第15話: それは誰が描いた筋書きなのか……


 ……。


 ……。


 …………深刻な様子で訪れた佐野助が、意の一番に語ったのは、サナエたちの両親の死であった。



 しかも、ただ死んだわけではない。夜中の家に入り込まれたらしく、部屋は荒らされ金品は無くなっていて……強盗の類であるのは明らかであった。


 加えて、おそらくは魔が差した類、あるいは、突発的な犯行とも違う。


 入念に……とまでは不明だが、計画され準備され、行われたというのが『火付け盗賊改め方(今で言う、刑事たち)』が出した、ひとまずの見解であった。


 ただし、それはあくまでも、可能性の高さの問題。同時に、これがただの強盗の類ではない事も、佐野助たちは勘付いていた。


 もちろん、根拠はある。例えば、金銭の類。


 殺されたミエたち3姉妹の両親だが、彼らが長女の側室入りの為に、幾つもの稽古を施していたのは周知の事実である。


 なので、師匠や指南役などに支払う金を目当てにした強盗に狙われた……一見、筋が通っているように思えるが……少し考えれば、矛盾に気付く。


 というのも、側室入りの話が出たのは昨日や今日の話ではなく、相当前の事だ。


 江戸ではツケ払いが珍しいわけではないが、個人的な付き合いが無く、突発的な依頼である両親に対し、何か月分ものツケを了承するかといえば、そんなわけが無い。


 毎月事に、支払うはずだ。


 事実、佐野助たちが確認を取れば、多少なり支払いが遅れる事はあっても、基本的には毎月支払われていたと指南役は証言をしている。


 つまり、毎月決まった額を支払っているので、大店のように数か月分もの大金を用意したり、集まったりしているわけではないということだ。


 それは、両親たちの身なりから推測出来る。


 佐野助たちが軽く聞き回っただけでも、『かなり無理をして毎月支払っている』という話が聞けたぐらいだ。犯行に及ぶ前に、『そもそも金が家に無い』ということぐらい分かるはずだ。


 ならば、金以外の……そう、近所でも名の知られた美人姉妹……その身体を目当てに……しかし、それも同じ事だ。


 これも、昨日や今日の話ではない。少し調べるだけで、姉妹が家から離れているのはすぐ分かる。と、なれば、強盗は両親ではなく、白坊の方を狙うはずだが……そうでもない。



 わざわざ、目当ての金も女も無い可能性の高い家に強盗に入るだろうか?



 その場合、考えられるのが恨み……すなわち怨恨の類だが、これも可能性は薄い。事実、『恨みを買うような人たちではない』と、近所の誰もが証言している。



 ……それに加えて、不審な点が一つ。



 それは、両親の身体に残された傷だ。


 肩口から脇腹に掛けて、斜めに一閃。短刀ではなく、武士が持つような太さと長さのある刀で切られたような傷だが、まず、そこがおかしい。


 佐野助たちのように、見る者が見れば一目ですぐに分かるのだが……傷口が、綺麗過ぎたのだ。


 下手人(げしゅにん:犯人のこと)は、明らかに剣術を修めている。それも、素人が一ヶ月かそこら練習した程度ではなく、かなり本格的に学んでいるのが見て取れた。


 もちろん、これにも根拠はある。何と言っても、傷口に躊躇いが全く見られない事だ。


 どのように刀を降り下ろせば、どのように切れるのかを熟知した傷痕だ。強盗とて、ほとんどは剣術の素人……中々作り出せるものではない。


 何故なら、基本的に刀(短刀を)というのは刃を引く(要は、スライド)ことでその切れ味を発揮する武器だ。力任せにやっても切れはするが、その分だけ切れ味は落ちる。


 それに、刀は手入れを含めて高価な武器である。庶民が入手しやすい包丁とは違い、入手出来る場所は限られているから、足が付きやすい。


 だから、強盗が刀を持っている……その時点で、ただの強盗ではない事を証明している。


 それに、室内では使い辛い刀など使わず脇差ぐらいの短刀を使うのが普通だ。わざわざ目立つ刀を凶器にする理由が、いまいち説明出来ない。



 ――つまり、ミエたち3姉妹の両親の死は、本命を隠すための偽装である。



 今だ結論を出せる段階ではないが、3姉妹の両親は知ってか知らずか、利用された可能性が極めて高い……という話を、佐野助は牢屋の向こうへと語った。



「……いや、それを俺に語って良いのですか?」



 もちろん、牢屋の中に居るのは、その佐野助たちに連行された白坊であり……当の白坊は、極めて当然の疑問を佐野助に投げかけたのであった。





 ……。


 ……。


 …………少し、時間を戻そう。



 ……まず、白坊の現在の状態。白坊は今、無造作に敷かれたゴザの上に腰を下ろし、何をするでもなく大人しくしていた。


 怪我等は、一つもない。衣服も汚れていない。


 それは白坊が一切抵抗せず大人しくしていたからではあるが、妙に佐野助たちが優しかったというか、言葉こそキツイ物言いだが、乱暴ではなかったからである。


 ……で、そんな状況だが、何気に白坊はちょっとばかし楽しんでいた。


 それは、時代劇ではある意味お約束である、牢屋を生身で体感したからだ。


 加えて、牢屋へと連行されている最中、『容疑が晴れるまで、あの姉妹たちはこちらで面倒を見る』と佐野助より言われたから、そういう心配事もない。


 そして、何よりも、己が無実であるという強みがあるからこその余裕を、白坊は持っていた。


 ……ちなみに、江戸時代における牢屋も、現代における留置所とそう変わりはない。


 現代のような鉄格子ではなく木で作られた格子だが、太く分厚く、人間の力で押し開くのは不可能。かんぬきと錠前で、しっかり封鎖されている。


 床は剥き出しの地面にゴザが敷かれ、部屋の隅にオマルが一つ。後は小さな水瓶が一つと、本当に必要最低限、留置する為だけの部屋。


 そんな牢屋の中に押し込められ、早くも一刻(約2時間)。


 何が何だか分からないまま、(いずれは……オマルに小便か……)とりあえずは膀胱の具合を考えていた時に姿を見せたのが、佐野助(と、その部下)であった。



 ――済まぬ、お前を利用させてもらった。



 二度目の顔合わせとなる、佐野助との対面。いったいどういう事なのかと尋ねた白坊に対し、佐野助が最初に発した言葉が、これであった。


 そうして始まる、佐野助たちの言い分……というか、何というか。


 内容が内容なので、途中までは口を挟まず黙って聞いてはいた。


 だが、さすがにそれを名目上は容疑者である人物に語って良いのかという気持ちに耐えきれなくなって、思わず尋ねてしまった……というのが、これまでの経緯であった。



「構わんよ。犯人の目星は点いているというか、既に『火盗改(ひとうあらため:火付け盗賊~の略称)』が動いている。今日の午後には、事が済むだろう」

「はあ、つまり、終わるまで大人しくしていろ……というわけで?」

「お前は物わかりが良くて助かる。まあ、安心しろ。そもそもお前が下手人でないことは分かっているからな」

「……? それはいったいどうしてですか?」



 これまでの付き合いから信頼している……ならば嬉しい限りだが、佐野助に限ってそれはなさそうだ。



「言っただろう、遺体の傷痕が綺麗過ぎる、と。あの切れ方は、一朝一夕で身に付くモノではない」

「え、それだけで?」

「前に話しただろう、お前の剣術は我流過ぎる。踏み込み方も力の掛け具合も無駄が多過ぎる故に、お前の切り方では傷口がヨレて押し潰されたような痕になるのだ」



 なので、素直に尋ねてみれば、あっさり教えてくれた。



「……え、分かるものなんですか?」

「分かるさ、それぐらい。はっきり言ってしまえば、アレは刀を振っているのではなく、刀の形をした鉈を振っているも同じだな」



 ……それって、もしかしなくとも、下手だと言われている……う~ん、悔しいが言い返せない。そう、白坊は内心にて頭を掻いた。


 実際、白坊は刀の振り回し方など知らない。勉強などしたことないし、素振りだってふわっとした記憶を頼りに行っているだけで、正しいのか間違っているのかすら分かっていない。


 とりあえず、刀の性能に頼りきりな全力脳筋切りで誤魔化してはいるが……やはり、見る者が見れば一発で分かるぐらいには下手なのだろう。



「それに、だ。下手人は、致命的な間違いを一つ残してしまっている。それが何か、分かるか?」

「……えっと、すみません、俺にはさっぱりで……」

「なに、簡単な話だ。遺体の傷痕は『前面の、左肩から右のわき腹』に掛けて斜めに出来ている。矯正されているだろうが、お前は本来、左利きなのだろう?」

「へ? あ、はい、昔に矯正されましたけど、よく分かりましたね。俺、普段は右でも左でも同じぐらい使うのに……」

「言っただろう、見れば分かると。たとえ矯正したとしても、利き腕や利き足の重心移動は誤魔化せない。前にお前の素振りを見た時、お前は無意識に左利き特有の動きをしたからな」

「へえ~……俺、改めてすげえって思い――あっ!?」



 思わず、状況も忘れて感心のため息を零した――瞬間、佐野助の言わんとしている事に気付いた。


 にやりと笑うその顔が、少しばかり憎たらしいと思ったが……なるほど、そういうことかと、白坊は遅れて納得した。



 ――白坊は元来、左利きだ。白坊の子供の頃は何事も右利き用が主流だったので、右利きに矯正された。



 日常生活においては、右手でも左手でも茶碗を持ってご飯を食べられるぐらいに慣れている。白坊自身も、意識せず両方とも利き腕として使っている。


 しかし、それが命の取り合い……すなわち、刀を手にしている時はどうか――思い返せば、答えは左利きだ。


 右でも左でもほとんど差異なく振り回していたが、最後の最後……止めを差す瞬間だけは、必ず本来の利き腕である左に力を込めている。


 つまり、仮にも白坊が下手人であるならば、傷痕は『右肩から左のわき腹』に掛けて……すなわち、左からの傷になるはずだ。


 ……野菜や薪を切るぐらいなら意識しないだろうが、人を殺すのだ。


 そんな極限の状態で、矯正したとはいえ、本来の利き腕とは逆の切り方が出るだろうか……少なくとも、佐野助たちは『違う』と判断した。



「『稀人』のお前は知らんと思うが、俺たち以外に刀を持っているやつはそう多くはない。費用が掛かるのもそうだが、何よりも、刀というのは非常に使い手を選ぶからだ」

「はあ、それはまあ、分かります」

「下手に切りつければ刃が伸びる(衝撃で変形する事)し、角度と力の入れ具合で刃こぼれも起きる。つまり、刀を持つ時点で、その扱い方を習う必要があるわけだ」

「なるほど……」

「そして、流派によって違いはあるだろうが……よほどの例外を除いて、刀は左側に差しておくのが礼儀。挨拶の仕方が先か、利き腕の矯正が先か、そんな冗談があるぐらいには常識なのだ」

「…………」

「下手人も、さぞ悔しいだろうな。お前に濡れ衣を着せるつもりが、そこを見誤ったばかりに、お前の無実を証明してしまったのだからな」



 はっはっはっは……大笑いする佐野助の姿に、何でこの人こんなに機嫌が良いんだろうなあ……と、白坊は思った。


 ついでに、下手人が勘違いした理由もわざわざ説明してくれたあたり……何だろう、あまりに優し過ぎて怖い気がする、とも思った。


 ……。


 ……。


 …………で、そんな感じで話をしていると……だ。



「――白坊様!」



 ミエが……いや、サナエとモエも牢屋の前にやってきた。その顔は例外なく青ざめて悲しみに歪んでいたが、一番酷いのはミエだろう。


 言葉通り佐野助たちから丁重に扱われていたようで、怪我一つ汚れ一つ見当たらない。酷いのは、顔色だけだ。



「――済まぬが、表向きとはいえ事が済むまでは出せぬ。話をしたいのであれば、お前たちも牢に入ってもらうが……良いな?」



 佐野助の言葉に、ミエたちは頷いた。


 少しの間を置いた後、カチャリと錠が外され、閂も抜かれた。「では、用が済んだら声を掛けなさい」その言葉と共に、ミエたちは潜るようにして牢の中へと――直後、白坊は3姉妹に抱き着かれていた。


 驚く……いや、驚きはしなかった。3人の表情からある程度は予想出来ていたし、なによりも……泣いていたから。


 そう、姉妹たちは泣いていた。サナエも、ミエも、モエも、等しく泣いている。くしゃくしゃに顔を歪めて、泣いている。



 ……当たり前だ。彼女たちは、両親を亡くしたのだ。



 それも、病死ではなく他殺。そして、連行される直前の言葉通りであるならば、遺体となった両親をその目で確認してきたはずだ。


 病死ならともかく、殺された己の親と、その現場を確認した……まだ嫁入り前の、サナエ・ミエ・モエの3姉妹が受けた精神的なショックは、計り知れない。


 おそらく、佐野助たちもそれは分かっている。だから、少しでも被害者の娘の悲しみが紛れるようにと気を利かせてくれたのだろう。



「――死んじゃったよう」

「…………」

「お父も、お母も、死んじゃったよう」

「…………」

「何で、何で、何でよう、何で殺されたのよう」

「…………」

「やだよう、こんなのやだよう、やだやだ、やだよう……」



 握り締められた袖口より見える、姉妹たちの指先。白くなっているそこに、いったいどれほどの力が込められているのか……想像するだけでも、辛くなる。


 けれども、白坊が出来る事は何も無い。


 犯人を捜すのは佐野助たちの仕事だし、下手に白坊が動くわけにはいかない。白坊は……いや、白坊たちは、大人しく事が済むまで待つ他ないのであった。



 ……。


 ……。


 …………それから、時間にして20分後ぐらいだろうか。



 辛うじて涙こそ止まったが、気が緩んだ事で腰が抜けてしまった3姉妹に抱き着かれたまま、水瓶の水を回し飲みして、一息ついた……その時であった。



「佐野助、ここに居たか」

「兵衛さん!? 使いを出してくだされば、こちらからお伺いしたのに……」

「ははは、なに、少し歩きたくなっただけだ」



 ふらりと、牢屋の前に姿を見せたのは、初老の男であった。


 その男は、佐野助と同じく髷で腰に刀を差している。一見するばかりでは迫力に欠けているが、明らかに武士だ。


 佇まいと、佐野助の言動から目上の人物であるのは確定であり、事実、牢の傍に控えていた者たちが、慌てた様子で頭を下げていた。


「さて……白坊と言ったな。私は松戸兵衛まつど・ひょうえだ。佐野助たちの上役を務めている。お前の事は、色々と佐野助から聞いているよ」



 そんな人物が、木の格子を境にして白坊を見下ろしている。


 佐野助とは違い、温和な顔立ちをしているが……ある意味、こういうのが一番の曲者だと白坊は率直に思った。


 まあ、変に逆らうのも変な話だし……白坊は、ミエたちの肩を叩いてなだめてから、改めて居住まいを正した。



「本来であれば、牢から出して茶を一杯飲んで落ち着いてもらうところだが……その様子だと、まだ立てそうにないね?」



 松戸兵衛……兵衛の問い掛けに、3姉妹は軽く頷いた。「では、この場で伝えても大丈夫かね?」続けて問い掛けられた3姉妹は、これも軽く頷いた。



 ――おほん、と。



 辛い話になるのだろう。


 わざとらしく咳を一つ入れた兵衛は、少しばかりの間を置いた後……いいね、と前置きまで入れて、話し始めた。



「先ほど下手人と、その後ろに潜んでいた外道共を捕まえた。既に証拠も見つかっているので言い逃れは出来ずに確定した」

「…………」

「直接手に掛けたのは別人だが……まあ、既に察しているとは思うが、君たちの家族である兄弟が手引きをした」

「――っ!」



 その瞬間、ぎゅうっと。


 掴まれた袖が引っ張られる感触を白坊は覚えた。


 見やれば、先ほどまで涙で閉じられていた瞳が見開かれ……顔が憤怒の形相に歪んでいる。食いしばった唇から、今にも血が出そうなぐらいだ。


 ……いや、ミエだけではない。


 頭が幼いサナエもそうだが、末妹のモエも怒りを露わにしている。幼くとも、親を殺された憎悪は計り知れず、大人ですら思わず身を引いてしまうほどであった。



 ……まあ、当然だ。



 両親を殺したのが、よりにもよって身内ともなれば。加えて、その身内とは以前より仲が悪ければ……殺しても殺し足りない気持ちなのだろう。



 けれども……その憎悪をそのまま犯人にぶつけさせるわけにはいかない。



 おそらく、仇討ちは江戸では許されないのだろう。それ以前に、下手人である兄弟は、同時に、事件の真相を知る人物でもある。


 間違っても、今の段階では殺せないし、殺してはならない。そう、逆に、ハッキリするまで守らなくてはならない。


 たぶん、それを察した事に気付いてしまったのか……チラリ、と佐野助が困ったように視線を行き交いさせたのを見て……白坊も、何も言えなかった。



「――それで、だ。下手人たちの極刑は確定しているが……少々、困った事になった」

「……困った事、ですか?」



 だが、そんな白坊たちの葛藤を読んでいたかのように、兵衛はそう言葉を続けた。



「その外道共だがな……罪状としては持参金詐欺に人身売買に殺人だが、よりにもよって、他所の大名の名を語って悪事を働いていたようでな……」

「……はあ、それが何か?」

「なに、そう複雑な内容ではない。よりにもよって、城下町の大店がそれをやったおかげで、どのようにケリを付ければ良いのか、お互い悩んでいるところなのだよ」



 言わんとしている事が分からない。と、同時に、3姉妹はもう色々と頭がいっぱいなので、兵衛の言葉が耳に入っていない。


 ――というより、これは己に対して告げているのだろうなあ……ん、いや、待てよ。



(持参金詐欺に人身売買……何で、わざわざ意味深に罪状を俺に教えるなんて真似を――)



 そこまで考えた時点で、白坊は気付いた。瞬間、思わず白坊は頬を思いっきり引き攣らせた。おまけに、顔色も青ざめた。



(まさか……他所の領地の人間を違法に売買していたのか?)



 事実ならば……恐ろしくヤバい状況だ。


 というのも、現代とは違い、この時代(あるいは、この世界)における民草とは、文字通り領主の所有物であり、資源だ。


 現代に例えるなら、同盟国の官僚の名を勝手に使って、その土地の資源を盗んでいたようなものだ。世が世なら、一発で戦争が始まるような行いである。


 ……いや、世が世なら、ではない。ここは、現代ではないのだ。


 織田信長の手で天下統一が果たされたとはいえ、誰もが心から忠誠を誓っているわけではないだろう。史実の歴史がそうであったように、天下は何時までも続かない。


 250年以上も続く幕府を築き、『神君:徳川家康』とまで呼ばれた家康ですら、地盤が固まって本当の意味での天下となるには2代目、3代目になってからと話していたぐらいだ。


 おそらく、現在の信長の天下は、継ぎ接ぎだらけの平和なのだ。どのような形で楔が撃ち込まれて崩壊するか……分かったモノではない。



(……かなり強引だけど、自分の領民を勝手に売り払いして私腹を肥やしていたという理由で戦端を開く事は……いや、そこまでは無理か)



 まあ、まず起こらないとは思う。大義名分としては弱いし、真正面からぶつかればお互いに疲弊し……漁夫の利を狙われかねないからだ。


 戦争というものは、それまでにいくら準備を掛けたかで勝敗が決まるといっても過言ではない。何の準備もせずに戦端を開くのは、下策も下策だ。


 なので、やるとしたら、己の足元すら見えていない愚か者という印象を広めるぐらいだろうか。効果は大したモノではないだろうが、小さな穴を開ける事は出来る。


 ……史実において、織田信長はそのカリスマ性故に味方を多く作ったが、それと同じぐらい多くの潜在的な敵を作った。


 『剣王立志伝』のゲームにおいても、それは参考にされている。と、なれば、近しいこの世界でも、目に見えぬ敵が息を潜めていても何ら不思議ではない。


 前の戦が何時だったか……もしかしたら、山の中でひっそりと暮らしていたあの間なのか、それを白坊は知らない……が。



「……潜んでいたのは壱ノ始屋ですか?」



 それを考えた所で、現時点では何の意味もない。そう判断した白坊は、思考を切り替えた。



「さて、そこまではまだ調べが付いておらぬ。しかし、どうやら美人姉妹の妹を嫁に貰い……そのような企みがあったのかもしれぬな」

「……様々な欲望が動いていたと思いますけど、下手人はアレですか……上に取り立ててやるとか、そんな感じで騙されて家族を手に掛けた、とか?」

「さあ、私には何とも言えぬ。ただ、身の丈に合わぬ矜持から、身内を己が出世する道具か何かぐらいにしか思っていなかったのであれば、身内を売り飛ばす……ぐらいは考えても不思議ではないと私は思うがね」

「そう、ですか……」



 あえて名を告げれば、案の定、兵衛は明言しなかった……しなかったけれども、状況から見て、裏に居たのは壱ノ始屋であるのは、ほぼ確定であった。


 ……つまりは、だ。


 あの時、ミエに対してあの兄弟があれほどに怒りを見せたのは、計画が狂ってしまったから。そして、白坊に罪を擦り付けようとしたのは、佐野助たちに嗅ぎつけられたのを察知したから。


 おそらく、それだけで誤魔化せるとは思っていない。せいぜい、時間稼ぎでしかなかったのは明白だ。


 まあ、兵衛の口ぶりからして、彼らが察知した時にはもう全てが遅かったようで……そして、擦り付けられたと錯覚させ油断を誘う為に白坊を捕らえ、実際に牢屋に入れた。


 ソレが何であれ、人間、計画が上手く行くと気が緩むものだ。その気の緩みを佐野助たちは逃さずに……下手人たちを一網打尽にした、というのが一連の流れだろう。


 ……で、ここからが本題だ――そう、白坊は改めて背筋を伸ばした。



「……で、俺に何をしろというんですか?」



 先ほどの、兵衛の言葉。『お互いに悩んでいる』というのが事実であるならば、おそらく向こうの……被害を受けた領主の方も、落とし所に苦慮しているはず。


 被害者側であるにしても、下手に居直っては不評を買う。かといって、逆も駄目。もちろん、それは信長公も同じ気持ちであり……んん?



 ――ふと、白坊は……兵衛の表情に、視線を止めた。



 何故かは分からないが、兵衛はニヤリと意味深に頬を歪めている。どういう事かと思って佐野助へと視線を向ければ、何故か佐野助は気まずそうに視線を逸らしていた。



「白坊」

「は、はい!」

「『稀人』であるお前は、まだ独り身だな?」

「え、あ、はい、そうですけど……」



 何やら、嫌な予感がする――そう思ったが、止める力が白坊にあるわけもなく。



「――よし、では、そこの娘と夫婦めおとになりなさい」

「え?」



 思わず聞き返したのは、白坊だけではない。呆気に取られたミエもまた、同様で。



「老いらくの恋に溺れ、若人たちの恋路を邪魔する為に悪事に手を染めた愚か者。存在しない罪状をでっち上げるなら、これぐらい馬鹿馬鹿しい話の方が信憑性もあるとは思わんか?」

「……はいぃ?」



 しばしの間……白坊も、ミエも……状況が上手く呑み込めないサナエもモエも、困惑に目を白黒させる他なかった。



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