七言目 大葉教授の!隠遁生活講座

 ともあれ、『格言クラス』金鳴トキの出現は、きっと幾つもの謎を明らかにしてくれる。何もかも全てという訳にはいかなくとも、彼女からはある程度の答えが得られるはずだ――。


「―—では、わたくしはそろそろお休みさせていただきますね」

「へっ」


 大葉の一オクターブ高い反応。トキは柔和な微笑みをたたえたまま、直立の姿勢で前のめりに倒れ。「危なっ……!」一番近い位置にいた大葉は、咄嗟に支えに走った。

 あまりにも急すぎて色々と考慮する間も無かった。トキのしなやかな身体は大葉の腕に胸に飛び込む恰好となり。豊かな髪からは妖艶な香りがして、思った以上に柔らかな質量が圧迫して。艶やかな赤を帯びる唇からは、すうすうと吐息が漏れ。

 大葉の脳裏にほんの一瞬、なんとなくの背徳と罪悪感が交じったものが走るが、仕方ないじゃないか。ほっといたら倒れて頭打ってたし。


「トキさまの能力は強力なぶん、消耗が激しいんです」

 トキを抱き抱えたまま冷や汗を滲ませる大葉に、石上いしがみサンがしれっと告げた。つまり寝落ちである。

「なるほど、そうか……と、納得できるか!聞かなければならない事はまだ山ほどあるのに!」

 大葉の生涯で初めてのノリツッコミだった。


――――――――――――――

 

 言技コトワザ使いたちの話によれば、トキは一度力を使い切ってしまうと、少なくとも数日は寝たままになるらしい。それならそうと先に言っておいてほしいものだが、ともかく、半裸のご婦人をそのままほったからしにしておく訳にもいかないので、整理した書庫の奥に設えた簡素なベッドに寝かせておくことにしたのだった。

 

「―—君たちに話がある」

 そんなこんなを済ませたのち、大葉は、いつになく厳しい口調で、言技使いたちの前に立った。次々に起こるあれこれに翻弄されるばかりで、この事態の本質には殆ど触れられてはいない。大葉は理解したいのだ。彼女らは決して悪ではない。しかしその能力はやはり異質であり、そのことを彼女ら自覚していないことに、危惧と、多少の苛立ちがあった。


「いったい、言技使いきみたちは何人居るのかね。まさか、諺の数だけ――」

 大葉は教壇に置いた辞典に目を落とした。一般的な故事、諺、慣用句を収めた辞典は900頁を超え、7000にも及ぶ項目が収められている。


「それは……」

 言技使いたちは顔を見合わせた。

「すいません、おじさま。それは……私たちにもよく判らないんです」

 メグが申し訳なさそうに俯く。


「そんな訳はないだろう。きみたちは以前からの顔見知りのように振る舞ってるじゃないか。ならば、今後現れる仲間たちのことも知っているはず」


「……それは様々な可能性のうち、確定した事象への認知に過ぎないものです」

 サンがどこか、無機質に応えた。

「僕たちの記憶や肉体は、この次元―—あなたたちが現実と呼ぶ、物質世界における定義に縛られているもの。だから、未だこの世界に現出していない仲間たちの名や姿、人格や能力は、僕たちの器の中にも、まだ存在してないのです」


 頭がくらくらしてきた。サンの話は、いわゆる量子論と哲学を無理矢理に混ぜ込んだ与太話のようにすら聞こえる。大葉は、教室の隅で椅子を抱く様に座って興味深げに聞き入っていた田原の方を向いて助けを求めるが、田原もお手上げです、という仕草を返してきた。彼の専攻の経済学では流石にカバーしきれない分野の理論だ。


「……随分と都合のいい話だな」

「呼吸ができることを、都合が良いとは疑わないでしょう?」

 大葉の疑心を察したのか、サンは少しぎこちなく、しかし精一杯の微笑みで応える。

 ――少なくとも嘘はついていない。そのことだけは大葉もしっかりと受け止めた。

 今はまだ、きっと、それでいいのだろう。たぶん。


「まあ、そういうこった。細かいことは追々判るさ!そんな辛気臭えツラすんなよな、ジジイ!皺が増えちまうぜっ」

 少し沈んだ空気を払おうとしたのか、狗坊アタルがあっけらかんと声を張り上げた。



―――――――――――――――――――――



 次々と現れる異能の言技コトワザ使いたちと、彼女らの宿敵たるワードイーター。いつなんどき始まるかもしれない戦いに日々恐々としていた大葉だったが、そんな杞憂を足蹴にするかのように、意外と言うかなんと言うか、これと言って目新しい事件もなく、普通の日々は普通に過ぎていった。


 大葉が特に心配していたのは、これまでの戦いで生じた二次被害の数々、そして何よりも市井の人々への影響と反応だ。(言い方は悪いが)大暴れをして駅前の広場をド派手にぶっ壊したのは言技使いたちにも多分の責任がある。少なくともマスコミベースの認識は、一連の異変の原因は下水道網を中心としたガス爆発であるということで落ち着いているらしいが、消防や警察などの公的機関、保険会社などの介入を全て誤魔化せるとも思えない。

 

 やはりここは言技使いたちの存在が露見しないように、出来得る限りの手を打っておく必要がある。


 と、いうわけで。

 

 とりあえず現時点で現れた言技使いの面々を、大葉の研究室のある第三別棟の一室に集め、あらゆる面で現実離れした彼女らが余計な注目を浴びないように、目立たずにひっそりと暮らすすべを大葉自らが指南することになった。


 それは、色々あった末に世間との交流の殆ど断ち、最低限の人間関係で過ごしてきた大葉ならではの、隠者ライフのコツである。


―――――――――――――――――――――



「うーん、うごきにくい……おじさま、どうしてもこの服じゃないとだめ?」

 地味な茶色のワンピースのごわごわした質感。その不慣れな着心地に、二階メグがもじもじした。


「不満を言うな、メグ。ぼくたちが社会に溶け込めるように、マスター直々に選んで頂いたものだぞ。これと言って特徴のないデザイン、華の無い凡庸な色合い。特にコメントのしようもない、言葉に表せない何か……これなら誰の印象にも残らずに済む。完璧なバランスだ。さすがマスターですね」

 あっちこっちをもぞもぞと弄って不満を漏らすメグを窘めた石上サンが、大葉に向けて感服したような目を向ける。「……うん」大葉の生返事。なおサンは、だっさいだっさい灰色のセーター姿だ。


 人外とは言え一応は年頃の女の子。大葉なりに気を使って、それなりに可愛く見える服を頑張って選んであげたつもりだったのだが、そのセンスはどうもアレらしい。ちょっぴり傷付いたが、褒めてくれているのは本気のようだし、それで役に立つのなら、と納得しておいた。


 ただ、そんな服もその後『変身するたびに全部破け散るので買い直す羽目になる』のだが、それはまた別のお話。



「―—あァ?出したり引っ込めたり?んなことできねェよ」

 ふさふさの犬耳をぴょこぴょこさせ、ぶっきらぼうに言う狗坊アタル。

 

 はい、カチューチャ。


「くぅぅん、窮屈すぎるぅ……」

 大人しくなった。


 新顔(?)の矢護朱鷺ヒカリ・アン姉妹は、お揃いのシャツ姿。

「あははは!ヒカリ、ださーい!す、すごく似合ってるよ、オタクっぽくて!」

「お、おねえちゃんこそ……」

 元々が陰鬱とした雰囲気のヒカリが、いかにもなをしているのが可笑しくてたまらないアン。腹を抱えて爆笑しているヒカリも全く同じ格好をしているのだが、ちょっとした着こなしや姿勢の違いででこうも印象が変わるものだろうか。たぶん猫背がいけない。アンは顔を真っ赤にして何か言い返そうとするも、ぷるぷる震えて抗議するだけでいっぱいいっぱいだった。


――――――――――――――――


 大葉がこれまでの人生の中でいかに人付き合いを断ち、社会で孤立し、人々からの余計な耳目を集めずに生きて来たか。そのノウハウや立ち振る舞いを、対照的に可憐で煌びやかで、色んな意味でキラキラしている言技使いたちに伝授するのはなかなか骨が折れた。というか無理なんじゃないかと思った。どんなに地味な服を着せて口を噤ませても、彼女らが持つ純粋で、ポジティブなオーラを覆い隠すことなど出来ない。


 そして大葉は、そのような人間を一人だけ知ってもいた。その人は、常に大葉を繋ぎ留めてくれていた――


 ―—だだだだ!


 込み上げかけた感傷は、教室に近付いてくる勇ましい足音で引っ込んだ。


 だだだ、がらら!だだん!

 間髪入れず、勢いよく開いた引き戸から人影が飛び込んできて。


「諸君!何を遊んでいる!新たなワード・イーターが現れた。急がなければ被害が広まるぞ、すぐに出動だ!」


「のぼる!」

 低く太く通る、凛とした声の主の登場に、言技使いの面々がびっくりした。

「……」

 大葉はびっくりしなかった。足音が近付いてきた時点で「だろうな」と思っていた。


 横に流した明るいブロンドの短髪。彫りが深く、くっくりとした眉や鼻、顔立ち。(若干メイクが濃い)。背は他の言技使いより高く、何より毅然とした立ち姿。露出は比較的少なく、レザースーツというよりはタキシードに近い、純白のスーツを纏う。他に例えようがないので言ってしまうと『宝塚の男役』みたいな感じである。


―――――――――


 突然現れた男装の麗人の名は『舟峰(ふなみね)のぼる』。

 『船頭多くして船、山に登る』を顕現した言技使いだ。

 勇ましいリーダーシップを発揮して言技使いたちを率いるリーダー格であるが、その指示は結構大雑把で、的外れなことも多く、想定外の結果をもたらして皆を困らせたりもするらしい。


「ああ、メグ。久しぶりだね。会いたかったよ……」

 呆然と突っ立っている大葉や、他の言技使いたちを全く無視して、最前列に座っている二階メグに向かってつかつかと歩みよる、のぼる。


「え?あ、うん、私もだよ――」

 些か困惑しているメグの手をさっと取り、その手の甲に口付けしたかと思えば。

「ひゃっ」

 ぐいっと引っ張って身体を引き上げたかと思うと、その腰に手を回し、ずずいっと身体を寄せる。そんでもって反り返ったメグの顔に、またずずいと顔を寄せた。


「可哀想に。そんな見すぼらしい恰好をさせられて……でも私は気にしない。君への愛は何一つ、くすんだりはしないからね……?」

「あ、うん、そうだね――」


「―—ワードイーターが出たんだろう!!」

 石上サンがキレた。ごもっともである。突然現れて何してんだ。

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