Lastseason6-2:クローゼット(viewpoint光恵)
夏のおわりにオープンしたお店の名前は『カフェ&フラワー クローゼット』という。
正直に言えば、オープンしたもののお客様が来てくれるか不安だった。それでも最近はお客様も増えてきて、常連さんと呼べるお客様もいる。
私はテーブル席ではなくカウンター席に陣取っているお客様の顔を眺めた。
かなりの常連様である野崎さん、今回が二度目の来店となる錦さんと輝美ちゃん、そして今日はじめてこの店を訪れた雅さんだ。
そして私の横にはせっせと洗い物をしているしゅうちゃんの姿がある。
私がこの店の名前に込めた想いを形にしたようなひとときに、この店を開いて良かったと心から思う。
ただ、この面々を見ていると店名を変えた方がいいのかな、という気持ちもよぎる。
「草吹主任、ボーっとしてどうしたんですか?」
錦さんがハーブティーを飲みながら尋ねた。
「見事に女の子同士で付き合ってる人ばかり集まる店になったなぁ、と思ってね」
私が答えると野崎さんがカラカラと笑って言う。
「カウンターの中でお二人がいつもイチャイチャしているから、自然にそうなるんじゃないですか?」
「私たち?」
私はチラッとしゅうちゃんを見る。しゅうちゃんは私たちの話など聞いていないという顔をして黙々と食器を洗っていた。
「私たちは普通にしているだけでイチャイチャなんてしてないわよ」
「その普通がイチャイチャなんじゃないですか?」
そう言ったのは輝美ちゃんだ。
「でも、お二人のイチャイチャが見られると安心するので、本当によかったです」
野崎さんは少し覗き込むようにしてしゅうちゃんを見た。しゅうちゃんは既にきれいになっているお皿をひたすらに洗っている。俯いて顔をあげないようにしているけれど、頬が赤くなっているのがわかった。
しゅうちゃんが照れ屋さんなのは相変わらずだ。
野崎さんがそう言ったのは、少しの間だけど、しゅうちゃんがお店の手伝いに入ってくれない時期があったからだ。
そしてその期間は、会社でもかなりピリピリしていたらしい。
陽ちゃんが野崎さん、そして輝美ちゃんの二人と付き合うことになったと報告に来てくれた次の週から、野崎さんは毎週この店に顔を出していた。土曜日か日曜日、もしくはその両日の午後になるとお店にフラりと現れて、カウンターに座ってたわいもない話をしていく。
私と野崎さんはさほど接点もないので、話題は自然と陽ちゃんのことかしゅうちゃんのことになった。
「かなりピリピリしてる感じがするんですよねぇ……」
その日も野崎さんは紅茶を飲みながらのんびりした口調で言った。
野崎さんがしゅうちゃんの心配をしてくれていることはわかっていたけれど、私は野崎さんの方が心配だ。
変則とはいえ陽ちゃんと付き合いはじめたのに、毎週この店で時間を潰していていいのだろうかと思う。
陽ちゃんから二人と付き合うと聞いたときはさすがに少し驚いた。けれど、悩んで苦しい顔をしていた陽ちゃんの表情が明るくなっていたので、きっといい変化が訪れるのではないかと思っていた。
陽ちゃんは繊細で脆い。何よりも心配なのは自分の脆さにも鈍感で、傷ついていることにも気付かないことだ。
出会ったときの陽ちゃんはまさにそうだった。私が大学生で陽ちゃんが小学生のころだ。
どうにかしてあげたいと思って、陽ちゃんの担任の先生にも相談したけれど、「あの子は大人しいだけですよ」と言われただけだった。
先生になれば陽ちゃんを救えるだろうかとも思ったけれど、陽ちゃんは卒業してしまうし、先生になれば陽ちゃんだけを見ていることはできない。
そうして一人の子に肩入れしてしまうようでは教師にはなれないと周囲からも反対された。
当時付き合っていた人にも相談したのだけれど「光恵って、ロリコンだったの?」と言われて腹が立ったので別れた。
無力な私にできるのは、陽ちゃんから届く手紙に返事を書くことだけだった。それでも陽ちゃんが折れることなく成長して、私が勤める会社に来てくれたのが本当にうれしかったのだ。
だけど会社で陽ちゃんを見て悲しくなった。
陽ちゃんは折れることなく成長してくれた。だけどそれは折れなかっただけだった。
文通を続けて、それなりに陽ちゃんの力になれていた気でいた私は、改めて自分の無力さを思い知らされた。
表情を固めて、息を殺しているような陽ちゃんを見つける度にとにかく抱きしめた。それ以外の方法がわからなかった。陽ちゃんのそばに陽ちゃんを見ている人がいる、陽ちゃんを大切だと思っている人がいると知って欲しかった。
陽ちゃんを野崎さんの教育担当にしたのも陽ちゃんのためだった。陽ちゃんに役割を持たせることで、誰かから必要とされているのだと感じてもらいたかった。申し訳ないけれど、能天気そうな野崎さんがその役割に最適だと思ったのだ。
陽ちゃんと野崎さんを組ませようと話したとき、しゅうちゃんは「錦さんの方がいいんじゃない?」と言った。
「どうして?」
「んー、どことなく光恵さんに似ている雰囲気がある感じがするから、矢沢さんも打ち解けやすいかなと思って」
「私に? そうかなぁ、似てないと思うけど?」
「のんびりした雰囲気とか、人当たりがいい感じとか、誰にでも好かれそうじゃない」
「それはしゅうちゃんも錦さんのことを好きになっちゃいそうってこと?」
「なっ! そんなことあるはずないでしょう」
「そうかなぁ、私に似てるのよね?」
「そういう意味じゃないからっ! それに例え似ていたとしても、私が好きなのは光恵さん……だけ、だし……」
勢いよく話しはじめたものの途中で我に返って、後半は顔を真っ赤にしてモゴモゴと尻すぼみになっていった。
「よし、じゃぁ錦さんはしゅうちゃんに見てもらうことにしよう」
「え? どうして?」
「しゅうちゃんが本当に浮気しないか確かめるため~」
「浮気なんてするはずないでしょう?」
私は笑ってごまかしたけれど、もちろんそんな理由ではない。錦さんは確かに私と似ているところがあると思う。上手に本心を隠せてしまいそうなところだ。多分、どんなところでもうまく立ち回れるだろうけれど、陽ちゃんには合わない。
だけどそんな錦さんならば、私が会社を去ってからしゅうちゃんを支える存在になってくれるかもしれないと期待した。
しゅうちゃんはひとりで頑張りすぎる。全力でアクセルを踏み続け、心と体が悲鳴を上げてもアクセルを離さず踏み続けるような人だ。できれば錦さんにはしゅうちゃんのブレーキ役になってほしい。
そうしてほとんど私情で新入社員の指導担当者を決めたのだけど、野崎さんは私の予想以上の成果を上げてくれた。
野崎さんの教育担当になってから陽ちゃんは変わった。先輩としてしっかりしなければと無理をしている様子も見えたけれど、合宿研修が終わったくらいからは野崎さんとも打ち解けて、表情がやわらかくなった。
まさか野崎さんが陽ちゃんに恋心を抱くとは思わなかったけれど、それも含めて陽ちゃんにとってはいいことだと思う。
自分でそう望んで配置をしたのに、そんな陽ちゃんと野崎さんを見ていて、うれしさだけではなくて悔しさや罪悪感も生まれた。
陽ちゃんを心配して、近くで見守りたいと言いながら、私は自分自身の欲を優先していたからだ。
私はしゅうちゃんとの関係をオープンにしてもいいと思っていたけれど、しゅうちゃんはどれだけ言っても首を縦に振ってくれなかった。しゅうちゃんとの関係を前に進めるためには、私かしゅうちゃんが会社を辞めるしかない。そして私は会社を辞めてカフェを開く道を選んだのだ。
しゅうちゃんのおばあ様が経営していた喫茶店を畳むつもりだという話を聞いたのは今年に入ってすぐだった。そのころから、私はしゅうちゃんと退職してカフェをオープンすることについて話し合っていた。
そして陽ちゃんが変わるきっかけをずっと探していたのだ。
だから野崎さんには期待をしていた。砂川さんのいたずらを傍観していたのも、合宿研修のオリエンテーリングで陽ちゃんと組ませたのも、何かが動き出すきっかけになってほしかったからだ。
そして野崎さんは私が何年かけでもできなかったことを、たった半年でやり遂げた。それに悔しさを感じないはずがない。
私はのほほんとした顔で紅茶をすする野崎さんの顔を見た。どうして私にできなかったことがこの子にできたのかさっぱりわからない。
「それで、誰がピリピリしてるの?」
「だから用賀さんですよ」
「しゅうちゃんかぁ」
それは想定の範囲内だった。どうやらブレーキ役にと期待していた錦さんはうまく機能していないようだ。何もかもが私の思い通りになるはずがない。
「ちょっと心配だなぁと思って。私が何か手伝えればいいんですけど……」
「教えてくれてありがとう、しゅうちゃんには今度私から話してみるね」
「はい」
「ところで野崎さんはここでのんびりしていていいの?」
「ええ、別にやることもないですし、この店落ち着きますし」
そう言いながらやっぱりのんびりした顔で紅茶をズズっとすすった。
「陽ちゃんとはうまくいってるの?」
「ええ、ときどき一緒にランチに行ってます」
「ランチに?」
「はい」
陽ちゃんは自分からランチに誘えないから、私やしゅうちゃんが誘わない限りいつも一人でランチを食べていた。野崎さんが誘っているのか、陽ちゃんから誘っているのかわからないが、それでも大きな一歩なのかもしれない。だけど一応付き合っている二人がランチを一緒に食べるだけ……しかもときどきでいいのだろうか。
「陽ちゃんは輝美ちゃんって子とも付き合ってるのよね?」
「はい。今日は輝美ちゃんとデートをしてますよ」
特殊な関係だとはいえ、好きな人が別の人とデートをしているというのに、こんなにのんびりできる心境というものがわからない。
もしもしゅうちゃんが別の人とデートに行ったら、私は居場所を突き止めて尾行すると思う。そして後からネチネチと質問攻めにするだろう。
「それで野崎さんは何をしてるの?」
「え? 紅茶を飲んでます」
私はずっと我慢していたため息を盛大についてしまった。
「陽ちゃんと付き合ってるのよね? 陽ちゃんのこと好きなんでしょう? 他の人とデートをしてるのに、こんなところで紅茶を飲んでていいの?」
すると野崎さんは眉尻を下げて情けない顔で笑った。
「家に一人でいると落ち着かないので……」
「野崎さんはデートをしないの?」
「デートはしたいんですけど、輝美ちゃんが積極的なのでちょっと様子見というか」
「そんなんで大丈夫なの?」
「矢沢さん、一生懸命考えてくれているみたいで、ちょっと無理をしているというか、疲れているというか……。だから私までデートに連れ出しちゃうと、矢沢さんが大変かなって。それに私は毎日会社で会えますから」
ただぼんやりしているだけではなさそうだ。しかし、それはそれで心配になる。一応、野崎さんは私が見込んだ人で、確かに陽ちゃんの心を動かした。だからもう少し積極的でもいいと思う。
「うかうかしてると陽ちゃんを相手の子に取られちゃうわよ」
「そうですね。輝美ちゃん、かわいいし矢沢さんのことが大好きだから、それは心配なんですけど……私自身、どうすればいいのかまだよくわかってなくて、迷ってるところです」
「迷ってる?」
「はい……」
野崎さんの表情が少し曇った。ここはあまり口出しをし過ぎるべきではないのかもしれない。
私は野崎さんに陽ちゃんのことを任せたのだ。だったら二人が助けを求めてくるまでは黙って見守るのが筋なのだろう。
「ケーキ食べる?」
「あ、はい」
返事を聞いて私は野崎さんの前にケーキを出した。季節のケーキはモンブランだ。
野崎さんはケーキを一口頬張って「あ、おいしい」とつぶやいた。
「なかなか評判いいのよ、このケーキ」
「本当においしいです。ケーキ屋さんのケーキみたい」
「ケーキ屋さんのケーキだからね」
「そうなんですか?」
「近所のケーキ屋さんにウチの店用のケーキを作ってもらってるの」
「へぇ、そうなんですね」
野崎さんは返事をしながらもパクパクとケーキを食べていたから、おいしいというのはお世辞ではなさそうだ。
実際にこのケーキをお店に置くようになってから客足が伸びている。
おいしそうにケーキを食べる野崎さんの顔を見ていたら、ピタリとフォークを運ぶ手を止めて私の顔を見上げた。
「あんまり焦って考えると失敗しちゃうんで……。っていうかもう失敗しかけちゃったんで、今はじっくりと考えようと思ってます」
「そう。どうしても困ったら相談してね」
「はい」
野崎さんはにっこり笑って頷くと再びケーキを食べはじめた。
カウンター周り以外の電気を消して売上の集計をする。オープンをして間もないころは会社から帰ったしゅうちゃんがやってくれていた。ひとりでも大丈夫だと言っていたけれど、それでもしゅうちゃんは手伝うと言ってきかなかった。それが最近は残業続きのため店を手伝う余裕がない。平日だけでなく土曜や日曜も部屋にこもって仕事をしているか、ぐったりとして眠っているので店に出てくることはほとんどなくなっていた。
カランカランとドアベルが鳴る。
しゅうちゃんが帰ってきたのかと思ったのだが、聞こえてきた「こんばんは」という声はしゅうちゃんとは似ても似つかない野太いものだった。
顔を上げるとプロレスラーと見間違うほどの体格の良い男性がキョロキョロと店内を見回している。
「あら、太郎ちゃん、いらっしゃい」
「今から、いいっすか?」
「どうぞ」
私は笑顔を浮かべて店内に招きいれた。
太郎ちゃんはカウンターの端に座っている私からひとつ席を空けて隣に座り、白い小さな箱を置く。
「もうできたの?」
「一応」
私は箱に手を伸ばして中を覗き見る。
「ロールケーキ?」
「うっす」
「んー、クリスマスのケーキとしてはインパクトが弱いんじゃない?」
「お皿、借りていいっすか?」
私がうなづくと、太郎ちゃんは立ち上がるとカウンターの中に移動して一枚皿を取り出した。そして私の前に置かれていた白い箱をヒョイと持ち上げて何やら作業をはじめる。
太郎ちゃんはこの近くのケーキ店でパティシエをしている。うちのお店で提供しているケーキはすべて太郎ちゃんの作品だ。
「こんな感じでどうかなと思って」
そうして太郎ちゃんが差し出したお皿には一切れのロールケーキが寝かされて置かれており、チョコやクリームでデコレートされてサンタの顔になっていた。
「かわいいわね。でも私、こんな風にデコレーションできないわよ」
「これは試作なんで。実際には仕上げまでこっちでやって持ってくるので大丈夫っす」
そう言いながら太郎ちゃんはフォークを差し出した。私はそれを受けとてロールケーキを一口頬張る。
太郎ちゃんはカウンターから出て元の席に座り、私が食べるのをじっと見つめた。
「うん、やっぱり太郎ちゃんのケーキはおいしいね」
私は率直な感想を言う。太郎ちゃんは少しホッとしたように息をつく。
「改善の要望はありますか?」
私はもう一口頬張ってじっくりとロールケーキを味わった。
「そうだなぁ、かなり口あたりが軽いからもう少し甘みがあってもいいかな?」
「甘みっすね」
「あと、やっぱりクリスマスケーキだしイチゴが欲しいな」
「イチゴっすか……」
そう言いながら太郎ちゃんは腕組みをした。
「コスト的に厳しい?」
「それもそうなんすけど、イチゴをロールするとサンタの顔に赤いのがポツポツ出ちゃうんで……」
「ああ、そっか……」
生地で包むクリームの中にイチゴを入れた場合、断面を見せるよう盛り付けるとイチゴの赤味が見える。通常ならばそれもいいのだけれど、サンタの顔に見立てることを考えるとあまり美しくはない。
「それにイチゴを入れると食感も変わるから全体的に見直しが必要になるかもしれないっす」
「それは時間的に厳しいわね……」
「見た目だけなら断面をクリームで覆うっていう方法はあるっすけど……」
「うーん、それだとイチゴ感がわからないからなぁ。中から出てきたっていうサプライズとしてはいいのかもしれないけど」
「そうっすよね」
「あ、帽子!」
「帽子?」
「イチゴをサンタさんの三角帽に見立てて顔の上に置くっていうのはどう?」
「ああ、なるほど。それならすぐにできます」
「うん、それじゃあその方向でお願いできる?」
「了解っす」
話をしている間に試作のロールケーキを食べ終えてしまった。これは人気が出そうだ。
太郎ちゃんとの話が終わったタイミングで、カランカランとドアベルが鳴った。ドアの方をみるとしゅうちゃんが怖い顔をして立っている。
「おかえり、しゅうちゃん」
私が声をかけたのに、しゅうちゃんは太郎ちゃんを睨みつけていた。
「太郎、何してるの?」
「何って、仕事だよ」
「こんな時間に?」
「こっちも営業後なんだからしょうがないだろう」
「それでもこんな時間に女性一人のところに押しかけるなんて非常識じゃない?」
どうやら今日のしゅうちゃんはご機嫌が斜めのようだ。連日の残業で疲れているのかもしれない。
「しゅうちゃん、私たちはお仕事の話をしてただけだよ。そんな言い方はダメでしょう?」
私が言うと、しゅうちゃんは不満そうに唇を尖らせながら俯いた。
「んじゃ、俺はこれで」
太郎ちゃんはそう言って立ち上がるとしゅうちゃんの脇を通り過ぎて店から出て行った。
「もう少し早かったらケーキの試作、しゅうちゃんも味見できたのに」
「別に食べたくありません」
どうやらしゅうちゃんは本格的に拗ねてしまったようで、ふいっとそっぽを向いてしまった。私はひとつ息をついて立ち上がる。
「お店の方はもう片付いたからおウチに行こうか?」
私がそう言うと、拗ねていたはずのしゅうちゃんはそそくさと入り口に鍵をかけてロールカーテンを下ろした。
カウンターの奥にある階段で二階に上がると、私たちの住居スペースになる。
私が先に階段に向かうと、しゅうちゃんは店内をぐるりと見回してから電気を消して私の後に続いた。
「しゅうちゃん、ごはんは?」
「食べてきました」
しゅうちゃんは機嫌が悪くなると言葉遣いが丁寧になる。
「じゃあお茶でもいれようか」
そうして私は二人分のお茶を淹れてリビングのローテーブルに置いた。
しゅうちゃんは二人掛けのソファーの端に座り、私はその隣に座る。
私が淹れたお茶をズズッとすすると、しゅうちゃんは私に向き直って真面目な顔で言った。
「いくら仕事相手とはいっても、日も暮れた時間に男と店で二人きりになるのはどうかと思います」
「だけど閉店後じゃないと試作の話はできないからねぇ」
「だったら私がいるときにしてください」
「それはしゅうちゃんの帰りが遅いからいけないんじゃないの? 定時で帰ってたら間に合うでしょう?」
私の言葉にしゅうちゃんはグッと言葉を詰まらせた。
「だったら、予定をあらかじめおしえておいてください! その日は絶対に早く帰ってきますから」
「太郎ちゃんはしゅうちゃんが心配しているようなことをしないって、しゅうちゃんが一番わかってるんじゃないの?」
「それは……でも、いつどう変わるかなんてわからないじゃないですか」
しゅうちゃんと太郎ちゃんは幼馴染のようなものだ。しゅうちゃんは子どものころ、ここには住んでいなかったが、おばあちゃん子だったため、毎週末泊まりに来ていた。そうして近所に住む太郎ちゃんとも仲良くなったのだ。
「それは絶対にないから大丈夫よ」
「いえ、太郎のやつ、光恵さんに気があると思います」
大真面目な顔で言うしゅうちゃんに私は思わず吹き出してしまった。
「本気で言ってるの?」
「何がおかしいんですか!」
「太郎ちゃんが好きなのは、私じゃなくてしゅうちゃんでしょう?」
「え?」
しゅうちゃんは色々と気の付く気配りの人だけど、自分のことについては鈍い。太郎ちゃんも苦労したことだろう。
「ウチのお店のケーキを引き受けてくれたのもしゅうちゃんのお願いだったからよ」
「あ、いや、それは光恵さんに……」
私は首を横に振る。
「太郎ちゃんがちょくちょくお店に顔を出すのも、私がしゅうちゃんを泣かせてないか見張るためだよ」
「え、怖い」
「しゅうちゃんのことが心配なのよ」
「じゃ、じゃぁ、光恵さんそんな太郎と私が会うのは平気なの?」
「平気よ。だって負ける気がしないもの。しゅうちゃん、私のこと大好きでしょう?」
しゅうちゃんはうなだれて小さく「はい」と言った。私はそんなしゅうちゃんの頭を撫でる。
「しゅうちゃん、どうして今日はそんなにイライラしていたの?」
「イライラなんて……」
「私と太郎ちゃんが仲良く話していたのが嫌だった?」
しゅうちゃんは少し戸惑ったように目を動かしてからコクリと頷いた。そんなしゅうちゃんは本当にかわいいと思う。できればこんなかわいいしゅうちゃんの姿は誰にも見せたくない。だけど、しゅうちゃんはもう少し他の人にも甘えられるようになった方がいいのだと思う。
「どうして嫌だったの?」
「どうして?」
しゅうちゃんはそのまま俯いて黙り込んでしまう。
「寂しかった?」
しゅうちゃんは頷く。
「一緒に住んで、毎日顔を合わせてるのに寂しかったの?」
「会社に……光恵さんがいないのは、やっぱり寂しい……」
「しゅうちゃんは欲張りさんだねぇ」
「ごめんなさい……」
しゅうちゃんは今にも泣き出してしまいそうだった。多分ずっと一人で考えて悶々としていたのだろう。
「そんなに寂しいなら、残業なんてしてないで早く帰って来ればいいでしょう?」
「だけど、光恵さんがいなくなった影響は思った以上に大きくて……私がその分頑張らないと……」
「しゅうちゃんが頑張り屋さんなのは知ってるよ。だから安心して会社を辞められたんだし。だけどね、しゅうちゃんだけが頑張る必要はないんだよ」
「だけど私はみんなの先輩として……」
「私にできないことはしゅうちゃんがやってくれていたでしょう? それで、しゅうちゃんができないことは私がやった。まぁ、しゅうちゃんができないことなんてあんまりなかったけどね」
「そんなこと、ない……できないことばかりだから、私……」
「だったらそれは誰かに助けて貰えばいいでしょう? みんなは頼りなくて任せられない?」
しゅうちゃんは激しく首を横に振った。
「陽ちゃんも野崎さんも、しゅうちゃんのことを心配してたよ」
「え?」
「仲間を頼って、仲間と助け合うのは悪いことじゃないんだよ」
「だけど……」
しゅうちゃんは困ったように眉尻を下げた。後ひと押しのようだ。
私はしゅうちゃんを抱きしめて耳元で語りかける。
「寂しかったのは私も同じだよ。しゅうちゃんの帰りが毎日遅くて寂しかったんだよ。だから、早く帰ってきて」
しゅうちゃんの手が私の背中に回った。
「それじゃあ、帰ってきた後とか、休みの日とか、お店を手伝ってもいい?」
「それでしゅうちゃんは疲れないの?」
「光恵さんのそばにいられる方がいい」
「わかった。でも無理しちゃダメだからね」
「うん」
そうしてしゅうちゃんは私の背中に回す手にギュッと力を込めた。
とりあえずこれでしゅうちゃんはアクセルから足を離してくれるだろう。こうした話はタイミングが難しい。早過ぎると聞いてくれないし、遅過ぎると折れてしまう。野崎さんが定期報告してくれたからうまくタイミングを計ることができた。そういう意味では、野崎さんはまた私の想定以上の働きをしてくれたようだ。
しゅうちゃんは残業を減らし、休日にはお店を手伝ってくれるようになった。無理をしていないかちょっと心配ではあるけれど、見ている限り大丈夫そうだ。恐らく会社でのプレッシャーがしゅうちゃんの心に一番大きくのしかかっていたのだろう。
定期報告に訪れた野崎さんも、しゅうちゃんの雰囲気がまるくなったと言っていた。
そしてその野崎さんは今日もカウンター席に陣取って、自家製ハーブティーを飲みながら季節のケーキを食べている。
「この間、ほとんど輝美ちゃんに食べられちゃったから……」
先週、野崎さんは陽ちゃんと輝美ちゃんをこの店に呼んで、自分なりに出した結論を伝えた。その結果、野崎さんは陽ちゃんと付き合うのをやめた。そして今、陽ちゃんは輝美ちゃんひとりと付き合っている。
それは一般的には健全な形かもしれない。野崎さんが身を引いたように見えるかもしれない。しかし、野崎さんは陽ちゃんのことを諦めるつもりはなく、振り向いてもらうために頑張ると宣言していたはずだ。
しゅうちゃんに止められて近くで話を聞くことはできなかったけれど、ところどころ盗み聞いた感じだとそうだったと思う。
野崎さんらしい答えだなと思ったけれど、輝美ちゃんに一歩も二歩も遅れているのだから、もう少し焦った方がいいのではないだろうか。
それに、あの日店を出るとき、陽ちゃんも輝美ちゃんもなんだか納得いかないような顔をしていたのも気になる。
野崎さんは別のトラブルが発生したようで、そのことに気を取られていたせいで二人の様子に気付いていなかった。
しゅうちゃんにはあまり口を挟まず、静かに見守るようにときつくくぎを刺されている。だけど気になるものは気になってしまうのだ。
野崎さんが三人で話す場所にこの店を選んだのは、きっと私にも聞かせるつもりだったのだと思う。だったら少しくらい話を聞いても問題ないのではないだろうか。
私が帰っていくお客様の会計を済ませたタイミングでしゅうちゃんがテーブルを片付けるためお盆を手にした。野崎さんに聞き出すチャンスだと思ったのだけど、すれ違いざまにしゅうちゃんが小声で「ダメだよ」と言う。
自分のことには疎いのに、私がやろうとしていることには本当に聡いのだ。これも愛ゆえに、ということかもしれないけれど、ちょっと納得がいかない。
「こんにちは」
ドアベルが鳴るのと同時に明るい声が聞こえた。
「あら、錦さんじゃない。いらっしゃい」
私の声につられて入口を見た野崎さんが「うわっ」と叫んだ。
すると錦さんと一緒に入口を潜った女性がぼそりと「満月、うるさい」と言う。
錦さんはそんな二人を気にする様子もなく野崎さんの隣の席に座った。
「日和、どうしてその席に……テーブル席、空いてるよ……」
一緒に来た女性は不満そうな顔で日和さんを見ている。
「雅はどこに座る? 私の隣? それとも満月さんの隣?」
雅と呼ばれた女性は渋い顔をして錦さんの隣に座った。
「満月さんは何を頼んだの?」
「え? ああ、自家製ハーブティーと季節のケーキ」
「じゃあ、私も同じものにしよう。雅も同じでいい?」
雅さんがうなづくのを確認して、私はハーブティーの用意をはじめた。
「雅と日和さん、仲直りしたの?」
野崎さんが二人の顔を覗き込むようにして尋ねる。
「うん、先週」
「先週って私が雅と話したあと? なんで一週間も黙ってるの? 教えてよ、これでも心配してたんだからね!」
「えー、それは雅が言うと思って?」
「毎日満月と顔を合わせてるのは日和だから日和が言うと思った」
「二人とも、絶対にわざと言わなかったよねっ!」
満月さんは背景に「プンプン」と言う文字が見えそうなほどわかりやすく怒ってみせる。
どうやらこの三人はとても仲が良いようだ。
「で、喧嘩の原因はなんだったの?」
野崎さんが尋ねると、日和さんはちらりと雅さんを見てからニッコリと笑った。
「私が浮気しちゃったからだよ」
「はぁっ?」
野崎さんの声が大きい。ちょっと周りの人たちに迷惑だ。
「野崎さん、少しボリューム抑えて」
私の注意に野崎さんは首をすくめて大きなヒソヒソ話をはじめた。
「日和さんが浮気なんて? まさか冗談だよね」
すると錦さんは雅さんに視線を送る。雅さんは眉をしかめて「教えない」と呟いた。
三人の会話についつい夢中になってしまったが、しゅうちゃんに背中をつつかれて、注文を受けた品を出していないことを思い出した。
私は慌ててハーブティーとケーキを二人の前に置く。
二人はさっそくケーキを食べはじめ、野崎さんは諦めることなく「ねえ、教えてよ」と言い続けていた。
「うわぁ、このケーキ美味しいですねぇ」
錦さんはあっさりと野崎さんを無視して私に話しかけた。雅さんは黙々とケーキを食べている。
「ええ、近くのケーキ屋さんに作ってもらってるのよ」
「そうなんですねぇ」
野崎さんは泣き真似をしながら「どうして無視するのさ」とぼやいた。
「満月がそうやってうるさいからだよ」
雅さんが言う。
「こちらの方は日和さんの恋人?」
私は思い切って尋ねてみた。すると日和さんは「はい」とはっきり返事をする。それを聞いた雅さんは少し嬉しそうに頬を緩めた。
「雅さんと野崎さんの関係は?」
すると日和さんが雅さんに向かって「関係は?」と尋ねる。
「大学時代からの腐れ縁です」
そうして雅さんは澄ました顔でハーブティーを飲んだ。なかなか複雑な関係のようだ。
「今日はお花も買おうと思って来たんですよ」
錦さんが言う。
「あら、ありがとう」
「部屋に飾りたいんです。前に買ったお花は枯れちゃったから」
「お世話が難しかった?」
「んー、少しお世話をサボってしまって……」
そう言いながら錦さんは雅さんを見た。どうやらお世話をサボったのは雅さんのようだ。
「今度はどんな花がいいの?」
「どうする、雅」
「どんなのでもいいけど……二つ欲しい、です」
雅さんが口ごもりながら言うと、そっぽを向いていた満月さんがすかさず茶々を入れる。
「雅が花っていうイメージないなぁ」
「うるさいな」
険悪なムードを放つ野崎さんと満月さんの間で日和さんはなんだか楽しそうに笑っていた。
「近々引っ越しをするの。新しい部屋にお花を飾りたいなと思って」
錦さんはニッコリと笑った。
「え? 日和さん、引っ越しするの?」
「うん、雅と」
「え? それって一緒に住むってこと? マジで」
「そうだよ」
野崎さんと日和さんが会話をはじめると、雅さんはそれに参加せず、チビチビとハーブティーをすすった。
「もう、どうなってるのか全然わからないよ」
野崎さんは頭を掻きながら言う。
私は錦さんと雅さんが付き合っていると知ったばかりだ。それでもなんとなく複雑そうな匂いを感じる。先ほど別れた理由を錦さんの浮気だと言っていた。それは嘘ではないかもしれないけれど、恐らくそれだけが理由でもないのだろう。
良くも悪くも単純な野崎さんには複雑すぎて理解できないだろうなと思う。
再びカランカランとドアベルが鳴った。今日は結構客足が多いようだ。
「いらっしゃいませ」
私は笑顔で声を掛ける。
「こんにちは、おかあさん」
耳を疑うような挨拶をしたのは輝美ちゃんだった。
「あ、輝美だ~」
一番に反応をしたのは錦さんだ。そして錦さんと雅さんを見た輝美ちゃんはあからさまに嫌そうな顔をする。
「なんであんたたちがいるのよ」
「お花を買いにきたの」
「花なんてどこででも売ってるでしょう?」
「どうせ買うなら草吹主任のところで買いたいじゃない」
錦さんが言うと、輝美ちゃんはチッと舌打ちをして、渋々野崎さんの隣に座った。
面白い子だけど、こんなに激しい子が相手で陽ちゃんは大丈夫なのだろうかと心配になる。
「えっと、輝美ちゃんだったわよね。ご注文は?」
「あ、はい。自家製ハーブティーと季節のケーキを。この間いただいてすごくおいしかったので」
輝美ちゃんは爽やかな笑みを浮かべて言った。なるほど、この子は人によって態度が違うのだなと思った。恐らく私に対する丁寧な態度が普段通りなのだろう。
錦さんや雅さんに強く当たるのは、そうしても大丈夫な相手だと思っているからだと感じた。ある意味ではとても仲良しだと言えるのかもしれない。
しゅうちゃんがケーキを出してくれたので、私はハーブティーを準備して輝美ちゃんの前に置いた。
「ありがとうございます。おかあさん」
輝美ちゃんは極上の笑みを作って言う。
「ちょっと待って、さっきから『おかあさん』ってなに?」
「満月が、あなたは陽さんのおかあさんだって言ったので」
私は野崎さんをキッと見る。
「あ、いやいや、言ってません。言ってませんよ。陽さんの保護者のような人だって言っただけです」
「保護者っておかあさんじゃないの?」
私は深くため息をついた。私の背後ではしゅうちゃんがクックックとこらえきれない笑いをこぼしている。
「せめてお姉さんくらいにしてくれない?」
「はぁ、すみません」
輝美ちゃんはそう言いながら野崎さんを睨んだ。
「何か私に用事でもあったの?」
輝美ちゃんに声を掛けると、少し眉を歪めてからすぐに笑顔を作った。
「いえ、この間ちゃんとご挨拶ができなかったので」
そう言うと、すぐに錦さんと雅さんを覗き込んで続ける。
「あんたたち、別れたんじゃなかったの?」
「輝美、心配してくれてたの?」
「心配なんてしてない。雅が迷惑だっただけ」
そうすると雅さんはまた渋い顔をしてそっぽを向いた。本当に雅さんは何をしたのだろう。
「ああ、輝美のバイト先で飲んでたんだってね」
「そう、みんな迷惑してたんだから」
「迷惑かけるようなことしてないでしょう。むしろ上客だったんじゃないの?」
雅さんがたまらず反論する。すると錦さんがウフフと笑った。
「雅があのお店で飲んでた理由、知ってる?」
すると雅さんが「ちょっと」と慌てて錦さんを制しようとした。だが、錦さんは雅さんに背を向けて野崎さんや輝美ちゃんに顔を寄せた。
「雅があそこで飲んでたのは、家が近いからでしょう?」
呑気な声で言ったのは野崎さんだ。
「輝美経由で私に連絡がいかないかなぁ、って思ってたんだよ」
錦さんの言葉に、雅さんは「ちょっと、なんで知ってる……」と言いかけて両手で顔を覆った。耳まで真っ赤になっている。
「ほらね」
錦さんはうれしそうな顔で言う。
「うわ、面倒臭い」
輝美ちゃんは苦虫をかみつぶしたような顔で雅さんを見た。
「雅がそんな風に照れてるのはじめて見たかも!」
野崎さんは感嘆の声を上げていた。
私がチラリと振り向くと、しゅうちゃんは苦笑いを浮かべて肩をすくめた。そして何も言わず洗い物をはじめる。
本当に『カフェ&フラワー クローゼット』も賑やかになったなと思う。それはうれしいことだけど、この面々を見ていると店名を変えた方がいいのかな、という気持ちもよぎる。
もしも店名を変えるとしたら『百合カフェ クローゼット』というところだろうか。
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