4話目


 深い深い夜の世界は怪しき人外の世界だった。

 不吉な鳴き声や、陰気な泣き声。どこからか聞こえて来る笑い声。

 それをたった数十年でここまで人々が我々と混ざり合うとは100年前までは考えられなかった。


 この世にある宝石を全て詰め込んだかのような美しさを持つと評されるエドワード。本人はその容姿を鼻にかけた事がなかった。

 自分の見た目や容姿は、全て狩をする為に特化されているのを知っているからだ。


 狩の対象は勿論、人間。たまに化け物。


 美しい薔薇にはトゲがある。

 雪のように白く、陶器のようになめらかで透き通るような肌も高い鼻も、触れればしっとり馴染むようなみずみずしい小さな唇も、ネオンの光を浴びて光り輝く気高い黄金色の髪も、目を閉じるたびにぱさりと音を立てるような長いまつ毛も、サングラスの奥で煌めく赤星も、全ては、美しいものに目がない者たちを誘き出すために作らた。罠なのだ。

 つまり、ここ600年くらい狩りをしていないエドワードには無用な長物なのである。


 夜の歌舞伎。

 この時間はもっとも人や化け物たちが多い時間だ。

人混みにぶつかる事なく紛れるようにエドワードは夜を歩く。

 彼が通り過ぎる道には必ず残り香や余韻が蝶の鱗粉のように残る。

 エドワードの姿を目に留める事が無かった人間や化け物も、示し合わせたかのように動きを止めて彼が通った道をジッと見入ってしまう。


(本当に仕事がやり難い顔だ)


 自分の体がもう少し大きく、逞しく、容姿の美しさがもう少し鈍っていれば、今の仕事は大分やり易くなるはずだ。

 自分がどれほど周りから注目されているのか、辟易するほど自覚している。

 浴びる視線の煩さに耐えきれずに気まぐれに入ったコンビニの雑誌コーナーには、『必見!吸血鬼が滅んだ真実!』というタイトルのカルト雑誌が置かれていた。

 ここもかと不意に漏れるため息は誤魔化せなかった。

 エドワードは、自分の事が特集されているカルト雑誌に少しの興味を持たず、その隣にあるドレミ先生著者の料理雑誌を…ビニールテープで巻かれていたので開けなかった。更にガックリと肩を落とす。


 コンビニで立ち読みする物を失ったエドワードは、おつまみコーナーでチーズキャンディを買い上げた。

 ささくれ一つないピアニストのような細く長い指先で、持参のエコバッグに品物を入れて、最後に行儀良く店員に目を合わせて会釈。

 エドワードの美しさに惚けていた店員はエドワードと目が合うと顔を赤く染め上げた。

 中から外へ、コンビニから夜の街へ一歩踏み出せば、欠けることのない見事な満月が地上を見下ろし、酒の匂いを引き連れたビル風がぶわりっとエドワードの体を撫でつけた。


 あんあん、キャンキャン、ぱっぱらぱ、ギャハハ、どんちゃんどんちゃん。


 四方八方から聞こえるトンチンカンな音が合わさって楽しく合唱している。

 勝手に拝聴している身であるが、今日は特にそれが騒がしく感じる。

 きっと化け物が普段以上に騒いでいるのだろう。化け物代表のエドワードも漏れず今日は浮かれているのだから無理もない。

 遠くの方で、怒り狂った声をあげて騒いでいるはタクシーおぼろ車だろう。どうやら酔った客が、おぼろ車の中で嘔吐してしまったらしい。悲惨な騒ぎ方だと同情していれば、近くからカメラを切る音が聞こえた。


 あれ〜取れてないよ?───もっかい撮ってみよう。絶対にバズるって───


 2人組の女の子だった。隠す気も無いほどにキャアキャア騒ぎながらスマホをエドワードに向けて何度もシャッターを押しているが、なかなかに苦戦をしているようだった。

 

 当然だ。吸血鬼は写真にも鏡にも自身の姿が写ることはないのだ。


 別段、エドワードは彼女達の行為を不快に思うことも関心を持つこともなかったので、何度試しても撮れませんよっと忠告するつもりはない。

 強いアルコールの匂いが漂って来る。2人とも片手にストロングと印刷されている缶を持っているので相当酔っているのだろう。

 何度試してもお目当ての写真が撮れない女の子達は大きな口を開けてケラケラ笑い始めた。楽しそうで何よりだ。


 そういえば、出て行く前はエドワードも蓉子もバタバタしていたので夕食を作る暇がなかった。

 事務所に帰ったら夜食を作ろう。冷蔵庫には何が入っていただろうか?

 ついでに昼食も作りたい。帰りに24時間営業のスーパーにも寄って行こう。事務所の掃除も最近は怠っていた。洗濯機も回したい。


 その為にはサキュバスを早期発見だと、気合いを入れ直しているエドワードの足元にもふもふと気持ちのいい感触が伝わる。

 視線を下に向けると犬がいた。エドワードの肌の色よりも真っ白で、ハッハッ興奮を隠すこともない息遣いに、キラキラの黒いガラス玉が2つ。見知った犬だった。エドワードの顔は自然と綻んだ。


「こんばんはポチさん」

「やっぱりエド君だ!こんばんは!いい夜だね!本当ならお月見するための夜なのにオレは今日もお仕事だよ!エド君はお仕事?それとも暇?」


 流暢に言葉を話す犬は、エドワードに優しく微笑まれたのが嬉しかったらしく尻尾をふりふりと振って喜んだ。


「僕も仕事中です」

「エド君だけなの?蓉子ちゃんは?1人?」

「蓉子様は別件で今は1人です」


 自分の膝下よりも低いポチに目線を合わせる為に膝を折った。エドワードが自分に近づいて来てくれたのが嬉しいかったポチは「ワン!」と元気な声で吠えれば、頭にちょっこんと乗っている青い帽子と首輪の前にぶら下がっている旭日章マークが軽く揺れた。


 名前、現在はポチ。

 性別、オス。

 年齢、500歳くらい。

 職業、警察犬。

 生体、化け物。

 種族、犬神。


「あのね、さっきね。駅で女の子たちのパンツを覗き見してた一反木綿(いったんもめん)を捕まえてこれから警察署まで連れて行くところだよ」

「そうですか、最近多いですね。そういった一反木綿の事件」

「そうなんだよぉ。真面目に生きてる一反木綿達には悪いんだけどさ、あのひらひらは、いやらしいことをするに持ってこいっ!ってボディだよね!」

「…持ってこいなのかはわかりませんが、確かに足元にある布が一反木綿だとは気づき難いでしょうね。追跡調査などに役立ちそうです」


 誰かと話すことが好きなエドワードと、おしゃべりが大好きなポチとの相性は抜群で、話し始めると軽く5時間はノンストップで話せる。


「ねぇ、エド君は何の仕事してるの?またオレたちとお仕事出来る?それともこのまま一緒に俺と交番に行く?」

「遠慮します」


 ポチの誘いに取調室の悲劇を思い出したエドワードはブルっと我が身を震わせているとポチの視線が、自分からチーズキャンディーに向かっているのに気づいた。


「ポチさん、勤務中ですよ」

「うぇ!オ、オ、オレ食べないよ!ただ、仕事中のエド君がサボってコンビニで何か買うの珍しいなって!」

「これは、仕事を手伝ってもらっているネズミさんの報酬なんです」

「何それ!すっごいファンシー!!エド君ネズミ語とか話せるの?」

「吸血鬼なので、生きていれば種類問わずある程度の意思疎通は可能です」

「うひょうっ!吸血鬼カッコいい!!」

「いえ、未だに至らぬ点が多いです。太陽も克服してませんし」


 本当なら眷属のコウモリに頼みたかったが、都会のど真ん中でコウモリを使用するのは悪目立ちをするし、サキュバスに察知されやすい。

 ならばと地の利が豊富なネズミたちに助力を頼んだ。サキュバスの行方が分からなくとも手掛かりくらいなら掴めると思ったのだが、一向にネズミたちからの連絡が来ない。

 エドワード自身も超音波を使い該当するサキュバスを捜索しているが、余計な音を拾う以外依然として行方が掴めない。


 もう、この辺にいないのかもしれない。

 男性の精力を食事の糧とするサキュバスならば、人の数が多い何処かの風俗店で働いているかと思ったのだ。

 新宿周辺はあらかた探した。それで見つからないとすると範囲をもう少し広げるべきだろう。しかし、広げるとして、どの辺を範囲として広げた方がいいのだろうか。


(…蓉子様の方は手伝えそうにないな)

 むしろ、今のエドワードには蓉子が必要だ。

 ここに彼女がいれば僅かな手掛かりであっても、失せものの術を使ってサキュバスがいる方角や範囲を割り出せるが、エドワードにはそれが出来ない。


「ねぇねぇ、エド君。オレさずっと気になってたんだけど、どうして吸血鬼って絶滅したの?」

「はい?」


 車のクラッシュ音がパァンっと響いた。

音に釣られてハッと振り返れば、車が勢いよく通り過ぎた。車の光は冷たくも凛としたエドワードの横顔を照らしたが、そこに影が作られる事は無かった。

 そういえば、おぼろ車と口論していたあの客はどうなったのだろうか?うまく和解できていればいいが。

 エドワードを隠し撮りしていた女の子達の笑い声もいつの間に消えていた。

 きっと何度チャレンジしてもスマホのカメラに写らないエドワードに飽きたか、諦めたのだろう。 


「エド君?」

「あ、すみません。少しだけ余所見をしていました」


 ポチがエドワードの名前を呼べば、サングラスの下に潜む蠱惑を含んだ瞳はゆっくりと散漫な動きで自分を呼ぶ方へと動いた。

 視線がパチリっと目が合えば、嬉しいそうにワンっと鳴いた。


「だって、吸血鬼は人類に勝ったんでしょう?勝ったのに栄えるんじゃなくて、滅ぶのって変じゃない?ねぇ、なんで?」

「…確かに吸血鬼の数は100年戦争からかなり減りましたね」


 ポチの純粋な質問に、はて、なんと答えようとエドワードは首を傾げた。

 先程の雑誌の答えではないが、長年ヴェールに包まれた謎の種明かしをしてもいいのだろうかと少し迷ってしまう。

 吸血鬼という化け物は、人や化け物たちにとっては特別な存在なのだ。

 吸血鬼の身であるエドワード自身からすれば、自分にそこまでの特別な価値があるとは思えないが、ほかの生き物からすれば長生きで、力も能力も強い方だとは思う。

 しかしだからといって、絶対に負けないという自信はない。

 地上界では最強で最悪の吸血鬼と言われているが、人間に負けた同胞はたくさんいるし、位の高い神や魔が付く者たちとガチバトルをすれば負けることだってある。

 更に言ってしまえば吸血鬼には弱点があり、その弱点を広く知られている時点で、吸血鬼は最強でもなんでもない。

 滅んだ理由だって最悪な存在と呼ぶには弱い。

(ま、別にいいか)

 声変わりのしていないソプラノ声で歌うようにエドワードは口ずさんだ。


「Boredom and indifference kill you」

「え?なんて?」

「“退屈と無関心はあなたを殺します”つまり、我々吸血鬼のほとんどは100年戦争で人間に勝ったから退屈になり死にました」

「うぇ!!」

 

 皮肉な事に人類が躍起になって滅ぼさんとしていた吸血鬼の減少理由は、人類が負けを認めたからだ。

 当時は吸血鬼が、はちゃめちゃ表立っていたせいで、他の化け物達の存在が目立たなかった為に吸血鬼が最大の巨悪だと思われた。

 吸血鬼を滅ぼさなければ人類に明るい未来は永劫来ないと偏った大義の元で、長きに渡る戦争は行われ続けたのだ。


「戦争があったおかげでこちらは随分楽しい思いをしました」

「うえぇ…そんなレクリエーション的な感覚で言われても…エド君も参加してたの?」

「100年戦争の時は人の血を飲まなくなっていた時期ですが、遊んでくれるのなら断る理由はないでしょう?」

「うぅ…勇敢に吸血鬼に立ち向かった人達に絶対に聴かせたくない発言だぁ」


 古来より人間と親交が深かった犬神は吸血鬼が語る真実に少し悲しそうだ。


「そもそも、吸血鬼最強伝説は西洋の感覚です。東洋では、幻獣のハクタクとぬらりひょんが化け物最強なんですよね?」

「こ、コメントし辛いなぁ、ハクタクはともかく、ぬらりひょんは無断飲酒と不法侵入しかしてない変なオッサンだし、吸血鬼みたいなカッコいいのが良いよぉ」

「平和的で僕は好きですけど、吸血鬼といえば吸血鬼の真似事をして街を歩く…えっと厨二?という方がいるみたいで」

「あ!オレその子のこと知ってるかも!きっとハレルヤ君だ!」

「え、ハレルヤ?神を讃美する意味のハレルヤが吸血鬼に憧れて良いんですか?」


 名前と行動が全く一致していないまだ見ぬハレルヤに想いを馳せているとポチが思い出したようにワンっと鳴いた。


「オレね、何回か交番に連れて行った事があるんだ!素直ですごくいい子だよ」

「ポチさんが交番に連れていってくださるなら、みんな素直に付いて行きますよ」


 ふわふわでもふもふの白っこい愛らしい生き物が、くりくりとした目でこちらを見て一緒に来て、と言うのだ。例え、そこがどんな所であっても断る理由があるだろうか!


「あ、でも、明るいうちに会った時は普通の服だったよ!太陽が登っている間は人間側のハレルヤ君の方が強いから、吸血鬼のハレルヤ君は奥に引っ込むんだって」

「はい?…え、人間側のハレルヤって何ですか?奥とは何処の奥ですか?」

「それでね、ハレルヤ君の体から悪魔の匂いがしてたんだ。オレ神様だからすぐにわかったんだけど、声かけたのが昼間の時間だったし、ハレルヤ君に聞いたら何でも無いって言って逃げちゃった」

「それは、少し心配ですね…」


 基本的に悪魔は、人の欲を刺激するのを生業にしているので、歓楽街などで働いていることが多い。

 夜の歌舞伎町を徘徊するのが日課のハレルヤの体にまたまた悪魔の匂いが移ってしまった可能性だってあるが、悪魔は悪魔だ。

 どれほど法の改正がされたとしても、その特性故に未成年が悪魔と関わる事は、厳しく禁じられいる。

 ポチの気持ちを代弁するように憂いの言葉をエドワードが放つと、タイミングを合わせたかのように、ガガっ、ポチの首輪から脈絡もなく雑味を帯びた声が聞こえて来た。

 その声は、一切の感情を含まないまま相手の特徴、場所を告げると感情が込められていないまま、付近にいる警官は急行せよっと告げられてプッツリと切れた。

 あの首輪が無線でもあったことを今日初めてエドワードは知った。


「ごめんね、無線が入っちゃった。生前に美形のお坊さんに恋をしてヘビになったお姫様が、また美形に恋しちゃったみたいで…うぇ、なんか怖いよぉ」

「お姫様がですか?元人間で、ヘビに?え、なれるのですか?」 

「うーん。オレもよくわかんないけど人って一心不乱になるとヘビになれるみたい」

「えっと、ヘビになったつもりとか、厨二病の可能性は…?」

「無いと思うよ。本当にヘビになってるんだと思う」

「おやまぁ、不思議なこともあるんですね」


 後で蓉子に今の話してみようと思った矢先、ポケットに入っていたスマホが数回震えた。

 送り主は、蓉子だった。

 蓉子の要件は簡潔で、直ぐに目を通すと、エドワードは足元から闇に溶けるようにゆっくりと地面へ沈む。


「うえええっ!!何それ!オレ初めて見るんだけど!!大丈夫?」

「あ、はい。大丈夫です。これは吸血鬼の移動手段の一つなので」

「いや、でも、あしぃっ!足が溶けてるよ!救急車呼ぶ?」

「心配には及びませんよ」

「本当に?呼吸とかちゃんと出来るの?口の中に何か入ったりしない?」

「えぇ、問題ないです」


 涼しい顔をして微笑むエドワードだが、一般の通行人からすれば、黒々とした暗闇に包まれ地面に沈む姿は多くの通行人の足を止めさせギョッとさせる。その光景は心臓に持病がある人にとっては目に毒だろう。

 それに気づかないのは本人ばかり。 

 エドワードは簡潔にポチとの別れを済ますと、手品のようにズルズルリ自身を消したのだった。


 

 

 

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