第10話: そりゃあ、キレイではあるけれども



 ──結論から言おう、商品は普通に売れた。




 まあ、さすがに佐野助たちに売り渡していた時のように出したら出した分だけ売れるという事にはならなかったが、半分以上は確実に売れた。


 そして、その売り上げは店を始めてから3日、5日、7日と時を経ても変わることはなく、いや、むしろ、日にちを重ねるたびにちょっとずつ売り上げは増していった。


 理由としては言うまでもなく、商品の質が良いのと、値段が安いからだ。



 いちおう、値段そのものはミエ曰く『平均ぐらい』らしい。



 と、なれば、やはり違うのは質の良さ……その結果、値段も相対的に安くなっている……といったところだろう。



 まあ、そりゃあ、そうなるだろう。


 だって、見た目からして別格なのだから。



 言いがかりを付けてきた年増女の擁護をするわけではないが、イチャモンを付けてしまうぐらいには、他とは違っていた。


 だから、普段は馴染みの店ばかり訪れる者たちも、一つぐらいお試しにと買って行き……次の日にはもう、リピーターになっていた。


 白坊とミエからしたら、実に幸先の良いスタートだと言えるだろう。おかげで、二人は……内心にて抱えていた不安が和らぐのを自覚していた。



 それもまた、無理もないことだ。



 前世にて、アルバイト等で小売店の業務や、販売業に従事した経験がある白坊も、売り上げがそのまま生活に直結するような環境に身を置いた事はない。


 ミエもまた、親の飲食業を手伝ってはいたが、全てではない。学んだのは料理や接客などで、自分の手で商品を用意して、自分の足で売るといった経験はなかった。


 そして、これまで二人(白坊だけの時も)が商品の売り渡しを行っていたのは、佐野助たちのみ。


 さすがに、ソレとコレとは結果こそ同じでも、過程が全然違う。


 だからこそ、ちゃんと商品が売れて、金銭を得られた事に、喜び以上に二人の心を包み込んだのは、安堵の気持ちであった。



 ……で、だ。



 10日、15日、20日と月日は流れ、『はたけ』にて毎日作物が取れるので、毎日『西』へと向かったわけなのだが……ここで、危惧していた問題が現れ始めた。



 それは……周囲の店から向けられる、嫉妬と苛立ちの眼差しだ。



 いちおう、周囲には白坊が『稀人』であり、作物の良さはそのおかげだと伝えている。


 これは、初日のようにまた盗品だの何だの騒がれては堪らないと判断してのことだ。


 実際、冷静に考えれば盗品なワケがないのに、未だに疑いの眼差しを向ける者はいた。


 まあ、それ自体はミエ曰く『いずれ、必ずそうなる』と話していた通り、白坊も特には気にしなかった。



 けれども……これが、嫉妬や苛立ちに成ると、話が違ってくる。



 客観的に見れば、嫉妬されるのは当たり前だ。


 自分たちに比べて、明らかに真新しい衣服を身に纏い。


 若さだけでは説明が付かないぐらいに、肌も艶やかで。


 顔立ちも良く、表向きは余裕が見て取れる……となれば、だ。



 それこそ、売れなければ今日明日のめしが一品減るという環境に置かれている、自分たちと……嫌でも比較してしまう。


 それで、嫉妬するな……というのが、無茶な話である。


 せめて、物理的に認識出来ないぐらいに距離が離れていれば、まだ良かったのだが……どうしても、同じ市場で販売しているせいで、目に留まってしまうわけだ。



「……2,3日に一回にするか?」

「はい、ついでに、果物もおすそ分けしましょう」



 そこで……白坊とミエは、販売する回数を減らし、同時に、販売する際には果物をおすそ分けするようにした。


 この場合、へりくだるのは絶対に駄目だ。ナメられてしまえば最後、上下関係が確立してしまう。



 故に、白坊とミエは役割を演じる事にした。



 すなわち、心優しく慈悲深いミエと、商売気質で冷徹なところが見られる白坊。


 周囲へのおすそ分けは、ミエが提案した……というように、周りに印象付けた。



 そうすれば、周囲のヘイトは白坊へと集中する。堪った嫉妬や不満のはけ口を、白坊への陰口という形で吐き出させる事が出来る。


 その目論みは、思いの外上手く行って……気付けば夏が真っ盛りな時期になっていたが、それでも二度目のトラブルが起こる事もなく、商売は順調に進んでいた。



 ……。


 ……。


 …………が、そんな時であった。



 唐突に……それはもう、いきなり……何時ものように『西』で店を開いていた白坊たちの前で、ここらでは見掛けない、色気のある妙齢の女が……倒れたのは。



 ──みんみん、と鳴り響くセミの声が喧しい、そんな夏の日であった。







 ……。


 ……。


 …………倒れた女は、ここらでは見掛けない風貌をしている。身なりは……村娘といった感じだろうか。



 しかし、いきなり言い掛かりをつけて来た何時ぞやの年増女とは根底から違いを感じさせる、それはそれは色気というモノを漂わせた美女である。


 顔色は悪く、冷や汗で頬に張り付いた髪の毛。しかし、着物の裾より伸びた手足は色白で、形良く……そんな姿ですら、妙な色気を感じさせる。


 村に1人でもこんな女がいれば、男たちは一日とて彼女を放ってはおかないであろうぐらいの……そんな美女であった。



「……たぶん、貧血か熱中症だろう」

「『ひんけつ』と『ねっちゅうしょう』ですか?」

「汗をいっぱい流したり、長く日差しを浴び続けたりすると、頭がクラクラして気持ち悪くなるだろ? そういう状態になった時の名称みたいなもんだよ」

「なるほど、貴方様は物知りでありますね」

「まあ、色々とな……さて、そうなったら、まずはとにかく水を飲ませ、塩を僅かばかり舐めさせろ。そして、身体をとにかく冷やす……何事もなければ、それで起き上れるぐらいにはなる。その後に、蜜柑でも食わせたら元気になるだろう」

「はい、分かりました……すみません、皆様方、何か使えるうつわと、余分な塩を持って来てはおりませんか! あと、出来るならば最寄りの井戸よりお水も!」



 で、そんな美女を前に、白坊は……特に色気に惑わされることもなく、ミエに指示を出して、己は冷静に応急処置をする。


 具体的には、倒れた女の身体を抱き上げて、日陰へ。


 先日用意した屋根(屋根だけだが……)の下にある商品を一旦退かして、改めて広げたムシロの上に……頭の位置に丸めた手拭いを置いてから、そっと寝かせる。



 軽く頬を叩いてみれば、目を開けた。



 しかし、虚ろというか何というか……こちらの声に反応して理解しているっぽいが、返事をする気力はないようだ。


 なので、赤子の身体を支える様に腕を回して、上半身を起こして支える。



「貴方様、水に塩を混ぜた方がよろしいでしょうか?」

「──そうか、そうだな。そちらの方が手早い、やってくれ」



 ついで、ミエより手渡された、水がたっぷり入った器。ミエより舐めさせて貰って濃度を確認し、微かに塩気を感じるソレを……そっと、女の唇へと滑らせた。


 ……ゆっくり、ゆっくり、と。


 自分が手当てを受けているのは理解しているのか、女は抵抗しなかった。ときおりタイミングが合わずに咽たりはしたが、ちゃんと2杯分を飲み終え……再び、彼女を下ろした。



 ……抱き上げた時に思ったが、かなり熱がこもっている。



 危惧していた通り、脱水と熱中症の両方が起こっている可能性が高い。



 ならば、次に取る手段は一つ。



 帯を緩め、着物の裾を開いて胸元を露わにし、うちわで扇(あお)ぐ。その際、勢い余って乳房がぽろんと零れたが……無視して、扇ぎまくる。


 ……水分補給はひとまず終えた。


 次にやることは、兎にも角にも身体を冷やす事で──と、なれば、だ。



「あ~、仕方ないか……」



 用意してもらった水桶に、白坊は己の衣服を突っ込む。『ちょっ!?』驚く周囲を他所に、そのままの勢いでパパッと女の上半身を露わにする。


 ぽろんと改めて露わになるおっぱい、かなり立派だ。


 そうして、女の衣服が濡れないように気を付けながら、露わになった上半身に……白坊は、水が滴る己の衣服を被せた。ついで、同じく濡れた手拭いを女の頭に置く。



『──あっ、なるほど』



 それを見て、ようやく白坊のやろうとしている事を察した回りが感心した様子で頷く。「……むぅ」その中で、ミエだけちょっと頬を膨らませていたが……仕方ないのだ。


 この世界には、冷風機はおろか、氷だってそう易々と用意出来ない。同じく、水だって蛇口を捻れば手軽に手に入るモノでもない。


 ジャバジャバと水を浴びせて身体を冷やすなんて、出来ないのだから。


 ……。


 ……。


 …………そうして、後は身体を冷やすだけという段階になり、後は女たちが団扇であおぐだけでも十分な状態にはなった……わけなのだが。



『あんたの方がいいよ、他の奴ら、スケベな目でジロジロ見ているばかりだから』


『そうそう、他のやつらに任せたら、絶対悪戯するだろうから、あんたがやりなよ』



 何故か、周りにいた女たちからそう言われ、結局白坊たちがそのまま扇ぎ続ける事となった。いや、正確には、ミエがパタパタと扇いでいるのだが。


 白坊としては、わざわざしなくても……とは思った。


 だって、薄い生地とはいえ、ミエは着物を着ている。対して、白坊は服を濡れタオル代わりに浸かっているから、現在は褌一丁だ。


 でも、妙に鼻息荒くというか、機嫌悪そうに団扇を取られてしまったので、とりあえずはそのまま……で、だ。



 ──まあ、女たちがそう言うのも無理はないよな。



 そう、白坊は思った。


 だって……チラリと周囲に視線を向ければ、男たちは慌てて視線を逸らし……それでも抗い切れず、チラチラと視線を……横たわっている女に視線を向けていた。



(……そりゃあ、見ちゃうよねえ)



 内心にて、白坊は苦笑した。


 自分には勿体無いぐらいの妻を持っているので口には出せないが……見てしまう気持ちは、痛い程理解出来た。


 なにせ、薄い生地(しかも、水浸し)を被せただけの女の上半身は、その輪郭をこれでもかと周囲に主張している。


 透けてこそいないが、角度によっては乳首の形すら分かるだろう。おまけに、中々お目に掛かれないレベルの美貌ともなれば……見るなという方が無茶な話である。



(……しかし、本当にどうなんだろうね、これって)



 けれども、白坊だけは……そうならなかった。



(こんな見た目をしているのに……アイツラとおんなじ気配を感じるんだよな……)



 何故なら、白坊だけは……白坊だけが感じていた事なのだが。


 横たわる女より感じ取れる、何時ぞやの気配。


 それは以前、『実らず三町』にやって来た前科持ちたちの一部より感じ取れたソレと……全く同じで。



(入れ墨は、無かったけど……)



 さすがに、股の間まで確認するのは無理だよな。そう、白坊は内心にて苦笑する。


 でも、墨って普通は見える場所に入れるものだから、そんな分かり難い場所には……そう、思いながら、白坊は万が一を考えて、ジッと女を観察するのであった。



「……ふん」


(ところで、なんでミエは機嫌を悪くしているんだろうか?)



 その横で、先ほどから更に機嫌を悪くし続けているミエの姿があったが……女が目を覚ます時に至ってもなお、白坊は気付かなかった。








 ──結局、その少し後に女は目を覚ました。




 しかし、女はすぐには動けなかった。


 そりゃあ、そうだ。


 脱水と熱中症のダブルパンチなんて、体力のある若者ですらグッタリして動けなくなってしまう状態だ。


 仮に重症化する前に適切な治療を行って回復させたとしても、バランスを崩し掛けた身体は相当に体力を消耗しているはずだ。


 実際、何とか身体を起こして蜜柑(糖分補給は大事)を食べる事はできたが、非常に気分を悪そうにしていた。


 おそらく、まだ体内の電解質というか、バランスが上手く取れていないのだろう。


 まあ、塩分・糖分・水分という三種の神器に等しい燃料は補給させた。直に、回復して動けるようにはなるだろう。


 いちおう、江戸の塩は海水より作るので、ミネラルもそれなりにあるから……という感じで、そこまで白坊は心配していなかった。


 そうして、とりあえずは、ときおり手足や首や頭に触れて、熱がこもっていないかを確認しつつ……さらに、小一時間ほど。


 その頃にはもう、女の体からは余分と思われる熱は……いちおう、表面上からは消え去っていた。


 なので、白坊の衣服から、日に当てて乾かしておいた、女が着ていた衣服に取り変えて、軽く肌を隠し。


 まだ芯に熱がこもっている可能性を否定出来ないので、末端である両足を包み込むように、濡れた衣服を当てて。


 それでいて、身体が冷えすぎないよう注意しつつ、ときおり声を掛けながら、さらに休憩を取らせて。


 ようやく、まともに動けるようになったのは夕方頃……西日が眩しく感じる、そんな時間であった。



「──あたくし、千歳ちとせと申します。此度はお助けいただき、まことにありがとうございました」



 次に、こんな美女に会えるか分かったモノではない。


 それ故に名残惜しそうに後ろ髪を引かれている男と、その男のケツを叩いて先に行かせる女たち。


 そんな、両極端な者たちの視線を尻目に……千歳と名乗った女は、深々と白坊たちに頭を下げた。


 ……さすがに、もう千歳はちゃんと着物を纏っている。


 なので、介抱されていた時のような、ともすれば乳房が零れ出しそうな恰好ではない……はずなのだが。



(……あの、痛いのだけど? 握られた手がミシミシ言っている気がするんだけど?)



 まさか、軽く頭を下げた拍子に、これまた見事な谷間が露わになるとは……当人も、全く気付いていないようだ


 ……とりあえず、目に見えて不機嫌になっているミエより握り締められる手が痛い。どうしてか、苛立っている。


 でも、下手に理由を尋ねると機嫌をさらに損ねそうな気がする。


 痛みを堪えつつ……白坊は、簡単に自己紹介をした後で、気にするなとだけ言葉を続けた。


 実際、下心が有って助けたわけでもない。


 仇で返されれば苛立ちを覚えたりもするが、素直に頭を下げてお礼の言葉を貰えたら、それで満足であった。



 ……さて、太陽も、もうすぐ暮れる。



 現代とは違い、夜の江戸は本当に真っ暗だ。獣であれば月明かりだけでも分かるのだろうが、人である白坊とミエには足元すら見えなくなる。


 それに、白坊の恰好は……相変わらずの褌一丁だ。


 夏の日差しの下とはいえ、少し干した程度で乾くかといえば、そんなわけもない。濡れた衣服を着てうろつけば、さすがに体調を崩してしまう。


 だから、褌一丁で帰る必要があるわけだが……さすがに、日も落ちた夜間でそんな恰好でうろつけば、弁明するのも非常に面倒臭い事になるだろう。


 なので、それじゃあ俺たちはここで……という感じで、荷物をササッとまとめて帰宅しようと準備を進めていた……のだが。



「…………」



 何故か、千歳と名乗った女がその場から離れない。


 西日を浴びた頬は赤く、モジモジと居心地悪そうに指遊びをしちえる。けれども、話しかけてくる様子もなく、静かに……白坊たちを……いや、違う。


 白坊を、黙って見つめている。


 その視線は一度とて外れることなく、ピクピクとミエの目じりがケイレンし始めて──怖いから止めてほしい、そう、白坊は思った。


 まあ、さすがに何時までも無視し続けるのは意地悪というか、性格が悪い気がする。


 そう思った白坊は、何か用でもあるのかと尋ねた。



「あの……白坊様は、何時もここへ行商に来ているのですか?」

「何時もってわけではないけど、今のところはココにしか来ていないが……それが?」



 質問の意図が分からずに尋ねれば、千歳は特に何かを言うわけでもなく、意味深に笑うと。



 ──うふふふ、それでは、また。



 それはもう……それはそれは、ミエという嫁を貰っていなければ、思わず勘違いしてしまいそうなぐらいの、これまた意味深な言葉と眼差しを残して……颯爽と、その場を離れて行った。




 ……。


 ……。


 …………え、いや、なんで? 



 思わず、白坊は首を傾げた。


 さすがに、白坊とてそこまで鈍感ではない。あそこまであからさまな態度を取られれば……勘違いや天然でなければ、おそらく、そうなのだろう。



 しかし……いったいどのタイミングでそれほどの好感を抱かれたのだろうか。



 なにせ、会ってまだ数時間……いや、それどころか、まともに応対している時間は合計しても30分ぐらいだろうか。


 それ以外の時間だって、本人は意識が朦朧としていてまともに状況すら理解していなかったはず。


 つまり、たった30分程度の間で、白坊に対して好意を抱き、わざわざ白坊が普段よりここに来ているのかを訪ねてきた……わけだ。



(……俺、そんな事したか?)



 元々、この姿に成る前……現代にて生きていた頃の彼は、異性からモテた経験などない。当然ながら、アプローチを受けた経験もない。


 だから、正直に言わせてもらうと……『気味が悪い』、それが白坊の本音であった。


 いっそのこと、金目当てであると露骨に態度で示してくれた方が、好感が持てる。


 言い換えれば、それすらなくいきなり好意を向けられても……白坊としては、警戒心しか覚えないわけで。



(あの、妙な気配も気になるし……どうしたものかなあ)



 出来る事なら、二度目は会いたくないなあ……そう、白坊は思ったので……ん? 



「……どうした?」



 帰ろうとした白坊の足が、止まる。見やれば、先ほどとは打って変わって、不思議そうに小首を傾げているミエと目が合った。



「……あの、貴方様」

「なんだ?」

「貴方様は、どうして千歳さんが離れてゆく時にホッとした気を緩めたのですか?」

「……ん?」

「千歳さんが見ている間、嫌そうというか、居心地悪そうにしておられましたが……あのような女性は、苦手なのですか?」

「いや、苦手というわけでは……」



 はてさて、どう答えたら良いか……白坊は内心、頭を抱える。


 ありのままを伝えるのも良いが、まだ、あの気配の正体が分からない。


 これまでは見るからに悪者みたいなやつにしか感じなかったが、しかし、悪事に手を染めていたミエの兄弟には、そういった気配は感じなかった。


 いったいそこに、どのような違いがあるのか……もしかすれば、人を殺しているか否か……なのだろうか。


 だとすれば、千歳は過去に人を殺している事になるのだが……しかし、どう見ても、白坊の目には……う~ん、素直に言うべきか。



「……その、実はな、俺にはある種の気配というやつを感じ取る事が出来る」

「気配、ですか?」

「真偽と理由は不明だが、今のところ……気配を感じたやつに碌なやつはいなかった」

「え、そうなのですか?」



 少し考えたが、素直に告げることにした。


 特に隠しておく理由はないし、隠しておいて何かあれば、そちらの方が嫌だ。


 気配を感じ取れるのは自分だけだし、大丈夫そうなら言わなければいいだけのこと。



「少なくとも、俺はあの人に対して、他とは違う気配を感じた。だから、気を許したくはなかったし、本音では……離れてくれて安心した」



 そう思って、白坊は考えていたことを伝えた。


 すると、しばしの間、目を瞬かせていたミエは……深々と、それはもう大きなため息を吐いた……後で。



「……帰りましょう! 今日はお疲れでしょうから、御背中流しますね!」



 改めて顔を上げた時にはもう、それはそれは夏の日差しに負けないぐらいの、晴れ晴れとした顔で……逆に白坊の手を引っ張った。



(──な、なんかいきなり機嫌が良くなった?)



 突然の機嫌の変わり様に、白坊は首を傾げて困惑した。


 だが、理由は何であれ、機嫌を良くしてくれたことは嬉しかったので、白坊は……黙って手を引かれるままに、妻の後に続くのであった。


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