第5話: 未練は有っても、成る様にしか成らぬのだ



 ――翌日。



 子供故に回復力が高いからなのか、それとも謎の軟膏の効力が謎めいていたおかげなのかは不明だが、赤く腫れていた少女の肌はすっかり治っていた。


 たった一晩で治るモノなのかと思いはしたが、ここは彼がかつて生きていた世界ではない。『剣王立志伝』、あるいはそれに近しい世界だ。


 見た目が人間であっても、もしかしたら目に見えない部分が人とは異なるのかもしれない。


 あるいは、思っていたよりも軽傷で、子供特有の回復力の速さのおかげか……何であれ、治ったのであれば、何時までも裸でいるのはよろしくないだろう。



 ……と、思っていたのだが。



 昼ぐらいに乾いていると予見していた通り、朝の段階では少女の衣服は乾いていなかった。まあ、あれだけ雪が張り付いていたのだ。


 一枚いちまいがそれ程分厚い生地ではないとはいえ、そういう衣服は一度濡れてしまうと乾くのに時間が掛かるのは当然だろう。


 なので、彼は箪笥より引っ張り出した衣服を少女に渡した。途端、これ以上は受け取れないと遠慮したが、無理やり受け取らせた。


 少女の気持ちは、何となくだが察せられる。


 しかし、部屋の中は十二分に温かいはいえ、見ているこちらが寒々しくて堪らない。子供は風の子と言うが、限度がある。



 ――気を使ってしまうのであれば、お前の服が渇いた後で着替えれば良い。風邪を引かれては嫌だから、それまで着ておけ。



 そう告げれば、少女は申し訳なさそうにしつつも、渡された衣服の袖に腕を通し始めた。やはり、本音は裸で居る事に抵抗感を覚えていたようだ。


 そうして文明人の姿を取り戻した少女と雑談を交えつつ朝食を取って、服が渇く昼過ぎまで……少女を一人にするわけにもいかないので、まったり会話を続けた。


 まあ、会話とは言っても、ほとんどは互いの自己紹介だ。その自己紹介とて、彼から少女に話せることは、そう多くはない。



 何せ、フッと目が覚めたら今の姿で、森の中だ。



 いくら何でも、ここがゲームによく似た世界と言うわけにもいかないし、そもそもゲームという単語が通じそうにないし、第三者から見れば完全に狂人の戯言だ。


 何一つ嘘など付いてはいないが、信じてもらえる可能性が万に一つも無い。ていうか、彼が眼前の少女だったなら、『恩人だけど気が振れている人』とカテゴリーするだろう。



 ――さて、どうしたものか。



 誤魔化しておくのが一番手っ取り早いだろうが、どういうのが一番手っ取り早いのか……ジッと見つめてくる少女を前に、しばし頭を悩ませていると。



「……あの、間違っていたら申し訳ありません」

「ん、なんだ?」

「もしや、貴方様は『稀人まれびと』でいらっしゃいますか?」

「……なに、それ?」



 意味が分からずに尋ねてみれば……中身はそう、複雑なモノではない。


 一言でいえば、『稀人』とは他所の世界よりやってきた人間。『神通力じんつうりき』と呼ばれている、不可思議で超常的な力を有した来訪者の事を差すらしい。


 少女も詳しくは知らないが、誰の家でも語られている、寝物語代わりの昔話として非常に有名なのだそうな。


 ……曰く、数十年に一度、ひと際大きな流れ星が落ちるのが前触れらしく、近いうちに此処とは異なる別の世界から来訪者が現れるのだとか。



「……流れ星、有った?」

「それは、何とも……ごめんなさい。夜は眠いし寒いから……」

「あ、いや、責めているわけじゃないから。でも、そんなに有名なの? どうして俺がそうだと?」

「私たちもみんな知ってるぐらいには……えっと、貴方様を『稀人』だと思った理由は……その、全部が……」

「え、全部?」

「この家もそうですけど、あの……雰囲気が、普通じゃないなって……他には、私の名前を尋ねて来なかったから、そうかな……って」

「……なんで?」

「その昔話の中に、『稀人がこの地に降り立つとき、名を口に出せなくなる。稀人の世界と、こちらの世界では言葉が違うせいだ』という部分がありまして……」

「え?」



 言われて、彼は己の名を口に出した――つもりだった。だが、出来なかった。彼の唇から飛び出した言葉は……沈黙。



(……そうだったのか、今まで全く気づかなかったぞ)



 まるで、かのように、彼は己の名を告げられなかった。


 それはいやらしさすら覚える程に徹底的で、唇の動きから読み取られないようにする程で……直後、思い当たるとすればアレしかないと彼は頭を掻いた。



 それは――、名前だ。



 気付くまで気にも留めていなかったが、やはり、この身体はそうなのだろう。もう数か月も前の事だが、不思議と初めからソコにあったかのように、しっくり馴染んでいた。


 と、同時に……これまた不思議な話だが、彼は……それ自体には、強く感情が動くことはなかった。言っておくが、それは命に対して無関心だからではない。



 何と言い表すのが心に近しいのか……そう、そうだ。



 強いて当てはめるのであれば、彼は……この世界に来る前の彼は、既に生きる目的を失っていたからだろう。


 両親は、何年も前に鬼籍に入った。女付き合いはなく年齢=独身、家庭を持っている友人たちとは時間が合わずに疎遠となり、親戚付き合いも途絶えて久しい。


 良い意味で考えれば多趣味だが、悪い意味で考えれば一貫性はなく、広く浅くで手を出しては止めるを繰り返す事、両手の指では足らない。


 中途半端と言われれば、そうなのだろう。


 結局のところ、何かに必死になるにはもう、彼は体力も気力もすっかり衰えてしまっていたのだ。



 そんな彼が生きていた理由は、死にたくない、ただそれだけだ。



 死にたくないから、生きる為に身体を労わる。健康に良い物を食べたり、時には運動をしたり、風邪を引かないよう予防したり、時には休肝日を作るなどをして、少しは気を使う。


 言い換えれば、成るように成れ……そのようにしか、彼は考えていなかった。


 死にたくはないし生きてはいたいが、ある日突然ぽっくりと頭の血管がやられてそのまま死んでも……まあ、寿命かなと思う程度には、未練がなかった。



「……白坊はくぼう

「え?」

「白くて幼い子と書いて、『白坊はくぼう』。それが、俺の名だ」



 故に、彼は……いや、この身体に与えられた名を、告げていた。


 明日には戻るのかもしれないし、もう戻れないのかもしれない。分かっているのは、その事にいくら頭を使ったところで、現状は何一つ変えられないという事だ。


 忘れるわけではない。ただ、己だけが覚えておけば良い事で、忘れてしまうのであれば、それまでの事なのだ。


 帰ったところで、己を待ってくれている家族など居ないのだから。


 姿形はおろか住む世界すら異なるこの地に生きるのに、前の名に固執する必要があるのだろうか……そんな思いから、彼は……否、白坊は、その名を名乗る事を選んだわけであった。



「……はくぼう様? で、よろしいのでしょうか?」

「うん、そう呼んで欲しい。父が好きだった優駿……強い馬の名からあやかってね……あと、様は付ける必要はないよ」

「とんでもございません。命の恩人に、そのような事は……」

「……まあ、好きなように呼んで」



 ――考えてみれば、何とも数奇な話だろうか。



 酒に酔ってレトロゲームを引っ張り出せば、そのゲームに入り込んだかのような世界で目覚め、身体は別人と言ってもいいぐらいに変わっていた。


 現実世界では、己の身体はどうなっているのだろうか……死体が転がっているのか、それとも消え去ったか……考え出すと怖くなるから、ここらへんで止めておこう。



「――話を戻すけど、他に俺を『稀人』だと思った理由はあるか?」



 些か強引に話を戻せば、少女はしばし瞬きを繰り返した。


 次いで、困ったように視線をさ迷わせた後。



「……と、とてもお美しい御方だから、です」



 ほんのりと、頬を赤く染めた。



「とてもお綺麗で……それだけお綺麗な顔をしているんだから、とっくに噂になっているだろうなあ……って、思いまして」

「……あ、あ~、あ~~~……うん、なるほど、分かった」



 ――それだけで、察した。



 今まで独りで居たから気付けなかったが……なるほど。『魅力』に割り振ったSPの影響は、こういう分かり易い形で現れるのだなと白坊は納得した。


 ……色々と考えなくてはならない事が増えてしまったが、今の段階で考えてもしょうがない。


 とりあえず、自分以外にもこの『剣王立志伝』に似た異世界にやってきた同胞が居る可能性が分かっただけでも、ヨシとしよう。



 そう、ひとまずの結論出した白坊は……改めて、少女を見やる。



 すると、少女は特に迷う素振りもなく語り出した。内容は、この世界の常識に関する事と、少女の素性について。


 少女の素性については、特別興味が有ったわけではない。


 ただ、会話の流れで(今更ながら、だが)今度は少女の方に……と、なっただけ。少女が特に語りたくないのであれば、黙っていても彼は何も気にしなかった。


 でも、少女は命の恩人に対して無暗に口を閉じる真似はしたくなかったようで……あっさりと、自身の事を含めて色々と話してくれた。



 ……その内容を簡潔にまとめると、だ。



 まず、少女の名は、『ミエ』。


 名字は無く、両親は飯屋をやっていて、上に兄が2人、姉が1人、妹が1人、ミエを入れて、7人家族らしい。


 そして、少女……ミエが山の中で遭難していた理由は、雪解けのこの時期にしか実らない『雪いちご』なる果物を取りに来ていた際に、雪崩に巻き込まれたから、とのこと。


 奥の方には行かず、いくらか手前の方。獣などがあまり近寄らないよう獣避けの煙を立たせた後で、村の子供たちが固まって作業をしていて……そこで、雪崩が起こった。


 作業をしていたそこは雪崩や地滑りが起きた事がない一帯だったらしく、誰もが突然の事に頭が真っ白になったのだとか。



 ……で、ミエは運悪く雪崩に巻き込まれた。



 辛うじて、自分の家族が位置的な関係から雪崩の外に居たところまでは見えたらしいが……一瞬にして視界が白く染まり、何もかも分からなくなった。


 そして、気が付けば森の中……辺りはへし折れた木々や土砂混じりの雪が散乱し、ミエはその中で目を覚ました。


 不幸中の幸い、というやつなのだろう。


 そのままでは更に下流に流されながら、へし折れた樹木や岩石にもみくちゃにされ、そのまま雪の下に埋もれ……凍り付いていたのは言うまでもない。


 だが、幸運にも服の端が枝葉に引っかかった。


 そして、おそらくは朦朧とした意識の中でソレを掴み……反動で、流れから弾かれたのではないか……と、ミエはその時思ったらしい。


 でも、幸運はそこまでだった。


 どれほど下流へ流されたのかは分からないが、少なくとも、家族の呼び声が聞こえない位置だった。(実際は、雪崩を恐れて声を出さなかったのだろう)


 少し位置を変えるだけで、たちどころに己の位置を見失う……それが自然だ。慣れているとはいえ、普段はふもとの村で暮らしているミエにとっては致命的な状況であった。


 なにせ、只でさえ止まっていると寒いというのに、衣服が雪や泥で濡れてしまった。足も、じくじくと痛んでいる。


 おまけに、雪崩によって周囲の景色までもが一変し、どこへ下れば良いのかすら分からなくなってしまった。


 なので、仕方なく……勘を頼りに山を下る事に決めた。


 けれども、それで下山出来るなら遭難者なんて激減するわけで……案の定、そのまま道に迷ってしまった。


 そうこうしている内に日が暮れ、辺りは暗く……吹雪いてはいないものの、手足の感覚は薄れ、もう自分はこのまま死ぬのだと思い始めた。


 ――その時、偶然にも見付けたのが……この家なのだとか。



 ……。


 ……。


 …………そのようにして、だ。


 ミエの話に耳を傾けていた白坊は……ふむ、と頷き、次いで、ミエに尋ねた。



「ミエの家族は、無事だと思うか?」

「たぶん、無事だと思います。一瞬の事なので断言は出来ませんが、姉さんたちの上からは雪が近づいていなかったはずなので……」

「……ミエ以外に、巻き込まれた子たちは?」

「……たぶん、4,5人ぐらい。私は家族から少し離れて、友達と一緒にいたから……あ、あの!」

「残念だけど、俺はミエ以外に人を見ていない」



 意を決して顔を上げたミエに対し……彼は、期待を持たせぬようにあえて事実だけを告げた。


 それで、ミエも察したのだろう。「……そうですか」悲しそうに顔を伏せただけで、それ以上は何も言ってはこなかった


 ……。


 ……。


 …………乗り掛かった船というわけではないが、これも何かの縁だ。


 腫れは治っても、その足は痛みが引いただけで歩ける状態ではない。大人びた賢さが有るとはいえ、子供を放り出す真似をする気はない。


 そう、思った白坊は……ヨシ、と一つ気合を入れるのであった。







 ――川を下れば、とりあえずは知っているところに出られるだろう。



「あ、あの、ごめんなさい……お、重いでしょう?」

「年齢相応には重いだろうよ……汗臭いだろうが、しばらく我慢してくれ」

「とんでもありません! 本当に、ありがとうございます!」



 そんな軽い考えで出発した彼が、ミエを背負って出発したのは……お昼を少しばかり回った頃であった。


 その時間になったのは、単純に服が乾かなかったからで……どうしてミエをおんぶしているのかと言えば、ミエに歩かせるわけにはいかないからだ。


 本人は、二言目には歩けるだの大丈夫だの口にしていたが、応急手当として衣服の切れ端でテーピングをした白坊の目は誤魔化せない。


 我慢強く顔には出さないようにしているが、その足首は薄らと腫れている。触れば、ビクッと痙攣して足を引く……正直、バレバレである。


 とてもではないが、そんな足で積雪の中を下山させるわけにはいかない。


 悪化して動けなくなるだけでなく、冬眠明けの獣に襲われでもしたら、逃げる事が今のミエには出来ないからだ。


 また、下手に無理をさせて後遺症を残せば、ミエの今後の人生にも暗い影を落とすだろう。いや、間違いなく、残る。


 『剣王立志伝』の時代設定を考えれば、風邪だって、この世界では命を落としかねない重大な病気だと思われるから。



 なので、白坊はミエを背負って下山することにした。



 ミエも、本音では自力での下山は無理だと分かっていたのだろう。白坊の本気を実感した後ではもう、降ろしてとは言わなくなった。


 そんなこんなで、出発をしたわけだが……その日のうちに、山を下りる事は出来なかった。


 御世辞にも通りやすいとは言い難い山道に加え、昼過ぎに出発した(昼食も済ませた)うえに、背負ったミエを気遣いながらの下山だ。


 おまけに、川は直線的に伸びているわけではないし、あくまでも目印にして降りるしかない。


 つまり、途中で何度も立ち止まっては進める道を探し、時には少し引き返して……そうしながら、ゆっくり進むしかないのだ。



 ――映画とかだと、一日で山越えとかするけど……現実は、やっぱり違うんだな。



 そんな事を思いながら、『じたく』を出してゆっくり身体を休めて、二日目。


 今度は朝一で出発したおかげか、あるいは知らぬ間に難所を越えたのか……昨日の牛歩が嘘であったかのように、スイスイと前へと進めた。



 ……。


 ……。


 …………そうして、昼を少し回り、もうそろそろ休憩しようかと白坊が考え始めた頃。


 その頃にはもう、白坊たちは山を下りてふもとに出る事に成功していた。幸いにも、冬眠明けの獣に出くわす事もなかった。


 しかし、子供であるミエが記憶している道は少なく、当然といえば当然だが……ここが何処かは分からない、という話であった。



 ……なれば、分かる所まで行くまでだ。



 山道とは違い、平地には人の往来の積み重ねによって作られた道が出来ている。人通りは無かったが、歩きやすさは段違いであった。


 けれども、問題が一つ生じた。


 それは、平地に出られた時に道が左右にあって……つまり、左に行けば良いのか、右に行けば良いのか、それが分からなかったのだ。



 ――ミエ曰く、『正しい方向なら右手側に茶屋が途中に有る。逆なら、反対方向(隣の村)へと進んでいる』とのこと。



 それを聞いた白坊は……とりあえず、左に……もう少しだけ進もう。


 そう判断した白坊は、えっちらおっちら歩を進める。ミエも何か見覚えのある物はないかと目を凝らしながら、落ちないよう白坊の背中にしがみ付いていた。


 ……そんな感じで進み始めて、かれこれ30分ぐらいが過ぎた頃だろうか。



「――あ、ここは……」

「ん? 見覚えのあるところに出て来たか?」

「はい、あそこの……道の脇に置かれたお地蔵様。あれは確か、茶屋の近くに設置された安全祈願の……あ、アレです!」



 ようやく……覚えのある物を見つけた。


 一つ見つかれば後は早いとは言うが、この世界でもソレは同じであった。


 少しばかり道が曲がっていたので分からなかったが、ミエの言う通り、道を曲がれば、少し先にある茶屋を右手側に見る事が出来た。



「……なあ、ミエちゃん」

「はい」

「あそこの茶屋からこっちを指差している女の人、見覚えある?」

「……遠くて顔が分かりませんけど、たぶん……近所のおばさんだと思います」

「つまり、ようやく家に帰れそうってわけか」

「……はい!」



 ついでに、ミエを知っていると思われる女性が、偶然にも居合わせたのを見て……白坊は我知らず、安堵のため息を零した。


 ……あそこで、もしも反対に進んでいたら。


 その時、ふと、白坊は考えた。二分の一の確率で辺りを引いた今、ミエも似たような事を考えたのだろう。



 ――反対へ行かなくて良かった。



 そう、申し合わせたかのように二人ともが同時に呟いた……その瞬間。


 二人は……これまた申し合わせたかのように、同時に笑みを浮かべたのであった。



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