花の都の乙女たち
朝。
とても穏やかな呼吸の中で。
水面に浮き上がるように、ミレイは目を覚ます。
不思議な気分であった。
いつもは、まどろみとの戦いの末、キララに起こしてもらっているのに。
今日はなぜだか、とても自然に起きられた。
布団から起き上がろうとすると。自分の真隣にキララが居ることに気づく。
それは珍しくも無いため、放っておこうと思うも。
何故か、キララは素っ裸であり。
流石のミレイも、思わず思考が停止する。
(なんだこれ。)
理由を考えても、何も思い浮かばない。
というよりも、昨晩の記憶が全くもって存在しない。
3人で夕食を食べていたはずだが。それ以降が思い出せない。
(前にも、こんな事があったような。)
古い記憶を辿るも、答えは見つからず。
しょうがないと、ため息をつく。
すると、ミレイは自分が何かを握っていることに気づく。
見てみると、それは”真っ白な羽根”だった。
これの発生源など、一つしか心当たりがない。
よく周りを見てみると、他にも羽根が散乱している。
どれもカミーラの翼から抜け落ちたものであろうが。
一晩でこんなにも抜けるものなのかと、ミレイは不思議に思った。
キララを布団に残したまま。
ミレイは妙に軽い体を動かして、リビングへと向かう。
(喉が渇いたな。)
などと考えながら、扉を開けて。
ミレイは言葉を失う。
リビングルームは、惨憺たる有様であった。
あれほど綺麗に片付けたはずなのに、床には酒瓶が散乱しており。
中には粉々に割れている物もある。
テーブルは見事にひっくり返り、食器も散乱。
椅子に関してはへし折られている。
そして、何よりも目を引くのは。
床に突っ伏している、”カミーラ”、”フェンリル”、”パンダファイター”の姿である。
カミーラに関しては理解できるが。
何故、ミレイのアビリティカードである2体が実体化し、なおかつ倒れているのかが理解できない。
というよりも、フェンリルは家の中で出して良いような大きさではない。
「……はぁ。」
あまりにも理解不能な光景に。
ミレイは頭を抱え、立ち尽くした。
恐らくは昨晩に何かがあったのだろうが、それを全くもって思い出せない。
何をどうしたら、ここまで悲惨な事になるのか。
論理的に考えても、やはり答えは見つからず。
とりあえず邪魔なため、フェンリルとパンダファイターの実体化を解いた。
すると、フェンリルの巨体の真下から、バラバラになった”ロボットらしき残骸”が見つかる。
これは一体何か。
そう思うミレイであったが。
恐る恐る手をかざすと、それは光の粒子となり。
ミレイの手に、銀枠のカードが握られる。
『ドリロイド』
一昨日、ミレイが入手したアビリティカードである。
本体がバラバラになっていたせいか。
カード全体の色が、”薄く”なっている。
果たして、このカードは放置しても大丈夫なのか。
そう疑問に思うも。答えてくれそうな同居人は、両名共にダウンしており。
ミレイはしばらく、その場から動けなかった。
◇
花の都ジータン。
そこから少し東に行った場所にある、ホロホロの森。
つい先日、異界の門から生じた脅威に晒されたばかりではあるものの。
すでに森は平時の装いを取り戻しており、森には自然の囁きが聞こえるのみ。
そんな森の中に、1人の女性が立っていた。
人目を気にする必要が無いからか。服装は下着姿である。
激しい鍛錬の賜物であろうか。その身体は引き締まった筋肉に覆われていた。
彼女の側にある木の根元には、仕事着である”ギルドの制服”が畳まれており。
その女性、”ソルティア”の手には、実体化した”刀”が握られていた。
ソルティアは刀を腰に構えると。
そのまま、居合斬りの姿勢へと入る。
深く呼吸をし。肉体と精神を一つにする。
身体を巡る血液に、脈動する筋肉。
そして、身体だけでなく。
握った刀にまで浸透する、静かなる”魔力”。
彼女の睨む先に、斬るべき対象は無い。
木々はなく、ただ空間のみが存在する。
それでもソルティアは、目の前の存在を斬ろうとしていた。
自分に斬れない物はない。そう言い聞かせるように。
音が止み。
――己の全てを賭けた一閃を、宙に放つ。
その1本の刀に、どれほどの”力”が宿っていたのか。
空間が軋み。
周囲に衝撃波が轟く。
だが、それほどの一撃を放っておきながら。
ソルティアの顔に笑みはない。
それも当然。
この一太刀は、紛れもない”失敗”なのだから。
小さく、崩壊の音を鳴らして。
ソルティアの持つ刀の刀身が、”粉々”に砕け散る。
緊張の糸が途切れ。
ソルティアはその場に膝をつく。
ほんの一瞬の出来事にも拘らず。その全身からは、滝のような汗が流れていた。
「――はぁ、はぁ。」
余程の気力を使ったのだろう。
呼吸は荒く、刀を持つ手は震えている。
その拳に宿るのは、行き場の無い”怒り”。
刀を振るうに値しない、自分自身への強い憤りであった。
ソルティアは刀身を失った刀を見つめ。
無念を感じつつも、それをカードの状態へと戻す。
”色の薄く”なった、2つ星のカード。
アビリティカードを傷付けるのは、これで何度目であろうか。
そのカードの状態を見ても、ソルティアに驚いた様子はない。
タオルで汗を拭き、いつもの制服に着替える。
サボり癖の多い受付嬢。
その何気ない日常であった。
「えっ、サボり?」
同居人たちの屍を尻目に、家中の片付けを終えた後。
住む場所が決まったことをソルティアに伝えるため、ミレイは1人、ギルドへ訪れていた。
しかしながら。受付に居たのは、小柄な受付嬢、ソニー1人だけ。
「わたしも多少はサボりますが、先輩は1日の半分程度をサボってます。」
「良いのか、それで。」
「まぁ、このギルドは暇ですから。」
ここは平和な街、ジータン。
クエストの受注を担当する受付嬢は2人だけではあるものの。
その2人がサボっても問題がないほど、ギルドは暇であった。
ソルティアが戻ってくるまでの間。
2人は無駄話に花を咲かせる。
「そう言えば昨日、夜中にカードの力を使いました?」
「あー、ごめん。多分使っちゃったと思う。どういうわけか、全く思い出せないんだけど。」
「いえ。それはまぁ、問題はないんです。確かに凄い魔力ですけど、前のような刺々しさは無かったので。」
でも、と。ソニーは話を続ける。
「その前後でしょうか。それを遥かに上回るくらい、”恐ろしい魔力”を感じまして。それも記憶にありませんか?」
「……うん。昨日の夕食以降の記憶が無くてさ。朝は、普通に布団で寝てたんだけど。」
「そう、ですか。」
疑問は晴れないものの。
とりあえず、危険が無かったことにソニーは安心した。
「カミーラって人の家で暮らせることになったんだけど。その人がまぁ、結構な酒飲みでさ。多分、それで滅茶苦茶やったんだと思う。」
「あぁ、あのエンジェル族の人ですか。確かに、あの人はちょっと、”アレ”ですよね。」
この街の住民にとって、やはりカミーラは有名な様子だった。
「昔、転んで怪我をした事があって。そのとき偶然、カミーラさんがすれ違ったんです。」
「治療でもしてくれたの?」
「どうでしょう。傷口に酒を吹きかけるのを治療と呼ぶなら、そうですかね。」
「……あぁ。」
ミレイには、そのシチュエーションが容易に想像できた。
その後も、2人の世間話は続いていき。
随分と長いこと話し込んでいたが。受付に他の冒険者が来ることはなかった。
そして、ようやく。
待ち人であるソルティアが、ギルドに帰還する。
どこかで運動でもしていたのか。身体は若干、汗ばんでいたが。
「……おや。お一人でギルドにいらっしゃるとは、珍しいですね。」
ミレイの半身とも言える存在が居ないことに、ソルティアは不思議がる。
「えっと、どうやら酔い潰れちゃったみたいで。」
ミレイはソルティアに、昨日の出来事を説明した。
家の清掃依頼を果たして、その家主であるカミーラに気に入られたこと。
カミーラの家で暮らすことになったものの。
自分以外の2人が酔いつぶれ、使い物にならないこと。
その話を聞いて、ソルティアは少々驚いた様子であった。
「あの変人に気に入られるなんて。……まぁ、お似合いかも知れませんがね。」
「……ソルティア。もしかしてわたしのこと、変だと思ってる?」
「いいえ、まさか。個性的だとは思いますが。」
そんな、2人の会話を聞きながら。
貴女も変人でしょうに、と。ソニーは内心思っていた。
「……あっ、もしよろしければ、ご一緒にランチでもどうでしょう。ソルティアさんと一緒に、姉が経営しているパン屋に行く予定だったんです。」
ソニーがミレイを昼食に誘う。
「へぇ、お姉さんがパン屋なんだ。」
「あまり客足が居ませんので。我々で売上に貢献しようというわけです。」
ソルティアの口から、パン屋の経営状況が伝えられる。
「お恥ずかしながら。」
ソニーも否定は出来なかった。
「なら、ご一緒させて貰おうかな。キララとカミーラさんに、持ち帰りもしたいし。」
ミレイは誘いに乗り、2人の受付嬢と昼食を共にすることにした。
ソニーの姉が経営しているという、パン屋へと向かう道中。
「そう言えば今日、いつもより賑わってるね。」
遠くにある市場を見つめながら、ミレイが呟く。
「ここ連日、行商人が多く入って来てますから。」
「たまにあるんですよ、小さなお祭りみたいに。」
ソルティア達に事情を教えて貰い。
「……ふぅん。」
楽しそうな市場の様子を、ミレイは記憶に留めた。
◆
「ただいまー」
パンの入った紙袋を抱えたまま。ミレイは帰宅する。
鼻歌交じりに廊下を進み、リビングへと行くと。
すでに、キララとカミーラは起床しており。
「……あっ、ミレイちゃん。おはよう。」
キララは普通に挨拶してくるも。
カミーラはまるで、死神に出くわしたかのように静止していた。
「おはよう。って、もうとっくに昼過ぎだけどね。」
ねぼすけな2人に呆れながら。
ミレイは買ってきたパンをテーブルに置く。
「昨日の事はよく覚えてないけど、お酒は程々にしてよ? ゴミとか片付けるの、けっこう大変だったから。」
そう話す、ミレイの顔を見ながら。
カミーラは不思議そうに首を傾げる。
「……ミレイ。お前、何も覚えてないのか?」
「覚えてるも何も、カミーラさんのせいでしょ? 羽根はそこら中に散らかってるし、キララも何故か”裸”だったし。いっつも、あんなになるまで飲むんですか?」
「……いや、まぁ。どうだろうな。」
”毟られた”翼の箇所を触りながら。
どう説明するべきかと、カミーラは考える。
「ここまで”ひどい目に遭った”のは、流石のわたしも初めてだな。」
頭に思い浮かぶのは、”凄惨なる昨夜の記憶”。
その記憶の存在が、カミーラの中にある反骨精神をへし折った。
「よし、決めたよ。これからしばらく、”酒を断つ”事にしよう。」
「えっ? 本当ですか?」
「あぁ。嘘は言わんよ。」
酒を断つというカミーラの言葉に。
ミレイは驚きを隠せない。
(息を吸うかのように、あれだけお酒を飲んでたのに。)
昨日、出会ったばかりだが。
少なくとも、ミレイの目の前では、ずっと酒瓶を握っていた。
(人って、案外反省できるんだな。”余程の事”が無い限り、死んでも酒を手放さないタイプかと思ってた。)
その”余程の事”が、昨夜の内に起こったのだと。
ミレイには思いもよらず、素直にその考えに感心する。
次に、ミレイはもう一人の方を向く。
「キララもだよ? 未成年なんだから、お酒なんか飲んじゃ駄目。」
「……うん、分かった。ミレイちゃんの言うことだから、ちゃんと守るよ。」
恐ろしいほど素直に。
キララは聞き分けがよかった。
「うん。キララはホントに良い子だな。安心するよ。」
幸か、不幸か。
ミレイは何も覚えてはいない。
都合の良い事も、悪い事も。
「昨日、ミレイちゃんに”誓ったから”ね。もう絶対に、自分に毒は使わないよ。」
それ故に、その言葉の真意を分からずに。
ミレイは首を傾げる。
「……自分に、毒?」
該当する思い出は無く。
けれども、ミレイは妙な引っ掛かりを覚え。
その記憶の端っこを、引き寄せる。
「――あぁ! そう言えばそうじゃん。キララが痩せてる理由って。」
記憶の断片を思い出し。
ミレイは声を上げた。
それ”以上の事”も、思い出すのかと。
カミーラは固唾をのんで見守る。
だが、ミレイが思い出したのはそれだけであり。
「まぁ、健康に気を使うのは良い事だから。これからは用途を守るんだよ?」
「うん! 分かってるよ。」
本質的には、何一つとして噛み合っていないが。
それを指摘できる存在はどこにも居なかった。
「えへへ。やっぱり、”いつものミレイちゃん”も良いなぁ。」
そんな、2人を見ながら。
(……恐ろしいガキどもだ。)
カミーラは、今後の行く末を若干不安に思った。
「あ、そうだ。」
それを思い出し。
ミレイは、テーブルに置いた紙袋を取りに行く。
「”ポッケパン”っていうお店に行って、いくつかパンを買ってきたから。良かったら食べて。」
パンの入った袋を2人に見せる。
「すっごく美味しいから。きっとびっくりするよ。」
「へぇ。」
キララは普通に興味を示し。
カミーラは、何かを思い出す。
「あぁ、”マロア”の店か。オープンするという話は前に聞いたが、そう言えば行ってなかったな。」
そうして。
キララとカミーラは、遅めの朝食をとることになった。
「あっ、ホントだ。すっごく美味しい!」
「あぁ。今まで食べたことのない味だな。」
買ってきたパンを、2人は満足気に食べていく。
「でしょ? わたしも、前の世界で結構パンは食べたけど。そのどれよりも美味しいと思う。」
たかがパンとは言え。
そのクオリティには、侮れないものがあった。
「それで、店は繁盛してたのか?」
カミーラの鋭い質問に。
「あー、それはちょっと、まぁ。」
ミレイは口を濁した。
「ふっ。あそこの姉妹は、昔から揃って人見知りだからな。もっと大々的に宣伝すれば、これならいくらでも売れるだろうに。」
伊達に、この街に長く暮らしては居ないのだろう。
カミーラはこの街の住民たちのことを、よく知っていた。
◇
「それじゃあ、キララと一緒に市場まで遊びに行くので。」
「ああ。楽しんでくると良い。」
ミレイたちを見送って。
静かになった、家のリビングで。
「――はぁ。」
カミーラは、深くため息を吐く。
「どうなるかと思ったが。”全部キレイに忘れるタイプ”とは、恐れ入ったよ。」
先程の、ミレイの一挙手一投足に。
カミーラは心底、安心していた。
昨晩、”ミレイに散々毟られた”翼を、優しく撫でる。
「このわたしが、まさか年下に泣かされるとはな。」
それに対し、もはや怒りや悲しみなどは湧かず。
むしろ、無事に乗り切れた自分を、褒めたい気分であった。
「”セラフィム”以来か、まったく。」
遠い昔の記憶を思い出し。
カミーラは1人、笑った。
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