5分で解ける物語『ラブレター』

あお

第1話

 トイレから教室に戻り最前列の廊下側、四隅の右上にあたる最も入口から近い座席に腰かける。


「しゅーた遅かったな、もしかして大っきい方か?」


 ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべて後ろから話しかけてきた男子生徒――とーやは高校に入ってから一番仲良くなった友人で、親友と呼べる仲である。


「ちげぇよ。トイレ行くついでに古文の課題を職員室に出しに行ってきたんだよ」

「なんだ、お悩みの便秘がようやく改善されたのかと思ったぜ」

「改善されてないし、元々悩んですらないからな? いつだって快便だよ俺は」


 くだらない会話を進めながら、壁に掛けられた時計を見やる。時刻は午後12時50分と目下昼休み中で、休み時間は残り20分と少し余裕がある。

 この時間、いつもは後ろの親友とーやと駄弁ったり、ゲームしたりして過ごすのだが今日はは次の授業に英語の単語テストがある。もちろん勉強など微塵もやってないので残り20分で50単語を叩きこまなければならない。

 鉄アレイのような重さを持つ単語帳を机から引っ張り出し、いざ暗記を――としたところで単語帳に何やら紙が挟まっていた。

 無地の紙だが質感はそこそこ良い。メモ用紙というよりかは手紙用の紙だろう。

 二つ折りになったそれを開いて読むと、そこには


〈いきなりでごめんなさい。私、ずっと前から秋太しゅうたくんのことが好きでした。でも直接言うとこれまでの関係が崩れてしまいそうで、それが怖くて手紙で伝えることにしました。臆病な私を許してください。――秋太しゅうたくんのことが大好きです〉


…………え?


「えええええええっ⁉」


 思わず叫び声をあげてしまった。

 心臓がバクバクとうるさく鳴っている。

 一瞬にして何度も、何度もその文面を読み返す。

 これは、これは、これは‼


 ラブレターだぁぁぁぁぁぁぁっ‼‼‼‼‼‼


「どうしたいきなり叫んだりして。あ、まさか漏らしたのか?」

「ちっげぇよ‼ 見てくれよこれ‼」


 俺は人生初のラブレターを考えなしに他人に見せた。

 手渡してからはたと気づく。

 こういうのは誰にも見せず隠しておくものなんじゃないか。差出人は俺にだけその気持ちを伝えてくれたのであって、他人に見せるなんて行為はその気持ちを弄ぶようなことなのでは⁉

 と、内心焦りまくるもそれはもう後の祭りである。

 まあどうせ、とーやには相談してだろうし、親友なら問題ないだろうきっと。

 当の本人も俺の人生初ラブレターに大きく目を見張っていた。


「――いてねぇ」

「……え?」

「名前、書いてねぇ」


 そう言ってとーやは文面の末尾を指差して俺に向けた。


「ほらここ。差出人の名前が書いてねぇじゃんか」

「……ほんとだ」


 親友の言うように、名前を書くようあけられている末尾には何も書かれていない。


「ってことは、これは無効だな」

「はぁ?」

「いや誰が書いたのか分かんねぇだろ? ってことは誰に告られたのかも分かんねぇってことだ。それはつまりお前はまだ誰からも告られてねぇってことになる」

「まあ、それは確かに」

「だからこのラブレターは無効ってことだ。あぶねー、お前に先越されるなんて一生の恥になるとこだったぜ」


 額の汗をぬぐうとーや。いかにもわざとらしいその仕草が気持ちいいほどムカつく。


「んな訳あるか! 焦って書き忘れただけだろ!」

「大事な大事なラブレターだぞ~? 名前書き忘れるなんてことあり得るか~?」

「緊張してたんだよこの子は!」

「どうかな~、ただのイタズラじゃねぇの~?」


 ヘラヘラとした笑いに煽るような口調。

 こいつ、よっぽど俺の恋路を邪魔したいらしい。

 イタズラであってたまるか。人生初のラブレターを差出人不明で無効書処理されては、俺も相手もたまったもんじゃない。


「――探す」

「へ?」

「探すよ。これをくれた相手の子を!」


 分からないなら探せばいい、簡単なことじゃないか。

 ここは学校。女子生徒は約300人、その内同じ学年は100人で、知り合いはその半分。

 確率はそこらのソシャゲガチャよりうんといい。

 俺は興奮しきった頭をリセットし、差出人を見つける手順を頭の中で組み立てた。

 まずは――情報整理からだ。

 今日の俺は登校してから昼休みにトイレ行くまで席から離れていない。ということは、この手紙が単語帳に挟まれたのは、俺が職員室を経由してトイレに行っていた10分の間である。

 筆跡に心当たりはなく、字から差出人を推測するのは不可能だ。

 その他に差出人に繋がるような特徴は見受けられない。

 では次、情報収集を始めよう。

 10分の間、俺の席を視界に収めていた重要参考人に俺は質問を投げた。


「とーや、俺がトイレ行ってる間、俺の机に誰か来たか?」

「えっ、まじで探すの?」


 親友は一瞬驚いた顔をみせたが、俺の真剣なまなざしに折れてか諦めたように「はぁっ」とため息をつく。


「分かったよ。えーと、お前が行ってからは……二人の来客があったぜ」


 ナイス! ナイスすぎるぞ我が親友!

 これで一気に二分の一だ!


「その二人ってのは⁉」


 食い気味に聞いたせいか、若干とーやが引いている。


「え、えーと、最初に来たのは夏希だったかな」


 ほう、と言葉が漏れた。


 清水夏希――彼女は現在俺のお隣さんだ。先月の席替えで俺の左横、最前列を勝ち取ってしまった同志であり、隣同士になって以降、急激に仲が深まった。

 課題の見せ合いや、授業で先生に指名された時のフォローなど、互いに助け合っているうちに仲良くなり、最近は夜な夜なメッセージのやり取りも交わしている。

 そして特大なのは夏希が最近髪を内巻きにしたこと。女子が髪型を変えるのは100パーセント恋に目覚めたからだと、テレビの恋愛マスターが語っていた。

 正直、俺も狙っていた節はあったので、もし彼女が差出人であれば人目を気にせず飛び上がってしまうだろう。

 あいにく今は席を外しているらしく、戻ってきたら真っ先に確認しよう。


「もう一人は?」

「春子さん、だっけ。ほら、この前転校してきた子」

「あー、なるほど」


 近藤春子。彼女は先月うちのクラスに転校してきた女の子で、俺と同じ図書委員を務めている。転校してそうそう、右も左も分からず、友達作りにも苦戦していた春子は、図書委員の仕事中、俺に色々と相談事を持ちかけてきた。人に相談されるのは苦じゃないし、転校生としての苦労は察するに余りある。自分なりの処世術なり、春子に合いそうな女子を教えたりと、参考になったか微妙なラインの話しかできなかったが、「今度お礼をさせてくださいっ!」と言ってもらえるには、彼女の助けになれたようだ。

 春子も悪くない。そんな傲慢さを咎められない現在の俺はやはり冷静とは言えなかった。


「んで、どうするんだ? その二人に突撃でもするか?」

「そう、だな。突撃ってほどでもないけど、俺に何かしらの用はあったはずだし。それっぽく探ってみるよ」


 教室をぐるりと見回す。隣の夏希はまだ戻ってきていなかったが、俺の席から対角線上に春子の姿が見て取れた。

 春子は一人読書に励んでいるので声もかけやすそうだ。

 ラブレターをポケットにしまい、俺は春子の席へと歩み寄る。


「春子、いまいいか?」


 俺の声にビクッと肩をふるわせる春子。


「ど、どうしたの秋太くん?」

「いや、俺に何か用があったって、とーやが」


 春子は一瞬きょとんとしてから、ああ! と手を打った。


「この前お礼をしたいって言ったじゃない? ……ハイ!」


 そう言って春子が机から取り出したのは、高級感漂う臙脂色の装丁が施された単行本。


「これ私が大・大・大好きな本! 秋太くんにも読んでみてもらいたくって!」


 眩しい笑顔に目を細めながら単行本を受け取る。


「ありがとう、読んでみるよ」

「うん! 読んだら感想教えてね!」


 俺は、それこそ鉄アレイほどの重さがある単行本を片手に席へと戻った。


「外れだったみたいだな」


 とーやは嬉しそうにそう言った。


「外れ、じゃない。お礼をくれたんだ。まあ、これじゃ脈はなさそうだけど」


 相手の好みを度外視した趣味の押しつけは、いかにも本好きの春子らしい。だが彼女の意はそこまでだろう。

 と、なると差出人は夏希か?

 隣の空いた席を見つめる。

 ガチャリと扉の開く音がした。

 視線を横に向けると、教室に入ってきたのは夏希だった。

 遅れて夏希がこちらに気づき目が合う。


「あっ……」


 彼女は思わずといった風に言をこぼし、口を押えた。

 これは、もしかすると、もしかするかもしれない!

 真っ先に問いただしたい衝動を必死に堪え、俺はさも冷静に尋ねた。


「何か用があったんだよね? ごめん、俺トイレ行ってて」

「う、ううん。なんでも、ない、から……っ!」


 戸惑った表情を浮かべた夏希は、パッと教室を飛び出してしまった。


「夏希!」


 反射的に席を立つ。

 どうして、どうして逃げたんだ⁉いや考えても答えなんて出やしない。

 追いかけて直接聞き出そう。間違っていても、ここで追わなきゃ絶対後悔する!

 俺はそのまま廊下に飛び出し、右手に夏希の背中が見えた。

 瞬間、校則五――廊下は走らない、を堂々と破る。

 俺に気づいた夏希は早歩きから全力ダッシュにシフトした。


「なんで逃げるの⁉」


 そんな俺の言葉に答えるそぶりなど一切見せず、彼女は逃げ続ける。

 逃げる女の子を追いかける、という行為に謎の罪悪感を覚えつつ、廊下の端でようやく夏希に追いついた。

 廊下はすごそこで行き止まり。夏希は膝に手を当て、息を荒げている。


「どうして、逃げたの?」


 かくいうこちらも全力で廊下を走ったせいで、はぁはぁと息が乱れる。

 お互い呼吸を整えるのに20秒。改めて俺は夏希に尋ねた。彼女は、


「いやー、その……」


 と口ごもっている。

 これは確信犯だろうと俺はポケットからラブレターを取り出し、夏希に突き付けた。


「これ書いたの、夏希?」


 心臓がバクバクとうるさい。これでもし差出人が夏希だったら、俺は夏希と――


「え、違う、よ?」

「……え」


 ……まじか。


 俺は何を言うべきか分からず、口をパクパクさせてしまう。


「もしかして、それで私を追いかけて……?」


 懐疑的な目を向ける夏希。

 これは……やばい。恥ずかしすぎる。最悪の勘違いだ。今にも叫びだしたい。


 キーンコーンカーンコーン。


 昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。


「やば、次の授業始まっちゃう!」


 夏希は、「なんかゴメンね」と言って足早に教室へと戻っていく。

 我を取り戻すのに五秒ほどかかった俺は、再び夏希を追うように廊下を駆けた。

 その間にめぐる思考。

 じゃあ、いったい誰がこのラブレターを書いたんだ?

 もしかしてとーやの言うようにただのイタズラ?

 イタズラ、なのか……

 肩をがくりと落とし、俺は自分の席に座った。

 後ろからからかうような声がかけられる。


「ほーら、私の言った通りじゃん」


 見慣れた憎たらしい笑顔が想像つ……く…………私?

 バッと振り返ると親友はしまったと口を押えていた。

 


 〈直接言うとこれまでの関係が崩れてしまいそうで〉

 


 俺はその可能性を完全に失念していた。

 そうだ、もう一人いるじゃないか。

 むしろ俺の机をあさり、単語帳に手紙を挟むなんて芸当を自然にこなせる人間はこいつしかいない。





 差出人は俺の親友――長嶋冬弥だ。

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5分で解ける物語『ラブレター』 あお @aoaomidori

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