく知らないメンバー間の交流が行われた。後藤はその中に、かつて交流のあった人物を見つけた。「山倉浩」 元東都大学の法学部教授で、その温厚な顔つきと風貌から「仏さま」と呼ばれていたが、実際は反腐敗政治の急先鋒の論客で、与野党問わず、心当たりのある政治家に恐れられていた。山倉は佐伯教授とは同期で親交が深く、後藤も何度となく佐伯に連れられて山倉の自宅にお邪魔したものだった。 「山倉先生、ご無沙汰しております。」「おお、後藤君か、君がいることはわかっていたんだが、次から次につかまってしまってな。あとでゆっくり話そうと思っていたんだよ。」山倉の懐かしい笑顔に後藤は「ホッ」とした気分になった。「佐伯からも君のことを頼むと言われたよ。これからが大変だろうが、頑張ろうな」「はい、先生がいらっしゃるだけでとても心強いです。しかし本当は少し驚いています。先生は明応大学の次期学長に内定されていると伺っておりました。それなのになぜ政界入りを決断されたのでしょうか?」山倉は一条のほうをちらっと見てから小声で、「彼が毎日家に押しかけては夕飯を食うものだから、妻が悲鳴を上げてね、それで仕方なく出馬要請を受けたんだよ。」と言って笑った。

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