第8話 『炎の魔術師』と宿のアヒル その1
炎の魔術師『レレッカ・パラータ』は退屈を持て余していた。
彼女は北方の地域では珍しい日焼けしたような褐色の肌をしていて、肩まで伸びたふんわりと柔らかそうな癖毛の黒髪は野性的な魅力を醸し出している。その上切れ長の目から鋭い赤茶の眼光を放つものだから、猛獣のような印象をも周りに与える。
実際、現在のレレッカは猛獣に近い。
レレッカはコルペイロで一番の宿屋『モッコロの親父亭』で昼間っから果実酒を飲み、客に絡んでからかったりしている所を『親父亭』の店主に叱られるのが日課になっている。
普通の旅の客ならそれほど問題はないのだが、冒険者やらがやってくると「ちょっと腕試ししようじゃないか」とか言って喧嘩をふっかけて騒ぎを起こす。(魔術師なのに格闘も強い)特に高位の魔術師の女がやってくると敵意むき出しで魔術戦を開始して手が付けられなくなる。その度に、宿の親父と駐屯所の副隊長が力ずくでレレッカを無力化するのだ。
そういった事が起こるようになって、それなりの身分と実力を持った魔術師は『親父亭』には近づかなくなった。が、レレッカの噂を聞きつけて面白がった旅人や冒険者が頻繁に訪れるようになった。そのおかげでレレッカも宿から叩き出されることは無かった。
最も、レレッカが叩き出されないのはその理由の他にもあり、事情を知っている店主『ヴァルエド』が彼女を気の毒に思っているからというのが大きい。
― 一年と二か月ほど前の事 ―
レレッカはオーレルの魔術学校で戦闘魔術の講師をやりながら、自身の魔術の鍛錬と研究に熱中していたのだが、ある時突然、魔術学校名誉顧問であり北方国家連合筆頭魔術師でもある師匠から、スオーム公国最北の町『カンマネ』に赴いて滞在するよう命令された。
しかも「魔物がラドガル山を越えてこないか監視しし続けて、確認したら町の人間に避難するように警告した後でコルペイロに移れ。それまで町から動くな。背いたら全ての権利を剥奪する。あと殺す」という悪魔も裸足で逃げ出すような言葉を浴びせられ、冷たい紫の瞳に絶望を植え付けられながらオーレルを去ることになったのだ。
レレッカは心の中で叫びながら涙目のまま馬車に揺られ、カンマネに向かった。彼女は道中や、町や村に泊る時も、ずっと恨み言をつぶやいていた。オーレルからの移動とカンマネ滞在中の費用は全部学校が負担するという条件が無ければ暴れだしていたかもしれない。
そんなこんなでカンマネに着いたレレッカはかなりのイライラを抱えていたのだが、あらかじめ魔術学校から言い含められていた町の人々が総出で盛大にもてなしてくれたおかげで機嫌が良くなり「ちっ、しょうがねぇな~。こんだけ歓迎されたらアタイも文句はいえねーよ!酒も美味ぇしな!」と納得した。
そういった経緯で、レレッカはラドガル山から下りてきた魔物を確認したあと町人を避難させ、馬車でコルペイロへとやってきた。そしてカンマネに向かう際に一度利用した『親父亭』に再び宿泊することにしたのだが……。
宿に届いていた一通の手紙が再びレレッカを不機嫌にさせることになる。
― 現在 ―
宿屋の地味な給仕服に身を包んだレレッカは相変わらず不機嫌そうにして果実酒を飲んでいた。宿屋の正面から右側に伸びるカウンター席の端の椅子に座って、宿に出入りする客をジロジロと見ている。強くなってきた雨のせいもあってか、その表情は暗く重い。
「おいレレ。そろそろ客が増えるからその辺にしとけ」
「うっさいね~。まだいいだろぉ?」
「駄目だ」
店主のヴァルエドが有無を言わさず木製のジョッキを取り上げた。
「ちっ……。ハイハイわかりましたよーだ」
「おめぇなぁ……。ひでえ扱いされて不貞腐れるのわかるけどな、もう二か月も経つんだから少しはやる気だしてくれよ」
これでも結構緩めの仕事にしてるんだぞ?とヴァルエドが言う。
「宿屋の雑用なんてアタイにゃ向いてないんだよぉ!内容が楽だとかどうとか、そんなんはどうでもいいんだ!だいたい魔術師のアタイがこんな給仕服着て日銭稼ぎながら、いつ来るかもわかんない奴を待ってなきゃいけないなんて、ふざけるのもいい加減にしろよ白髪ババァ!!!」
給仕服のレレッカは一頻り愚痴を吐き終えると「ふぅ、少しすっきりした」と言って立ち上がり軽く伸びをした。
「大きな声出して悪かったよヴァル。仕事にもどるよ」
「そうしてくれ」
やれやれと肩をすくめてヴァルエドは厨房に引っ込んだ。
「さて、と」
レレッカが空き部屋の掃除をしようと二階への階段を上ろうとした時、ふと店の入り口を見るとちょうど三人の客が入ってきた。
「あ」
レレッカは鉄兜の剣士を見て動きを止めた。
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