第10話 『赤口樹蜘蛛』


 奇妙な花が生えていた。

 その毒々しい赤い花は地面に開いた口のように花冠を広げ、恵みを待っている。


 水。水ダ。水ガ欲シイ。


 花は水を欲していた。

 そこへ雨期がやってくる。


 ア、ア。雨ダ。雨ガ降ッテ、キタ。 


 アア。水ダ。水ガ、美味イ。


 花は地中に張り巡らした無数の根からありったけの水分を吸収し、蓄えた。

 陽の光があまり差し込まない林の中であるにも関わらず、花は瞬く間に成長。太く伸びてゆく茎は幹のように変化し、ほとんど樹木のような姿に変貌した。

 不思議なことに地面に張り付くように咲いていた花冠の部分は幹の根元の部分にそのままあり、本当に大きな口のようになっていた。


 水ハ、水ハイッパイ飲ンダ。


 ……肉、ダ。


 今度ハ、肉ガ欲シイ。


 紅い花の妖樹は、新たな養分を求めて動物を捕食し始めた。

 甘い香り、蜜、木の実……。さまざまな手段で小動物をおびき寄せ、大口で貪る。

 そうして養分を蓄えて成長した妖樹は、新たに獲物を狩るための手段として槍のような触手を生やし始めた。

 中型の動物をも餌にし始めた妖樹は瞬く間に成長し、触手の槍も増え、すぐに大きな獲物も狩るようになった。


 妖樹はやがて地中から這い出し、巨大な蜘蛛のような姿を露わにした。

 樹の蜘蛛は動けるようになったものの巨大な体を動かすことに慣れていないのか酷く鈍重で、自ら機敏に動き回る事はできない状態であった。   

 より多く、そして質の良い餌を求めた樹蜘蛛キグモは、本体から機動力のある分身を生み出した。

 分身である木子蜘蛛キコグモは素早く獲物に飛びかかり、鋭い爪と牙による攻撃と毒によって弱らせ、その後体中から触手を伸ばして獲物を拘束し植物の檻のようになったところで断末魔のような不気味な叫び声を何度かあげて力尽きる。

 檻となった木子蜘蛛は、声を聞きつけた他の子蜘蛛が何匹も集まって本体へ持って行くか、近ければ本体の樹蜘蛛が直接触手を伸ばして回収し、喰らった。

 

 樹蜘蛛は捕食を繰り返しながら少しずつ移動を続け、偶然にも山賊に襲われた旅人の死体を見つけ、丸呑みにした。


 ウ、美味イ。コレ、モット食ベタイ! 


 人の味を覚えた樹蜘蛛は、その豊富な栄養を求めて人間狩りを始めるようになる。

 獲物の探索の為にばら撒いた木子蜘蛛達が最初に発見したのは、山に隠れ住んでいる山賊達だった。

 

 


   ▲


 雨の降る街道。

 騎乗した兵士が三人。林の方を眺めながら待機している。

 

「かなりひどくなってきたな」


「ああ、馬の体も冷えちまう。林の中で待とう」


 副隊長バステスから命じられ、山賊が倒れていた辺りの道で付近の監視をしていた兵士達は、少しでも体温の低下を回避しようと馬から降りて林へと足を踏み入れた。 

 

「これなら随分マシだな」


「小まめに拭いてやれよ。布巾ならいくつか持ってきてる」


「助かるぜ」


 雨に濡れた愛馬の体を拭きながら、兵士たちは林の奥を監視し続けた。


「なんつーか。確かに嫌な感じするな。雨で暗いせいもあるだろうが」


「あの山賊の傷と怯え様……少なくとも嘘はついてない」


「樹のバケモノって行ってたか?この辺でその類の魔物は見たことないぞ」


「樹の蜘蛛だとさ。まぁ確かに、つい最近街道を見回ったけどよそんなの見たことも聞いたこともねぇ」


「いや、俺達はコルペイロとキトラの中間地点までしか巡回しないし、頻繁に林の中に入って行くわけでもない。北東の山辺りを縄張りにしてたんならわからんぞ」


「もしそうだとしたら、向こうの山を根城にしてる山賊やら周辺の動物皆やられちまってるんじゃねーか?てか、なんでそれがこっちの方に来てるんだよ」


「そりゃお前、食うものが無くなっちまったからだろ」


「そりゃそうか」


「……」


 わずかな沈黙が三人の空間を包む。


「食われたって、あいつ言ってたか?」


「仲間が蜘蛛の群れに連れて行かれたってよ」


「じゃあ食べられたところを見たわけじゃないんだな?」


「いやいやお前何を期待してんだ。食われてんのは確実だろう?食わなくていいなら持ち去る必要ないだろ」


「そうだけどよぉ……。食われるのは嫌だなぁ」


「弱気になるなよ!これからご対面するかもしれないのに、勝てるもんも勝てなくなるぜ」

 

「まったくそのとおりだな。最も、応援が来る前に魔物が現れて対処することになったら、一人状況の報告に走ってもらうことになるかもしれん」 


「そんときゃお前に行かせてやるよヴェルナー!」


「べ、別にビビってるわけじゃねーからな!ただ食われるっていうのがなんか嫌なんだよ!」


「わーかった。わかったって!」


 二人はからかうように笑い、ヴェルナーと呼ばれた兵士は不満げに愛馬の尻を叩いた。

 相棒の行為に機嫌を損ねたのか、ヴェルナーの馬は急に走りだす。

 

「わ、悪かった!ちょっと待てって!」


 街道に出た馬をあわてて追いかけるヴェルナーの背後で「出やがった!!」と大声が聞こえた。


「え?」


 ヴェルナーが振り向くと同僚二人が飛び掛かってくる蜘蛛を剣で弾き返している。傍にいた二匹の馬はなす術もなく無数の蜘蛛に取りつかれ、地に倒れ伏した。


「二人とも大丈夫か!」


 剣を抜いたところで、数匹の蜘蛛がヴェルナーに接近して襲いかかってくる。

 一匹。二匹。三匹!なんとか捌ききり、完全に囲まれている二人へ助太刀しようとしたところで「来るな!」と制止される。


「こいつは三人じゃ、ぐっ……!どうにもならん!さっき言った通り!お前は!現状の報告に行け!」


「数えるのも馬鹿らしい……!とにかく大量の蜘蛛だ!接近戦は不利!早く……いけ……!」


「りょ、了解した!すまないッ……!」


 ヴェルナーは歯を食いしばり、直ちに馬へと騎乗してコルペイロへと向かった。駆けだした直後に街道を振り返ると、大量の蜘蛛が街道へとあふれ出し、自分を追って来ている。


「急がなくては……!」


 このままでは町にまでやって来てしまう!


 鞭に力が入る。


 ヴェルナーはもう一度だけ後ろを振り返り、その後は振り返らずにコルペイロへの道を驀進した。


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