第16話: 気高き打算




 ――その後に続いた兵衛の説明だが、実に婉曲えんきょくな言い回しに終始していた。



 女にモテる為に洒落な言い回しや仕草をする者は多いが、兵衛の話し方はそんなものではなく……とにかく、回りくどかった。


 言うなれば言質げんちを取られないようにする為なのだろう。


 固有名詞をぼかしたり、あえて役職(複数名居る)で示したり、言わんとしている事は察せられるが、おそらく、そっちがそう受け取っただけでしょ……と思わせる為だろう。



(何時の時代も、中間管理職の気苦労は同じなんだなあ……)



 そういうのは、現代社会にて嫌気が差すぐらいに慣れている。なので、特に気にすることなく白坊は黙って兵衛の話を聞いていた……が、だ。


 ちらり、と。


 隣に視線を向ければ、気分を害している……という程ではないが、少しばかり苛立ちを見せ始めているミエ(サナエとモエは首を傾げている)の姿に……内心にて苦笑した。


 最初は隣で大人しく聞いていたのだが……まあ、無理もないと白坊は思った。


 兵衛の言い回しは、言うなれば『結論をさっさと言え!』といった感じなのだ。


 慣れてない者からすれば、何を言葉遊びしているのかと首を傾げているところだろう。あるいは、サナエとモエみたいに、理解出来ず首を傾げるところだろう。


 喧嘩っ早い江戸っ子だったら、苛立ちに拳の一つや二つは飛んでくるところだろう。そうならないのは、兵衛が役人であり武士の身分だからだ。



 ……さて、そんな兵衛からの回りくどくも長ったらしい、そのうえ本音を言わせて貰えば聞きたくなかった話をまとめると、だ。



 まず……名目として利用された大名側室の件だが、そこからが嘘であった。


 いや、正確には、ではある。


 しかし、実はおり、でしかないとの事だ。


 もちろん、大名側も分かっているので、側室入りを希望した者たちには、遠まわしにお断りの話はしていたらしい。


 たとえば、好みが外れているとか、年齢が外れているとか、家柄が噛み合わないとか、とにかく、努力ではどうにもできない理由を付けて断っていたらしい。


 詳しくは教えられなかった(この部分は特に曖昧な言い回しだった)ので、白坊としても断言出来ないが……おそらく、色々と込み入ったモノだったのだろう。


 わざわざ、側室一つ取る為にそんな事をするぐらいだ。


 下手に知ると非常に厄介な事に巻き込まれそうなので、そこらへんは白坊もあえて触れなかった。


 つまり、どう足掻いてもサナエの側室入りは不可能だったわけだ。どう足掻いても、何の意味もなかった……というわけだ。


 何ともまあ、酷い話だ。何せ、それらはあくまでも大名たちの都合であって……ミエたちからすれば、到底納得出来るモノではないだろう。


 実際、話を聞いた時……ミエの形相は、怒りを通り越した虚無であった。


 それも、当然だろう。


 己の貞操を捧げてまで尽くそうとしたのに、そもそも最初から無駄だった。加えて、そのせいで両親も命を落とした。



 ……その胸中は、とてもではないが言葉では言い表せられない。



 しかも、本来であれば暗に断られて話が流れる所を……当の家族が妨害したことで、そうならなかった。


 そう、被害者など出るはずもない話を、壱ノ始屋とミエたちの兄弟は利用して……人身売買に使ったのだ。


 おそらく、それなりに上手く事が運んだに違いない。何せ、側室を探しているというのは事実なのだ。不審に思って調べたところで、話そのものは事実である。


 詳しく詳細を聞こうにも、当の大名側(次男の関係者)が、色々な意味で込み入った事情から、曖昧な言い回しで言葉を濁すのだ。


 加えて、次男の女癖の悪さは、知る人はちゃんと知っている。なので、本当に女遊びを止めさせるための側室なのだろうと、周りが勝手に納得する。


 下手に被害を訴えようにも、相手は大名。妙な言いがかりは止せと逆ギレされればそれまでだし、役所が調べに動いたとしても、キナ臭さに警戒して見て見ぬフリをする。



 なるほど、上手い事を考えるものだ。



 そうして、途中までは上手く行き過ぎたおかげで引き際を見誤った。結果的に悪事を見抜かれてしまった壱ノ始屋と兄弟は、白坊を囮にして時間を稼ごうとして……無駄に終わった。


 それが……この側室騒動における、おおまかな全容であった。



 ……。


 ……。


 …………で、だ。話は冒頭に戻る。



 何故、兵衛は白坊とミエに夫婦になるように命じたのか……説明すると長くなるので単刀直入に言うなれば、だ。




 ――事件を起こした理由、原因を作る為、である。




 というのも、だ。


 この事件、のだ。口実にするには色々と早過ぎるし、軽過ぎる。はっきり言えば、お互いに損しかしない案件なのだ。

 かといって、何もかもを無かった事には出来ない。


 全てを内々に処理出来ていたなら話は違ったが、既に壱ノ始屋の所業は当の大名を通じて、もっと上の者たちにも知られてしまっているからだ。


 ここで全てを無かった事にしようとすると、後で幾らでも口実を作られてしまう。


 故に、理由を作らなくてはならない。事件の幾らかを塗り潰し、それっぽい中身を上から描く必要がある……それを、白坊たちで宛がおう……というのが、兵衛の考えであった。



 なるほど……ちょうど良いと言えば、ちょうど良いのだろう。



 ミエが、白坊に助けられたのはそれなりに知られている。なので、それがキッカケで想い想い合う関係に成ったという話になっても、そこまで不思議ではない。


 対して、ミエと壱ノ始屋との付き合いは全くない。加えて、店主の年齢は46歳と、傍目にもワケ有りの婚姻であるのは明白であった。



 ……つまり、対外的には、だ。



 違法な手段で集めた金を使って娶ろうとしたが、肝心の少女に袖にされた。店主は両親を脅して言う事を聞かせようと思ったが、それも上手くいかない。


 それで逆上した店主は、少女の兄弟を金で買収し、両親を殺害。その後、生活に困るであろう少女を、何食わぬ顔で助けて娶ろうとして、その前に『火盗改』に捕まってしまった。


 なので、壱ノ始屋は廃業。店主の資産は没収後、見舞金として幾らかを少女に渡し、残りは、名を使われた大名に寄付(賠償金)という形で渡して壱件落着……という筋書きであった。



 ……。


 ……。


 …………何ともまあ、非常に、こう……突っ込み所が満載な内容である。



「……ふむ、不服に思うか?」



 しかし、だ。


 意味深な視線を向ける兵衛に対して……白坊は、何も言えなかった。


 それは、身分的には圧倒的に上の立場である兵衛に怖気づいているからではない。心に有るのは、ミエに対する……今後の生活についてである。



 ちらり、と。



 隣で同じように座っているミエを見やれば、ちょうど、視線が重なった。女の機微には疎い白坊でも分かるぐらいに……その目は、不安で揺れていた。



 ……両親を失ったミエ……いや、3姉妹の今後は、けして明るいモノではない。



 頼れる親戚筋が居たら良いのだが、そこまで親密な者が居たならとっくの昔に頼っているはずだ。事実、小声で尋ねてみれば、視線を落とした後……静かに首を横に振った。



(まあ、そりゃあそうだよなあ……現代とは違うんだものなあ……)



 交通手段を始めとして未発達な江戸時代において、故郷を離れるには相当な理由がある。現代のように、就職の為に上京なんていうのは簡単に出来る事ではない。


 夢の無い話ではあるが、嫁に貰ってくれる男を探すのが一番手っ取り早いが……そうなると困るのは、長女のサナエと、末妹のモエだ。



 サナエは知能に欠陥が有り、モエは幼すぎるのだ。



 どちらも寺に引き取ってもらうにしても、後ろ盾のない二人は……いや、同じ立場のミエもまた、相当に苦しい立場となるだろう。


 そうでなくとも、頼れる者の居ない美人3姉妹(一人は小さすぎるが)。良からぬ者に狙われる可能性だって、0ではない。



(……そんな目で見ないでくれ)



 チラリと視線を向ければ、実に不安そうな目でこちらを見つめているサナエとモエの姿が視界に入る。


 未来の事を上手く想像出来なくとも、自分たちの今後が如何に厳しいモノになるのかは察しているのだろう。


 子供は幼くとも馬鹿ではない。感情制御の稚拙さ、知識量の無さ、そういった幼さはあっても、子供は見た目以上に物事をよく見ているし、色々と考えているのだ。


 ……と、なれば、だ。



(ここで見捨てるのは、物凄く夢見が悪いし……あ~、そうするしかないんかなあ……)



 将来的にミエたち3姉妹がどうするかは分からない。


 だが、少なくとも当面の間を凌ぐためには、対外的には夫婦の関係になっておくべきか……そんな感じで、思考を巡らせた……後。



「――ミエちゃん。仮初かりそめとはいえ、しばらく夫婦になるかい?」



 ――心に決めた殿方が出来れば何時でもそっちに行って良い……そんな内心を含ませた、問い掛け。



「……白坊様。私は、貴方様がお嫌でなければ、夫婦になると決めた以上は添い遂げるつもりです」



 対して、ミエの返事は……そんな白坊の優しさを一蹴した、覚悟を強く滲ませたモノであった。


 その言葉に、白坊は面食らった。何故なら、白坊の生きた現代社会ではありえない考え方であるからだ。


 昭和や平成初期など、お見合いが珍しくなかった時代。


 男女ともが独り身であるというだけで白い目で見られる事が多かった時代に比べて、自由恋愛が主流となった現代では事情が違う。


 だからこそ、白坊はミエの考えが理解出来なかった。何もそこまでしなくても……そんな考えすら有った。


 そして、それは……場の成り行きを見守っていた兵衛も、その傍で控えている佐野助(後は、こっそり耳を澄ませている牢屋番)もまた、同様であった。



 いったい、どうして……その理由は、江戸の婚姻事情だ。



 実は、この場において白坊(と、姉妹二人)だけが知らぬ話だが、加えて、史実の江戸時代においても男女の離婚率は現代並みに高かったとされている。


 幾つかある理由の一つとして、江戸は圧倒的な男余りだったから、というのがある。


 どういう事かといえば、江戸は元々、江戸城を始めとして男たちが働く場所であり、建築や鍛冶や漁業などの力仕事が多く、必然的に男の数が多かった。


 情勢が落ち着いて他所より嫁を貰ったり、移り住んでくる者が増えた事で徐々に女の数が増えてはいるが、移住してくるのは何も女だけではない。


 加えて、そもそも、人間というのは男の方が多く生まれる生き物だ。


 元々、どこの領主も、女の移動に関しては特に制限を掛けるぐらいなのだ。若くて健康的で子供が産める女は、何時の時代、何処の世界においても、貴重なのである。


 なので、江戸では根本的に女の数が少ない。


 それ故に、結婚などに関しては圧倒的に女が強かったうえに、男から離婚を切り出した場合、結納金などは全て男側が返済する義務があったとされている。


 もちろん、女が有責(初めから詐欺だった等)の場合は違うがそこらへんは圧倒的に現代よりも女が強かった時代でもある。


 また、誤解されがちなのだが、男→女への離婚を突きつける意味にされがちな『三行半みくだりはん』というのは、あくまでも形式上そうなっているだけ。


 実際は男が拒否しても女が離婚を望めばほぼ通るぐらいには女の権利が強く、また、それでも男が拒否する場合は大家や縁切り寺なども動いたとされている……で、話を戻そう。



「……前にも話したけど、助けた事はそこまで気にしなくていいよ。俺がやりたくてやったことだし、それだけの事でそこまで思い詰めなくていいから」



 しばし思考が止まっていた白坊だが、復帰は速い。一つ深呼吸をしてから心を落ち着かせた白坊は、その言葉と共にミエを見つめた。



「それだけの事、ではありません。いったい、どれだけの人間が、それだけの事をしてくれるのですか?」



 けれども、ミエは一歩も引かなかった。いや、それどころか、何処となく怒っているというか……少しばかり機嫌を悪くさせしていた。



「以前より思っていたのですが、白坊様が暮らしていた世界は、いったいどのような場所なのですか?」

「え、そりゃあ、何て言えばいいのやら……」

「人が人を助けるのは当たり前ではありません。助けて貰えて当然ではありません。私がこうして生きていられるのは、間違いなく貴方様のおかげなのです」

「まあ、それはそうだけど……」

「私は、女です。打算であることは、否定しません。ですが、だからこそ、私は人として貴方様に報いたいのです。卑しくとも、それでも、気高く在りたいと思っております」

「…………」

「お嫌であるのであれば、仮初でも構いません。下心でも、構いません。助けてくれた貴方の為に生きたいと、そう思うのは……駄目なのですか?」



 ……居住まいを正し、改めてミエは見つめてくる。そして、まっすぐ向けられた言葉に……白坊は、何も言えなかった。



 ……。


 ……。


 …………そうして、どう答えたら良いのか分からず視線をさ迷わせている、白坊に対して。



「……そうまで言われて怖気づくわけにはいかんな、白坊」



 ぽつりと、ミエに加勢したのは……これまで黙って話を聞いていた佐野助であった。



「……なあに、キッカケなんぞ人の数だけある。何一つ背負うつもりのない外野の綺麗事なんぞ、捨て置いてしまえば良いのだ」



 もちろん、それを聞いて黙っている兵衛ではない。


 ここぞとばかりにミエの肩を持つと、これにて一件落着――と、言わんばかりに朗らかに笑った。





 そうなれば、もう……白坊は、何も言えなかった。



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