第一幕:エピローグ




 ――いったい、誰が描いたシナリオなのだろうか。



 信長か、あるいは大名か、それとも各々の思惑が複雑に絡み合った結果、偶発的に描かれた代物なのか……それを知る術は白坊にはない。


 ただ、一つだけ言えるのは……その後の顛末(てんまつ)は、拍子抜けしてしまうぐらいに淡々と捕縛され、処罰されていった。



 たとえば、壱ノ始屋。



 店主である例の爺は、はりつけ。直接的に関与したと思われる息子と、男二人も同様に磔となった。


 ……磔とは、江戸時代における死刑の一つである。十字架にした材木に縛り付けられ、槍などで2,30回ほど突き刺して殺す処刑である。


 当然ながら、非常に苦しい死に方だ。


 何故なら、槍を持つ突き手もすぐに死なせては見せしめにならないから、あえて急所を外すからだ。どんな凶悪犯も、最後はいっそ殺してくれと嘆くぐらいに苦痛を伴うのだ。


 そして、店主の家族は……磔とまではいかなかったが、その家族は始めとして、関わりがあるとされた(ほぼ絶縁、遠縁で存在すら知らなかった場合は別)者は、老若男女の区別なく死罪となった。


 非常に残酷な死刑と思われるだろうが、それも、仕方がない。


 何故なら、名目上の罪は幕府へと支払う金を横領した……つまり、脱税あるいは詐欺という事になっていたからだ。


 というのも、江戸の史実において金に関する詐欺は、10両(要は、小判10枚)を越えれば死罪とされていた。


 何億盗んでも罪の重さが一定より上がらない現代に比べたら、非常に重く見えるだろう。まあ、実際に重いのだけれども。



 ……で、嘘か真かは分からないが、5000両(5000枚。現在価格にて、約6億強)もの大金を脱税したということになっていた。



 さすがにその家族(特に、子供)まで死刑にされるのは不憫に思う者もいたが、見物に来た者たちの大半は、致し方ないと納得していた。


 何せ、税収が減れば、上の匙加減一つであっさり税金が上がるのが江戸時代である。


 現代のように、茶番を挟む必要はないし、さも、心苦しいといった態度を見せる必要はない。


 やると言ったら、やる。上げると言ったら、上げる。それが、天下を取った者の特権なのである。そして、その天下に背く行いを、絶対に許してはならないのだ。


 国家の運営に限らず、ナメられてはお終いなのだ。逆らってはならぬ、従うべきなのだと、思い知らせる必要があるのだ。


 そして、民衆も……それを分かっていた。


 加えて、ダイレクトに自分の生活に掛かってくるだけあって、一部の民衆の目は実に冷ややかであった。


 ……。


 ……。


 …………そうして落とされて晒された首の中には、生前は中々に顔立ちが整っていたと思われる年若い兄弟と思われるモノがあった。



 苦悶と後悔に満ちた、罪人の首。



 大半の者は、気付かなかっただろう。しかし、少数とはいえ、気付いた者は居ただろう。


 けれども、誰もその事には触れなかった。理由や原因は何であれ、既に死罪は執行された。やぶの影より虎が見え隠れしているのに、わざわざ突く阿呆はいない。


 他の罪人たちと同様に手を合わして貰えることもなく、そうして、3日間ほど首を晒された後、遺体は速やかに処理され……続いて、壱ノ始屋の解体処分となった。


 文字通り、解体である。売れる物はすべて売り払った後、建物は解体されることとなった。


 建物はおろか、店の名前すら記録にすら残さない徹底ぶり。


 解体を命じられた大工たちも、触らぬ神に祟り無しと言わんばかりに、黙々と作業を進めた。


 そうして、二十日間も過ぎる頃には……壱ノ始屋は跡形も無くなり、それに合わせて、壱ノ始屋の事件に関与した者は全て内々にて処罰されてゆき……事件は、人知れず幕を閉じたのであった。






 ……じわり、じわり、と。



 冬の冷たさも過ぎ去り、春の陽気も越え始め、徐々に陽気が熱気へと移り変わり、何とも言い表し難い不快感が江戸の町にも降り注ぎ始めた……そんな、ある日の事。


 朝より降り注ぐ……五月雨と呼ぶにはか弱く、舞い落ちるかのような霧雨の最中、家より出てきて俯いているミエの頭上に、白坊はそっと傘を差し出した。


 ミエの両手は、漆塗りの、蒔絵(まきえ:金粉や銀粉等で描いた模様の事)が成された箱を優しく抱き留めていた。


 俯いているが故に、ミエの顔を伺う事は出来ない。ミエの実家である飯屋に来る前から口数は少なくなっていたが、今はほとんどない。



 ……元々、モテた経験も異性の友人も居なかった白坊だ。



 女の扱い方など分かるわけもなく、肩を抱き寄せれば良いのか、声を掛ければ良いのか、白坊はしばし心を迷わせた。


 何故なら、今日で……ミエは(正確には、3姉妹だが)、生まれ育った我が家を完全に離れる事になっているからだ。


 理由は、まあ、包み隠さず言うなれば……ミエたち3姉妹では維持する事が叶わないからだ。


 いちおう、両親が残したレシピはある。しかし、レシピが有ったところで同じ味が出せるかと言えば、そんなわけがない。


 両親の手伝いはしていたが、自ら調理台に立てるかと言えば、そこまでの腕前ではないのだ。


 加えて、人手も足りない。両親と、今は亡き兄弟が居て、成り立っていた商売だ。


 途中より兄弟が手伝う頻度は減っていたが、単純に5人中4人が居なくなって、続けられるわけがない。続けたとしても、店を維持出来るだけ稼げるとも思えない。


 故に、ミエたち3姉妹は役所にて廃業の手続きを行い、諸々の後片付けを済ませて……今日付けで、退去という運びになったわけである。


 既に……サナエとモエはつい先程、住んでいたこの家に別れを告げて、先に『じたく』へと戻っている。


 サナエはそうでもないが、モエは長居すると辛くなるから……という理由らしい。それでもいい、そう思った白坊とミエは、あえてモエを引き留めはしなかった。



「……荷物は、それだけで良いのか?」



 そうして、しばしの間を置いてから、ようやく絞り出した言葉。


 何とも情けないモノだと……白坊は己の頭を叩きたくなった。



「はい……稽古代や家賃のお支払いに、ほとんど売り払いましたから。元々、損料屋そんりょうや(今で言うレンタル屋)から借りていた物も多かったですし……」



 俯いていたミエが、ゆるやかに顔を上げる。


 泣いているかとも思ったが、泣いてはいなかった。とはいえ、想う所はあるのだろう。薄らと……白坊の目には、涙が滲んでいるようにも見えた。



「……行くか?」

「はい、行きましょう」



 声は、穏やかであった。緩やかに、ミエは歩き始める。


 合わせて、そっと、白坊へともたれ掛るように……でも、ゆっくりと、確実に、生まれ育った家から離れてゆく。


 その足取りに、迷いは無い。反面、力強さはない。白坊が止まろれば、ミエも足が止まる……その程度に、か弱い。



(……小さい身体だ)



 今の己の姿も、けして大きい方ではない。だが、そんな白坊が見ても小さいと思えるぐらいに、ミエの体格は華奢だ……と。



「…………」



 不意に、ミエは足を止める。無言のままに、白坊を見上げる。


 現代の日本で生まれていたならば、数多の男たちの注目を浴びて、平和に学校へ向かい、恋に部活に遊びにと忙しない毎日を送っていたかもしれない、美貌の少女。


 けれども、そうはならなかった。家族の為に姉の為に妹の為にと自分を押し殺した少女の結末は、ハッピーエンドにはならなかった。


 陰謀に巻き込まれた両親は殺され、元凶の兄弟は死罪となって首を晒し、残されたのは自力で生きて行けない姉と妹だけ。


 頼れる親戚はおらず、生まれ育った家を失い、顔を合わせた期間は3ヵ月にも満たない男に添い遂げる事を決めた……それが、ミエだ。


 ……そんなミエの背中に、白坊は、手を。



「……ミエちゃん」

「……はい」

「俺、頑張るよ。何をどう頑張れば良いのか、正直分からないけれど……でも、頑張る。サナエちゃんも、モエちゃんも……頑張って面倒見るから」

「…………」

「だから、その……ごめん、その、上手い事を言えなくて……どう言えばいいのか分からないけど、とにかく頑張るから」



 そっと、宛がって……優しく、押した。



「……白坊様は、素直で誠実ですけど、変な所で卑屈になる御方ですね」



 ミエからの、抵抗はなかった。身動ぎする事もなく、チラリと、己の背中へと伸びる白坊の腕を見やったミエは……ふわりと、微笑んだ。



「白坊様、見た目とは裏腹に初心な御方なのですね」



 途端、グサッと白坊は己の胸に言葉の刃が刺さったのを実感した。いや、まあ、今更と言えば今更なので、傷付いたわけではないのだけれども。



「……そう、見える?」

「大事に想ってくれているのは分かります。少なくとも、私には伝わっておりますからご安心を」

「……あ、そう」

「ある意味、良かったのかもしれません。碌でもない女に引っかかる前に、私と一緒に成れたのですから」

「それって、褒めているのか?」

「もちろん、褒めていますよ。こう見えて、私は嫉妬深いのですよ」



 その言葉と共に、軽く……宛がった掌に体重が掛かるのを、白坊は感じ取る。見やれば、ミエは微笑むばかりで……その場より動こうとしない。



 ……仕方なく、その背を押す。



 そうすると、先ほどまで立ち止まっていたのが見間違いであったかのように、スルリとミエは歩き始めた。その勢いは傘の外に出るぐらいで、白坊は慌てて距離を縮めた。


 前を向くミエの表情は……先ほどに比べて、少しばかり良くなっていた。


 けれども、どうして良くなったのか、それが白坊には分からない。分からないが、ミエの心が持ち直したのであれば、それでいいかなと納得する事にした。



「――あ、そうだ」



 そうして、ふと……『実らす三町』へと向かう道中、ミエが足を止めた。



「よろしければ、帰る前に『日本橋通り(今で言う繁華街)』に寄り道して良いでしょうか?」



 日本橋通り……通りの名前を覚えていないので分からないが、人通りの多かった通りだろう。



「構わないが、何か買うのか? そんなにお金は持って来てないぞ」

「いえ、買うのは通和散つうわさんなので、そんなに高くありません。あの通りには腕の良い薬師が居ると、母より聞いておりましたので」

「ふーん、通和散かあ」

「これからしばらく必要になるでしょうし、有って困る事はないと思います」

「……? そうか」



 ……何だろう、漢方薬か何かだろうか?



 聞き覚えのない単語に、白坊は内心にて首を傾げる。


 白坊が歴史というか、江戸時代の暮らしに関して勉強していれば分かったのだろう。あいにく、白坊の知識はゲームで得た知識と、テレビ等で紹介された豆知識ぐらいだ。


 後はまあ、時代劇や小説ぐらいだろうが……時代劇なんぞ俳優の名前を憶えているぐらいだ。小説に至っては、もはや○○を読んだ事がある、程度の記憶しかない。



(しばらく必要になる……?)



 方向転換を行い、日本橋通りへと進み始めたミエの頭上に傘を差しつつ……少し考えみるが、思いつかない。


 チラリ、と。


 ミエの横顔を見やる……が、それでも分からない。ほんのりと赤らんだ頬を見る限り、顔色は悪くない……どころか、血色は良さそうだが……と。



「その、白坊様……こんなことを言うのもなんですけど……」



 そんな白坊の視線に気付いているのかいないのか、ミエは前を向いたまま、視線を寄越すことなく……ポツリ、と。



「声は我慢しますし頑張りますので、姉様とモエが寝静まった後でお願いしますね」



 それだけを告げると……いつの間にか、今にも溶け落ちんばかりに赤らんだ顔を背け、少しばかり早足になった。



 ――いや、霧雨とはいえ濡れてはいかん。



 慌てて追いかけ、傘を掛けて……んん?


 ……。


 ……。


 …………んん、待てよ?



(……サナエとモエが寝静まった後? 何だ、二人が寝た後でミエが頑張るって、それっ……あっ)



 ――白坊、気付く。背筋に電流、走る。



 しばしの間……白坊は、何も言えなかった。霧雨程度では冷めない頬の熱を感じながら……黙って、覚悟を固めるしか出来なかった。



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