― 神殺しの獣 ―




「はぁ、はぁ、はぁ。」


 ただ、前へ。ひたすら前へ。

 それ以外のことは何も考えない。


 後ろなんて振り返らない。

 振り返ってしまえば、そこには死が待っているかもしれないから。


 もがくように、逃れるように。


 ただひたすら、ミレイは走った。




「あっ。」


 木の根っこにつまずいて。

 ミレイは転倒してしまう。


 元々、それほど速く走っていたわけではないため、転ぶ勢いは控えめであり。

 それほどの痛みはない。

 それでもミレイは、起き上がれない。


 未だ激しい自分の呼吸音。

 聞こえるのは、それだけだった。


 他には何も聞こえない。

 恐ろしい魔獣の唸り声も。


 ずっと一緒だった、あの少女の声も聞こえない。



「うっ、……くっ。」


 涙が、止まらない。

 拭っても拭っても。

 前を向かなきゃいけないのに。

 震える身体が動かない。



(逃げちゃった。)


 怖かった。

 ただひたすらに、恐怖しかなかった。


 ゲームとは、何もかも違う。

 それが現実に生じた時の恐怖は、まるで桁違いだった。


(なんで、わたし。)


 キララ1人を置き去りにして、逃げてしまったのか。


 怖くて、怖くて。

 でも、それ以上に悔しくて。

 何も出来ず。

 ただ逃げるという選択すら、キララに発破をかけられるまで選べなかった。


 キララの声にすら怯えてしまって。


(……なにが、冒険者だ。)



 ”なんと無謀で、愚かな選択なのか”。



 あの受付嬢の言っていた言葉が、ミレイの中でこだまする。


(わたしの、覚悟なんて。)


 美しく、そして残酷な異世界に。


 彼女の、心は――







 頬に垂れた、血の涙を拭い去って。

 決死の覚悟を宿したキララは、未知なる魔獣たちに立ち向かう。


 キララが放り投げた球体は、彼女の手製の爆弾であり。それによって生じた紫色の煙は、”死に至る”ほどの猛毒であった。

 現に、その効力は明らかであり。毒を直に浴びた魔獣たちは、痙攣してまともに動くことすら出来ていない。


 しかし、この毒は矢尻に塗られたものではなく、空間そのものにばら撒かれたものであり。



 放った”本人”の身体すらも蝕んでいた。



(わたしの生み出した、最高純度の猛毒。……流石にこれは、結構”効く”なぁ。)


 血涙を流し、肉体は明確な拒絶反応を示しているものの。

 しかし、キララの身体には震え一つなく。

 むしろ、本来の調子を取り戻しているかのようだった。 


 キララの口元は、その”快感”に歪む。


(思ったよりも調子が良い。これなら、もしかしたら勝てるかも。)


 精神的に調子の上がるキララと違い。

 魔獣にとっては、この猛毒は致命的である。

 そこに勝ち筋を見るキララであったが。



 大型の、おそらくはリーダー格であろう魔獣が指を振るうと。

 そこに淡い粒子の輝きが生じ。


 ”魔法”が、発動。


 強烈な風が巻き起こり、毒の煙をいともたやすく吹き飛ばしてしまう。



「……えっ。」


 魔獣が、魔法を使った。

 その目の前の事実に、キララは言葉を失う。


 確かに知能の高い魔獣だとは思っていた。

 透明化して待ち伏せする、驚異的な魔獣だと。


 だが、魔法の行使はその比ではない。

 それはもはや、”人間”の所業である。



 果たして、目の前にいるこの生き物は。

 本当に、”魔獣”なのだろうか。



 敵の不気味さ。そして底知れなさに、キララは恐怖する。


 だが、それでも。

 キララは拳を握り締め、自らの手のひらに爪を立てる。

 相手が何者であろうと、やることは変わらない。


 ミレイが、確実に街まで逃げられるように。命を賭して、敵を足止めする。



(ミレイちゃん、”ちっちゃい”からなぁ。転んでないと良いけど。)


 自分のほうが、”年上”なのだから。

 ミレイの年齢を、見た目で判断しているがゆえに。キララはその勘違いに気づかない。


 だが、たとえ自分のほうが、ミレイよりも年下だと知っていても。この選択に、変わりは無いのだが。




 魔獣たちが、キララを目掛けて襲いかかってくる。

 だが、その場の俊敏性においてはキララのほうが勝っており。

 魔獣の攻撃を難なくかわすと、そのままの勢いで木を駆け上る。


 こなれた様子で木を登り。

 軽々とした足取りで、木と木の間を飛び回る。

 幼い頃から森で狩りを行っていたキララにとって、この戦場は限りなく好環境であった。


 木々の間を駆け回りながら。下にいる魔獣たちに矢を放つ。


 純粋な脚力は未知数だが。少なくとも魔獣たちに、木の上を飛び回るような俊敏さは無い。

 ただひたすら、キララの放つ矢に耐えるだけ。



(……頭を防御してる。やっぱり、一筋縄じゃいかないか。)


 キララの放つ矢の精度は高く、相手が静止していればほぼ必中と言えるだろう。

 だがしかし、魔獣たちは明確に急所を守り、絶命に抗っている。

 キララの矢筒にも、無限に矢が詰まっているわけではない。


(なんとかして、大きい奴だけでも倒さないと。)


 敵のリーダー格に視線を送るキララであったが。



 その個体は、キララに向かって指を向け。

 なおかつ、指先には魔力が込められていた。



「くっ。」


 警戒をしたところで、その”力”には抗えず。

 直線的に放たれた風の魔法に、キララの身体は軽々と吹き飛ばされる。



 そのまま地面に落下し。

 キララは痛みに表情を歪ませた。


「……痛い。」


 魔法の威力か、それとも木の枝で引っ掻いたのか。

 キララの腕や足には裂傷が刻まれており、真っ赤な血が流れ出る。


 その程度で、心が折れるキララではなかったが。

 魔法の衝撃で、矢筒の中身が散乱してしまったために。抵抗する手段を失ってしまう。



 なんとか、立ち上がろうとするキララのもとに。


 魔獣たちが近づいてくる。


 きっと彼らも分かっているのであろう。目の前の少女に、抵抗する力が残っていないことを。


 ゆっくりと、じわじわと。

 追い詰めるように、魔獣が近づいてくる。



「ここまで、かぁ。」


 死を直視し。

 キララは微笑を浮かべる。




 だがしかし。




「――おーい!!」




 その、聞き覚えのある声に。キララは振り向く。

 するとそこには。



 逃げたはずの、”小さな少女”が立っていた。



「……ミレイ、ちゃん?」


 何故、そこにいるのか。

 そう疑問に思うキララであったが。


 ミレイの視線は彼女ではなく、魔獣たちに対して向けられており。


 ミレイはこちらへ向かって走り出すと、手持ちの袋に手を突っ込んで。



 掴んだ人面栗を、魔獣に向かってぶん投げた。



 袋に入った人面栗を全部投げながら。


 それによって生じた僅かな隙を利用し、ミレイはキララの元までたどり着く。



 手を横に振って。体を張って守るように。


 その小さな後ろ姿を、キララは見つめる。



「なんで?」



 問わずには、いられない。



「どうして、戻って来ちゃったの?」



 湧き上がる様々な感情に、声が震えてしまう。



 そんな悲痛な声に、ミレイは振り返り。


 ただ優しく、微笑んだ。



「仲間が、ううん。――”友達”が、一番大切だから。」



 その言葉が、ミレイの全てであった。

 

 一人ぼっちは寂しいから。

 何よりも悲しいから。


 これから先の人生を。”キララ”を失ったまま生きるだなんて、耐えられるはずがない。

 それなら、ここで一緒に死んだほうが、何億倍もマシである。



(もう、絶望したくない。何も、失いたくない。)



 手をかざし、”黒のカード”を出現させる。



 ただ、”無意味のまま”には終わりたくないから。




「――少しは役に立てよ、アビリティカード!!」




 自分はどうなっても良い。

 何も得られなくても良いから。


 せめて、友達の1人くらいは、守ってみせて。



 その、純粋なまでの”願い”を込められて。





 まるで、世界そのものを引っ掻くような。

 不気味な”異音”が鳴り響く。





 たった1枚のカードが、これほどの音を発するものなのか。


 何かを、拒絶するように。

 世界が、変わるように。



『想定外の信号を検知。許容領域を超過しました。』



 それは、世界の声か。

 それとも、カードの発する声なのか。



『存在意義を更新。新たなる管理者のために、システムを再構築します。』



 不快な音が、鳴り止むと。


 ミレイの手には、何も変わらない黒のカードが握られており。



 その頭上を囲むような形で、光り輝く輪っかが発生する。



「いったい、なにが。」


 見たことの無い神秘的な光に。ミレイの瞳は奪われる。


 すると、光の輪っかから”1枚のカード”が出現する。


 確かな輝きを放つ、”黄金”のカードが。


 そのカードに、触れようとして。

 光が弾けると。



 黄金のカードだけではなく、銀や銅など。他の色のカードが、何枚も出現する。



 これがどういった現象なのか。

 ミレイには分からない。

 だが、それでも。


 今を打開する手段があるのなら。



 黄金のカードを掴み取り。



「――動けぇ!!」



 カードを掲げると、それは輝ける粒子へと姿を変え。




 ”大いなるモノ”へと変貌する。




 その肉体は力強く。

 毛皮に包まれた足で、大地を重く踏みしめる。


 尾がなびけば、風が大気を揺らし。


 その大きな顎からは、地獄からの叫びが聞こえるような。


 爪は鋭く、あらゆる存在を殺し尽くす。





 巨大なる”狼の王”。


 ”神殺し”の降臨である。









 どこからか、音が聞こえる。

 聞いたことのない音。

 まだ知らない恐怖。


 それが、たった一匹の獣の”遠吠え”であろうとは。


 ジータンの街に暮らす人々には、知りようのないことだった。






 天へと向かって。

 猛々しく、高らかに。

 偉大なる狼王は雄叫びを上げる。


 その存在を、世界に知らしめるかのように。


 風でも、音でもない。

 表現しようのない衝撃が、周囲の存在を圧倒する。



 突如として出現した、その”超常生物”に。

 あれほど優勢であった魔獣たちは、一歩たりとも動けなくなっていた。



「これが、アビリティカードの力?」


 その場所では、獣の召喚者である彼女だけが、自由に発言する権利を持っていた。


 それ故に、彼女の問いに答えるものは居らず。


 巨大なる狼王が、ミレイへと視線を送るのみ。



「指示を出せ、ってこと?」


 その問いに、狼王は頷き返す。



(……あぁ、そっか。)


 ようやくミレイは、状況を完全に理解する。



 今の全てを左右するのは、自分の一声であると。



「――お願い、キララを守って。」



 そう、願う。

 それだけは、絶対に譲れないから。



「――そして、あの魔獣たちを倒して!!」



 主の命令を受け。


 再び狼王は、他を圧倒するかのように雄叫びを上げる。


 ミレイにとっては、その声がなによりも頼もしく感じられて。




 あまりにも一方的な、”蹂躙”が始まった。




 大地を踏みしめて、狼王が駆ける。


 我に返った魔獣たちが反応するも、それは無意味であり。

 猛進する巨体に、為す術なく吹き飛ばされる。


 狼王が狙うのは、魔獣のリーダー格の首一つ。


 魔獣も、正面から迎え撃とうと構える。

 身体の大きさでは、魔獣も負けてはいない。

 だがしかし。



 双方の間には、絶望的なまでの”格の違い”があった。



 他の魔獣たちを跳ね飛ばしながら。

 狼王は、リーダー格の喉元へと喰らいつき。



 いともたやすく、喰いちぎる。



 ボトリ、と。魔獣の首が地面に落ち。

 その光景に、残りの魔獣たちは恐れ慄いた。


 だが、狼王の足は止まらない。

 その場にある、全ての恐怖を飲み込むために。


 噛み潰し。

 薙ぎ払い。

 引き裂き。


 その巨大な顎は処刑台のように。

 爪はあたかもギロチンのように。


 すべての命を圧倒して。




 周囲一帯を、血の海へと変えた。



 そうして。

 役割を終えた狼王が、ミレイの元へと戻ってくる。


 忠実なるしもべ、忠犬のように。


 その存在感に、若干の恐怖すら覚えるミレイであったが。

 後ろにいる少女のためにと、気丈な姿勢を崩さない。



「……えっと、ありがとう?」


 ミレイの言葉に。狼王は当然とばかりに、静かにうなずくだけ。


 思ったよりも聞き分けの良さそうな様子に、ミレイは内心ホッとする。



「ねぇ、君。カードに戻れる?」


 そう問いかけると。

 狼王は黙ったまま、光の粒子へと姿を変え。


 ミレイの手のひらの上に、黄金のカードとして形を成す。


 手に持ったカードを、ミレイは見つめる。

 黄金の色をしたカード。描かれている星の数は”4つ”。



 『魔獣フェンリル』という名が、確かに記されていた。



「4つ星カード。フェンリル?」


 その名を呼ぶ。黄金のカードは僅かに光り、どこか嬉しそうにも見えた。



(……凄い、力だった。)


 ミレイは、目の前の光景をまじまじと見つめる。


 すでに太陽が隠れているから良いものの。もしも真っ昼間だったら、とても目を開けていられる状況ではなかっただろう。


 それほどまでに、周囲は死臭に満たされており。


 アビリティカードという存在が、どれほどの威力を持つのかを物語っていた。




「……ミレイちゃん。」


 そう呼ばれ、振り返ると。


 未だに地面に座り込んだままのキララが、震える瞳でミレイを見つめていた。



「助けて、くれたの?」


 複雑な感情のせいで。上手く言葉が言えない。 


「逃げてって、言ったのに。」


 悲しいような。よくわからないような。

 そんなキララの言葉に。


 ミレイは、たまらず。



――ギュッと、抱きしめた。



 受け止めるように。包み込むように。

 力の限りに、キララの体を抱きしめる。



「ごめん。ごめんね。」


「ミレイちゃん?」


 キララは戸惑い。


「逃げちゃって、ごめんね。」


 ミレイは大粒の涙を流していた。



 どっちが、抱き締めているのか。

 どっちが、温もりに包まれているのか。


 それはもう、お互いにも分からない。


 震える声につられて。

 キララも同様に、涙を流してしまう。


 だがそれは、決して悲しみの涙ではない。



「良いんだよ、ミレイちゃん。わたしがそう望んだんだから。」


 今は、ただ。


「助けてくれて、ありがとう。」



 再び触れ合えることが、なによりも愛おしいのだから。





◆◇





「……キララ、血が出てる。」


「あぁ。そう言えば、そうだったね。」


 真っ白で、美しいキララの肌であったが。

 魔獣との戦闘によって、そこには深い裂傷が刻まれていた。



「あっ、そうだ。」


 ミレイが両手を出すと。

 わずかに光が生じ、無数のアビリティカードが出現する。


 始まりである、黒のカードも一緒に。



「……凄い。これ全部、アビリティカードなの?」


「うん。多分、そうだと思う。」



 その手にあるカードは、全部で”11枚”。


 黄金、星4つのカード。

 魔獣フェンリルが1枚。


 銀色、星3つのカードが3枚。


 銅色、星2つのカードが2枚と。

 同じく銅色、星1つのカードが4枚。


 そして、黒のカードが1枚。

 それが、ミレイの持つアビリティカードであった。



 ミレイは、全てのカードの名前を見ていき。


「あっ、これなら。」


 選んだのは、2つ星のカード。

 その名も、『即効性キズ薬』



 ミレイがカードをかざすと。淡い光の粒子へと変化し。


 その手には、片手サイズの小さなスプレー容器が握られていた。

 見た目的には、香水のようにも見える。



 ミレイは手に持ったキズ薬を、キララの傷へと向け。中身を噴射する。

 すると、液体状の薬が患部に浸透していき。


 みるみるうちに、裂傷が癒えていく。



「……あぁ、気持ち良い。」


 和らいでいくキララの表情を見て。

 思わずミレイも、頬を綻ばせる。




 手に持ったキズ薬を、消滅させる。

 必要とあらば、またいつでも実体化させられるだろう。


 たとえ2つ星でも、まるで魔法のような効力を発揮する。

 ミレイは改めて、アビリティカードの凄さを実感した。




 その手に実体化させるのは、始まりである黒のカード。



(やれば出来るじゃん。)


 最初に出したときから何も変わらず。

 ただ黒いだけで、何も描かれてはいない。


 その効力も、名前すらも定かではない。


 それでも、確かに”奇跡”は宿っている。



(……なんか、ソシャゲの”ガチャ”みたいだけど。)



 それが、”君”に与えられたアビリティ。



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