Lastseason6-3:クリスマス(viewpoint輝美)

「あの……、なんとお呼びすればいいでしょうか?」

 私が少し緊張をしながら尋ねると、その人はカウンターの中でジンジャーティーを用意しながら「光恵でいいわよ」と苦笑いを浮かべた。

「えっと、じゃあ、光恵……姉さん」

「ねぇ……? まぁいっか。それで今日は何か話があって来たんでしょう?」

 私は頷く。

 実は、この間この『カフェ&フラワー クローゼット』に訪れたのも相談をしたかったからだ。だけど満月や雅、日和がウジャウジャといたから話すことができなかった。

 そのため大学の講義が三限目からだった平日の今日、改めてこの店を訪れたのだ。平日ならば邪魔な連中は会社に出勤しているから絶対にこの店でくだを巻いていることはないだろうと踏んだのだ。

 店内に入ってすぐにぐるりと見回して確認したのだが、私の読み通り(というほどたいした読みではないけれど)奴らの姿はなかった。

 週末に来たときには比較的年齢層の若い女性が多かったけれど、平日の朝は少し年齢層が高く見える。ご近所の主婦の方がひと仕事終えて休憩に利用しているのかもしれない。

 みんな連れ立って来店しているようで、カウンター席には誰も座っていなかった。私はカウンター席の真ん中に陣取って、光恵姉さんに話しかけたのだ。

「えっと、相談というのはですね……」

 ある程度話すことを決めて来たのだけれど、いざ光恵姉さんを前にするとどう切り出せばいいのかわからなくなる。自分では物怖じしない方だと思うけれど、さすがに光恵姉さんくらい姉さんな人だとちょっと気後れしてしまう。

「陽ちゃんのことでしょう?」

 言い淀んでいる私を見かねて、光恵姉さんが助け舟を出してくれた。さすがは年の功というところだろうが、そう言ったら確実に怒られそうな気がするからグッと飲み込んだ。

「はい。正直に言えば、どうしたらいいのかよくわからなくなってしまったんです」

 光恵姉さんは、私がオーダーしたジンジャーティーをカウンターに置く。ふわりとショウガの少し刺激のある香が漂った。

「それは野崎さんの決断のせい?」

「多分、それもあると思います。今まで『付き合う』ってことをそんなに深く考えたことがないんです。告白されて嫌じゃなかったら付き合って、駄目だなって思ったら別れる。そんなものじゃないんですか?」

 付き合うことくらいそんなに重く考える必要なんてないと思う。結婚しようというわけではないのだ。どんな人だって付き合わなければ本当の良さも嫌なところも見えてこないだろう。

 陽さんには居酒屋で店員とお客様として顔を合わせる以外の私も知ってほしいと思った。『好き』という気持ちがわからないと言うのであれば、尚更もっと近づいて『好き』になってほしいと思った。もしもそれでフラれたとしたら、潔く諦め……られるかどうかはわからないけれど、陽さんの迷惑にならないようにだけはしようと思っていた。

「そういう意味では陽ちゃんはそんな風に考えられないタイプかもしれないわね」

「はい。それはわかっていて……。だからお試しというか……陽さんに色々な私を知ってほしいと思っていただけなんです」

「でも野崎さんが付き合うのをやめるって決めたから、輝美ちゃんも迷ってるの?」

 光恵姉さんは布巾でカップを拭きながら言った。私はジンジャーティーをひと口含んで少し考えてから答える。

「迷っている……とは少し違うかもしれません。私、陽さんと別れるつもりはありませんから」

「そう。それでいいと思うよ」

「自分だけ勝負を放棄した満月には腹が立つけど、満月がそう考えた理由もわからなくもないというか……でもやっぱり腹が立つというか……」

「なるほど。それなら野崎さんと一度ちゃんと話してみたら?」

 光恵姉さんは穏やかな口調で言う。

「満月のことなんてどうだっていいんです!」

 私が即答すると光恵姉さんは苦笑いを浮かべた。いけない、少し口調が崩れてしまったようだ。敬意を表すべき人にはそれ相応の態度がある。私は背筋を伸ばして続けた。

「私は毎日でも陽さんに会いたいし、デートもしたいんです。だけどそれで陽さんが疲れちゃうなら私が少し我慢をしなくちゃいけないとも思います。だけどやっぱり陽さんには会いたくて……」

「それならルールを決めてみたら?」

「ルール? 陽さんには断ってもいいですよって伝えているんですけど……」

 断られたら少し寂しいけれど、私の希望だけを押し付けるつもりはない。だから陽さんが「今度は無理だ」と言ってくれれば私はデートの予定を諦めるつもりがある。

「だけど陽ちゃんはそれを言わないのよね?」

「はい……」

「陽ちゃんはね……まだ何も知らない赤ちゃんみたいなものなの。だからひとつずつ経験をしながら勉強をしているところなのね」

「赤ちゃん……」

 陽さんは確かに小さくてかわいい。だけど赤ちゃんだなんて……、めちゃくちゃ萌える。私はついつい幼児バージョンの陽さんを想像してニヤケてしまった。

「だからね、もう少し陽ちゃんでも判断しやすいルールを作るの」

「判断しやすいって、どんな感じですか?」

 私は両手でニヤけた頬を抑えると、真面目な顔を作って光恵姉さんに尋ねた。

「そうねぇ。例えばね、私、陽ちゃんのことをギュってするんだけど」

「ギュ?」

「そう、ギュって」

 そうして光恵姉さんは何かを抱きしめる仕草をした。ハグをするという意味らしい。

 私が頷くと光恵姉さんは続ける。

「そのとき、息が苦しくてもう無理! ってなったら私の腕をポンポンって叩くようにしてるの」

「はぁ」

 それは締め落とされそうなときの仕草だと思う。ハグで息苦しいことなんてそうそうないんじゃないか? と思ったけれど、陽さんの背丈を考えると光恵姉さんの胸の辺りに顔がくるのだろう。それならば確かに息苦しくなるかもしれない。幸せな息苦しさではありそうだけど――。

「このルールはね、ウチのしゅうちゃんが考えたの。最初のころは私が離すまで我慢してた陽ちゃんが、ちゃんと私の腕を叩いて離してって伝えられるようになったのよ。すごいでしょう?」

 私は冷めてしまったジンジャーティーを飲んだ。ショウガのわずかな刺激で、光恵姉さんに思いっきりツッコミを入れたい気持ちをなんとか抑え込むことができた。

「……はい。そうですね」

「陽ちゃんも慣れたら自分で判断できるようになると思うから、それまではわかりやすい基準を作ってみたら?」

「わかりました。考えてみます。ありがとうございました」

 私はジンジャーティーを飲み干して代金を支払うと、光恵姉さんに頭を下げて店を出た。


+++


 その週の週末。

 私は陽さんにデートはお休みしましょうと連絡を入れた。

 少しだけ「デートしないんですか? 楽しみにしてたのに」なんていう返事を期待したのだけれど、陽さんからは「はい、わかりました」というシンプルな返事が届いた。

 想定の範囲内だから別にそれくらいでショックを受けることはないのだけれど、それでも陽さんは私とのデートを楽しんでいなかったのかな、なんて少しだけ考えてしまう。

 そして陽さんとのデートを中止にしてまで私が何をやっているのかといえば、私の家で満月とお酒を飲んでいる。

 我が家の一階のリビングを酒盛りの場にして、テーブルの上にコンビニで買ってきたつまみを広げて、満月のマヌケな横顔を眺めながら缶酎ハイをあおっていた。

 すでにお互いに缶酎ハイを一本開けて、二本目に突入している。

 どうしてあんたと差し呑みしなきゃいけないのよっ! と言いたい気持ちもなくはないけれど、そもそも私が満月を呼び出したので、さすがにそこまで理不尽なことは言えない。

「ところで今日って何か話があるんだよね?」

 二本目の缶酎ハイをチビチビと飲みながら満月が言った。

 私の家にきてすぐに満月は同様の質問をしたのだけど「しらふであんたと話なんてできないでしょう」と言って、まずは黙々と一本を空けたのだ。

 二本目に入ってそろそろいいだろうと今の問いになったのだと思う。私もそろそろ重苦しい空気の中で呑むことに飽きてきたからちょうどいいタイミングだ。

「私たちが話すことなんて、ひとつしかないでしょう?」

「ああ、うん。矢沢さんのことだよね。それにしても、どうして輝美ちゃんの家なの? いつもの居酒屋でもよかったのに」

 私は大きくため息をつく。

「知り合いがいつ来るかわからないところで話したくないからよ」

「ああ、そっか」

「それくらい察しなさいよ」

「ごめん。私ってこういうところがバカなんだね……」

 そう言いながら満月は頭を掻いた。そんな満月になんだかイラっとする。

「そうやって自分のことをバカって言うのやめなさいよ」

「でも、雅もそう言ってるし……」

「雅があんたのことをバカって言おうが、私があんたのことをバカって言おうが、それはいいの!」

「ええっ、それはいいんだ……」

「他人がどう言おうがいいの。だけど自分のことをバカっていう人は最悪」

「ああ、そっか。うん、ごめん。ありがとう。やっぱり輝美ちゃんはやさしいね」

「はぁ? あんた、本当にバカなんじゃないの?」

 やさしいなんて言われたことがほとんど無いから妙に照れてしまう。満月はヘラヘラとだらしない顔で笑いながら缶酎ハイを仰いだ。本当に満月と話しているとイライラしていけない。

 今日は別に喧嘩を売るために満月を呼びつけたわけではないのだ。

「今日はあんたが陽さんと付き合うことを止めた理由をちゃんと聞きたくて呼んだの」

「でも、この間話したこととあんまり変わらないよ」

「陽さんのことが好きなんでしょう?」

「うん」

「それなのに自分から身を引くようなこと、普通はしないでしょう」

「身を引いたつもりはないんだけど……」

「あんたにそのつもりがなくったって、私が陽さんと付き合い続けてるんだから同じじゃない」

「そうかな?」

「私たち二人と付き合うことが陽さんの負担になってるかもしれない、そう考えたってことは理解できる。だったら私にも陽さんと付き合うのを止めるように言おうと思うものじゃないの?」

「え? そうかな?」

「そうでしょう。だってその方がフェアだし、陽さんのことを考えるならその方がいいんじゃないの?」

 そう言って少し後悔した。これでは私自身で陽さんと別れた方がいいと認めてしまっているようだ。

「うーん、そうかなぁ。矢沢さんと付き合うのを止めようと思ったのは、矢沢さんのためじゃなくて私自身のわがままなんだよ」

「あんたの?」

 意味がわからない。陽さんを好きでわがままを通すというのに、どうして別れるなんて結論になるのだろう。

「前、輝美ちゃんの家に泊ったとき、雅のことが好きなのかって聞かれたでしょう?」

「そんなこともあったわね」

「それからずっと、今までどんな風に人を好きになったかな? って考えてたんだ。まぁ、全部片想いなんだけどね」

 私は缶酎ハイを飲みながら黙って満月の言葉の続きを待つ。

「なんかね、いつも勝手にダメだって決めつけて、勝手に諦めてたなって思ったんだ」

「それで、陽さんのことも諦めようと思ってるの?」

 満月は首を横に振る。

「その逆。色々考えて、やっぱり矢沢さんのことが好きだなって思えた。だから今度は簡単に諦めたくないって思ってる」

「だったらどうして付き合うのを止めるわけ?」

「うーん、どう言えばいいんだろう……」

 満月はそう言いながら缶酎ハイをあおったが、どうやら空になってしまったようだ。飲み口から缶の中を覗き込んだあと、カランと軽い音を立ててテーブルに缶を置いた。

 私の缶酎ハイももうすぐ無くなりそうだったので、立ち上がって冷蔵庫に向かう。缶を二本持って来て一本を満月に渡した。

 満月は「ありがとう」と缶を受け取ると、早速プルタブを空けてひと口飲んだ。

「矢沢さんは『好き』っていう気持ちがわからないって言ったでしょう? そのこともずっと考えてたんだ」

 私も二本目の缶酎ハイを呑み終わり、三本目に突入する。

「それで?」

「よくわからないなって!」

「なんだそれっ!」

 今日は冷静に話そうと思っていたのだけどついついツッコミを入れてしまう。

 満月はなぜかうれしそうな顔でヘラヘラと笑った。なんだか酔っぱらっているように見える。

 缶酎ハイはまだ三本目に突入したばかりだ。店ではモスコー・ミュールをカパカパと呑んでいた気がするから、そんなにお酒に弱いはずはないはずなんだけど、と思いながら、満月の顔をよく見ると、かなり目が座ってきているようだった。

 四本目は勧めないほうがいいかもしれない。

「どんなに考えたってさ、矢沢さんの気持ちが私にわかるわけがなくって、私にわかるのは私の気持ちだけなんだよね」

「まぁ、そうかもしれないけど」

「それで、私はどうしたいのかな~って考えたの。矢沢さんを好きでいたくて、矢沢さんともっと仲良くなりたくて、矢沢さんに笑っててほしくて……」

「それってすごく陽さんのことが好きなんじゃん」

「うん、好きだなーってことがわかった。だけど矢沢さんと付き合いたいとは思わなかったんだよね」

「私は陽さんのことが好きだから付き合いたいよ」

「うん……。私、バカだからさ……」

 私がキッと睨むと、満月は缶酎ハイを飲んで誤魔化しながら続ける。

「その……だから、二つのことを考えられないっていうか……。だったら好きだなって気持ちだけに集中した方がいいんじゃないかなって思ったの」

「それであんたがフラれてもいいって言うの?」

 すると満月は腕を組んでうーんと唸った。

「フラれるのは嫌だけど……輝美ちゃんならいいかな」

「はぁ?」

「だって、矢沢さんのこと大好きだし、大事にしてくれるでしょう? 私、輝美ちゃんのことも好きだし、矢沢さんがそれで幸せならいいかなって」

「そんなわけないでしょう」

「どうして?」

「そんなきれいごと言えるなんて、本当は陽さんのことを好きじゃないんでしょう?」

「きれいごとかぁ、きれいごとなのかなぁ」

「恋愛なんてきれいごとばっかりじゃないでしょう。誰かを傷つけても、押しのけても、自分のものにしたいって思うものじゃないの?」

「うーん? うーーーーーん」

 そうして満月は腕組みをして唸りはじめる。

 その表情からは一ミリの知性も感じられない。だから雅にバカだなんて言われるのだろう。

「まぁ、あんたがそれでいいのなら私は別にいいんだけど」

 缶酎ハイを持ち上げてグビリと飲んだけど、なんだかあまりおいしく感じない。缶のイラストを確認したけれど二本目と同じ種類だった。

「好きだから、嫉妬はするよ。だけど……。矢沢さんは『好き』がわからないでしょう? 私は矢沢さんを『好き』なんだけど、多分輝美ちゃんや……雅たちとは『好き』のカタチが違うんじゃないかな」

「好きのカタチ?」

「もしかしたら今まで誰とも付き合ったことがないからかもしれないけど……付き合うとか、その……その先とか、それよりも大事にしたいものがあって……。人によって『好き』のカタチって違うんじゃないかな。私は私が今感じている『好き』のカタチに向き合いたいんだ」

「ふ~ん」

 私はそう言って缶酎ハイをグビグビと飲む。頭がクラクラしてきた。私も酔っ払ってきたのかもしれない。

 わざわざ呼び出して話をしたけれど、満月の言うことが私にはよく分からなかった。

 ただ、雅が満月を好きになって、それでも付き合おうとしなかった理由が少しわかるような気がした。


+++


「えっと、遅くなってごめんなさい」

 小走りで待ち合わせの場所に現れた陽さんが少し息を切らして言った。

 私は思わず手のひらで口もと押さえて顔を背ける。危うく鼻血が出るところだった。陽さんはいつだってかわいいけれど今日は一段とかわいい。

 足元は低めのヒールの黒のブーティー。エンジ色のロングスカートにシンプルな黒のタートルネックのセーター。そしてその上にはオフホワイトのダッフルコートを羽織っている。

 通勤用の服しか持っていないという陽さんが目一杯おしゃれをしてくれているのは、今日が十二月二十四日、つまりクリスマスデートだからだ。

「あれ? この格好、おかしかったかな?」

 挙動不審な私に陽さんが勘違いをしたようで不安げに自分の服を見下ろす。

「いえ、そんなことありません。最高です!」

 私はサムズアップをして笑顔で答えた。

 前回のデートのとき、陽さんに行きたいとこがあるかを尋ねてみたところ「あまり服を持っていないので、デートのときに着られる服を買いたいです」なんてかわいいこと言ってくれた。だから私は張り切って陽さんに似合う洋服を選んだのだ。

 そう、今日のこのかわいい陽さんは私の手柄なのである。

 残念なのは今日が平日だったため、陽さんはこの服装で会社に出勤しているということだろうか。私よりも先に満月がこの陽さんを見たかと思うと腹が立つ。

 陽さんは少し照れくさそうに顔を伏せて出勤したことだろう。そんな陽さんを想像するだけで身悶えしてしまいそうだ。

 この服装の陽さんを満月に見せたくないのならば、クリスマス前の土曜か日曜にデートをすれば良かったのだろうけれど、短い時間でもいいからクリスマスにデートをしたかった。だから一番にかわいい陽さんを見ることは泣く泣く諦めたのだ。

 以前はクリスマスとかバレンタインとかそういったイベントにはあまり興味がなかった。それどころかイベントのある日はシフトに入りたがらないバイトの子も多かったから憎々しく思っていたくらいだ。

 前回のデートの終りに、無理を承知で陽さんに平日の夜のデートを申し込んでみた。

「二十四日、デートをしませんか?」

「二十四日? 平日なので会社があります」

「仕事が終わってから少しの時間でもいいので……ダメですか?」

 そう尋ねたら、少し考えてから陽さんは承諾をしてくれた。

「二十四日ってクリスマスイブですよね?」

 そうして陽さんはさらに考え込んだ。

「あ、クリスマスだからってプレゼントはいらないですよ。私もプレゼントは用意しません」

「そうなんですか? クリスマスにはプレゼント交換をするものではないんですか?」

「そういうケースもありますけど、今回は陽さんとデートができれば満足です。お互いにプレゼントはなし。それでいいですよね」

「わかりました」

 陽さんは少しホッとしたように息を付いて微笑んだ。

「あ、そうだ。今日買った服を着てデートに来てください」

「え? デート用に買った服なので平日は……でも会社の後にデートをするなら……」

 そんな風にしばらく考えてから陽さんは承諾してくれて、今日のデートに漕ぎつけたのだ。

 光恵姉さんのアドバイスに則って、陽さんとのデートでは小さなルールを決めるようにしていた。そうしたルールを決めると陽さんも少し安心したように表情を緩める。

 そうして約束通り、クリスマスイブの今日、二人で選んだ服を着て会社帰りに私とのデートに来てくれた。

「あの、本当にプレゼントを用意していないんですけど、よかったんですか?」

「はい。私も用意してないので大丈夫です。あ、その代わり、五千円いただけませんか?」

「五千円?」

 陽さんは少し首をひねりながらもバッグの中から財布を取り出して五千円を私に差し出した。

「ありがとうございます」

 私はそれを笑顔で受け取りつつ「そんなに簡単にわけのわからないお金を出しちゃダメですよ!」と心の中で叫ぶ。素直でかわいいけれど、陽さんには誰かしっかりした人がついていないとダメだと思う。

 光恵姉さんはポヤポヤしていそうで意外としっかりしていると思うけれど、恋人とイチャイチャするので忙しいだろう。満月は全然しっかりしていないから無理だ。つまりやっぱり陽さんの側には私がいなくてはいけない。私は改めて使命感に燃えた。

「それで、どこに行くんですか?」

 陽さんに尋ねられて私は我に返る。

「少し街を散策しましょう。イルミネーションがキレイですよ」

「はい」

 陽さんはそう言うと私の手を握った。

 どうやらデートでは手を繋ぐものだと認識したようで、私から手を取らなくてもこうして手を繋いでくれる。

 照れくさくもうれしくもあるけれど、こうした素直さは心配でもある。やはり私がしっかりして陽さんを支えてあげたい。

 陽さんの手をキュッと握って私は賑わう街に足を進めた。

 平日とはいえ、街にはカップルが溢れていた。以前だったら歩きづらいとかうっとうしいとか毒づいていたところだろうけれど、今は穏やかな気持ちでゆっくりと歩みを進めることができる。

 私たちは電飾で彩られた街路樹を眺めながらゆっくり人波に沿って進む。そしてデパートのパティオに辿り着いた。この辺りでは一番大きなクリスマスツリーが飾られており、他のカップルたちもこのツリーを目指して歩いていたのだ。

「わぁ」

 陽さんは小さな声を上げてツリーを見上げる。

「きれいですね」

 私が声を掛けると、陽さんは私を見上げて「はい」と笑顔を浮かべた。どんなクリスマスプレゼントよりもその笑顔がうれしい。

 私はバッグからスマホを取り出す。

「陽さん、写真を撮りましょう!」

「え?」

「クリスマスデートの記念です」

「記念……はい」

 陽さんは少し戸惑いながらも頷いてくれる。

 クリスマスツリーを背景にして、私は陽さんに頬を寄せた。いっぱいに手を伸ばしてパシャリと一枚写真を撮る。クリスマスツリーが大きすぎてすべては入らなかったけれど、十分にクリスマスデートっぽい写真が撮れた。

「じゃぁ、次に行きましょうか」

 私は陽さんの手を取って次の場所に向かって歩きはじめる。

 陽さんは目的地も聞かずに素直に私に付いてきてくれた。私を信用してくれているからだろうとは思うのだけど、陽さんは少し人を疑うことを覚えた方がいいと思う。

 案の定、目的地も知らずについてきた陽さんは、到着した場所を前に足を止めて「ここ、ですか?」と戸惑いの声を上げた。

「はい」

 私ははっきりと答える。

 なにせ今日はクリスマスだ。陽さんが嫌がることは絶対にしないけれど、それでも少しくらいのわがままやサプライズなら許されると思う。

 そうして私は陽さんの手を引いて店に足を踏み入れた。

「いらっしゃいませー」

 聞き慣れた威勢の良い声が響く。

「あ、来たね、輝美ちゃん。あっちの奥だよ」

 店長がにこやかに言う。そう、ここは陽さんのいきつけにして私のバイト先である居酒屋だ。

 店長に案内された店の奥の一角には、見慣れた顔ぶれが揃っていた。満月、雅、日和、光恵姉さんとその恋人。陽さんは目を丸くしている。

「え、えっと……」

「クリスマスパーティーです」

「え、え?」

「サプライズです。成功しました?」

「はい、びっくりしました」

 陽さんは目を大きくして集まった面々の顔を一人ずつ見ていく。驚いているようだがうれしそうに見える。

「だから最初に会費の五千円を貰いましたよね?」

 私がそう言うと、陽さんは「あっ」と声を上げた。

「いいですか、意味の分からないお金を素直に出しちゃだめですよ。たとえ相手が私でも満月でも光恵姉さんでも、です」

「はい……」

 そうしてちょっとうなだれた陽さんの背中を押して空いている席に座らせる。私は立ったまま全員の飲み物を確認してオーダーを通した。

 コースメニューで飲み放題付き、ひとり税込み四千五百円で店長にはとびっきりのクリスマスメニューを出すよう交渉済みだ。

 飲み放題の一杯目はぜひとも全員が生ビールにしてほしいところだけど、この面々はそうした気遣いは皆無だ。

 生ビール、レモンサワー、モスコー・ミュール、ハイボール、ウーロンハイ、梅酒のソーダ割り、緑茶ハイという見事に全員が別々の飲み物をオーダーする。

 これだけバラバラになるのも珍しい。

 テーブルの真ん中には大きなケーキが置いてある。光恵姉さんが「太郎ちゃんのところのケーキを買っていくね」

 と言ったので、三千五百円のクリスマスケーキを買ってきてもらった。しかし、どう見ても三千五百円とは思えないサイズだ。

 あの笑顔で太郎ちゃんとやらに無理を言ったのではないかと考えると少々怖いので詳しくは聞かないことにした。

 飲み物がそれぞれの手元に行き渡ったところで私が乾杯の音頭を取る。

「平日なのに集まってくれてありがとうございます。楽しいクリスマスパーティーにしましょう。乾杯!」

 そうして互いにグラスを合わせてパーティーがはじまった。私は立ったままレモンサワーを一口飲むと、すぐにテーブルに置いて一堂に向かって話をはじめる。

「えーっと、申し遅れましたが、私、就職が決まりました!」

 陽さんは「本当ですか?」と目を丸くして、満月は「輝美ちゃんおめでとう!」と笑顔を浮かべた。

「それじゃぁ、もう一回乾杯しましょうか」

 と日和が言って、改めて「おめでとう」のコールで乾杯をする。

「それで、就職先ってどこなの?」

 ハイボールを飲みながら雅が言った。

「ここ」

 私は足元を指さす。

 一堂が床に視線を落としたのが面白かったけれど、別に床を指さしたわけではない。

「この居酒屋に就職することに決めました」

 そう言ったタイミングで料理を運んできた店長が「そう、だからこれからも御贔屓にお願いします」と口を挟む。

「ここに就職したからには、この店舗の店長の座を奪い取って、陽さんの好きな料理を出す陽さんのための居酒屋にしてみせます!」

 力強く決意表明をすると、店長が眉尻をさげて「お手柔らかに頼むよ」と言いながらバックヤードに戻って行った。

 そうしてようやく陽さんの隣の席に座ると、陽さんが「おめでとう」と言ってグラスを寄せる。

「ありがとうございます」

 グラスを合わせる音がカチリと鳴った。

「居酒屋さん、いいと思います」

「はい」

 そんな陽さんとの甘いやり取りを邪魔するのは雅だ。

「私もこの店使うんだから、私物化するのはやめてほしいんだけど」

「なんであんたたち引っ越ししたのにこの街にいるのよ」

 雅と日和は引っ越しをしたのだけれど、今まで雅が住んでいた場所から徒歩で数分の場所にしたらしい。迷惑な話だ。

「だって、せっかく輝美と仲良くなったんだしねぇ」

 日和が心にもなさそうなことを言う。

 私は当然のように日和と雅を無視して光恵姉さんに目を向けた。光恵姉さんは箸でつまんだオムレツを恋人の口もとに運び、恋人は顔を赤くして「自分で食べられますから」なんてやっている。

 そういうことは家でやってほしい。

「あの、光恵姉さん」

「はい、なぁに?」

「ケーキを用意していただいてありがとうございました」

「いえいえ、太郎ちゃんはしゅうちゃんのお願いなら聞いてくれるから」

「そういうことじゃないでしょう。ケーキを売るのがアイツの仕事なんだから」

 よくわからないのでとりあえず笑顔を浮かべてその話を聞き流した。

 満月は陽さんを挟んで私の反対側に陣取っている。手元には相変わらずモスコー・ミュールが置かれていた。

 それぞれが思い思いに料理をつまみ、お酒を飲んで会話に花を咲かせる。

 陽さんはうれしそうに目を細めてみんなの話に耳を傾けていた。

 そんな姿を見て、最後まで迷っていたけれどようやく決心を固める。

「陽さん」

「はい?」

 陽さんが生ビールを飲み干したので、私は追加のビールをオーダーした。そして軽い口調で続ける。

「陽さんとお付き合いできて本当にうれしかったし、楽しかったです。でも、今日で終わりにしようかなって思います」

「え?」

 陽さんは驚いた顔をするとなぜか満月の顔を見た。満月は自分を見られると思っていなかったのか、異様なほど目を見開いてオドオドしながら私を見た。

「そう、満月と同じです。これからも陽さんのことを好きですけど、付き合うっていう形じゃなくてもう一回はじめからやり直そうかなと思って」

「私、うまくできていませんでしたか?」

「そんなことはないですよ。本当に楽しかったです。逆に私がうまくできなかったかも」

 私は頭を掻いた。

 ふと視線を移すと、密やかに陽さんに話していたつもりだったのに、全員の視線が私たちに集まっていた。

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