姉vs二歳児
夏休みになった。一時間早く登校しなければならなくなった私にとって、普段より家族との交流を増やす良い機会。
とはいえ、それはゆっくりできるという意味じゃない。むしろ学校に通ってる時よりも体力の消耗は激しくなる。何故なら──
「こうえん! こうえん!」
キコキコキコキコ!
「ま、待って正道! あぶない、あぶないってば!」
ダダダダダダダ!
速い! 速いようちの弟! なんで二歳児のこぐ三輪車があんなスピード出せるの!?
ともかく、なんとか追いついた私は保護者用の後部ハンドルを掴んで止める。
「こら! 道路ではゆっくりって言ったでしょ!」
「ゆっくいはやだ!」
「やだじゃないの、駄目なの。車にひかれたら死んじゃうんだよ!」
「むー!」
ほっぺを膨らます正道。死んじゃうなんて言われてもまだ理解できないか。どうやって教えたもんかな……。
「やー、ほんとヤンチャだね正道は」
「まったくだよ」
一緒に来てくれたさおちゃん。腕の中には私の妹・柔がだっこされてる。正道みたいな活発な子じゃないけど、こっちはこっちで甘えん坊だなあ。
「まあ、それも立派な先生になるための修行よ」
「そう思うしかないね」
小学生だって友美や友樹みたいな聞き分けの良い子ばっかりじゃないだろう。今のうちから色んな子と接して経験を積むのは、たしかに将来のためになる。
「ねーちゃ、はなして!」
「だーめ。思いっ切り走っていいのは公園に着いてからだよ」
「むー!」
足に力を込め、強引に加速しようとする正道。やっぱり二歳とは思えない力。なんだかもう気分は犬の散歩。今からこれじゃもっと大きくなった時が心配だ。父さんにしか止められなくなるんじゃないか?
ともかく、どうにか近所の公園まで辿り着いた。よし、他の子はいない。遊んでる子がいたら正道の自由にはさせてやれないしね。
「いい? 公園の中だけで走るんだよ?」
「うん!」
「本当にわかった?」
「わわった!」
ほんとかな? 疑わしげに見つめる私へ、さおちゃんが提案する。
「あゆゆ、疲れたでしょ。正道はあたしが見ててあげるから、そこのベンチで柔と休んでなよ」
「いいの?」
「柔もちょうど、お姉ちゃんがいいって言い始めてたしね」
「ねーね、ねーね」
さおちゃんにだっこされたまま、私に向かって手を伸ばす妹。ああもう可愛いな。満面の笑みで迎え入れる。
「柔〜っ」
「うわ、だらしない顔」
「しかたないじゃない、可愛いんだから」
「でも、その顔で先生やってたらすぐにクビになるよ」
「そ、それは嫌だ」
慌てて表情を引き締める私。これもまた教師になるための修行と考えよう。
ところがその直後、首にぎゅっと抱き着かれる。
「ねーね」
「あああああああああっ」
駄目だ、耳元で囁かれる“ねーね”の破壊力には勝てるはずが無い。
私は妹の魅力に腰砕けになりつつ、なんとかベンチに座った。
「もう、二度とここから立てないかも」
「そこが終の住処になるの?」
ミーンミンミンミンミンミー。今日もセミの声がうるさい。夏の風物詩ではあるけれど、毎日続くこの声に辟易することもまたこの季節のお約束だね。
「ねーね、なんのおと?」
「ん?」
「みーんみーん」
「ああ、セミだよセミ。虫さんの声。虫さん探してみる?」
「うん」
ちっちゃい子って基本的に虫が平気だよね。大きくなると苦手になる場合が多いけど。
私は柔をだっこしたまま公園の外周に植えられている木を見て回った。すぐに目当ての姿を発見する。
「ほら、あそこにセミさんがいる」
「どこ?」
私が指した方向へ体をひねって振り返る柔。けれど、なかなか見つけられない。
「どこ〜?」
「だっこしたままじゃ見にくいかな」
気が付いた私は肩車してやった。正道はあれで意外と高いところが苦手なんだけど柔はむしろ平気。父さんにもよく高い高いをねだっては筋肉痛の原因になっている。双子でも色々正反対。
(父さんも加減すりゃいいのに)
子供にねだられると全力で応じてしまうのが、あの人の良いところであり欠点でもある。
「あえ?」
とうとうセミを見つけ出した柔が指差す。
って、違うよあれ──
「オオクワだ!?」
こんなところにいるなんて! 手じゃ届かない! 網を持って来なかったことをめちゃめちゃ後悔した。
「ハァ……ハァ……」
「お、お疲れ様」
死にそうな顔で戻って来た親友を労い、ベンチを譲る。
荒い息で肩を上下させるさおちゃん。
「こ、子供って……疲れないの……?」
「ほんとにね……」
友美のおかげで多少鍛えられていた私でも正道には振り回される。いつもあの子と柔の面倒を一人で見てるママは偉大だよ……。
「まあ、明日からは少し楽になるかな」
なにせ美樹ねえ達が遊びに来る。明後日から三日間は時雨さんも我が家に泊まるらしい。友美はもうすっかりお姉ちゃんで面倒を見る側になったから、きっと何かと助けてくれるはず。友樹は大人しい子で元からそんなに手がかからない。
なんてことを考えていると、さおちゃんと一緒に戻ってきた正道がじっとしていられず三輪車をターンさせた。
「もっとはしってくる!」
「あ、こら!」
流石に疲れたかと思ってたらこれだ。柔を抱えたまま追いかける私。でも手ぶらでさえ追いつくのに苦労した速度。当然なかなか距離は縮まらない。
しかもその時、正道の行く手に小さな女の子とお母さんの姿が! 私の顔から血の気が引く。
「正道、止まれ!」
「──あら」
白いワンピースに大きな麦わら帽。そんな格好のママさんは猛然と突っ込んで来る正道に向かって手の平を向けた。
「危ないわよ」
ぴたっ。その場で停止する三輪車。
いや、違う。
「あえ?」
「浮いてる……?」
車輪が地面から離れ、近くで見ないとわからない程度に浮かび上がってる。
「あ、ああっ……もしかして……」
「お久しぶり」
帽子を脱いだその人は、やっぱり。薄い桃色の髪が風になびく。
「鈴蘭さん!」
「ほら、次に会ったらうちの子と遊んでねって言ってたでしょ。だから連れて来た」
「ああ、なるほど。ありがとうございます」
正道を連行してベンチまで戻った私。鈴蘭さんはさおちゃんが空けてくれたスペースに腰掛け、直後にさおちゃんの頭を引き寄せて強引に膝枕した。
「なんですか!?」
「お疲れみたいだから、横になった方がいいかなって」
「あ、ありがとうございます……顔が見えねえ……」
戦慄するさおちゃん。鈴蘭さん胸おっきいもんね。
「子供を産んだら膨らんだのよ」
「へえ、やっぱりそうなるんですか」
「うん。私の師匠なんか元々これより大きいもんだから苦労しっぱなし。もう五年連続で出産してるの」
「旦那さん頑張りすぎ」
「前は手を繋いだだけで真っ赤になってたくらい純情な人だったんだけどね、ハードルを乗り越えたらタガも外れたみたい」
「……」
顔を赤くして俯く私。さおちゃんそういう話平気なんだ。私は苦手。
ちなみに、さっきまで暴れ回っていた我が弟も今は大人しい。
「……」
「正道? おーい、正道?」
私の声にも反応しない。ずっと鈴蘭さんの娘のアヤメちゃんを見つめたまま。これってまさか……。
「正道、ませてるなあ」
「やっぱり?」
「ふふふ、うちの旦那の小さい頃を思い出す」
「旦那さんってどんな人?」
「〇歳から私一筋」
「すげえ……」
「長い付き合いなんですね……」
「その分、苦労もさせられたわ」
遠い目で懐かしむ鈴蘭さん。この人のことだ、きっと波乱万丈の人生だったんだろうな。でなきゃあんなすごい魔法使いになれないだろうし。
その後も鈴蘭さんの昔話や子供達のこと、それに私達の近況なんかを話してると、またしても見知った顔がやって来た。
「やっぱりここにいた。ひいばあが呼んでますよ」
ニッカさんだ。来日してたんだ。どことなく見覚えのある子をだっこしている。
「あら、それじゃあそろそろ戻ろうかしら。歩美ちゃん達も来る?」
「いく!」
即答したのは当然うちの弟。視線は相変わらずアヤメちゃんに釘付け。
逆に柔は渋った。
「おうちがいい……」
「帰りたいの? すいません、やっぱり家に──」
「なら、私がおばあさんを連れてそちらへお邪魔するわ。それでいいかしら?」
「へっ? 私は構いませんけど……」
「じゃあそうしましょ。お土産を持っていかなきゃならないし、アヤメのことを少しの間よろしくね。先に連れて行ってあげて」
「はい?」
さおちゃんに我が子を託す鈴蘭さん。きょとんとする私達を置いてスタスタ一人で歩き出す。ニッカさんは慌ててこっちへ振り返った。
「ちょ、待って下さい! ソーリー、アヤメを頼むよ君達。オレらもすぐに行くから」
「あ、はい。ところで」
「ん?」
「その子ってニッカさんの娘さんですか?」
だっこされてる赤ちゃん、誰かに似てると思ったらサラさんだ。ニッカさんとサラさんは兄妹だから子供が叔母さんに似ることもあるのかも。
そう思って言ったんだけど、ニッカさんはHAHAHAとアメリカ人らしく笑った。
「これはサラだよ」
「何があったの!?」
その後、駄菓子屋のおばあちゃんを連れて来た鈴蘭さんを交えて楽しい一日を過ごした。父さん達はあの夜の記憶が消えてるから彼女のことを覚えてないはずだけど、どことなく気になるとか言って精一杯おもてなししていた。
正道はずっとアヤメちゃんに夢中。そのアヤメちゃんは女子同士、柔と何故か赤ん坊になったらしいサラさん相手におままごとで遊んでいる。
弟よ まだまだ春は 彼方なり
「ううう、ねーたん、おしっこいきたい!」
「ははは、せめてトイレくらい一人で行けるようにならないとね」
柔はもう大丈夫だぞ。頑張れ男の子!
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