Lastseason6-4:年の瀬(viewpoint陽)

 私は、自分のことが嫌いになりそうだった。

 野崎さんからお付き合いを止めようと言われ、一月ほどが過ぎたクリスマスイブに、輝美ちゃんからもお付き合いを止めようと言われた。

 だから仕事納めも終わり、年末の休日に突入したのだけど、輝美ちゃんからのデートの誘いはない。もちろん野崎さんからのデートの誘いもなく、私はひとりで部屋の大掃除をしている。

 部屋には余計な物があまりないので、掃除はそれほど大変ではない。だけど普段動かさない本棚の後ろや電気の傘などまで入念に掃除をすると幾分か部屋の中がスッキリしたような感じがする。

 私は、二人から別れを告げられても、取り乱したり悲しんだりすることなく、普通に生活を送ることができてしまう。

 やはり私の心はどこかが壊れているのだ。

 あんなにやさしい野崎さんや、明るくて私を大切にしてくれる輝美ちゃんのことを好きになれず、しかもお付き合いをやめたことにホッとしている。

 こんな壊れた私をどうして二人が好きだと言ってくれるのかがわからない。

 私は、二人から好きだなんて言われるような人間ではないと思う。

 二人から告白されたときは、どうしていいのかわからなくて逃げ出そうとした。

 そんな私を二人は許して、お付き合いをしてくれたのに、私は『好き』を返せない。

 デートで色々な場所に連れて行ってもらって、プレゼントまで貰って、それでも私は何も変わらない。

 大掃除で埃を拭うように、二人の中にある『好き』を拭い去りたい。

 そんなことを考えながら黙々と掃除をしていたら、昼を少し過ぎた時間には掃除が終わってしまった。

 少しおなかが減ってきたけれど、掃除をしたばかりのキッチンを汚したくない。だから私は財布を持って買い物に出掛けた。

 コンビニに行こうかとも思ったのだけど、作りたての温かなものが食べたい気分だった。駅前まで行けばたくさんの飲食店があるけれど、そこまで行くのは少し面倒だなと思った。

 そこで今日の昼食をたこ焼きに決めお店に向かうと、たこ焼き屋さんの前には錦さんと雅さんがいた。

 私が声を掛ける前に錦さんが私に気付いて「あ、矢沢さん」と言った。

「こんにちは」

 私は頭を下げる。雅さんも私のあいさつに返して小さく頭を下げた。

「矢沢さんもたこ焼きを買いに来たんですか?」

「はい」

「ここのたこ焼きおいしいですよね」

「そうですね」

 そんな風に話す錦さんはとても幸せそうに見える。錦さんと雅さんは一緒に暮らしはじめたらしい。それはきっと、結婚したのと同じようなものだと思う。光恵さんと用賀さんを見ていてもそう感じた。

「あいよ、おまたせっ」

 たこ焼き屋のおじさんがたこ焼きの入った袋を雅さんに差し出したとき、錦さんが「あ、もうひとつ追加できますか?」とおじさんに向かって言った。

「一個追加で、全部で三つね」

 おじさんは明るい声でそう言うと、袋の中にたこ焼きをひとつ追加した。そして雅さんは三つ分の代金を支払う。

 それを見届けた錦さんは、私を見てニッコリと笑った。

「さ、矢沢さん、うちで一緒にたこ焼きをたべましょう」

「ええっ!」

 驚きの声は、私よりも雅さんの方が早かった。

 どうやら、先ほど追加した一個は私の分だったようだ。

「えっと、あの……」

 私はどうしていいのかわからなくてアワアワしていたら、雅さんと錦さんが話し合いをはじめた。

「どうして一緒にたこ焼きを食べるわけ?」

 なんだか雅さんの声がとても不満そうだ。

「だって矢沢さんのお話が聞きたいもん」

 錦さんはそんな雅さんの様子を気に掛けることもなく軽い口調で言う。

「別にウチでなくてもいいんじゃない?」

「でも、外じゃ寒いでしょう?」

「だけど、ウチもまだ片付いてないし……」

 とても申し訳ない気持ちになる。それなら私の家でもいいのだけれど、そもそもどうして三人でたこ焼きを食べることになっているのかがよくわからない。

 だけど錦さんは私のことも雅さんのことも気にせず「さぁ、たこ焼きが冷める前に帰りましょう!」と言って私の手を引いた。

 チラリと雅さんを見たら、唇を尖らせて不満そうな顔をしていた。

 錦さんたちの家は、たこ焼きやから駅の方に向かったところにあるコンビニの裏手にあった。

 たこ焼きの代金を雅さんに返そうしたのだけれど、錦さんが「それなら飲み物を買ってください」と言ったので、コンビニで二リットルのウーロン茶を買ってから二人の家に来た。

 二人の部屋は私の部屋よりもずっと広くてきれいだった。二人で住んでいるのだから広いのは当然なのかもしれないけれど、家賃が高そうだ。

「リノベーション物件だからきれいなんですけど、築年数は結構いってるんですよ。だから見た目ほど家賃は高くないんです」

 まるで私の心を読んだかのように錦さんが教えてくれたので私はビックリしてしまった。

 雅さんが「片付いていない」と言っていた部屋の中はきれいに片付いていたから、きっと私に来てほしくなかったんだろうなと思って少し悲しくなった。だけど二人で暮らす新居に仲良くない私を呼びたくなかった気持ちもわかる。そう考えるとますます居心地が悪くなる。

 できるだけ部屋の中をジロジロと見ないように、錦さんに勧められたソファーの端に座ると、テレビボードの両角にひとつずつ置かれた小さな鉢植えの花が視界に入った。

「あのお花、草吹主任のお店で買ったんですよ」

 また錦さんが私の心を読んで教えてくれた。そうして錦さんは私の隣に座り、コップを用意してくれた雅さんは錦さんの斜め前の辺りの床に直座りした。

 雅さんと席を代わった方がいいのだろうかと思って錦さんを見たけれど、錦さんはたこ焼きのパックを手に取ってパクリとかぶりついた。

 錦さんは人の心が読めるのか、読めないのかがわからない。

「やっぱりここのたこ焼きおいしいねぇ」

 錦さんはハフハフしながらたこ焼きを頬張ると目を細めて言った。

 私は席を代わることを諦めてたこ焼きを頬張った。少し前のデートでも照美ちゃんとたこ焼きを食べた。そこのたこ焼き屋さんもおいしかったけれど、しょう油とかチーズとかイタリアンとか色々な味があったから、どれを選べばいいのかわからなくてかなり迷ってしまった。

 この店のたこ焼きはソース味だけのシンプルなものだけど、何度食べてもおいしいと感じる。

「それで、二人と別れてホッとしてるんですか?」

 錦さんからのいきなりの質問に私は口に放り込んだばかりのたこ焼きを吐き出しそうになる。

 やはり錦さんにも私がホッとしているように見えるのだろうか。

 クリスマスイブのパーティーの翌日、野崎さんは他部署の応援に駆り出されていて、私はひとりでランチを食べることになった。

 何を食べようかと思いながら歩いていたら、公園の脇にガパオライスの移動販売の車を見付けたので、それを食べることにした。

 会社に戻ろうかとも思ったけれど、天気が良くてちょっとポカポカしていたので公園のベンチに座る。

 いくら日が差していても温かいというほどではない。それでも風がないので耐えられないことはなかった。

 半熟の卵を割って炒めたひき肉とライスに混ぜて口に運ぶ。口の中にまろやかな辛みが広がった。

「ご一緒していいですか?」

 頭の上から降ってきた声に顔をあげると、ガパオライスの袋を下げた砂川さんだった。

 私は少し体を横にずらして砂川さんの座れるスペースを作る。

「ここのガパオライス、おいしいですよね」

「私、今日がはじめてなんです。すごくおいしいです」

「はじめてなんですか? あの店、週一でここに来ているんですけど、私、必ず買っちゃうんですよ」

「そうなんですね」

 以前、野崎さんや錦さんと一緒に四人でランチを食べたことはあるけれど、砂川さんと二人だけでランチを食べるのははじめてだから少し緊張する。

「そういえば矢沢さん、何かいいことありましたか?」

「え?」

 砂川さんの言葉に驚いて、私は口に運ぼうとしていたスプーンを止めた。全く心当たりがなかったからだ。

「なんだか今日、ちょっとだけ表情がスッキリしているというか……」

「そう、ですか……?」

 私はスプーンを置いて自分の頬をさする。なんだかすごく嫌なことを砂川さんに指摘されたような気がした。

 みんなが集まった昨日のクリスマスパーティーは楽しかった。あんなに楽しいクリスマスを過ごしたのは生まれてからはじめてのことだった。

 だけど私の表情がスッキリとして見えるのならば、きっとパーティーが楽しかったからではない。

「野崎さんと何かありましたか?」

 その言葉にさらに心臓が跳ね上がる。

「え? いえ……その……」

「野崎さんとお付き合いされているんじゃないんですか?」

 さらなる衝撃に私は完全に言葉を無くしてしまった。

 これまでプライベートな話をしたことがない砂川さんからそんな話題が出て戸惑っていた。

 野崎さんと砂川さんは仲が良い。よく二人でランチに行っている。だから私たちのことを砂川さんにも話していたのかもしれない。

 そう考えたらちょっとだけ嫌な気持ちになった。

「あれ? 勘違いでしたか? そうかなって思ったんですけど……」

 続く砂川さんの言葉に少しだけ胸をなでおろす。野崎さんが私たちのことを話したわけではないらしい。

「ど、どうして……そう思ったんですか?」

「んー、実は私、野崎さんのことが好きなんですよ」

 もうガパオライスを食べるどころではなくなってしまった。砂川さんは特に表情を変えることなく、ガパオライスを口に運んでいる。

「野崎さんのことを?」

「はい。まぁ、もう振られましたけどね」

 そうして砂川さんはクスリと笑って続けた。

「気にしないようにしようと思ってても、どうしても無意識に目で追っちゃうんですよね。それでなんとなく野崎さんは矢沢さんを好きなんだろうなって。矢沢さんもそうなのかなって思ったんですけど……」

「私が、野崎さんを?」

 私はすっかりわからなくなってしまった。

 私自身は『好き』だという気持ちがわからないでいるのに、砂川さんには私が野崎さんを好きだというように見えたのだろうか。

 それならばなぜ、二人から別れを告げられた今日、砂川さんは私に「いいことがあった」ように見えたのだろう。

 その答えが出ないまま会社は休みに入り、今日、錦さんにも砂川さんと同じような指摘をされてしまった。

 私は思い切って砂川さんとの会話を錦さんに打ち明けた。

「私は野崎さんと輝美ちゃんのことが好きなのでしょうか。それとも好きではないのでしょうか」

「そんなこと私たちにわかるはずないでしょう」

 そう答えたのは、いつの間にかたこ焼きを食べ終えてウーロン茶を飲んでいた雅さんだった。

「すみません……」

 私は俯く。

「雅の言い方がきつくてすみません。でも悪い子じゃないから許してあげてくださいね。ちょっと拗ねてるだけですから」

「日和っ」

 錦さんの言葉に雅さんがキッと表情をきつくした。私のせいで二人が喧嘩をしてしまうのではないかとドギマギしたけれど、錦さんはニコニコと笑っている。

「じゃぁ、例えば野崎さんが砂川さんとお付き合いをはじめたとしたら、矢沢さんはどう感じますか?」

 錦さんはそう言うと最後のたこ焼きを口の中に放り込んだ。

 野崎さんと砂川さんがお付き合いをすることになったら、きっと野崎さんはランチを砂川さんと一緒に食べるころになるだろう。

「寂しいなと思います」

「ふーん、それなら、輝美ちゃんが他の誰かとお付き合いをはじめたら?」

「えっと、やっぱり寂しいと思います」

「嫌だなー、とかって思いませんか?」

 錦さんに問われて再び考える。光恵さんと用賀さんがお付き合いをしていると知ったときも、少し寂しいと思ったけれど嫌だとは思わなかった。

 それが野崎さんや輝美ちゃんだったら嫌な気持ちになるのだろうか。想像したけれどよく分からなかった。

 だけど錦さんがそう尋ねたということは、好きな人が別の人とお付き合いをしたら嫌だと感じるということなのだろう。

「やっぱり、私は野崎さんも輝美ちゃんも好きになれなかったんですね……だから、二人とお別れしたのにホッとしたような顔をしていたんですね……」

 二人が私のことを考えて、大切にしてくれていたのを感じながら、好きになることができなかったことが悲しい。その上、別れたことを無意識に喜んでいたなんて本当に最低な人間に思える。

「表情が明るくなったのは……付き合っているとき、好きにならなきゃって頑張りすぎていたからじゃないですかね? それがわかったから、満月さんも輝美ちゃんも、お付き合いをやめようって言ったんだと思いますよ」

 錦さんの言葉が金づちになり、頭を殴られたような気持ちになった。

 野崎さんや輝美ちゃんが私を本当に大切に思ってくれていたのだ。私のことを一生懸命に考えてくれていたのだ。それなのに私は何も返すことができない。

「どうしたら、好きになれるんでしょう?」

「そんな風に悩んでほしくないから、二人はお付き合いをやめようって言ったんですよ」

「だけど……」

「それに、好きになってくれた人を好きになれないのなんてよくあることですよ」

 それはそうなのかもしれない。だけど今の私とは根本的に何かが違うような気がする。

「人を好きになるってどういう気持ちなんですか?」

 結局私はまた同じところで立ち止まってしまう。

「雅、どういう気持ちなんですか? だって」

 なぜか錦さんが突然雅さんに話しを振った。我関せずといった顔でそっぽを向いていた雅さんが慌てて姿勢を正す。

「私が答えるの?」

「だって私、そういうこと考えたことないし」

「ああ……んー……。多分、こういうのって人によって違うと思うし、それを説明したこともないし……」

 雅さんは自分の頬をさすりながら唸るように言う。そして日和さんの顔をジッと見つめると再び口を開いた。

「なんていうか……『この人』っていう感覚、かな?」

「この人?」

「えっと……カッコいいところを見せたいんだけど、それでも、カッコかっこ悪いところとか、情けないところとかもこの人になら見せられる、というか……。それでも一緒にいたいというか……」

 そこまで言うと雅さんは顔を真っ赤にしてうずくまってしまった。

 チラリと日和さんの顔を見ると、こちらも頬を赤くして宝物を見つめるような目で雅さんを見ていた。

 そんな二人がうらやましいと感じる。

 しばらくそうしていると、雅さんが「あーっ」と声と叫んで顔をあげた。

「別にそんなに深く考える必要ないんじゃないの?」

 雅さんが私をまっすぐに見る。

「でも……」

「考えてみてよ。あの二人と付き合う前、付き合ってるとき、矢沢陽が悩んだ以外で何か変わったことある?」

「え?……一緒にランチに行ったり、休みの日にデートをしたりしました」

「それ、日和とか他の人とはしたことない?」

「……あり、ます」

「付き合うとか好きとかそんなことはとりあえず忘れちゃえばいいんじゃないの?」

「それでいいんでしょうか?」

「あの二人だってそうして欲しいんでしょう」

 そんな話をして私は錦さんと雅さんの家をあとにした。



 十二月三十日。

 野崎さんから電話がかかってきた。

―― こんにちは。

「こんにちは」

 錦さんたちと話をした後も私の中で答えは見つからない。年末年始の休みの間にじっくりと考えようと思っていたので、野崎さんからの電話に驚いてしまった。

―― よかったら大晦日の夜、一緒に出掛けませんか?

「大晦日、ですか?」

―― はい。一緒に年越し蕎麦を食べて、カウントダウンをしましょう。

「カウントダウン……」

 そういえばこれまでそんな風に年越しを過ごしたことがない。実家にいるときも、普段通りに生活をしていたし、一人暮らしをはじめてからも、やっぱり普段と変わらない生活をしていた。

―― 輝美ちゃんも誘っているので、三人で年越しをしましょう!

 野崎さんの明るい声が耳に響いた。

「行きたいです」

 素直にそんな言葉が出たことに自分自身も驚いた。だけど、考えるよりも先に言葉が出ていた。野崎さんと輝美ちゃんと三人で過ごす年越しはとても楽しそうな気がしたからだ。

 お付き合いをやめたのに、こんな風に思ってしまうのがいけないことのような気がした。

―― やった! よかった。輝美ちゃんも喜びます。

「今日、輝美ちゃんは?」

―― 大晦日と元日にバイトを休む代わりにギリギリまで働くそうです。

「そうなんですか……」

―― それで、待ち合わせなんですけど、輝美ちゃんは私と矢沢さんで決めていいって言ってて……。

「どこに行くか決まっているんですか?」

―― 実はそれもこれからなんですよ。

 そうしてタハハと笑う野崎さんの声が響いた。困ったような顔で苦笑いを浮かべる野崎さんの表情が思い浮かんだ。

「えっと、それなら……」

 私は思い切ってある提案をしてみた。



 十二月三十一日。

 夕方になって私は待ち合わせの場所に向かった。待ち合わせの場所といっても、そこは輝美ちゃんがバイトをしている居酒屋の前だ。

 駅でもよかったのだけど、いつも行く居酒屋が一番わかりやすいだろうということで、そこを待ち合わせの場所にした。

 私の提案は、私の部屋で年越しをしようというものだった。

 どこかに出掛けてもよかったのだけど、大晦日はどこも混雑しているような気がした。それに、野崎さんや輝美ちゃんとゆっくりと話がしたいと思った。

 それならば私の部屋がいいのではないかと思って提案したのだけれど、野崎さんは思った以上に喜んでくれたし、バイトを終えた輝美ちゃんからも喜びのメッセージが届いた。

 二人に喜んでもらえたのがうれしい。

 すでに大掃除は終わっていたけれど、朝になってもう一度部屋の中をくまなく掃除した。

 何もない部屋に二人ががっかりしないか少し心配だったけれど、なんとなく二人ならば大丈夫だと思えた。

 約束の時間より少し早く居酒屋の前に到着した。

 辺りを見回したけれど、野崎さんの姿も、輝美ちゃんの姿もまだない。

 これまでのデートでは私が待ち合わせの場所に着いたときには輝美ちゃんがいつもそこにいた。だから待ち合わせの時間を間違えてしまったのかと少し不安になってスマホを確認する。

 メッセージに記されていた待ち合わせの時間を見て、間違っていないことを確かめた。

 そういえば、デートで私が待つことはなかった。野崎さんとキャット博に行ったときには少し待ったけれど、野崎さんが私より早く来てチケットを先に買いに行ってくれていたからだ。

「矢沢さん! 遅くなってすみません」

 声聞こえて振り返ると、野崎さんがにこやかに手を振りながら歩いてきた。

「いえ……」

 なぜか野崎さんが大荷物なのでそのことに気を取られておざなりな返事になってしまった。今日は泊まりになるはずだから、着替えを持ってきたのかもしれないけれど、それにしても荷物が大きすぎるような気がした。

 そのことを尋ねようとしたとき「陽さ~ん」という声がした。

 声の方を見ると輝美ちゃんの姿が見えたのだけど、輝美ちゃんも野崎さんに負けないくらい大荷物だったから言葉を失ってしまった。

「あ、えっと……」

「お待たせしてしまってすみません」

「いえ、大丈夫です……」

「これから夕食のお買い物ですよね?」

 輝美ちゃんがにこやかに言う。確かに我が家で年越しをしようと決めたとき、みんなで夕食の買い物に行こうと決めた。だけどそれよりも私は二人の荷物の方が気にかかる。

「はい、そうですけど……」

「もうしわけないんですけど、先に陽さんのお家に荷物を置きに行かせてもらってもいいですか?」

「え、あ、はい」

 結局、二人の大荷物の理由を聞けなかったけれど、家に着いて荷物を置けばわかるだろうと、私は二人を我が家に案内した。

 古い物件だし、狭いから少し恥ずかしい気がしたけど、部屋に入った二人はそんなことを気にする様子もなかった。

「ここが矢沢さんのお家かぁ~」

「く~、陽さんの匂いがする!」

 などと口々に言いながら荷物を降ろした。

「あの、その荷物、何ですか?」

 すると「三人なら、今日の夕食はお鍋にしようと思って」と野崎さんが言う。

「鍋?」

「それで、三人用の鍋は一人暮らしの陽さんが持ってるはずないよな~と思って……」

 そう言いながら輝美ちゃんは大きな土鍋を取り出してテーブルの上に置いた。

「それで私はこれを持ってきました」

 次に野崎さんがカセットコンロを取り出してテーブルに置く。

「あ、えっと、すみません」

 私は思わず謝ってしまう。私がウチに集まろうと言ったから、二人にこんな重たい荷物を運ばせてしまった。

「なんで謝るんですか? 自分たちが楽しむためにやってることだから、矢沢さんが謝ることなんて何もないですよ」

「そうそう。それに陽さんは場所を提供してくれているじゃないですか。それぞれができることをするのが一番でしょう?」

「それで、いいんですか?」

 私が聞くと、二人は笑顔で頷いた。

 それから三人で買い物に行く。スーパーは駅に向かう道とは反対方向に少し歩いたところにある。

「鍋の材料って何がいるんだろう?」

 野崎さんが言うと

「豆腐でしょう、ネギでしょう・・・しめはどうする?」

 輝美ちゃんが答え、

「いや、しめの前に本番の具材を考えようよ」

 とさらに野崎さんが言う。

 私はそんなやり取りを見ていて心の奥がポカポカしてくるような気がした。

「あ、陽さん、何鍋がいいですか?」

「んー、あんまり鍋って食べたことが無いので……」

「肉にしますか?」

「肉ってどんな鍋よ」

「えっと、すき焼き?」

「土鍋ですき焼きしないよねっ!」

「ああ、そっか……」

 私は思わずプッと吹き出してしまう。

 二人はキョトンとした顔で私を見た。恥ずかしくなって視線を逸らしたとき、鍋の写真が載ったポスターが視界に入る。

「あれはどうですか?」

 私はそのポスターを指さした。

「海鮮鍋、いいですね。さすが陽さん」

「魚介系は一人暮らしだとあんまり食べないですもんね」

 そうしてさらに喧々諤々しながら鍋の材料を買い集めていく。

 こんなに楽しい買い物をしたのは生まれてはじめてだった。

 お酒やおつまみ、お蕎麦のカップ麺などを買って帰路につく。

 野崎さんが大きな買い物袋をひとつ持ち、輝美ちゃんが大きな買買い物袋と小さな買い物袋を持った。

 スーパーを出て歩き出したけれど私だけが手ぶらだった。

「あの、私も荷物を持ちます」

 私が言うと、輝美ちゃんは「それは無理です」と言った。

「いえ、私も持てますよ」

「無理ですよ、だって……」

 そうして輝美ちゃんは荷物を片手に持って空いている方の手で私の右手を握った。

「そうそう、矢沢さんは荷物をもてませんよ」

 野崎さんもそう言って私の左手を握った。

「え、え?」

 私は両手をつながれてしまう。確かにこうして手を繋がれたら荷物を持つことなんてできない。

「さ、帰りましょう」

 輝美ちゃんが腕を引き、三人で手を繋いで歩きだす。なんだかすごく照れ臭い。周りの人からは変な風に見えているのではないだろうかと気にかかる。

 だけど胸の奥がムズムズとくすぐったい感じがして、それは不快ではなくて、なんだか心地良い感覚だった。

 手をつないで家まで帰ると早速鍋の準備をはじめる。

 基本的には材料を切るだけなんだけど、ここでも野崎さんと輝美ちゃんは大騒ぎだった。

 意外と料理が得意な野崎さんと大雑把な輝美ちゃん、そして不器用な私が台所に並んで立つだけでも大変だった。

 結局、食材を切るのは野崎さん、洗い物を輝美ちゃん、私はできたものからテーブルに並べていく係になった。

 そんな風に作った鍋は、これまでたべたどんな料理よりもおいしかった。

 輝美ちゃんは居酒屋の社員になったら、ひとり鍋をメニューに加えると力強く宣言して、野崎さんはそれよりも先に料理を覚えようよと苦笑いを浮かべていた。

 三人でワイワイとお鍋をつつくのは楽しくて、おいしくて、ついつい食べ過ぎてしまった。

「お腹いっぱい。もうお蕎麦は食べられないかも……」

 輝美ちゃんがおなかをポンポンと叩きながら言う。

「しめを蕎麦にすればよかったね」

 野崎さんがボソリと言った。

「そういうことはもっと早く思いつきなさいよ!」

「ええっ、理不尽!」

 そして私はそんな二人を見てクスクスと笑う。

 お酒をチビチビと飲みながら、ゲームをしたりおしゃべりをしたりしながら過ごし、あっという間に今年も残り一時間を切っていた。

「んー、お腹はまだ減らないえど、せっかくだからお蕎麦も食べておきましょうか?」

 野崎さんの提案で、ひとつのカップ麺を三人で分けて食べることにした。

 よく考えてみると、年越し蕎麦を食べるのも初めてのような気がする。

「あの、年越し蕎麦ってどうして食べるんですか?」

 私はふと思いついた疑問を投げてみた。年越しに蕎麦を食べるということは知っているが、どうして食べるのかを知らない。

「え? おめでたいからでしょう?」

 輝美ちゃんが言う。

「どうしておめでたいの?」

 野崎さんが問う。

「そ、それは……」

 そうして輝美ちゃんは私を見た。

「え? な、長い……から?」

「でも矢沢さん、それならうどんとかラーメンでもよくないですか?」

「……そうですね……」

「まぁ、おいしいなら何でもいいんじゃないですかっ」

 そうして輝美ちゃんが強引に話を締める。私は堪えられずに声を上げて笑ってしまった。

「矢沢さん、楽しいですか?」

「はい」

 答えると、野崎さんも輝美ちゃんもやさしい笑みを浮かべた。

 本当に楽しいと思う。だから私は二人に聞きたくなった。

「あの……どうして、三人でお付き合いをするのをやめたんですか?」

 こんなことを聞いてはいけないのかもしれない。野崎さんも輝美ちゃんもそのことは話してくれた。だけど私にはよく分からなかったのだ。

 こうして三人で過ごすのはこんなにも楽しい。デートだって楽しかった。

 だけどそれは私だけだったのだろうかと思うと辛い。

 すると野崎さんと輝美ちゃんが視線を合わせた。そして輝美ちゃんが話しはじめる。

「満月が付き合うのをやめるって言ったとき、私も納得できなかったんです。だけど、クリスマスパーティーのとき、陽さんが楽しそうだったから」

「え?」

「二人の母親がひとりの子どもを奪い合うって話、知ってますか?」

 私は頷く。たしか二人の母親が子どもの手を引っ張り合い、どちらが本当の母親としてふさわしいかを見極めるという話だ。

 私が頷くのを確認して輝美ちゃんは続けた。

「陽さんに私たちのことをもっと知ってほしくて付き合おうって提案したんですけど、あれって私と満月で陽さんの両方の手を引っ張っていたようなものなんじゃないかと思ったんです」

「両方の手?」

 私は自分の両手に視線を落とす。

「はい。だけどそれって陽さんを苦しめるだけなんだって気付きました。私より先に満月が気付いて手を離したのが気に入りませんけどね」

 そうして輝美ちゃんは野崎さんを睨む。野崎さんはちょっと照れたように笑みを浮かべた。

「そんな大層なことを考えたわけじゃないですよ。でも、矢沢さんが頑張って私たちを好きになろうとするのは違うのかなって思っただけです。がんばるのは私たちだから」

「それで、陽さんの手を引っ張り合うよりも、さっきの買い物の帰りみたいに、三人で手を繋ぐ方がいいなって」

 二人の話を聞いて、私はようやく自分の心を理解できた。

 私は二人のことが好きだったのだ。だからどちらかを選ばなくてはいけないことが辛かった。お付き合いをやめてホッとしてしまったのも、二人のうちのどちらかを選ばなくてよくなったからなのだ。

 野崎さんも輝美ちゃんも私のことをたくさん考えてくれた。だから私は自分の中で見つけた答えを二人に話さなければいけない。

 もしもそれで、今日のような楽しい時間を過ごせなくなったとしても、私はちゃんと話すべきなのだ。

 私は背筋を伸ばして野崎さんの顔を見る。そして輝美ちゃんの顔を見た。

「あの……わ、私……」

 喉が渇いて、ピッタリと引っ付いたように声が上手く出せない。

 二人は黙って私の言葉を待ってくれる。私は飲みかけのビールのグラスを持ち、喉を潤した。

「私……野崎さんのことが、好きだと思います」

 野崎さんはニッコリと笑った。

「それと、輝美ちゃんのことも、好きだと思います」

 輝美ちゃんは小さく頷いて、やっぱりニッコリと笑った。

「だけど、ごめんなさい。……野崎さんのことも、輝美ちゃんのことも、他の人よりずっと好きだけど……野崎さんや輝美ちゃんが私を好きだと言ってくれるみたいな好きではないと思います」

 私はもうひと口ビールを飲んで続ける。

「私なりに色々調べて……。私は『好き』という気持ちが持てない人なのかもしれません。だから……この先も好きになれないかも、しれません」

 そこまで言うと、とても悲しくなった。こんなときは泣くべきじゃないと思う。だけど涙が出そうだった。

 野崎さんのことも輝美ちゃんのことも好きなのに、好きになれない。どうしてそんな矛盾した気持ちになるのかわからない。

「全然問題ありません!」

「陽さんに好きって言ってもらえた!」

 二人は口々に叫んだ。

 私が顔を上げると、二人はとてもやわらかな笑顔を浮かべていた。それがうれしくて、ついに涙がこぼれてしまった。

 ゴーン……

 どこかのお寺の鐘が小さく響いた。

 いつの間にか時計の針は十二時を指していた。

 私たちは顔を見合わせた。そして誰からともなく「あけましておめでとうございます」と言い合う。

「陽さん、ついでに満月、今年もよろしくお願いします」

 輝美ちゃんが笑顔で言う。

「矢沢さん、輝美ちゃん、今年もよろしくお願いします」

 野崎さんも私と輝美ちゃんの顔を交互に見て笑顔で言った。

 今年もこうして野崎さんや輝美ちゃんと過ごすことができるのだといううれしさが込み上げてくる。

 だから私は心を込めて言った。

「野崎さん、輝美ちゃん、今年もよろしくお願いします」

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