2話目
西武新宿線、野方駅から歩いて12分のところに清水家は鎮座する。
約束の時間の5分前、エドワードと話し込んでしまい出発するのがギリギリになってしまい駅から走ったが間に合って良かったと蓉子は長い息をはーっと吐き出した。
本当ならヒールを履きたかったが、駅から走ることになる事を考慮してパンプスにして正解だった。
清水家は二階建ての一軒家だった。南向きに建てられているので、日当たりが良さそうだ。エドワードがいたらゾッとしていただろうが。
ここまで来るのに大した距離はなかったが、走ったせいで整えた髪が乱れていないかを手鏡で確認した。
最近はスマホのカメラ機能を使って、身だしなみを整えると聞いたのだが、実際のところはどうなのだろうか?
前髪がよれていたので手櫛で軽く整えた。今は秋なので汗で化粧が崩れる心配もない。
(っうし、そろそろいくか)
約束の時間ピッタリに蓉子は清水家の玄関前に立つと備え付けてあるインターホンのボタンを押した。
来訪することは既に伝えているので、ドアはすぐ開くだろうと思っていた。なるべく愛想の良い笑顔を意識して待っている。
「はい」
「夜分遅くにすみません。亜弥樫事務所の者です」
インターホンから聞こえて来たのは男の声だった。決して若くない低くて重い声だ。きっと香澄の旦那だろう。思い当たるフシがあるようで、あぁ、っと察した。
「帰ってくれ」
帰って来たのは愛想のない横暴な返答だった。
「は?」
「あいつが余計な事を言ったんだろう。とにかくうちには必要ない」
「え、いやっ」
まさか断られるとは思っていたなかった。しかし、化け物達と人間が共存社会の中で、蓉子のような本物の専門家は数が少ない。
そのうえ、仕事の実態や活動内容はやや不明瞭な点が多々ある。
今回の件だって、反対する旦那の声を押し切り、清水香澄の独断で蓉子に相談しに来た可能性だって捨てきれない。
(まぁ、間違ってないって言えば間違ってはいない)
仕事が終われば依頼人からエナジードリンク168円税込の倍の価格で料金請求するし、息子を含めた清水家の人間達全員を水筒に入ったエナジードリンク1本で騙そうとしているのだから
「失礼ですが、私に依頼をして来たのはご主人ではなく奥様の方です。私を帰らせたいのでしたら、清水香澄様が直接お断りをしていただく必要があります」
「うるさい!警察を呼ぶぞ!」
「ぐっ、けいさ…いや、ご主人。それはあまりにも横暴ではありませんか?」
「うるさい!こんな時間に訪問してくるなんて、非常識にも程がある!この不審者め!」
「そんなっ、私はただ息子さんに話し合いをしたいだけです。この時間なら会えると奥様から伺いました」
咄嗟に警察の言葉に怯んでしまった。専門家としては、国家権力に噛み付くような事は何としても避けたい。蓉子の仕事の半分以上は警察からの依頼だ。あくまでクリーンな仕事をモットーに、間違っても前科があってはいけない。凶暴に見えるゴリラだって、群れの中のボス=国家には忠実なのだ。
「うるさい!!あいつの名前を出せばこの俺を騙されると思ったか!お前みたいな怪しいやつにリリィちゃんは絶対に渡さないからな!」
「はぁ?べつにお宅のペットなんかに少しも興味ねぇよ」
「リリィちゃんをペットっ、だと…アバズレのくせに侮辱しやがって!!」
「アバズレじゃねぇよ!!おっさん家のペット様はお呼びじゃねぇって言ってんだよ!引っ込めクソボケカスがァ!」
「本当に、警察呼ぶぞ!」
「呼びたかったら呼べやァ!そん時はテメェ覚えてやがれ!!」
勢いよくインターホンがブツっと切れた瞬間に蓉子の足はドアをガンっと蹴り付けていた。
はっ、と我に帰り、ドアから足をそっと離してみれば、蓉子の足跡がくっきり付いていた。背筋がヒヤリとする。
しかし、アバズレ呼ばわりされたのだからこれは正当防衛だ。仕方がない。不運な事故だ。
「あ、あのっ、こ、こんばんは」
「え、あ!はいっ、こ、こんばんはっ!」
不意打ちで声をかけられ蓉子はひどく調子が外れた声で、挨拶を返した。
立っているのは純朴そうな骨っこい子供だった。エドワードが14歳の見た目だとすると2つほど年上に見える。
バカに襟がでかいテカテカした黒光りのマントを肩に羽織り、その中には白のブラウスと赤いベスト。材質が安いせいだろう。安っさぽさがやけに目立つコスプレだ。購入場所はドンキだろうか?
どうやら、コスプレ少年は蓉子がよほど恐ろしかったのだろう。勇気を振り絞って声を掛けてみたは良いが、陸にあげらた魚のようにピクピク肩を震わせて、焦点が合わない目がキョロキョロ右往左往している。
「う、うちに何か…ようですか」
「あ、そのっ、うちって、ここ君の家?」
「はい、そうです」
(こいつ…まさか、その微妙に安っぽくてダッセェ格好で出て歩いてたのか?)
「えっと…おかえりなのかな?」
「あ、いえ、出掛けるのはこれからです」
「へ、へぇ、でもこんな時間に危ないよ?」
蓉子は出来るだけ怖がらせないように微笑んだ。しかし、彼女の威圧感に耐え切れなかったのか、コスプレ少年は自然と一歩後ろへ下がった。
コスプレ少年の反応に少し傷つくも蓉子は数時間前の香澄の依頼の話を思い出した。彼こそが蓉子が引き受けた依頼の対象人物なのだろう。
第一印象は見た限り最悪。どうすれば良いだろうか?
好感度を含めたお淑やかな大人の女性をイメージしたファッションとメイクはあの一幕で全て台無し、完全に目が据わっていた蓉子の表情は、ヤの付く職業か、借金取りにしか見えなかっただろう。
「えっと、私はね。君のお母さんに頼まれた専門家なんだ」
「はぁ…」
「専門家っていうのは、化け物関連を解決するのが仕事で、君のお母さんがね。君が吸血鬼になったってすごく心配しててね」
「専門家。化け物の…本当にいるんだ…」
「え、あぁ、そうだね。専門家って名乗れる人って数が少ないからね」
大体、大学の教授とかがテレビなんかで出てるけど、彼らは専門家ではなく、評論家と言ってもいいだろう。
蓉子のような専門家と名乗れるようになるには厳しい特殊な訓練や知識が必要なうえに非常に狭き門だ。
しかし、今はそんな話どうでも良い。
(あ、今のでもしかして、病気のスイッチ入ったかな?)
蓉子は直感がそう告げた。
いや、逆に発症してくれたなら有難いのかもしれない。このまま自己の世界に浸ってくれれば、口裏を合わせてエナジードリンク税込価格168円を飲ませやすい。
そうすれば蓉子の仕事はここで終わる。残るのは事故処理だけだ。
この家の主人には大変不愉快な思いをしたが、さっさと水に流してサキュバスの捜索の方に行ってしまおう。
蓉子はバッグの中から水筒を取り出そうとするが、最後まで取り出すに至らなかった。
「あっ、あのっ!もしも本当なら、そ、相談に乗ってくれますか」
「え、相談?」
「お、俺にもわからなくて…その、俺がリリィさんを連れて来てから、父さんの人が変わったみたいになって」
「えっと、つまりリリィちゃんは、道端で捨てられていたのを君が拾って来たって事だよね?別に良いと思うよ。ペット対しての愛情の注ぎ方は引くものがあるけど、生き物を大切にするは素敵な事だよ。私もね小さい頃は犬飼ってたよ。今は死んじゃったけどね」
「えっと、違うんです」
「ん、違うって?」
「リリィさんは犬とか猫じゃなくて人なんです」
「は?」
イヌとかネコじゃなくてヒトなんです?
蓉子は彼の言っている事を頭の中で何度も繰り返した。
コスプレ少年の名前は、清水晴流弥(しみず・はれるや)
職業、男子高校生。独身。
年齢、16歳。
生体、人間。
好きなもの、吸血鬼。
「俺、小さい頃から吸血鬼のファンで、コスプレとかして夜外に出るのが好きなんです。はは、そのせいで警察官に目をつけられちゃったけど」
「え、待って、晴流弥?…ハレルヤってめっちゃ幸せとか、歓喜とかで表す意味合いで使うあのハレルヤで合ってる?」
「あ、はい。合ってます。それでリリィさんとは、俺が吸血鬼のコスをして夜歩いている時に会いました。歳も俺と近くて、家を飛び出して来たから帰る場所がないって泣いてました。女の子だし、リリィさん可愛いから夜は危ないかなって」
「な、なるほど…」
情報量の多い自分の名前の話よりも、晴流弥は自分の家で起こっている出来事を早く蓉子に説明したかったのだろう。曇りのない真っ直ぐな目で蓉子を見つめる。
化け物の専門家を続けている蓉子にはわかった。晴流弥のその目は、助けを求めている目だと。
蓉子は、晴流弥の名前を頭の片隅に追いやり、神妙な顔で頷いた。
「だから少しの間ならウチで匿ってあげられると思ったんです。でも、その日を境に普段から家に寄り付かない父さんがリリィさんに夢中になって、日に日に痩せこけて行くし、母さんはリリィさんの言いなりだし」
「…事情はよくわかった。確かに若い女子には夜は危ないだろう。でも、それは君にも言えることだ。だからこそ、警察は君に声を掛けるんだよ。それはわかる?」
「はい…すみません」
「よし、いい子だ。それとリリィちゃんの事だけど、その場合はリリィちゃんを連れて警察に行かないとダメ。晴流弥君は、きっと人助けをしたって思っているのかもしれないけど、それはこの国の法律では犯罪になるから」
「でも、警察は嫌いです」
(なんだそりゃ…)
「そ、そんな事を言わないで、確かに押し付けがましく聞こえるかもだけど、これはマジで君のためだから」
思春期特有の変なところで素直になったり、頑なになるのはきっと全国共通なのだろう。それに関しては、これ以上は何も言うまいと蓉子は決めた。
(…しかし、妙だ)
今の晴流弥の話だけでは、座り心地が良くない。蓉子が知っているのは、息子が吸血鬼になったから助けて欲しいというところまでだ。
吸血鬼のコスプレや、赤のカラーコンタクト、プラスチック製の前歯を装着して見た目なのは置いといて、話してみれば普通の子供だ。
そもそも、何故今晩じゃなければいけなかったのか。蓉子には心当たりが一つだけあった。
そっと空に視線を向けて、すぐに正面に戻した。
清水家にリリィを連れてきてしまった晴流弥はともかく、一般的な常識を持つであろう両親が警察にリリィを連れて行かないのはおかしい。
「ねぇ、晴流弥君…」
「すみません。俺の事は略してハイドって呼んでください」
「ん、晴流弥どこいった?」
「好きじゃないです。その名前…」
「そこじゃなくて、自分の前から少しもカスってないよね?ハイドの意味知ってる?隠れるって意味だからね?」
ここに来て晴流弥の患ってる疑惑が浮上したので、いっそのことエナジードリンク168円税込を飲ませるべきかと考えたが、話が逸れるし、進まなくなるのでやめた。
偉人は言った。郷に入っては郷に従えと…
「んん゛っ!コホンっ、じゃあさっその、ハ、ハイド君?リリィちゃんと出会ったのはいつ頃なの?」
「えっと、確か、夏コミは過ぎてるから21日…丁度、1か月くらい前…ですかね」
「1か月…」
やっぱり、サキュバス達が違法召喚された時期と一致するな。
召喚してすぐに逃げ出して、たまたま晴流弥と遭遇して、サキュバス特有の“誘惑”の能力を使って操ったとすれば辻褄が合う。
違法召喚に応じたのに加えて、未成年に“誘惑”を使ったとすると魔界の法律では違法行為だ。
不正な能力使用、清水家を住居侵入罪。
罪状が増え続けるサキュバスとしても、長いは無用。そろそろ潮時の筈だ。
勿論、本当にサキュバスが清水家にいると仮定した場合だ。
依頼人の香澄がここまで考えて蓉子のところまで来たのかはわからないが、サキュバスがいると想定して動いた方がいい。
一昔前の専門家ならは、霊力が!魔力が!呪力が!などと機敏に感知出来ていたが、今の時代そんなものは歩いていてもぷよぷよごちゃごちゃ感知出来るので全く役に立たない。
もっとも感知できないこともないが、そうする為には材料が必要だ。
万が一を考えて、蓉子はエドワードに1通の通知を送った。
「よし、ハレル…じゃなかった。ハイド君。突然で悪いんだけど私を君の家の中に入れてもらえないかな?」
「えっ、」
「突然の事で悪いね。でも、説明は後だ。事態は一刻を要するんだ」
「は、はい!」
脅すような蓉子の口振りのせいで、晴流弥の表情はビクッと強ばる。どうやら只事じゃないことを察したらしくゴクリっと唾を飲み込めば覚悟を決めたように大きく頷き蓉子を裏口の方へと案内した。
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