五言目 光陰、神速の徒

「いくよっ、ヒカリっ!」

「……わかった、アン……」


 二つの声が重なり、でかでかと空中に描かれた陰陽の印が炸裂した。


「いっけぇ!光陰矢の如しアロぉぉォ―——―っ!」


『矢護朱鷺(やごとき)アン』の放った、眩い光と漆黒の闇の螺旋を纏う矢が、二日ぶり二体目の『ワード・イーター』の頭部を貫いた。


 光陰矢の如し。年月はいつも矢の如く経ってしまうものという諺を顕現する双子の言技ことわざ使いで弓使い、『矢護朱鷺ヒカリ/アン』姉妹。


 光と影、陰と陽……対立する二極の概念を操る彼女らが協力して放たれる矢は、着弾した対象の時間経過を局所的に乱して暴発させ、時空因果律を遡って量子の存在確率に直接働きかけて因果の収束点を木っ端微塵に……とにかく、相対性理論や量子力学が絡む物騒な事象を引き起こすらしい。


 門外漢の大葉に高度な物理学の知識は無いが、とりあえず、彼女たちが放った矢に撃たれたものは、周囲とまるごと、途轍もない大爆発を起こすという事だけは、ようく判った。


 だからこうして、わざわざワード・イーターを街外れの採石場まで誘導してきた訳だ。


「センセっ、終わりましたっ」

「うん」

 にぱっと笑って振り返った矢護朱鷺やごときアンの愛くるしい笑顔に、石埃にまみれた大葉おおばは相変わらず不愛想に頷いた。


「もう!ヒカリがしっかりしてればもっと早く倒せたのに!」

「……だって……こわい……んだもん……」

「何が、んだもんよ!それでも言技使いなのっ?」


「まあまあ」

 大葉は二人の間に割り行って、きゃいきゃい文句を言うアンを宥めた。


 名は体を表すというが、ヒカリは控え目で些か暗く、アンは活発で元気。大葉には言い慣れない言葉だが、つまるところ、ヒカリは陰キャで、アンは陽キャ。陰は陽、陽は陰。やはり陰陽は表裏一体なのだ……という事らしい。


 何故、大葉と、双子の言技コトワザ使いがこの場で戦うに至ったか。

 事の発端は、つい一時間ほど前。


――――――――――――――――――――――


 ――ピンポーン。


 大葉は初め、自宅のチャイムが鳴った事には気付かなった。妻を亡くして以来、友人や知人とも一切の連絡を絶ち、殆ど隠者の様な生活を送っていた大葉を訊ねる者は年々減り、稀に訪れるのは宗教の勧誘といった程度。高度成長期に造られたベッドタウンの郊外、閑静な住宅地の一角は、大場と同じように時が止まったまま――


 ――ピンポンピンポン!ピポポピンポンピポポポ!


 これだけ速射されれば、そんな風情も消し飛ぶ。


「はい、どちらさま――」ガチャ。

 二階メグを始めとした言技コトワザ使いの出現で混乱し、大いに疲れた大葉が、ようやく休養にありつける――はずだった。まどろみを台無しにされ、扉を開けた大葉は、些か不機嫌に唸ったが。


 むんず!!


 二対の細腕が大場のくたびれた部屋着の裾を強く掴み、大場を、燦燦と降り注ぐ午後の太陽の下へ引きずり出した。


「センセ!センセですね!?今すぐ私たちと来てください!新しいワードイーターが現れました!」

「なッ、なんだね君たちはっ……!」

 

 突然のことだったが、ふたりの少女の出で立ちと発言からは、彼女らが新手のコトワザ使いであることは火を見るより明らかだった。


 ふたりとも、他の言技使いと同様の、露出度の高いぴっちぴちの薄手のレザースーツに、こまごました装飾品をあしらった、ひらひらの布を纏って。ただ、十代後半と思しきメグらとは違って、彼女らはまだ十代前半の現身うつしみであろうか、まだ身体的な女性らしさは控えめのようだ――。


 ―—いかん、これでは田原のようじゃないか。

 出来の悪い教え子の、にやけ面が浮かんだ大場は頭を振って散らす。


「せんせい、はやく…………きて……」

 まさに天使という他ない、純白の羽根をモチーフにした衣装の、白髪の少女の暗く沈んだ声はそよ風よりも小さいが、その引っ張る力には全く遠慮がない。


「センセ!はやくぅ!」

 片や一見、いわゆる『ゴス(大場の語彙ではゴシック調)』っぽい、漆黒の鴉のような意匠の服を着る少女は、声色も表情もとても明るい。


「わ、判った。判ったから腕をそんなに引っ張るな。一旦落ち着いて説明してくれ――」


 ぐいぐいと引っ張られ、玄関先から決して広くはない庭先へ。狼狽する大場が門の先で目にしたのは。


「そいつが例の先生かい?くたびれた爺さんにしか見えねえなあ。ま、嬢ちゃんたちが言うのなら確かなんだろう。さ、乗んな!」


 秋の日差しを受けて青く輝く、傷だらけの車体―—つい先日、石上いしがみサンを送り届けてきたタクシーと、その傍らで車体に腕を預けて立つ、かっちりと制服を着こなした、顔の浅黒い壮年の運転手だった。

 

 

――――――――――――――――――――――


 ガオン!ブロロロロロッ!キィィィ!!


 閑静な住宅街を猛々しいエンジン音が、劈く。

 曲がり角の度にドリフトするタイヤが、摩擦に悲鳴を上げる。


「ちょ、もうちょっとゆっくり運転してくれんかね!」

「だけどよ、今日もまたこないだのバケモンが現れたんだろ!急がないと大変なことになるんだよな?なあ、お嬢ちゃんたち!」

「はい!もっと急いで!」「……うん……もっと飛ばして……」


「ここは通学路だッッ!!」

 かなり無茶のある慣性に負けて右に左に揺さぶられる後部座席で、ぴったりくっつくヒカリとアンに挟まれた大場が、吼えた。


 プアー!プププ、プアー!

「おらおらアブねえぞ、どけぇ!」

 聞いちゃいないし、言わんこっちゃない。

 前方に小学生の群れを捉えた運転手は窓から顔を突き出して、怒号を上げる。 


「きゃー!」「わー!」

 列を成して下校していた小学生たちが、駆け抜けるタクシーの風圧で散り散りに飛ばされていく。一人の太った少年に至っては、脇の側溝に落ちてしまったようだ。バックミラー越しにその有様を目撃した大場は、怒るやら呆れるやら。


「洒落にならんぞこれは」

「なあに、この道四十年の大ベテランさまに任せておけって!」

 大葉は、揺れる視界の中に、前座席の背に取り付けてある運転手の名や年齢を確かめた。五十歳である。盛りすぎだ。



 そんなこんなで、車内で口論と状況説明が飛び交うタクシーはやがて住宅地を抜けると、市街地との間に広がる田畑を縫う農道へと飛び込んでいく。


 遠景に連山を望み、麓には地方都市らしい低いビル群が立ち並ぶ秋の畑野。普段であればのどかな風景ではあるが、一同が目にしたのは、田畑のど真ん中を、まさに市街地へ向けてゆっくりと闊歩している、巨大なワード・イーターの影だった。


 大葉が前回遭遇した、類人猿のような人獣型とは違い、今回現れたそれは、狼を象った四足歩行の獣型、しかも二十メートルはくだらない。最早、もう殆ど怪獣と呼ぶべきモノだった。


「あれは……大きいぞ。他の言技使いに応援を求めた方がいいんじゃないか……!?」

 大葉が顔をしかめたのは、恐怖や畏れからではない。前回はメグら三人がかりで辛うじて始末できた、という結果だった。まだ年端も行かぬ少女に過ぎない(ように、大葉には見える)ヒカリとアンが、ふたりであの幻獣を相手にするのは無謀だと思ったからだ。


 だが、確かに助けを呼びにいく時間はなさそうだ。


「おじさん!あいつの前に出て!あいつを誘導して、戦える場所まで連れていきたいの!」

「あいよ!」

「ちょっと待て、ここで戦うんじゃないのか!?」


「それは……」

 前座席へ身を乗り出して叫んだアンは、ヒカリと顔を見合わせて、少し口籠る。

「わたしたちの能力は、ちょっと……その。周りに迷惑がかかるから……ね?」

「…………」

 含みのある言い様に、ヒカリも無言でこくりと頷く。


「迷惑……?」ここなら、誰も居ないのに?

「だから、おじさん。出来るだけ、周りに何も無い開けた場所に!」

「おう、よく判らんけど、それならぴったりの場所を知ってっから!」


「しかし、どうやってあいつをそこまで連れていくんだ?」


「私たちに任せて!とにかく、あのワード・イーターの前へ!」

「おうよ任せとけ!行っくぜえしっかり捕まってなァ!」


 運転手は応じるなり、ハンドルを全開で切った。

 あぜ道から田畑の真っ只中に飛び出したタクシーは泥をはね散らしながら、ゆっくりと進行していくワード・イーターの進路上へ突き進んでいく。


 そして、大葉の両脇からくっついていたヒカリとアンは、やおら窓を開けると、上半身をひょこっと乗り出して、ワード・イーターに向かって叫び始めた。


「ばーか!ばーかばーか!あほー!」

「……可愛くない……。それに、それに……この、ええと、いぬもどきー……」


「何をして――」

「ワード・イーターは言葉の化け物!だから、悪意のある言葉……つまり、悪口に敏感に反応しちゃうの。だから罵倒して挑発して、わたしたちに注意を向けてる……とんちんかん!すっとこどっこいー!」


 大葉は頭痛がしてきて、頭を抱えた。しかし、ワードイーターはしっかりと反応したので認めるしかない。『グルル……―—』ワード・イーター特有の、ノイズ交じりの唸り声を上げて。「―—喰いついたッ!」爆走するタクシーを睨み、歪な黒牙を剥き出しにした。


 黒いオーラの様なエネルギーで構築された四脚が、更に膨れ上がり、轟く連音と共に、タクシーに向かって疾駆する。


「運転手さんも手伝って!ほら、アレ!煽り運転をお願い!」

「そいつは得意技よ!」プァープププププー!!プップププップー!


「やーい!鬼さんこちらー!お尻ぺんぺんー!ざーこ!ざーこ!」

「可哀想なワンちゃん、しっぽブンブンで草生える……」


 煽り運転ってそういうことじゃない。

 大いに間違ってる気がするが、実際、ワード・イーターは追っかけてきてるので仕方がない。




 と、こういったあらましで、二体目のワード・イーターを膨大な爆発に耐えうる山奥の採石場まで誘導し、仕留めるに至ったのである。


 確かにもし、あの田畑で戦っていたら、農家のひとたちに甚大な迷惑と損害が出たであろう。



――――――――――――――――――――


 次回予告


 うふふ。皆、頑張って使命を果たしているようですね。

 あら、なんです?

 え、わたくし?


 わたくしは『金鳴かねなりトキ』。時は金なり、という言葉の顕現体。

 ことわざよりも、更に世の中の集合的無意識に強く広く浸透している、いわゆる『格言』の力を操る『格言クラス』の言技コトワザ使いです。以後、お見知りおきくださいね。


 あの子たちはまだ、大葉氏に、最も重要な事実を伝えていないようです。


 ワード・イーターは、世界から失われていった……いえ、『疎まれ、排除されていった』言葉たちの成れの果てなのです。


 最初に現れたワード・イーターは『”気違い”マッドマインダー』。今回のものは『”白痴”ホワイトフール』。差別から生まれる悪意。悪意から生まれる差別、そんなことばの権化たる者どもを、真に抹殺するのが、我々の使命。


 この世界が清く美しいものである為に、口にするのも汚らわしいものたちを、全て葬り去る……。


 その崇高な意思を、大葉氏にお伝えするために、わたくしはいま、電車で移動中です。そして、メグちゃんたちに報酬を与えてあげなくっちゃ。


 あらあら、人間の殿方ったら、わたくしの豊満な体つきに興味がありますのね?

 うふふ、見るだけならタダですよ?

 

 でも、もし手を触れてこようものなら、その時は。

 その代償を、身を以て知ることになりますので。悪しからず♪

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