第二幕: エピローグ ≒ プロローグ




(……人間、本当にヤバい事になった時って、マジで死にそうな顔色になるんだな)



 さて、この死体をどうすれば良いのか……そんな事を思っている時に、ようやく駆けつけた千歳たちの顔色は、まあ……酷いモノであった。


 それは、仲間が惨い死に方をした……だけが理由ではないだろう。


 実際、白坊の傍まで来た千歳たちが、まず行った事は……額を大地にこすり付けるぐらいの、土下座であった。



 そう、土下座。いきなりの事に、白坊は正直驚いた。


 思わず、ビクッと身を引くのも致し方ない。



 けれども、そんな白坊を他所に、千歳たちは一斉に謝罪の言葉を……それを聞いて、遅れながらも白坊は千歳たちが言わんとしている事を理解した。



 ……客観的な事実だけを述べるのであれば、千歳たちのやったことは失態以外の何者でもない。


 そうなってしまった原

因は、色々とあるのだろう。


 あの3人が年若くて体格も良かったから。もしかしたら、格闘術などを得意とする実働部隊とか、そういうやつなのかもしれない。


 あるいは、千歳たち(次郎三郎たち)が、そもそも調査や捜査を得意とする者たちで、実働と裏方にくっきり分かれているのかも……まあ、それはいい。


 問題なのは、やはり、身内の裏切りとはいえ、白坊との約束を反故しようとした事だろう。


 千歳たちからすれば、そりゃあ血の気の引く状況だ。


 冷や汗どころか、おそらく生涯にて掻いたことがない、嫌な汗が噴き出ていたかもしれない。


 なにせ、ただでさえ恩人を裏切り乗っ取ろうと考えている(あくまでも、可能性の段階だが)身内が居ることが発覚したというのに、だ。


 そこから更に、役人(つまり、佐野助たち)に事の顛末を暴露しようとしたのだ。よりにもよって役人に対して、それも、白坊の目の前で。


 そりゃあもう、相手が相手なら、即座に全員首を落とされても仕方がないぐらいの酷い話である。


 とりあえず誤魔化すことは出来たが、そんなのは千歳たちにとっては些細な事。人生が途絶える瞬間という幻覚を、現実のように見てしまった……そんな気分なのかもしれない。



(……いや、まあ、不手際ではあるけど、仕方がない部分もあるからなあ)



 さて、そんな千歳たちの内心を他所に、当の白坊は最初こそ怒りかけてはいたが、一周回って冷静になっていた。


 結果的にうやむやになったし、それで仕舞でいいんじゃない……という感じで、冷静というよりは、終わった事だからという大雑把なアレであった。



 ……まあ、だとしても、だ。



 理由は何であれ、不手際は不手際。


 ここをナアナアで終わらせてしまうと、後々困ることになりかねないことを、白坊は現代社会にて幾度となく経験していた。


 単純に、負い目を感じているだけならまだ良い。


 しかし、人間とはのど元過ぎれば何とやらで、中には『何時までも根に持つ器量の狭い男』という、自分を棚に上げるやつが絶対に出て来る事を、白坊は身を持って学んでいた。



 ……『実らず三町』より追い出さない以上は、罰を与えないという選択肢は存在しない。



 なので、罰を与える必要がある。ある種の、ケジメを付けさせなくてはならないだろう……そう、白坊は思った。


 二度目、三度目ならともかく、予期せぬ一回目は寛容に……しかし、罰は罰として与える事で、『罰を受けて許された』という認識を抱いてもらう必要があるわけだ。



(……さて、どうしたものか)



 とはいえ、それならそれで……困ったぞと白坊は内心頭を抱えた。


 この世界に来る前もそうだったが、元々白坊は上に立つ性格をしていない。縁の下の力持ち……というタイプでもなくて、どちらかといえば指示待ち人間というやつである。


 ゴールがハッキリしているのであれば、迷いはするがそれに向かって行動する事は出来る。しかし、ハッキリしていなければ、どうにも腰が重いわけだ。


 この世界では『指示待ち=死の危険』という世知辛い状況からスタートしたので、それが表に出ていなかったが……慎重に行動していた辺り、根元が変わったわけではない。


 だから、今回のように……ゴールではなく、その過程が大事であり、その過程を決めねばならない場合……白坊としては、どんな落とし所を出せば良いのか、困ってしまうわけだ。



 軽過ぎても駄目だし、重すぎても駄目。



 かといって、罰を与える相手に対して、如何ほどが適当なのかと問うのも変な話であり、ミエに聞いても分かるわけないだろうし、佐野助たちには聞けないし……う~ん、どうしたものか。



(時代劇とかなら、鞭打ちとか牢屋で数日反省させるとか有るけど……この場合、それは妥当なんだろうか?)



 いまいち、よく分からない。


 鞭打ちしようにも、鞭なんて持っていない。そもそも、鞭打ちって本気でやれば良いのか、加減すれば良いのか……それすら分からない。


 ミエに聞いたって、分からないだろう。牢屋だって、ここにはない。他の前科者たちと同じく、墨を……いや、それは罪悪感が……ん? 


 考えていると、何やら次郎三郎が無言のままに立ち上がる。


 何をするのかと思って見ていると、次郎三郎は懐より……脇差(わきざ)しと思われる、小刀を取り出すと。



「……図々しい願いだとは分かっております。ですが、なにとぞ……なにとぞ、某の命にて、お許しくだされ……!」



 そう言うと共に、次郎三郎はスルリと煌めく刃を鞘より抜くと、己が着物をパッと開いて腹を見せると──そこへ、次郎三郎は思いっきり振り被った小刀を──って、待てい!!?? 



「ストぉぉぉップぅぅぅ!!!!!????」



 かつてないレベルの、大声が出た。


 叫んだ瞬間、白坊は、己はこれほど大きな声が出せたのかと思わず驚いたぐらいだ。というか、喉にちょっと痛みが走った。


 まあ、そのおかげで、次郎三郎の凶行を直前にて食い止める事には成功したから、ヨシとしよう。



「……すとぉぷぅ?」

「と、止まれってこと……とにかく、刀を下ろせ……」



 おそらく、喉を痛めてしまったか。声が掠れるうえに、話すたびに軽く痛みが走る……まあ、安い犠牲だ。



「か、勝手に死ぬな……せっかく拾った命を無駄にするなよ……」



 けほけほ、と。



「と、とりあえず、皆をまとめ上げて移住を進めろ……逃げる事は許さん、腰を据えて、ちゃんと全員の面倒を見ろ」



 けほけほ、けほけほ、と。



「それが、ば、罰だ……いいな、特に、子供を死なせることなんてするなよ、いいな……」



 咳き込みながらも、そう続ければ、次郎三郎は何を思ったのか、その手よりポロリと小刀を落とすと……ポロポロと、大粒の涙を零し始めた。


 それを見て、何故か千歳たちもポロポロと涙を零し始めた。そこには男女の違いはなく、誰も彼もが大粒の涙を幾つも落とし、深々と白坊へと頭を……いや、だからさ。



(そんなのいいから、早く移住を進めなよ……今はまだ気温が高いからいいけど、冬が来るまで終わらなかったらどうするの?)



 ──此処に来た以上は無職なのだから、急いで収入を確保しないと、マジで栄養失調から倒れる子が続出しそうなんだけど。



 そう、言葉を続けたかったが、言えなかった。


 それは、あまりにも次郎三郎たちが涙を流すから……だけが理由ではなくて、単純に、痛めた喉のせいで声を出し辛かったから……でもなくて。


 ……純粋に、そう、純粋に。



(何だかんだ言っても、『じたく』と『はたけ』がある俺って、マジで恵まれているんだな……)



 ただ、死なずに生きろという、そんな言葉だけでも感動する、この世界の無情かつ苛酷な現実を……改めて、認識したからであった。







 ……。



 ……。



 …………で、その日の夜。



 昼間の熱気も幾らか和らぎ(白坊の感覚では、涼しい)喉を傷めたので何時もより温めの晩飯を食べ終え、入浴も済ませ。


 昼間の内にミエが買って来てくれた喉の薬(良く効くらしい)の不味さに辟易しつつ、白坊は……布団に寝転がったまま、ぼんやりと、今後の事について考えていた。



 結局……あの後、他にも似たような事を考えている者が居るやもしれないということで、急遽抜き打ち検査をする事となった。



 まあ、検査といっても中身はアレだ。『陣地』に入れるか否か、それだけの事である。


 白坊としては、もう見つからないだろうと思っていたが……ところがどっこい、けっこう居た。男女の区別なく、白坊が見た限りでも10人を超えていた。


 正直、呆れた。と、同時に、これが江戸時代(実際は違うけど)かと内心ちょっと震えたし、何だか寂しくもなった。


 まあ、震えたのは白坊よりも、次郎三郎たちだろう。


 1人増える毎に、白坊の方が気の毒に思ったぐらいに、どんどん顔色を悪くしてゆくのだから……いや、顔色が悪くなるのは当たり前の話だけれども。



 ……そんな事よりも、だ。



 白坊を最も嫌な気持ちにさせたのは、裏切りを考えている者が10人を超えていた事ではない。


 その者たちの中には、まだ現在の白坊よりも年下で、ミエよりも年上の……つまりは、現代で言えば高校生になるかならないかぐらいの子が居たからだ。


 この世界の常識で言えば、彼ら彼女らは成人しているのだろう。けれども、現代の常識が根付いている白坊からすれば、彼ら彼女らはまだ子供だ。


 ……ミエを嫁にしている時点で今更な話ではある。


 だが、それでも、(白坊にとっては)子供が処罰されるのは……正直、それで良いのかと納得しきれない部分はあった。


 しかし、白坊からは何も言えない。


 この世界にはこの世界の常識とルールがあって、白坊の常識は、この世界においては非常識である。そして、彼らには、彼らのルールがあるわけだ。


 だから……白坊は、泣いて命乞いをする彼ら彼女らを静観するだけに留めた。


 止めようと思えば、止める事は出来ただろう。


 けれども、それは次郎三郎たちにとってのルールを破る行為。そして、それは……ある意味、傲慢な考えでしかなかった。


 おかげで、憤怒に顔を赤らめた男たちに引きずられてゆく彼ら彼女らがどうなったのかまでは、白坊とて知らない。


 次郎三郎たちは明言しなかったし、白坊もあえて尋ねようとは思わなかった。


 それが、この場合においてはベターな判断なのだと……白坊は、思ったわけであった。



 ……で、だ。



 そんなこんなで『陣地』に入る事が出来ない(つまり、『例の気配』を放つ人)者たちを排除し終えて……後は、次郎三郎たちが移住するだけ……なのだが。


 ここで……というか、本当に今更というか、当たり前な話だが、『住む家が無い』という重大な問題が浮上した。



 ……いや、まあ、住む家もそうだが、諸々もろもろが足りないのは白坊だけでなく、次郎三郎たちとて百も承知だ。



 彼らの中には建築の知識と技術を学んだ者が居るし、山の中にある家を解体して、こちらで新たに組み立てさえすれば、とりあえず雨風を防ぐだけの建物は作れると話していた。


 しかし……そんな彼らの話を聞いていた白坊は、ふと、思うのだ。



 それ、一歩間違えたら大惨事にならんか……と。



 人間、どれだけ肉体が屈強であろうとも、急な環境の変化に適応するまでは相応に体力気力を消耗する。しかも、今回は身体を休める『家』が無いのだ。


 適応力が高めな若い男女ならともかく、老人や子供なんかは……特に、老人の方は、体調を崩すのではないか……そう思い、話し合っている彼ら彼女らに聞いてみた……のだが。




 ──幾らか死ぬのは覚悟の上です。




 そんな言葉を返された。まさかの、犠牲を出しても突き進む突貫作戦であった。


 いやいや、いきなり覚悟固め過ぎではと思ったが、そのまま話を聞くと、どうやら次郎三郎たちには、急がなければならない理由があった。



 具体的には……元雇い主からの追手が掛かる前に、移住を完了させたいらしい。



 下手に知ってしまうと巻き込むからというので名前を教えてもらえなかったが、忍者である次郎三郎たちが逃げ出そうと決意したほどだ。


 追手が掛かるまでの時間は不明だが、そのまま放置される可能性は0に等しいだろう。


 いや、それどころか、必ず始末に動き出すと誰もが口を揃えて断言した。


 それが今すぐではないのは、曰く、『今は上の方で不穏な睨み合いが起こっているようなので……』ということで、こちらに構っている余裕がないから……らしい。



 ──なるほど、その睨み合いが続いている内に全部を済ませたいわけだ。



 確かに、移住を済ませればひとまずは安心だ。


 それに、町に近い場所で全員を殺すほどの人員を動員すれば信長が黙ってはいない。町中で暗殺するにしても、それはそれで信長の不興を買う可能性が極めて高い。


 かといって、信長より追い出されてしまえば終わりではあるが、そうなると、白坊に宿るという神仏からの神罰が下される可能性がある……と、思われている。


 信長はそういった考えが薄いらしいが、部下たち全員がそうかといえば、そんなわけもない。


 中には、信心深い者も居る。坊主は信じなくとも、御仏の存在を信じている者はいる。それに関しては、史実の信長も無下にはしなかった……と、白坊は記憶している。


 だから、このような些事で部下を動揺させ、あるいは忠誠心にヒビを入れるような事をする必要性は現状、皆無に等しい。


 それに、促されるがまま追い出せば、傍目には『格下から言われるがまま従った』という印象を周囲に与えかねいから、余計に……と、話を戻そう。



(実際の江戸時代でも、風邪で弱って死ぬとか珍しくなかったって話だしな……)



 信長とか追手よりも、白坊が気になるのは、そこだ。


 史実でもそうだが、衛生観念どころか栄養という観念も弱弱しいこの世界。つくづく実感するのだが、躓いてから立ち直るまでのリカバリーが非常に脆弱なのである。


 風邪だって、現代であれば一週間ぐらいでほぼ完治するというのに、ここでは二週間、三週間、一ヶ月と尾を引く場合が多いと聞く。



 理由はやはり、現代とは違って余裕が無いからだろう。



 只でさえ日常的に取れる栄養が足りていない者が多いのが普通だというのに、そこからさらに栄養が取れず、環境も激変し、なのに無理を通して急がなければならないとなれば……しかし、だ。



(『箪笥』の食糧を使えば……いや、枯渇しない保証は無いしなあ……ていうか、コレが露見するとガチで御上が動き出すだろうから無理だな……)



 外から確認出来る『はたけ』は仕方ないにしても、『箪笥』はヤバい。特に、米と味噌が無限に手に入る(確証は無いけど)と知られたら、本気で御上は奪い取りに動くだろう。


 米と味噌……特に『米』は、口が裂けても外には漏らせない。漏らしたら最後、平穏な生活とはオサラバなのを覚悟しなければならないからだ。


 何故なら、史実においても米の単位……大人1人が一年間に食べる米の量を一石(いっこく)とし、それがそのまま豊かさであり国力としてカウントされていたぐらいに、『米』というのは重要性が高い。



 そんなものが露見すれば最後、血みどろの奪い合いだ。



 季節に関係なく食料を確保出来るとなれば、野心を燻らせた者たちからすれば親を殺してでも奪い取りたい存在。それこそ、白坊が死ぬまで……いや、死んでもなお、殺し合いは続くだろう。


 だから、『じたく』の設備の中でも、『箪笥』に関してはサナエやモエには他言しないよう強く注意している。


 これに関しては、ミエもその危険性を白坊以上に認識しているようで、2,3日に一回はサナエとモエに対して言い含めているぐらいには本気である。


 故に……心配しつつも、出来る事はほとんどないだろうなあ……と、白坊は幾度となく出して来た結論を、この時も改めて出したのであった。



「……結論は出ましたか?」

「ん?」



 そうしてぼんやり天井を眺めていると、視界に影が伸びた。見やれば、風呂上りで髪をやんわり拭いているミエと目が合った。


 何時もは一緒に風呂に入るのだが、今日ばかりは分かれて入浴を済ませている。


 それは、悩んでいる白坊の内心を察して、ミエの方から『ゆっくり浸かって考えるのも、時には必要ですよ』と促されたからだ。



 正直、有り難いと思った。



 ミエたちの顔を見ていると天秤が傾いてしまうが、同時にそれは、ミエたちを理由にして結論を出しただけだからだ。


 ミエは優しい娘だ。それでいて、芯が強い。


 経緯は何であれ、妻であろうとしているミエは、言われずとも白坊の胸中にて湧き起こっている苦悩を汲み取ってくれている。



 だからこそ、白坊はミエを理由にしたくはなかった。



 それは卑怯だし、決めるのは白坊の勝手だ。そもそも、嫌ならば初めから移住を拒絶しておけば良かったのだから……と。


 隣に腰を下ろしたミエが、無言のままに太ももを叩いた。


 見やれば、微笑むミエより見下ろされ……察した白坊は、促されるままにミエの太ももに頭を乗せた。



「重くないか?」

「重いので、ちょっとだけです」

「そうか」



 ぽんぽん、と。軽く頭を摩られながら、白坊は目を瞑る。いわゆる、膝枕というやつだ。


 ミエの太ももは、風呂上り故に何時もより暖かい。少し骨を感じるが、スベスベとして肌触りが良く、心地良い塩梅(あんばい)であった。


 何と言えば良いのか……体温が耳元を通って頭の中へ浸み込んでくるにつれて、どうにも奥底で凝り固まっていたナニカが解れていく感覚を覚える。


 細胞の一つ一つを優しく慰撫されてゆくような、そんな心地良さに……我知らず、白坊は……それはそれは大きなため息を零していた。



「ずっと、難しい顔をしておりますね」



 そうした後で、ふと……ミエより尋ねられた白坊は、「そうかな?」そのままの姿勢で答えた。



「そうですよ。でも、今は安らいでくれています」

「そうかな?」

「そうですよ。だって、ここの皺が消えましたから」

「……そうか」



 指先で眉間を突かれた白坊は、思わず零れた苦笑のままに、ミエの指先をそっと退かし……むくりと、身体を起こした。



「もう、いいのですか?」

「重いからな」

「もうちょっとぐらい、良いですよ」

「その気持ちだけで十分だよ」



 そう言うと、ミエはほんのりと柔らかい笑みを浮かべると「お水を、持ってきますね」、ミエは緩やかに腰を上げて……囲炉裏のある部屋へと向かった。



 ……。


 ……。


 …………廊下より向こうを見やれば、サナエとモエにじゃれ付かれているミエの姿が見えた。



(……ふふふ)



 思わず零れた笑みに、そういえば、ここしばらくこんなふうに笑っていなかったなあ……と、思い返す。



 ……まあ、成るように成るしかない、か。



 1人残された白坊は、先ほどまで有った心苦しさが軽くなっているのを改めて実感しながら、再びゴロリと横に──なった時に、ふと、枕元に見慣れぬ物が有る事に気付いた。



「……なんだ、これ?」



 それは、中々に綺麗な一冊のノートであった


 ただし、それは白坊の知る、現代のお店等で売られているノートとは違う。言うなればそれは、時代劇などで目にする、江戸時代のノート。


 中々に分厚く、パッと見ただけでも200ページを超えているように思える。現代ならともかく、現在のこの世界にて200ページにも渡るノートともなれば、相応に値が張りそうだ。



(……帳簿? 日記? それにしては、表紙には何も無いし、日記にしては無骨というか、ミエの私物には……)



 気になった白坊は、中を開いて1ページ目を見てみる。


 すると、そこには……どう言い表せば良いのか……強いて言い表すのであれば、『目次』としか言い表しようがない文字列が記されていた。


 目次の内容は、正直よく分からない。『家』、『土地』、『水』、と大きく目立つソレから更に、『材質』だとか『栄養』だとか『水質』だとか、20項目ぐらいある。


 しかも、目次は1ページに収まらず、そこから更に十数ページほども続いている。


 その『目次』を見る限り……これは明らかに日記でもなければ帳簿でもなく、それでいて、人の手で記されたモノでないのは明らかであった。


 何故なら、記された文字があまりに綺麗過ぎて、人間味を感じさせなかったからだ。


 一つ一つの文字が常に一定で、大きさや高さのブレが全く無い。まるで、全ての文字をハンコで作ったかのように、全てがキッチリ整っていた。



(……これ、パソコンとかで印字したみたいな文字だな)



 現代知識のある白坊は、ピンときた。パソコンを使って印刷したら、こんな感じになる事を。


 そして、当然ながらこの世界にパソコン等という機械は存在しないわけで……つまり、これは……アレだ。



「これは、『じたく』とか『はたけ』に属するナニカ……というのか?」



 それならそれで良いのだが……しかし、これは素直に喜んで良いモノなのか、白坊は内心首を傾げた。


 『じたく』にトイレが追加されたのもそうだし、何時の間にか増えた『実らず三町』を囲う柵……すなわち『陣地』もそうだった。


 どちらも、白坊が意図しないうちに増やされた……というか、増えていた機能だ。


 そして、どちらの機能も……白坊の知る『剣王立志伝』には存在……していたかもしれないが、少なくとも、白坊の記憶には無い機能である。


 言い換えれば、白坊が持つ『剣王立志伝』の知識が通用しない機能で……同時に、それが白坊にとっては堪らなく不思議であった。


 何故なら、白坊は『剣王立志伝』というゲームに関しては、かなりやり込んでいたと自負していた。


 攻略本だって買ったし、『剣王立志伝』の最速クリアを目指すRTA(ラン・タイム・アタックの略)と呼ばれる遊び方もやった事があるぐらいには、熟知していると思っていた。


 もちろん、覚え間違いだってあるから、絶対とは言い切れない。けれども、こうまで見知らぬ超常的な事が続けば……さすがに、違和感を覚えた。



(……さて、中身は……だ)



 とはいえ、違和感を覚えたところで白坊の出来る事など何もない。せいぜい、上手く扱って暮らしを良くする事が出来たら万々歳……そんな気持ちで、白坊はペラリとページをめくる。


 目次の次のページには、『家屋(かおく)』と上に記された文字、中は空白で、下に『残りポイント1788』とだけが記されていた……はい? 



 ──まるで、意味が分からんのだけれども? 



 思わず、白坊は心の中で吐き捨てた。本当に、全く意味が分からなかった。


 少なくとも、『剣王立志伝』プレイ中には、このような画像なり映像なりを見た覚えは全く無い。それだけは、断言出来た。


 しかし、分からないからと放って置くのは非常に勿体無い気がする……というか、勿体無い。


 だって、これまでのソレらは全て、何だかんだ言いつつも白坊にとってはプラスに働いてくれた。必ずしもプラスに成る保証は無いが、無視しておくメリットも現状では皆無。


 だから……パラパラとページをめくる。


 何処かに、このノートの正体が掴めるヒント……並びに、操作説明でも記されていればという淡い期待を抑えつつ、見落とさぬよう端から端までしっかり目を通し……あっ。



 ──そうこうしているうちに、見つかった。



 それは、目次に例えるなら『家』の項目の中にあった。空白の中に、『長屋ながや』という文字だけがポツンと記されていた。



(……長屋? これ、長屋(ながや)と読んでいいんだよな?)



 長屋とは、江戸時代における……言うなれば、井戸トイレ共有の集合住宅(ワンルーム・風呂無し・場合によっては炊事場も共有)のようなものだ。


 それ自体は、特に珍しいモノではない。少なくとも、江戸で暮らす町民の半分以上は長屋暮らしなぐらいに、ありふれたモノ……で、だ。



 ──あっ。



 何気なく『長屋』の文字を上から触れると、『長屋』の文字の横に、『消費ポイント200』という文字が表示され、その下には『 はい / いいえ 』が表示された。



 ……。



 ……。



 …………断言しよう、白坊の知る『剣王立志伝』に、このような操作を行う場面は一度として無い。完全に、初見だ。



 さて、おそらくは『いいえ』をタッチすれば、先ほどの状態に戻るのだろうが……正直、興味を引かれる。


 幸いにも、今夜の『実らず三町』には次郎三郎たちの姿は無い。今日はあくまでも『実らず三町』に入れるかどうかの確認に終始したからだ。



 ──だから……何かをするには、今がちょうど良いのでは? 



 そんな考えが、脳裏を過る。実際、この地に彼ら彼女らが住まうようになれば、下手な事が出来なくなるし……ヨシ、やってみよう。


 そのようにして結論を出した白坊は、ぽん、と軽い調子で『はい』をタップした。





 ──『初回操作ボーナス! 所有している土地の面積が増えました』





 すると、そんな文字が表示されてすぐに消えたかと思えば、逆再生の如く他の文字も消えてゆき、『長屋』の文字だけが残る最初へと戻った。



 ……。



 ……。



 …………え、いまのなに、土地が増えた??? 



 意味が分からないうえに、何の変化も見られない。気になって外に出て、『はたけ』より家の外へと目を向けるが……真っ暗なせいで、よく分からない。




 ……『はたけ』の時のように、翌朝にならないと変化しないのだろうか? 




 気にはなるが、わざわざ明かりを用意して外に出るのも面倒だ。朝になれば分かる事だし、今日は何だか疲れた……大人しく、朝を待とう。


 そう結論を出した白坊は、ノートを枕元に置くと、再びゴロンと仰向けに寝転がるのであった。


 ちなみに、戻ってきたミエより水を受け取った際にノートに付いて尋ねてみたが、見覚えもないし私物でもないとのこと。


 やはり、『じたく』に関するモノだったので、白坊はミエたちにけして触らぬように注意してから、その日は就寝となった。



 ……。



 ……。



 …………そんな感じで、翌日。



 のそりと布団より身体を起こし、欠伸を零しながら『はたけ』に出た白坊の視界に飛び込んできたのは。



 『はたけ』の横に隣接するようにして出現している、次郎三郎たち全員が住めるぐらいに長く伸びた『長屋』と。


 昨日に比べて、明らかに彼方の方へと追いやられている、『実らず三町』を囲っている外の柵で。



「…………?」



 しばしの間……白坊は、状況を理解出来ずにポカンと呆ける事しか出来なかった。



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