高校編
娘vs人間関係
四月、私は高校生になった。制服もセーラー服からブレザーに変わり新鮮な感覚。まだ少し冷たい朝の風がスカートの裾と髪の毛を軽くそよがせる。
そんな私を見たさおちゃんは並んで歩きつつ訊ねてきた。
「髪、伸ばすの?」
「ちょっとだけね」
頷き返す。子供の頃からずっと同じ髪型だったんだけど、高校入学を機に少し伸ばしてみることにした。
「うちのママもさ、高校に入った時イメチェンしたらしいんだよ」
「あ〜、たしか“ガングロ”とか言ったっけ」
「そうそう、髪も染めちゃってさ。じいちゃん達がすごく心配したって」
「じゃあ駄目じゃん」
「あはは、だから私はちょっぴり変えるだけだよ。髪を切りに行くたびに吉竹おじさんもうるさかったし」
「ふうん……」
私の回答に、けれど不満顔のさおちゃん。微妙に納得できないらしい。
「それって木村とは関係無いよね?」
ぎくっと硬直してしまう。
我ながら隠しごとが下手だな。
「あゆゆ……」
「そ、そりゃ全く気にしてないかって言われたら、そんなわけないし……」
「まあ、そうなんだけど」
「いや、ほんとキッカケ程度のもんだよ。結局、付き合ってはいないんだし」
──先月のことである。卒業式の日、私は幼馴染の木村 無限に告白された。覚えてるかな? あのツンツン頭で目つきの悪い、サッカーと柔道を掛け持ちしてるスポーツ少年のあいつ。
その木村に卒業式の後で校舎裏まで呼び出されたかと思うと、もじもじしているばかりの姿を数分間眺めた後で勢い込んで言われた。
『お、オレと付き合ってくれ歩美!』
いやもう、びっくりしたのなんの。あいつ小一の頃から私のことが好きだったんだって。まったくわからなかった。
こっちはというと、あんまり驚きすぎてしばらく目と口を開いたまま硬直。やっとこさ返した言葉はこれ。
『えっと、なんかやるの? 卒業記念のお祝い? 私、なんにも聞いてないけど』
『ちがあう!!』
木村は怒鳴った後、髪をかきむしって地団駄。
『お前はほんと! ほんとにもう! 恋愛漫画の鈍感主人公かよ!?』
『木村、そういうの読むの?』
『あ、うん、姉ちゃんが色々持ってるから借りてってちがあう! 話を逸らすな!』
『ご、ごめん……』
そんなにぽんぽん怒らなくても。理不尽だ。いきなりわけわかんないこと言われて混乱してるのはこっちなのに。
『オレはお前が好きなの! LikeじゃなくてLove! わかるか!?』
『そのくらいの英語わかるに決まってるだろ! 馬鹿にすんな!』
『そうじゃなくて!』
『ん? Love?』
『そう!』
小首を傾げた私を見て、嬉しそうに指差す木村。こら、人を指差すな。
『つまり恋愛がしたいんだ!』
『木村が?』
『オレが!』
『誰と?』
『You!』
『ゆう……B組の
『なんでそこは英語だって理解できねえんだよ!? お前だよお前っ! 大塚 歩美が好きだって言ってんの!』
ここで、ようやく私も理解し始める。
『好き? えっと、友達として……じゃないんだっけ』
さっきLikeじゃなくLoveって言ってたもんね。えーと、Loveってのはつまり愛情のことで……。
『──は?』
『……アイ! ラブ! ユー!』
『はあああああああああああああああああああああああああああああああっ!?』
流石の私も、あの時ばかりは顔が真っ赤になってしまったよ。
というわけで十年近い付き合いの幼馴染に告白されてしまった私だったが、返事はどうしたのかというと──
「改めて聞くけどさ、なんでフッたの?」
「いや、だって……」
木村は友達だと思ってるけど、あくまで友達であって恋愛対象じゃない。
……という、これまでにも何度か答えたはずの回答を返すと、さおちゃんはまた疑惑の眼差しを向けてくる。
「ほんとかなあ……?」
「なんでさ」
別に嘘なんかついてない。
「いや、木村と付き合ってほしいわけじゃないんだよ? でも、なんていうかあゆゆってもっとこう……」
「何?」
「ん〜、やっぱいいや」
何かを言いかけたさおちゃんは、けれどあっさり引き下がった。
「なんだよ、気になる言い回し」
「まだ高校生活二日目よ。今ここであたしが色々言うより、これからの体験の中で自力で気が付いた方がいいと思ったの」
「何に……?」
「なんにって」
遠い目のさおちゃんは、しばし溜めを作ってから答える。
「あんたの欠点によ。しつこいようだけど木村に同情してるわけじゃないからね? ただ、あいつをフッた理由をきちんと自覚してないようじゃいけないと思うわけ」
「う〜ん、私、自覚できてない?」
「うん」
「そっか……」
だったら反省しなくちゃいけないな。気が付かないうちにどっかで嘘ついてたってことだろうし。教師になるには、それじゃいけないよね。
一方、さおちゃんは私のうなじに手を伸ばしてきた。前より数センチ伸びた髪をいじりつつニシシと笑う。
「ま、これからはそういう経験に事欠かないって」
「そうなの?」
「そう。中学生のうちは、まだ大半の男子に遠慮があった。けど、これからはあいつらもがつがつ来るはず。盾も無くなったことだし忙しくなるでしょうね」
「盾?」
「どこかの誰かが馬鹿なことをやめたの」
さっぱりわからない。さおちゃんはやっぱり私より大人だな。
しばらくして、さおちゃんの言ってたことを部分的に理解し始めた。
「大塚さん! 付き合ってください!」
「中学の時から好きでした!」
「一年の大塚さんって君だよね? 僕、三年の杉野っていうんだけど」
「大塚さん、特別にわたくしの妹になることを許可してあげるわ!」
「お断りします!」
はぁ、はぁ……な、なんで? まだ入学して一ヶ月なのにいきなりモテるようになってしまった。
「あゆゆは元々モテモテでしょ」
さおちゃんは完全に私の窮状を楽しんでる。ちなみに本人も大人気なのだが、告白されてもことごとく断っているようだ。来る者拒まずだった中学時代から心境の変化があったらしい。
「私が?」
いやいや、たしかに木村や後輩の二人からは告白されたけど、あの三人が特殊なだけでしょ? 中学に上がったあたりから男子達にはむしろウザがられていた。
ところが、私の親友は実にわかりやすく私がモテる根拠を説明してくれた。
「時雨さんって美人よね?」
「うん」
「雫さんも美しすぎる女社長って有名じゃない?」
「そうだね」
「で、アンタはあの二人に良く似てるの」
「……」
ああっ!?
「わかった? そういうこと」
「私、美人なのか!!」
「今まで自覚が無かったとはな……」
夕飯の席。家族にも相談してみたら父さんに呆れられた。
「俺も何度となく褒めているだろう。冗談だと思っていたのか?」
「いや、父さんは子供なら誰にでも可愛いって言いそうだし」
「……たしかに」
自覚あったんだ。
「雨道さんに似たんだから、そりゃ美人よ」
「って言ってもさ〜」
ママの一言にも反論。
「パパは男じゃん。父親似だから、自分は男っぽいんって意識があったんだよ」
多分ね。きんぴらごぼうを口に入れ、もぐもぐしながら自分の考察に納得した。そんな理由でもなきゃ、まるで私が馬鹿みたいじゃん。
「ねーね、やわらも、やわらも」
「ん? 柔もきんぴら食べたいの?」
隣に座る二歳の妹にせがまれ、反射的に箸でつまんだそれを差し出す。でも、幼児にはまだ固いと気付いて引っ込めた。
「いじわる! たえたい!」
「あ、ごめん。でも意地悪じゃないんだよ、柔には固いから……」
どうしたもんかと困っていると、ママが小鉢に少しだけ小皿に取り分け立ち上がる。
「柔、ちょっと待ってなさい。食べやすいように細かく刻んであげるから」
「あいっ」
ママの提案には素直に従う妹。この、お姉ちゃんだってお前が大好きなんだぞ。悔しいからぎゅーっとだっこしてやった。
「きゃっきゃ」
喜んでる。いいよ、その方がお姉ちゃんも嬉しいもんね。
「でも、そうか。固いものでも小さくしたら食べられたりするのか」
「うむ、俺も友美がいた時によく使った手だ」
「へえ」
「しかし、正道には必要無いな」
「うん……」
やはり二歳の弟は、そのままのきんぴらごぼうをフォークで口に運んではゴリゴリ音を立てて咀嚼している。固さを全く苦にしてない。ごはんも味噌汁も大人並の量をぺろりと平らげる。背丈もこの一年で双子の妹よりだいぶ高くなった。
「とても二歳児とは思えない……」
「こやつは俺に似たな」
父さんもこういう子だったんだろうな。すごくイメージしやすい。
「歩美ちゃん、沙織ちゃん、それじゃまたね〜」
「うん、またねー」
中学までの友達で同じ高校に入ったのはさおちゃんだけ。でも一ヶ月も経ったら流石に新しい友達が増えてきた。ほとんど地元の子だから電車で一時間かけて通って来る私達と校外で会う機会は少ないんだけどね。ZINEではグループを作って話してるよ。オンラインで勉強会もしてる。
反面、昔からの友達との交流は減っちゃった。寂しいけどしかたがない。私は一人しかいないんだ。皆もそう。交友関係を広げていけば一人一人に割ける時間は短くなる。今の人間関係を優先すると疎遠になってしまう友達もいる。
もちろん大切な友達とは繋がったままでいたい。でも、誰が大切かそうでないかなんて考えるのは、なんとなく嫌だな。
『今年も届いたか』
昨夜見た父さんの笑顔を思い出す。会社員だった頃の同僚から野菜が届いた。その人は、父さんにとっては“よく突っかかってくる相手”でしかなかったらしい。正直苦手だったそうな。
でも、相手にとっての父さんは“愚痴一つ言わず、気難しい自分に付き合ってくれる友達”だったと、お互いに会社を辞めて会うことも無くなってから知った。
父さんを見てると思う。人と人との繋がりは、そう簡単に切れることはないのかもって。父さんは会社勤めだった頃、仕事が忙しすぎて滅多にこの町に帰って来られなかった。
でも裏の家の吉竹おじさんや木村の師匠の当間さんとは今でも親友だし、十五年ぶりに再会したママとも結婚できた。
電車を降り、駅から出て、日が暮れ始めた空を見上げながら呟く。
「……私は、心配しすぎなのかもしれないね」
「そうだね〜」
私の考えなんてお見通しとばかりに、唐突な一言にまで即答するさおちゃん。ちょっと悔しい。
すると進行方向から見慣れた、けど久しぶりに見る顔が走って来た。
「あっ」
「あっ」
「……ちっ」
互いに声を上げ、五mくらいの距離で立ち止まってしまう。さおちゃんも合わせて足を止めた。フンと鼻を鳴らしてから挨拶する。
「久しぶりじゃない」
「お、おう」
頷くツンツン頭。つまり木村。着ているジャージの胸と背中に“神住工業高校”と刺繍されている。あいつは地元の男子校に入学したんだ。
木村とも別に縁を切ったわけじゃない。ただ、流石に気まずくて卒業式以来一言も交わしていない。
今回もまた、しばらく二人で目をさまよわせ、やがてどちらからともなく「じゃあ」と言って別れようとする。
何が「じゃあ」なんだよなどと思っていると、さおちゃんが声を張り上げる。
「あゆゆさあ、最近モテモテだよね!」
「へっ?」
「高校に入ってからまだ一ヶ月だよ! なのに何人に告白されたんだっけ?」
「え、えっと、八人」
「すごーい! 週に二人の計算じゃん!」
「さおちゃん!?」
ここ他にも人がいるんだよ、なんでそんなこと言うのさ!? ほら、みんなこっち見てるじゃん!
慌てて口を塞ごうとすると、逆に伸びてきた両手で顔を挟まれ強引に振り向かされる。
木村が、その視線の先でやっぱりこちらに振り返っていた。夕日を背負っていて表情はよく見えない。
でも──
「……やっぱり無理だ」
そう呟いた声からは、強い決意が感じ取れた。
「歩美!」
「は、はい!?」
「オレ、高校では柔道一本で行くって決めた!」
「え? そうなの?」
知らなかった。一ヶ月間なんにも話さなかったからなあ。
「オレ、お前の親父さんみたいな強い人になるよ」
「うん?」
父さんみたいに? なんで?
きょとんとした私に、さらに告げる。
「オレ、諦めないからな! もっと自分を磨いて自信がついたら、また告白する!」
「へえ……えっ!?」
「おい、ボケるなよ? お前にだぞ、お前に!」
「わ、わかってるよ!」
大丈夫。今回はちゃんと文脈から読み取れた。
私が頷いたことを確かめると、木村は手を振って走り出した。
「じゃあまたな! 次こそは振り向かせてやるぜ!」
「ま、また……」
困惑したまま見送る私。さおちゃんはため息一つ。
「次こそはって、次回は何年後に現れる気だよ? どうせあゆゆの誕生日なんかにはまた顔を出すくせに」
「はは……」
ああそうか、昔から誕生日になると祝いに来てくれたのも友達だからじゃなくて、私のことが好きだからだったのか。
いまさらに 恋の軌跡を 知りました
「どうするの?」
「どうしようか……」
木村は良いやつだと思ってる。でも、やっぱり恋愛感情は湧いてこない。
それとも、これも私がまだ気が付いてないだけ?
「あゆゆってさ、好きな人いないでしょ」
「……うん」
言われてみるとたしかに、今まで一度も恋なんてしたことがない。それに近い感情なら昔、父さんに感じたことはあった。もっと年齢の近い人だと通さんにも憧れを抱いたっけ。かっこいいなって。
でも、やっぱりどちらも恋じゃないと思う。女子なのに……おかしいのかな私……。
「考えてみると、恋なんてできる気がしないな。わからなすぎるよ」
「恋はするもんじゃなく、落ちるもんだって誰かが言ってた」
「落ちるの?」
「落ちるのよ、落とし穴みたいに」
じっと見つめて来るさおちゃん。声には妙な実感がこもっている。
「ま、その時が来たらわかるって」
「ふうん」
「それで、木村への返事はどうするの?」
「え? 返事?」
「さっき告白されたじゃない」
「いつ?」
「……」
「……」
「あっ!!」
そうか、さっきのって実質また告白されたようなものか!
目を泳がせながら考え、やがて結論を出す。
いや、先延ばしにする。
「あ、あいつまた告白するって言ってたし、それまで保留って……駄目?」
「うわ、ひど」
「うっ」
やっぱり駄目か。真剣な気持ちで告白してくれたんだしね。私も、もっと真面目に考えないとな。
いや、前回もちゃんと考えたんだよ? ただ、あの時はいまいち事態を把握しきれていなかっただけで……。
肩を竦めるさおちゃん。
「冗談よ。アイツにとっちゃ猶予をもらえた方が嬉しいでしょ。たっぷりと時間をかけて悩んでやんなさい」
「はい……」
そんなわけで大塚 歩美、十六歳。高校に入学したばかりですが、また新たな難題を抱える羽目になりました。
ああもう、どうしたらいいんだ!?
「うるせーボケ、色ボケ! アタシに相談すんな! こっちだって自分のことでいっぱいいっぱいなんじゃ! オメーの面倒まで見られるかっ!」
「小梅ちゃんひどい!」
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