番外編 『呑鳩』のぼやき
小雨が降り始めてからまだ間もない頃、コルペイロの冒険者ギルドに併設された酒場へと男が入ってきた。
依頼をいつも通り見事成功させて戻って来たその男は、いつも通りの不貞腐れた面で、いつも通りにテーブル席へ座りつつ麦酒を注文した。そしてこれから、いつも通りに遅れてやってくる二人の飲み仲間と一緒に今日の仕事ぶりを労いながら酔い、愚痴を言い合うのだ。
ここ数年コルペイロを拠点に活動している彼は、周りの冒険者から『吞鳩』と呼ばれている。あだ名の由来はもちろんよく酒を呑むからであり、「退屈すぎて酒を呑まなきゃやってられない」と普段からよく口にしている。仕事がうまくいったのに不貞腐れているのも、主にそういった理由からである。
彼のように退屈を感じている冒険者は、あまり多くない。
なぜなら、スオームに住む人間にとって現在は冒険どころではないからでだ。また、国が正式に冒険者ギルドの設立をしたのが近隣諸国よりも遅かったことも一因と言える。
スオームが抱えている問題の一つは『魔物の急激な増加』である。
まだまだ国力が十分でなく人口も多いとは言えないスオームが、東からの脅威へ備えるために人員を割いている状況では手が回らず、その結果、冒険者ギルドの依頼は国内の魔物の調査・討伐で埋め尽くされることになった。それでも自国の冒険者だけでは足りないという事で、隣国のウーデンスと南西の翔王国にも要請して魔物討伐に長けた冒険者たちを送り込んでもらうことになった。
そういうわけで、普段から様々な冒険をしていた他国の冒険者たち、とくに翔王国から出張ってきている者達にとって、数こそ多いものの驚異的な力を持たない魔物の討伐を続ける日々は退屈なものになってしまったのだ。
ちなみにウーデンスから派遣されてきた冒険者たちはというと、スオームが危機に陥った場合、後々自分たちにも被害が及ぶことになるのだから助けないわけにはいかない。そもそもこういった時に互いに協力するための『北方連合』なのだ。
「おう!相変わらず機嫌の悪そうな面だな『鳩』!」
斧を担いだ全体的に丸い輪郭の男が『呑鳩』のテーブルの前まで近寄ってくる。雨に濡れたらしく、蓄えられた赤い髭についた雫を乱暴に払うものだから、近くの冒険者達が嫌そうな顔をしている。
「悪そうなんじゃねぇ、悪いんだよ『髭丸』。……『森金』はどうした?」
「なんだかよくわからんが、気になることがあるからギルドに相談してくるってよ」
『髭丸』と呼ばれた中背の巨漢は斧をテーブルに立てかけ『鳩』と同じ席に着く。彼のために用意された頑丈な椅子が不満そうな軋みを呟いた。
「そうか……」
「まあすぐにこっちに来るだろ」
そう言いつつ髭丸は大きな声で麦酒と肉を注文した。
「お前、今回は木こりの仕事もだったか」
「ああそうだ。崖の上の方で七日ほどな。もっとも、途中からは寄ってくる魔物をぶっ殺す方に回されたけどよ。木の伐り出しは殆ど地元の連中に任せたさ」
「『竜モドキ』か?」
「『モドキ』は数匹だ。多かったのは『熊イタチ』だな」
「そいつは少し厄介だったな。だが森金も一緒だったんだろ?」
「ああ。おかげでそれほど苦労はしなかったぜ」
『竜モドキ』は鋭い牙と爪を持つ大トカゲで、鱗と特殊な皮膚で体を守っており力も強い。そのかわり、動きはそれほど俊敏でなく頭部への打撃に弱い。
『熊イタチ』は熊と鼬の中間くらいの大きさで黒っぽい体毛と長い胴体が特徴だ。縄張り意識が強く、自分より大きな相手にも果敢に襲い掛かってくる。俊敏さもあって油断すると冒険者でも大怪我をするほどだが、熊イタチは体がそれほど丈夫でなく気後れさえしなければ駆逐するのは難しくない。
また、『熊イタチ』はコルペイロ付近で増加した魔物の中では味も良く加工にも向いており『肉イタチ』などと呼ばれて食用肉として重宝されている。ちなみに『竜モドキ』は肉の触感が独特で生臭さもあって不人気だ。
鳩は髭丸の言葉に苦笑いしつつ麦酒を飲み干した。
「ハッ!苦労できるならしてみたいもんだぜ!」
「まあそう言うなって。ブローデュークから来てるお前さんからしたらつまらない仕事だってのはわかるけどよ」
「わかるんなら止めんなよぉ。何度も言ってるが仕事はちゃんとやってるし不満だって漏らした事はねぇ。酒が入るとどうしても出てきちまうんだ。畜生め……」
やれやれと髭丸が鼻息を漏らしたところでテーブルに酒と肉といくつかの蒸し料理が運ばれてきた。このテーブルにはいつも店主が気を利かせて勝手に料理を追加する。
「これも何度も言ってるが、この国に不満は無ぇ。住民や冒険者にもだ。俺の機嫌が悪いのは全部赤帝国のせいだよ」
鳩は本当に憎らしげに呟いた。
東のユーカシャイラ大陸の半分以上を支配する『ソルムグレンド大帝国』通称『赤帝国』こそが、スオームそして全世界に『魔物の急激な増加』をもたらした元凶なのである。
あの全世界を巻き込んだ出来事から15年。魔物の著しい増加が確認され脅威となり始めたのがその5年後くらいで、その後しばらくして『鳩』はスオームの冒険者ギルドに派遣された。
「俺も随分歳をとったぜ……」
「それはオレもだ」
「お前は種族的に人間よりは少し長生きだし、歳とってもほとんど肉体が衰えないからいいじゃねぇか。人族ってやつはそうはいかねえからよ……。生きてるうちにせめてあと一回『塔の柱』に行きてぇな……」
『塔の柱』とは、赤帝国の執り行った儀式以降、世界の三つの場所に出現した長高の建造物である。『支柱の魔塔』とも『柱の神殿』とも呼ばれている。
この柱の塔は大昔から存在していたが、ごく最近までは塔のようにはなっておらず、本当にただの巨大な石の柱だったらしい。石といってもただの石ではなく、不思議な材質で、とんでもなく大量の魔力を含んだ石だったと言われている。
世界に四つある太古の石柱の内、三つが塔として覚醒したのはごく最近。
それは赤帝国が執り行った儀式の直後のことであった。
その建造物は空高く聳え、いかなる天変地異が起こっても倒れることが無く、破壊されることもない。
塔の中は外界と遮断されており、最上階に至るまでの間、入り口意外に外へと出る場所はなく、窓もない。
外観の大きさと中の空間の広さや高さは一致しておらず、塔の中は不思議な理で成り立っており、広大な迷宮のようになっていて階層は百まであると予想されている。最上階まで踏破した者はまだおらず、五十二階が最高記録とされている。
迷宮は階を上るごとに強力な魔物が出現し、危険な罠や難解な仕掛けが増えていく。それに比例して道具や武器あるいは書物なども貴重で稀少なものになっていったという。
今まで数多の冒険者達が塔に挑んだ。その中でも最上階を目指した者たちの多くが、命を落とし、諦め、力と知恵と強運とに恵まれた僅かな
だが今では『塔の柱』に挑むものはほとんどいない。各国が規制をかけ、塔の入り口に衛兵を配置するようになったからだ。
その理由はもちろん全世界で急激に魔物が増加し始めたからであり、加えて、各国の優秀な冒険者や実力者による攻略部隊が『塔の柱』の階層突破記録更新に挑み、ほとんどの者が戻らなかった事も大きい。
五十階以降を知る鳩は、未だにあの時の冒険が忘れられず、その冒険を打ち切らせた赤帝国を恨んでいるというわけだ。
「前に一緒に行ったっていう奴らも連れて行くのか?」
「それができるんなら是非そうしたい所だ。他の奴らは俺よりも随分若かったから今でも余裕だろうが、いろいろクセのある奴らだったし、今はもうどこで何してるのかはサッパリだからな。もしあと数年で『塔』に行けるってなったらそん時はお前と『森金』を連れて行ってやるよ」
「ゥエッヘッヘ!本当に行けるようになったらな!確かに魔物はかなり減って来てるみたいだが、また赤帝の野郎がなにか仕掛けてきてるだとかいう噂もあるからな。そういった諸々の事に対処してこの国が落ち着くまで俺たちの願いは叶わんだろうさ」
「チッ」
鳩ははっきりと、苛立たしそうに舌打ちをした。
「何かやろうと企んでるなら、さっさと来いってんだよ……!」
酒に酔った『鳩』は再び麦酒を飲み干し、ジョッキをテーブルに叩きつけた。
ちょうどその時入り口から金髪の
「悪かったな。そんなに僕を待っていたのかい?」
「『森金』!いや、今のはお前に言ったんじゃねぇよ」
「遅かったじゃないか『森金』。鳩はもうだいぶ飲んじまってるぞ」
「見ればわかるさ」
「そんなとこ突っ立ってねえで座れよ」
鳩がそう言うと森金は首を振り、真剣な表情で口を開いた。
「二人とも酒はそこまでにしておいた方がいい」
その様子を見た二人も表情を引き締める。
「何かあったか」
「まだ。だけど、装備を整えておいた方がいい。北東の山の方から危険なものが近づいてきているみたいだ」
「聞いたのか」
「正確には又聞きというのが正しいかな。髭丸と仕事をしている時に、周りの木々が『遠くから木の悲鳴が聞こえる』って囁いたんだよ」
「それでギルドと相談してたってわけか」
「そう。それに駐屯兵の方でもなにかあったらしい。別件だった場合、かなりの手が必要になると思う」
それを聞いた鳩が立ちあがる。直前まで酔っていたのが嘘のように鋭い立居振る舞いだ。
「お、これはかなり……大事になりそうか?」
鳩は感が鋭い。特に危機が迫っている時にそれを察知する事に長けている。塔の柱ではそういった能力もあって仲間から信頼されていた。
「ああ。かなりやべえ気がする。森金の話を聞いたら旋毛のあたりがゾワゾワしてきた。ふっふっふ……ちょうど退屈してたところだ!」
そう言うと鳩は装備を整えるために酒場を飛び出して行った。
髭丸も立ち上がり、テーブルに銀貨を何枚か置いて店の外へと向かう。森金もそれに続いた。
「俺達もしっかり準備しなくっちゃあな。鳩のあの様子だと相当危険なもんだぞ」
「そうだね。ま、なんとか死なないように立ち回るとしましょう」
彼らの予感は当たっていた。
巨大で恐ろしい魔物が、北の街道からゆっくりと町へと迫って来ていたのだ。
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