四言目 目薬と石と犬

「グガォアァオォオッ……!!」


 二階メグの光線を、まさに二階の高さから目に喰らったワードイーターが咆哮し、地響きを立てて倒れた。ルビー様な眼から真っ黒いタールの様な体液が溢れて飛び散り、煙を上げて蒸発していく。


「やった……!」—―大葉は、何時の間にか拳を強く握り締めていた事に気付く。年甲斐もなく情熱を露にしてしまった。自らの限界を打ち破った少女……所詮は頼り甲斐のないドジ娘だと侮っていた二階メグの勝利に打ち震えた事を、急に気恥ずかしく思った。



――――――――――――――


 くるくるっ、すたっ。


 ワードイーターをやっつけたメグは、かっこいいポーズで着地する。


「メグっ、やったね!」サンが嬉しそうに駆け寄ってきた。

 うん、おじさまと、サンのおかげ!


「……メグ、あぶない!」

 おじさまの渋くてかっこいい叫び声がして、メグはびっくりした。


 ワードイーターはまだ死んでなかった。

 

―――――


「メグ、油断するな、そいつはまだ息がある!」

 叫んだ主は、大葉だった。


 着地した二階メグと、その元に駆け寄った石上サンが手を取り合って、喜び……つまりは隙、を分かち合った瞬間、倒れていたワードイーターの腕がびくり、と痙攣したのを目撃したのだ。幾千匹の蛇が絡み合ったような筋肉が蠢き、煽動したかと思うと、次の瞬間には全身を起こし、全く無防備なふたり目掛けて突進を仕掛けた。


「きゃああっ!」

「……っ!」


 先程の攻防で力を出し尽くした二人は、目を瞑って身を竦ませる。


「う、お、おぉォォオォぉおぉッ!!」

 

 するとその時、また黒煙の壁を破ってその場に現れた、鮮やかな紫の光を纏う何者かが、雄叫びを上げながらワードイーターの脇腹へと突進した。メグとサンの目前にまで迫っていた怪物は、それ以上の高速、猛烈な突進を受けて容易く吹き飛び。工事中のビルへ突っ込む。それは、駅前の解体中のデパート。


 且つて妻へ自作の詩と共にプロポーズを捧げた、大葉の思い出の象徴は崩れ去り、そして彼にとって初めての敵となった異形の怪物を圧し潰したのだった。



 瓦礫の中から光が漏れたかと思うと、それは瞬く間に膨大な輝と奔流となり、辺り一帯に広がる。辺りの煙を吹き散らす閃光の爆発は、ワードイーターの絶命と、この寂れた地方都市への光をもたらした。



「…………っ」

 目も眩む様な閃光から顔を背けていた大葉の耳に、溌溂とした少女の声が聴こえる。


「だからよお、トドメを刺したと思っても油断はするなっていつも言ってんじゃねえか。オレが間に合ったから良かったけどよっ」


 大葉が眼を開けると、後光を浴びて、大きな茶色の犬っぽい耳と、ふさふさ尻尾を揺らす少女が悠々とこちらに歩いて来るところだった。例によってぴちぴちのボディスーツ。大葉はやっとこの時点で、もう彼女らの衣装にについてあれこ考えても仕方ないのだと悟った。


「奴等の急所は目だ。なのにまだ動けるとは予想外だったから……」

「まずはありがとう、だろ?まったく、相変わらず石みてえにお堅いヤツだなっ!」


 悔し気な石上サンに対し、犬耳少女はからからと笑う。


「アタルっ、ありがとう。今日もまた助けられちゃったね」

 一方の二階メグは少し疲れた様子で、それでも精一杯の笑顔を見せる。


「……メグぅっ!心配させて!また盛大に外しまくったんだろ!」

 当たり。あっけらかんとしているが、相当にメグを心配していたらしい彼女は、気丈に振る舞うメグを見て少し震えたかと思うと。ふさふさの耳と尻尾を思い切り振りながら、彼女に飛びついて抱き着き。


「このドジっ、心配させやがって!」

「きゃっ……!くすぐったい、くすぐったいよアタルっ……」

 その頬をぺろぺろと舐め出す。

「大丈夫だよ、かすり傷だから……やっ、あっ……だ、大丈夫だから!」


 大葉は無表情でその様子を見ていた。仲睦まじいのは判る。しかしどんな感情を以てこの少女たちの戯れを眺めておけばいいのか。大葉は、この中でもある程度話が通じそうな、おかっぱ頭の諺少女、石上サンの方を向いて助けを求めようとした。


「…………」

 彼女は彼女で、じゃれつく二人の様子を見て、一緒にメグに抱き着きたい衝動を抑える様にむずむずもじもじしていた。「君もか」大葉は想った。しかし彼女の忍耐力は、まさに石の上に三年の如く、そんな浅はかな行動を自制できるだけの精神力を持っているのだ。


 そんなサンが、はっとした様に当たりを見回すと、口早に言う。

「……マスター。色々と言いたい事はあるでしょうが、ここに留まっていては騒ぎになるかもしれません。何処か落ち着いた場所で話を聞いて頂きたいのですが」


 大葉にとってマスターという呼称は、かつてたまり場にしていた喫茶店のおやじを強く想起させるものであり、なんだか妙な気分になるものだ。


 似合わない口髭でにっこり笑うおやじの面影を思い出しつつ、大葉も辺りを見渡すと。周囲の甚大な被害の痕—―その多くは二階メグの光線の誤射に依る――から立ち上る黒煙が晴れ、避難していた警察官や市民が、戸惑い、困惑した様子できょろきょろと見回していた。


「もう充分に騒ぎになっていると思うが。きみたちが戦う姿も目撃されていたはず――」

「大丈夫です。ワードイーターの消滅の光。あれを浴びた人間はそれに関する記憶を失うので」

「……成る程」


 随分と都合が良い仕掛けである。しかし今の話が本当だとしても、この駅前の惨憺たる壊滅はどうしようもないだろう。確かにそのど真ん中で立ち話をしているのは不自然極まりない。


「何シブい顔で固まってんだよ、ジジイ!ほら行こうぜ早く」

「ええ、行こっ。おじさま!」

 アタルがぶっきらぼうに言い、メグは大葉の腕を取って引っ張り。

「こら、お前達、伝説の諺士に失礼だぞ」サンはあくまでも冷静に。


 ワードイーターは始末したが、それ以外の事は全く片付けずに。彼等は駅前の広場から颯爽と、さっさと歩き去ったのだった。



――――――――――――――


「私、スープ!」

「オレは肉っ!」

「……サラダで」

「……アイスコーヒーを。氷は要らない」


「はい、ご注文を繰り返します。スープ、肉、サラダ、アイスコーヒーですね」


 大葉は、今時珍しい地味な三つ編みのウェイトレスが、何事もなかったようにオーダーを受けて去っていく後ろ姿を呆然として見ていた。


 四人は駅前から程なく離れたごく普通のファミレスに入り、改めて話をすることになったのだった。入店を決めたのは大葉ではない。「腹が減った。何でもいいから食わせろ」と吠え出したアタルと「私もおなかすいちゃったなー」とそれに乗っかっり、ぐいぐいと大葉を引っ張るメグによる強行入店であった。


「……人目が……」大葉のささやかな反抗は無視されて、そして無意味だった。彼女らの奇抜なボディスーツは当然目を引くものであったし、そしてそれを三名も伴う自分への、他者の目を警戒していたが。思った以上に世間は彼女らの存在に気を向けていないようである。先程のウェイトレスもそうであるし、店内にまばらにいる客たちも同様であった。


「ふむ。他者の認識を阻害する特殊な能力があるのか」

「え?そんなのないよ?」大葉の推察は秒で外れた。


 ということは、他の者にも彼女らの風体はそのまま映っている。しかしそれにしては周囲の反応は自然すぎた。大葉は混乱に陥ったが、理由は単純だ。


 令和というのはそんな時代なのである。

 ちょっとやそっとのコスプレじゃもう誰も見向きもしないのだ。

 令和というのは、もうそんな時代なのだ。


――――――――――――


「では、改めて自己紹介を。僕は石上サン。石の上にも三年—―」

「オレは狗坊アファふ。いふほはふへばぼふひ――」

「アタル、肉をかじりながらじゃわかんないよ」


 彼女らのざっくりとした説明を、大葉はアイスコーヒーの最後のひとくちと共に飲み込んだ。選ばれし者、と言っていいのだろうか。遥か昔に見た冒険活劇の王道のような展開である。大葉はこういう時にどう振る舞えば良いのかの知識を持ち合わせてはいない。とりあえずは彼女らの言葉を鵜呑みにするしかない。


「という事で、今後も世界各地に散らばった言技コトワザ使いたちが続々と、マスターの元に集まってきますので」

「戦いは長くなるかもしれませんが、今後とも宜しくお願いします」


 石上サンが胸に手を当て、丁寧な敬礼の所作をした。大葉の個人的な偏見だが、やはり礼儀正しい彼女には好感を持てる。他の二人が余りにもアレなだけではあるが。


「……宜しくと言われても、具体的に何をどうすればいいのか。先程の戦いで起きた事もまだ把握しきれてはいないし――」


「――宜しくお願いします。色々と」


 石上サンが再び真顔でそう呟いた時、三つ編みのウェイトレスがごく自然に、伝票をテーブルへと置き去って行った。大葉の目の前に。


「……なるほど」


 大葉は、呟いた。

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