大誤算
「さぁ! たんとおあがりよ!」
テーブルに並べられた、出来立ての料理の数々。
彩り豊かで、匂いも香ばしく。
その見事な手際は、普段から料理を作り慣れている証拠であった。
「ほう。中々に上出来じゃないか。」
「キララ、ほんとに料理できたんだね。」
椅子に座る、カミーラとミレイの2人は。テーブルに並べられた料理に感嘆の声を上げる。
そんな2人に褒められて。
「もっちろん! 狩人たるもの、捕らえた獲物は美味しく頂くべし、だからね!」
気を良くしたキララは、とても良い笑顔で胸を張る。
ミレイとキララが、カミーラの家でお世話になることが決まり。
その日の夜。
親睦を深めるためにも、3人による豪華な夕食が行われようとしていた。
◇
大きな酒瓶を、両手で抱えて。中身を一気に飲み干していく。
息継ぎもなしに、人はそこまで飲み続けられるものなのか。
酒瓶を持つ手は、どんどん上に上がっていき。
カミーラは、あっという間に一瓶を飲み干した。
「ぷはっ、家で飲む酒がこんなに美味いとはな。掃除を頼んで正解だった。」
その一部始終を目撃していたミレイは、開いた口が塞がらない。
キララに関しては、特に気に留めてもいなかった。
「……正直、背中に翼が無かったら、とても天使とは信じられないです。」
少なくとも今までの段階で、カミーラに天使らしさは欠片も見当たらず。
あの翼もフェイクなのではないかと、ミレイは疑いの視線を送る。
「おいおい、わたしはこれでも”医者”だぞ? 本物の”白衣の天使”を前に、随分な言い草じゃないか。」
「……えっ? それって、新手のギャグですか?」
「ギャグなものか。わたしは正真正銘の医者だよ。まぁ、わたしが出張るのは、よほどの緊急時だがな。」
酒をしこたま飲み、正常な思考が出来ているのかは不明だが。
少なくとも、嘘を言っているようには見えない。
「まぁその緊急時というのも、この街ではからっきしだからな。基本的に、家で待機しながら酒を飲むのが仕事だ。」
恐らくは、その言葉も本当なのだろう。
果たしてそんな生活で、まともな収入があるのかと。
ミレイは疑問を抱かずにはいられない。
「……あの、来週立ち退きとか言われたら、流石にしんどいんですけど。」
「ん? あぁ、心配するな。この街の領主とは旧友でな。金に関しては問題ない。」
金どころではなく。明らかに、何かしらの権力が働いていた。
「それにこれでも、20年前までは普通に仕事をしてたんだぞ? 貯金だってある。」
「な、なるほど。」
(ということは、わたしが生まれた頃から、こんな生活送ってるのかよ。)
目の前の天使の、筋金入りの堕落具合に。
ミレイはこれ以上の追求を止めた。
「それで、お前たちは? 出身は何処なんだ?」
カミーラに尋ねられ。
ミレイだけでなく、キララも食事の手を止める。
「わたしは、東の方にある”ハイムガン”っていう小さい村の出身です。」
キララの出身地には、それといった珍しさはなかった。
「えっと。わたしは日本っていう、異世界の出身なんですけど。」
「ほぅ、それは中々面白い。」
酒を喉に垂れ流しながら。
カミーラは2人の言葉に耳を傾ける。
「なるほどな。そういうコンビというわけか。」
カミーラの中で、2人に対する興味が上昇する。
「お前たち、酒はいける口か?」
明らかに、子供であろう2人に。カミーラは、いけしゃあしゃあと酒を勧める。
「えっと。わたしは20歳なので、飲めなくはないですけど。キララはまだ、15なので。」
「おいおい、そんな堅苦しくなるなよ。飲んでもせいぜい、”わたしみたいなバカになる”だけだ。」
「いや、それはちょっと。」
反応に困る例えに、ミレイは苦笑いする。
「酒は良いぞ? むしろこれがないと、生きている意味がない。」
その身体のどこに、それほどの容量があるのだろうか。
カミーラの飲酒速度は衰えを知らず。
綺麗に片付けたはずの部屋に、再び空き瓶が散乱し始める。
「空腹には、何週間か耐えたことがあるが。禁酒はまぁ、4時間が限度ってところだな。」
ならば、一体どうやって睡眠を取るのだろうか。
「……ねぇ、ミレイちゃん。カミーラさんってもしかして、ちょっと”おかしい”んじゃ。」
「いや、最初からだろ。」
何を今更、と。
コップに入った水を飲もうとするミレイであったが。
それを口に近づけた瞬間、手が止まる。
色は水と変わらないが。
明らかに、臭いが違う。
「……カミーラさん。これひょっとして、お酒なんじゃ。」
今まで、喉が渇いていなかったため、気づくことは無かったが。
罠は最初から、そこに仕組まれていた。
「なんだ、気づいたのか。つまらんな。」
カミーラは悪びれもせずに、ただ残念がる。
「言っておくが、キララはさっきから、”ずっと”飲んでいるぞ?」
そう、告げられて。
ミレイがキララの顔を見ると。
確かに通常時より、顔が赤くなっていた。
「いやまぁ、こいつ結構、普段から顔が赤いから。」
キララは平常時からテンションが高いため。
ミレイはその違いに気付けなかった。
「じゃあ、わたしからも質問があります!」
異様なテンションで手を上げて。
「えっと、えっと。ミレイちゃんは、どうしてそんなに可愛いんですか!?」
やはり、キララは酒に酔っていた。
「これでもシラフか?」
「まぁ、わりかしこんなテンションなんで。」
確かにキララは酔っ払っている様子だったが。
ほんの少し騒がしくなる程度だろうと、ミレイは高をくくっていた。
「そう言えば、わたしも質問があるんだが。お前さっき、20歳だと言っていたよな? お前の世界の人間は、みんなそんなに背が低いのか?」
あまりにもストレートな質問に。ミレイは動きが止まる。
「ゴブリン族の血が混ざってるなら、まぁ納得はできるが。」
「……いいえ。単に、わたしが小さいだけです。」
「……そうか。すまんな。」
◆
カミーラと、キララの飲む酒の量も増えていき。
非常に良い雰囲気のまま、夕食は進んでいく。
そんな状況の中でも。自分だけは正常でいようと、ミレイは酒に手を付けてなかった。
それでも十分、楽しさを満喫できていたから。
「――あ、そう言えば。着れそうな服は別に分けておいたんですけど。その中にどう考えても、サイズの合わなさそうな服があって。あれって、他の誰かのですか?」
酒の進み具合が手遅れになる前に。ミレイは気になっていたことを尋ねる。
「あー。なんて言うか、わりかし適当に服を買うからなぁ。家に帰ってから、サイズが合わないことに気づいたりするんだよ。それで、そのまま放置というわけさ。」
「なるほど。」
その心理は全く理解できないものの。とりあえずの理屈は分かった。
「それを踏まえてなんですけど。ちょっと、服の数が多すぎじゃないですか?」
「ゴミ山から漁るのも面倒くさくてな。ついつい、新しい服を買ってしまうんだよ。」
そういう考え方故に。
この家は、崩壊の道を辿ったのであろう。
「まぁ、着れそうな服があれば、2人に譲るよ。ミレイはともかくとして、キララならサイズ的にも近いだろうし。」
そう言いながら。
カミーラは2人の身長を見比べ。
「……うん?」
キララの身体を見て、その動きが止まる。
小さな違和感に、気づいたように。
「おい、キララ。ちょっと腕を見せてみろ。」
「へっ?」
カミーラはキララの腕を掴むと、そのまま袖をまくる。
キララの腕は、軽々と折れてしまいそうなほどに、か細いものだった。
「お前っ、ガリガリじゃないか!」
医者としての、腐りかけの感が働いたのだろうか。
カミーラは、キララが異常なまでに痩せていることに気づく。
自分では怖くて、指摘できなかった所を突いてくれたため。
ミレイは内心、ホッとする。
「……えっと。」
当のキララ本人は、そもそも”何がおかしいのか”、という反応であったが。
医者であるカミーラの表情は、真剣そのものであり。
その瞳に”魔法陣”を浮かばせると。
キララの服と、身体の表面を透視し。その内面をのぞき込む。
「おいおい、冗談だろう?」
その、あまりにも”衝撃的な容態”に。思わず声が漏れる。
(こいつ、本当に”人間”か?)
キララの体内では、”得体の知れない物質”が暴れまわっており。
その影響で、全身の細胞が悲鳴を上げていた。
周囲にも被害を撒き散らす、呪いのたぐいでは無いものの。
少なくとも、人間の体内で起こるような現象では無い。
「……お前、”麻薬”とかに手を出してないだろうな?」
カミーラは、真っ先にそれを疑った。
だが、キララの反応は薄く。
「えっと。そういうのはちょっと、縁がないと言うか。」
「……わたしも、ここ数日の付き合いですけど。変な薬を打ってるとか、そんな素振りは無かったです。」
ミレイもキララを信用していた。
「宿に泊まってる時も。なんかゴソゴソしてるなって思っても、”矢に塗るための毒”を作ってるだけだったし。」
「――矢の、毒?」
その単語に、カミーラの医者としての感が反応する。
「まさかお前、その毒を”自分に使ったり”してないよな?」
そう、指摘され。
平静を保っていたキララの表情が、僅かに崩れる。
「……まぁ、”どれくらい強いかなぁ”って、自分で試してはいるんですけど。」
それが、キララの”悪癖”であった。
「……なるほどな。それでこの身体か。」
カミーラは合点がいき。
同時に、安堵の息を漏らす。
「運が良かったな。”普通の人間”だったら、今頃、苦しみながら死んでるだろうよ。」
そう。それはあくまでも、普通の人間の場合である。
確かにキララの体内では、強烈な毒素が暴れ回り、全身の生組織を破壊している。
だが、それを遥かに上回る勢いで、キララの中に眠る”潜在魔力”が、身体を正常な状態に戻していた。
豊富な知識を持つカミーラにしても、それは”類稀な才能”としか思えない。
「ただまぁ、流石に毒素を取り込み過ぎだな。痩せてるのも、それが原因だろう。」
「……まぁ、確かに。ミレイちゃんと比べて、”ちょっと痩せてる”かな、とは思ってたんですけど。」
「いや、ちょっとじゃねーよ。」
もう隠す必要も無い為。ミレイは容赦なくツッコんでいく。
「見てて心配になる程度には痩せてるぞ? お前。」
「えぇっ、本当に?」
どういう判断基準なのだろうか。
キララはまったくもって、自らの異常性に気づいていなかった。
「もう、毒を打つのは止めたほうが良いんじゃない? そうすれば、もっと綺麗になるって。」
ミレイは本気で、キララの身体のことを心配していた。
命に別条が無いなら、ひとまず安心ではあるものの。
やはり、友達には健康で居てほしかった。
「う〜ん。とは言ったものの。」
だが、キララの反応は芳しく無く。
その苦悩が見え隠れする。
「……やめられない、とまらない?」
「完全に中毒じゃねーか。」
その、どうしようもない現実に。
ミレイは頭を抱える。
「えへへ。毒を浴びると、気持ち良いというか、ゾクゾクするというか。」
もはや、キララに悪びれる様子はなかった。
「ふっ。わたしにとっての酒と、ほとんど同じだな。」
カミーラも、もはや咎めようともせず。
「本人が好きでやってるんだから、もうそっとしておいたらどうだ? こいつの身体は特別だから、毒程度で死にはしないだろう。」
むしろ、快楽を推奨する有様であった。
「あんた、ホントに医者か?」
「医者をやるのに、倫理は必要無いんだよ。」
ミレイの正論は、この2人相手には通用せず。
完全なるアウェイ状態に陥っていた。
「うぐぐ。」
”酒の力を借りた狂人”相手に、シラフの常人では刃が立たない。
「……でも、やっぱり。痩せ過ぎなのはちょっと、見てて心配になっちゃうし。」
ミレイはもう、小さく呟くことしか出来ず。
そんなミレイの様子を見て。
キララも少々、ばつが悪くなる。
「……どうしてもって言うなら、止めてもいいけど。」
下を向いたまま。キララは小さく呟く。
「その代わり、ミレイちゃんにはちょっと、”お願い”があるんだけど。」
少々、恥ずかしそうに。キララは両手の指を絡める。
そんな、年相応な反応を見て。
ミレイも表情を和らげる。
「……はぁ。全く、仕方がないなぁ。」
ミレイはキララよりも5歳も年上である。
それ故に、年下の扱い方は分かっていた。
「それで、お願いってなに? 肩のマッサージとか?」
だが、ミレイは侮っていた。
キララという人間の、”本性”を。
「――ミレイちゃんの”オシッコ”、飲ませて欲しいなぁ。」
そう、真っ直ぐに要求され。
「……は?」
ミレイは、完全に停止する。
「ブフォッ!?」
部外者であるカミーラは、その衝撃展開に酒を吹き出した。
まるで、校舎裏で告白したかのように。
キララは”澄んだ瞳”をしている。
ミレイは、頭の中でゆっくりと言葉の意味を整理していき。
同時に、汗が止まらなくなる。
「……おい、キララ。冷静に考えろよ? 普通、他人のオシッコなんて、飲みたいわけが無いだろう?」
静かに、冷静に。
ミレイは、目の前の酔っ払いを諭そうとする。
だがしかし。
「そうかなぁ。よく分かんないけど、ミレイちゃんのオシッコなら、飲みたいかも。」
キララの主張は変わらず。
関係のないカミーラは、笑いが止まらなかった。
「へっ、変態じゃないか!!」
ミレイのキャパシティも、すでに限界であり。
目の前のキララが、別の”恐ろしいナニカ”に思えてくる。
「……やっぱり、そういう反応になるんだね。」
少し、悲しそうな顔をしながら。
「ミレイちゃんなら、受け入れてくれると思ったのに。」
キララはゆっくりと、ミレイの元へと近づいていく。
恐怖から、ミレイは言葉を失った。
「おい、これでも酔っ払ってないのか?」
自分には何の関係も無いため。
カミーラは意気揚々と茶々を入れる。
「おっ、おい。ちょっと落ち着けよ。」
ミレイが制止するも。
キララの歩みは止まらない。
「そういうのはさ、もっと仲良くというか、親密になってからのほうが良いんじゃ。」
やんわり止めようとするも。
「――今が、その時だと思わない?」
残念ながら、キララのブレーキは壊れていた。
じわじわと追い詰められ。
ミレイは壁を背に、逃げられなくなる。
(どうしてこうなった!?)
唐突に訪れた、抗いようのない運命に。
ミレイは死を幻視する。
だが。
「ははっ。相手は酔っ払いだぞ? お前も少しは、”バカになれ”。」
カミーラが指を振るうと。
コップに入っていた酒が、一塊となって宙に浮き。
指の動きに沿って。
ミレイの顔めがけて飛んでいく。
当然ながら、ミレイにそれを躱すという選択肢は無く。
パシャ、と。
顔に酒を浴び。
開いた口から、ミレイの体内に酒が入っていく。
その瞬間。”世界の全て”が、ひっくり返った。
◇
『じゃあね、ミレイ。”お願い通り”、5歳くらい若くしたから。』
それは、いつかの始まりの記憶。
『その”カード”は、ミレイにしか扱えない。』
決して忘れてはいけない、大切な記憶。
『――だからお願い。”
ミレイに課せられた、”約束”という名の使命。
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