太陽の魔物④

 魔物の姿は、奇妙奇天烈な形をしていることが多い。

 頭だけが異様に膨れあがりその口から触手を出すもの、増えた手足で虫のように這いずり回るもの、バラバラの身体のパーツを浮遊させるもの……その見た目は”魔物”と呼ばれるに値するものばかり。体積も変化し、そのほとんどは魔女だった頃の何倍もの大きさになっている。それを間近で見た者は、”正気”ならば裸足で逃げ出すだろう。

 まさに”狂気”。昔は人の形をしていたとは思えないほどの変貌を、魔物は遂げている。


◇  ◇  ◇


 荒い呼吸。完全に閉め切られた分厚いカーテン。闇。汗で手が滑る。背を丸めて目を細めながら、青年はカチャカチャと金属音を立てる。

 ガチャ。

 ひときわ大きな音を立ててその小さな扉——金庫が開いた。

「やったぞ……」

 ヘラヘラと半笑いでその中に腕を突っ込んだ。指先に触れる冷たい感触。間違いない。”金貨の山”だ。

「へへ……他のヤツらにゃ悪いが全部いただいてくぜ」

 青年は山の頂点を掴み取り、ポケットに忍ばせておいた布袋にそれらを詰めていく。

 じゃら、じゃら。

 自然と口元が歪む。最初からこのお宝が狙いだった。まことしやかに囁かれる噂『サクリファスには大きな館を守る魔物がいる』、それには続きがあった。

 『その館のどこかには、金貨の詰まった金庫がある』

 じゃら、じゃら。

 噂通りだ。腰ほどの高さの金庫にはたくさんの金貨が入っている。底から無限に湧いているのかと勘違いしてしまうほどに。青年は下卑た笑みを浮かべた。ハハ、一生遊んで暮らせるぞ。

 ギシ。

 青年は金貨を掴んだまま手を止めた。背後に何かの気配を感じる、気がする。青年の鼓動は一気に早まった。今ここで誰かに見つかったら、何もかもがおしまいだ。魔女に出くわしたらあっという間に殺されるし、メルたちにこの光景を押さえられたら即刻牢屋行きだ。背中に冷たい汗が流れる。

 どこだ……? 青年は動きを止めたまま、ぐりぐりと目玉だけを動かした。左、右、左。しかしその疑問は光の閉ざされた部屋に全て吸い取られていく。壁までもを黒いカーテンで覆った部屋は、ほのかな明かりすら忍び寄らない。まるで黒魔術でも始まらんばかりの暗さに、青年は苛立ちを隠せなかった。チクショウ……! 恐怖で鼻息が荒くなる。

 フーッ、フーッ。

「……」

 フーッ、フーッ。

「……」

 闇は何も言わない。ゴクリ、と青年だけが聞こえる喉が鳴る。ただの家鳴りだ、大したことじゃない。こんなにボロっちいんだ、風に吹かれりゃ軋んだりもするさ。自分に言い聞かせる。大したことじゃない。

 じゃら、じゃら。

 青年は作業を再開した。金貨の山を崩すのは心躍ることだが、その分リスクもあった。金貨同士が触れ、ぶつかり合う音。それが広がり、部屋、ひいては屋敷中に響いてしまうかもしれない。だから青年は細心の注意を払いながら金貨を扱っていた、つもりだった。

 ずる、

 振り返る。振り返ってしまった。鼻息は荒い呼吸となり、ハァ、ハァ……と息が漏れる。先ほどとは様子が違っていた。何かを引きずる音。重たい布の衣擦れのようにも聞こえる。青年は何度も何度もまばたきを繰り返した。何もない、というより、何も見えなかった。視界が真っ黒という恐怖。身体が震えだす前に金庫に向き直った。

 じゃら、じゃら、じゃら。

 がむしゃらに金貨を放り込む。一刻も早くここから出なければ。

 じゃら、じゃら、じゃら。

 ずる、

 その音で青年は飛び上がった。音が、近い。右隣、一歩下がればその音の主と鉢合わせてしまいかねない距離。気がつくと、青年は金貨の詰まった袋を持って走り出していた。無駄に広いこの部屋は、走ってもなかなかドアまでたどり着けない。ましてやこの暗さだ、ドアを見つけるまでに相当な時間を有するだろう。一度入ったのだから、帰りの道筋もおぼろげながら分かるはず。

 しかし青年は錯乱していた。不安と恐怖が喉元までせり上がり、今にもすべてを吐き出してしまいそうだった。ガン、ガン、となにかにぶつかりながら(おそらくテーブルか椅子だろう)、左手を伸ばした。この指先が壁にぶつかるその瞬間が、ドアの在処を示している。

 ぺた。

 しめたぞ! 青年は伸ばした手をそのままに、右側へと寄っていく。このままいけばドアがある。もう少し、もう少しで。

 ——青年は気づいた。

「なん……だ……?」

 疑問は声になって漏れ出した。指先の感覚がおかしい。壁の材質は大抵、木材か石材だ。しかし、そのどれともつかない感触を皮膚が感じ取る。まるで雨が降った後の土のような……どろどろと何もかもを飲み込む底なし沼のような……。

 青年はヒュッと息を呑んだ。抜けない! 足をどんなに踏ん張っても、右手で左腕を引っ張っても、指は抜けない。抜けるどころか、左手はどんどん”なにか”に埋まっていく。指が、手首が、腕が、飲み込まれていく。

「なんだよ……チクショウ!!!」

 青年はぬるぬると腕に絡みつく”なにか”を足蹴する。すると、その足裏さえもずっぽりとハマってしまい、バランスを崩してそのまま倒れ込んでしまった。袋から飛び出した金貨が、じゃりんじゃりんと床に散らばる。

「なんだっていうんだよ……」

 半べそで顔を上げる。暗闇で見上げる”何か”は、ぼんやりと影を成していた。

 それはまるで——

「う、うわあああああああああああ」

 青年が声を上げるのと同時に巨体の腹が瞬き、彼の影をも焼き尽くす。

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