エピローグ

 魔王は打ち倒された。皆、歓喜に湧き起こった。

 世界中の魔物は正気に戻った。欠けた歯車をはめ直したように、世界は時を刻み始めた。

 俺たちは勇者一行として故郷へと凱旋した。

 そして、終焉を迎えた。

 王城が、街が、大地が、世界が、ガラガラと音を立てて崩れてゆく。共に歩んできた少女が慌てふためき、俺に救いの眼差しを向けてくる。彼女のギフトは俺に譲渡された。今、自由に動けるのは俺だけだ。

 しかし、少女が伸ばしてきた手を掴むことすらできず、俺は奈落の底へと落ちていった。

 何のためのギフトなのか。悔恨と憤りの叫びが闇の中をいつまでも木霊し続けた。


「おはようございます」


 その言葉に目が醒めた。

 俺はベッドに横たわっていた。白を基調とした無機質な部屋。俺の頭にはヘルメット状の機器が取り付けられており、そこからベッド脇の大掛かりな機械へとケーブルが幾本も伸びている。

 ベッド脇に立つ壮年の男性は白衣に身を包んでいた。一目で医者だとわかった。

 ぼんやりとした思考の中、俺は右手側の壁を見て驚愕した。ガラス張りとなった壁に映る俺の姿が、十八歳の青年からかけ離れた髭面の中年男性だったからだ。頬は痩せこけ、髪の毛は伸び切っており、手足は枝のように細長い。病衣がそれに拍車を掛けている。


「ご気分は如何ですか?」


 全て思い出した。俺は記憶喪失でも勇者でもない。ただの犯罪者だ。『七つの大罪』は俺自身が犯した罪だったのだ。

 殺人。強盗。強姦。脅迫。数えきれないほどの罪を犯してきた。死刑の判決を受けた俺は、国の実験プログラムに協力することになった。実験の効果が認められれば、減刑を保証すると国から持ちかけられたからだ。

『犯罪者更生プログラム』。犯罪者の人格を仮想空間へと落とし込み、そこで勇者として世界の脅威に立ち向かい、同時に自身の犯した罪とそれによる被害を目の当たりにすることで、精神的な更生を図るというものだ。『七つの大罪』から吸収したと思い込んでいた記憶は俺の記憶の欠片であり、彼らによる街の支配は、俺が犯した罪に対するつぐないの道を示していたのだろう。

 仮想空間で拷問による強制的な更生を行わないのは人道に反するからだ。また、痛みを味わわせたところで世間に対する恨みつらみが増すだけで、真の更生にはならないと結論付けられたからだ。

 全て俺のために用意された世界だった。魔王の正体が少女の父親だった理由も、彼があの世界で最も善良な人間だったからだ。俺があの世界に投入された時、俺の悪意と記憶は最も影響を受けやすい善意の塊へと注ぎ込まれ、そこから俺の器となる生物へと分散されていった。


『君が狂っているのだよ』


 魔王の言うとおりだった。罪を犯していたのは俺だ。魔王は俺のために用意された存在だったが、同時に一人の人間としての人格を有していた。だからこそ、彼は自分なりの正義を貫き通し、世界の存続を求めたのだろう。手段が強引なものになったのは、独り善がりな俺の悪意を注入されたからに違いない。


「……あの世界は、偽物なのか?」


 かすれた声を聞き取り、医者が淡々と説明する。


「貴方の考え方次第です。仮想現実であるかもしれませんし、実際に異世界へと飛ばされていたのかもしれません。ですが、貴方の深層心理に色濃く影響を受けているという点は確かです。貴方が犯した罪を目の当たりにしたでしょう? その苦しみを、被害者の声を、世界の行く末を、体感したでしょう?」


 魔王を打ち倒した。だが、結局世界は崩壊した。俺が元凶だからだ。俺があの世界に投じられた時点で、世界の平和は失われていたのだ。

 いや、俺がいなければあの世界は存在しない。だから、こんな風に考える必要はない。胸を痛める必要はない。

 だが、しかし、だとしても――悲痛な少女の表情が、命を賭した闘ってきた仲間たちの姿が、目蓋の裏に焼き付いて離れない。

 俺が、全部壊したのだ。俺が、全て悪いのだ。

 俺が、世界を混沌へと陥れる魔王だったのだ。

 俺は、しかし心のどこかで己が罪の正当性を主張していたのだろう。だからこそ、罪を憎む主人公でありながら、あの世界に魔王を顕現させてしまったのだ。


「この後、精神鑑定を行います。嘘は見抜かれますので正直に回答することを推奨します。その結果によって、貴方の今後が決まります」


 医者は部屋から去っていった。部屋に一人取り残された俺は、天井の隅でこちらを見下ろしている監視カメラを睨み付けた。

 俺は――死刑を受け入れた。減刑されなかった。結果が芳しくなかったわけではない。俺が自ら志願したのだ。

 仮想空間による体験如きで更生などされるわけがない。受ける前から高をくくっていた。うまい話があったものだと下卑た笑いが零れるほどだった。

 実際、俺の犯罪者意識は改心されていない。出所すれば、すぐにまた罪を犯すだろう。この世界は綺麗事ばかりでは生きられない。人道に背く行為がなければ存続できない生もあるのだ。どのみち血に塗れたこの手は一生をかけたところで拭い切れないのだから、真っ当に生きたところで損するばかりだ。

 だが、どうせ尽きる命なら、偽りでも良いから世界を救いたい――そんなどうしようもない青い願望が胸に宿った。利用するなら利用してほしい。代わりに、彼らを救ってほしい。

 俺の頭の中に湧く蛆虫うじむしから、どうか善良な彼らを守ってほしい。

 そして、俺はまた『犯罪者更新プログラム』を受けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る