第5話 『アヒル』と少女が旅立った

 不思議な鉄兜の騎士が森の中へ飛ぶように走り出して行ってから1時間くらいが経っていた。

 どれほど腕が立つと言っても、初めてこの村にやってきた人間があの森からすぐに戻って来れはしないだろうと思ってた。ましてや、恐ろしい魔物が待ち構えてるかもしれないんだぜ?そんな風にあれこれ考えながら湖の前でずっと突っ立っていたんだよ俺は。

 するとどうだ?森の方から二つの影がやってくるのが見えるじゃないか!

 本当にわずかな時間で、『アヒルの騎士』は娘を救い出してきてくれた!!

 俺はすっ飛んでドロシーを迎えに行ったよ!

 

 ドロシーの父リンヘンが誇らしげに村人たちに語っている。

 キトラ村の中央。

 広場のようになっているその場所では、村の男たちが大勢集まり火を囲んで酒を酌み交わしていた。その中でリンヘンは特に騒いでおり、酔いが回って顔を真っ赤にしている。

 そして彼らの傍らには、解体された巨大な毛むくじゃらのトカゲだったものが置いてあり、男たちはその肉を焼いて食べている。

 アヒルの騎士とドロシーが戻って来て、家族一同が落ち着いた後の事だが、改めて村の男たちと騎士とで森の中に入り、見事に真っ二つに割かれた巨大トカゲを手分けして解体し、村まで運んできたのだ。

 もちろん最初は「こんな魔物、食べても大丈夫なのか?」という疑問があり、誰もがその場に埋めてしまおうと言っていたのだが、アヒルが「俺が毒見する」と言ってその場で火を起こし、一通りの部位の肉を焼いて食べて平気だったものだからとりあえず持って帰ることになった。

 ところが、村に戻って来てからも「本当に大丈夫なんだよな?」と心配する者が何人もいた。

 さてどうしようと困っていた所にリンヘンの母イズがやって来て魔物の肉をしばらく眺めた後で「これは食べても大丈夫そうだね」と言い、それを聞いた村人たちは安全を確信して大いに喜んだ。

 その様子を見ていた騎士は、イズはいったい何者なのか?と不思議に思っていろいろと聞こうとしたがそんな暇はなく、上機嫌の村人達に誘われるがまま広場に連れていかれ、上等な造りの木の椅子に座らされて現在に至る。

 リンヘンとドロシーを両脇にアヒルの騎士は肉を喰らいながら、村人達の質問攻めにボソボソと答えていた。



 森に現れた恐ろしい魔物を倒し、村の娘を救った事。

 それによって、村人たちに貴重な肉を大量にもたらした事。

 村の人たちがアヒルの騎士を称え、盛大に宴を催すのには十分な理由だった。


 私はアヒルさんの隣に座っている。

 お酒はまだ飲めないから木の実と果物を絞ったジュースを飲みながら、彼の鉄兜を時々凝視している。

 彼は時々、肉を食べるために兜の前面を上に可動させる。顔を見るチャンスなのだけど、見れない。なぜなら暗い紺色の布で顔のほとんどを覆っているからだ。かろうじて、口元と右目だけが確認できた。

 一度だけ、彼の深緑の目がこちらを見た。だけどすぐに兜で顔を隠す。

 気になったので私は思い切って聞いてみた。


「どうして顔を隠すんですか?」


「……顔にひどい火傷の痕があって。醜いから隠している」


 意外にもすんなり答えてもらえた。それでもまだ気になった。

 

「兜は脱いでもいいんじゃないですか?」


「……昔、油断していた戦友が頭を射抜かれて目の前で死んだ。俺のこめかみにも矢が掠った。その時のトラウマがあって、兜をなかなか外せなくなった」


「なるほど。そうなのですか……。ところで」


「ドロシ~!命の恩人に失礼~だぞぉ!あんまり質問攻めにして困らせちゃダメだぁ~」


「わ、わかってるわよ!」


 父さんの邪魔が入って一番聞きたかったことが聞けなくなった。

 自分たちだってさっきまで村の皆と一緒になってアヒルさんを質問攻めにしていたくせに。


 明日になったらいなくなっちゃうのに、どうしよう。


「その首飾りは、どうしたんだ?」


 え?


「こ、これですか?えっと……五年前に白い髪の魔術師さんが村に来て、私の家に泊ったんです。次の日、私が村の入り口まで見送りに行ったらこれをくださって『もしその気があれば五年後に魔術学校に来なさい』って……」


 そこまで言ってアヒルさんの方を見ると、「んん……」と息を漏らしながら左手で顔を抑えている。何か悩んでいるような素振りだ。


「どうかしましたアヒルさん?」


「いや、大丈夫だ。……その白い髪の魔ど、魔術師はタウラという名前か?」


「はいそうです!お知り合いなんですか?」


「…………うん。知り合い、だ。」

 

 知り合いって言いたくなかったっていう悔しさのようなものが体中から滲み出ていた。だから私はそれについては深く聞かないことにした。


「そう、ですか……」


 しばしの沈黙。

 私は肉に手を伸ばし、頬張る。


「魔術学校に行くんだろう?」


「ふぁい!?」


 突然の言葉に驚いた。口から肉が飛び出しそうになる。「すまない。そんなに驚くとは」とアヒルさんが謝った。


「い、いえ大丈夫です。……魔術学校、最初は行きたいと思ってたんです。でも、時間が経つにつれて『私みたいな田舎娘が魔術学校に行っても何もできない』って思うようになって……。怖くなったんです。魔術の知識だって全然ないのに」


「知識が無いから学びに行くんじゃないか?」


「確かにそうですけど……私に魔術なんていう難しいものが扱える気がしなくって……」


「ずっと、ずっと、大昔。神話の時代の話だ」


 アヒルさんが急にそんなことを言うので、私はなんだろうと首を傾げた。


「その頃には、『魔術』というものはなかった」


「そ、そうなんですか?」


「ああ。あったのは『純粋な力』だけだ。絶対的な『力の法』が世界の全てだった。いわゆる神と呼ばれる存在達にとって、水中に火を生み出し、鳥を蛇に変え、木の中から酒を取り出すのは容易な事だった。その超常的な能力に細かい理屈は無い。『ただそれができる』という事実があるだけだ。そして『魔法』は、それの類だ」


 口下手そうなアヒルさんがいきなり長い話をし始めたので、呆気にとられた。古代のおとぎ話の様な話をまるで見たことがあるようにのも不思議だった。


「『魔法』と言ったが、言い間違いではない。魔法と魔術は違うと散々講釈を聞かされたからな。で、君は『魔術』が扱えないかもしれないと、自分に才能が無いかもしれないと思っているようだが、そうだな『魔術』はどうなるかわからないが『魔法』なら……見込みがあるんじゃないか?そもそも、その首飾りはタウラがよっぽど気に入った奴にしか渡さない物だ。本人がそう言っていた。だから恐れずにウーデンスの魔術学校に行った方がいいと、俺は、思う」


「私が、『魔法』……?」


 もっと詳しく聞こうとしたところで「俺は寝る」と言って、アヒルさんはあっという間に村長の家へと入って行ってしまった。


「『魔法』……??」


 私はわけがわからなくなった。


― 夜が明けて ―


 結局、父さんにも母さんにも何も言えないまま朝を迎えた。

 

 父さんは酔っていたし、母さんはアヒルさんのために保存食やら旅の役に立ちそうな物を準備したりで忙しそうにしていたから。

 おばあちゃんもずっと裁縫をやっていて、大きな暗い色の布に一生懸命針を通している。そういえばここ最近ずっとだ。

 弟と妹は酔っ払った父さんの話を興味深そうに聞いていた。父さんは直接見ていたわけでもないのに、自分の想像を膨らませて脚色したアヒルさんの武勇を語っていた。

 私は森で見た事を誰にも話していない。ずっと気を失っていたことにしている。確かにアヒルさんが離れた所にいる魔物を斬った瞬間を見た。でも、それだけだ。見てはいたけど、何が起こったのかはよくわからなかった。それに、アヒルさんに他の人には言わないでくれと頼まれもした。命の恩人の言葉を無視するほど私は愚かじゃない。


〈魔術学校に、行くんだろう?〉


 アヒルさんの言葉が頭の中で響いている。 私は、行ってもいいんだろうか。


 気がつけば、行商人とアヒルさんが村を出発する時間になっていた。

 私の家族はおばあちゃんを除いた全員が、他は村長を含めほとんどの村人が二人を見送りに、村の入り口と街道の分かれ道に集まった。


 アヒルさんが行ってしまう。

 

 私は俯いたまま、動けないでいる。

 

 馬車へ荷物を積み終えたアヒルさんが、村の皆に向かって「それでは、世話になった」と礼を言い、村人たちも揃って「そんな、世話になったのはこちらの方です」「道中お気をつけて」と返す。皆、嬉しそうに笑っている。


 私はどんな顔をしてるだろう。


「それで、どうするんだ。魔術学校に行くのか、それとも行かないのか?」


「え……?」


 アヒルさんが私に向かって、声をかけてくる。まさか今ここでそんな事を言われるとは思ってなかった。

 咄嗟に、父さんと母さんの方を向く。父さんは腕を組んで目を瞑り、母さんは困ったような笑顔で私を見つめている。


「行って来なさい」と先に言ったの父さんだった。


「……ここ最近のお前はずっとそのことで悩んでただろう?見ていられなかったよ。それに俺と母さんが最初に反対してしまった事もあって、どういう風にお前の背中を押してやればいいのかわからなかったんだ」


「何を言っているのあなた?私は随分前から、この子がすぐにでも旅立てるように準備をしていましたよ?それに義母様もね」


 そう言って、前日から準備していた旅の道具一式を私にくれた。おばあちゃんがずっと手を加えていたあの布もある。広げるとそれはフード付きのマントだった。


「これは、アヒルさんに渡すものじゃなくて?」


「違うわ。これはあなたのよ」


「ほんとに、本当にいいの?」声が震えてしまう。


「いいんだよドロシー。俺達もずっと不安だったんだ。けど、あの騎士様がお前のことを必ずオーレルまで送り届けるって約束してくれたんだ」

 

「全然わからなかった……。いつのまに……」


 こらえきれず嗚咽が漏れ始めた。父さんが抱きしめてくれる。


「だから、安心して行っておいで。辛いことがあったらいつでも戻ってきていいんだからね」

    

「手紙を送ってちょうだいね。大切な娘が無事に元気でいるって私たちを安心させてね」母も一緒に抱きしめてくれる。「おねええええちゃあああああああ」ジェティが一番顔をグシャグシャにしている。ガラットは明後日の方を向いているけど、目の端に光るものがある。鼻を啜るのも見えた。


「うん。うん……ごめんねジェティ……。ガラット……ジェティと仲良くね……」


 しばしの間、家族との別れを惜しむ。


 やがて出発の時が来た。

 

「行ってきます」


 そう言って馬車へ乗ろうと荷台にいるアヒルさんの手を掴もうとした時。「ぐああ!」という鳴き声がした。

 村人たちの足元を縫うようにして家で飼っている家鴨が一羽現れた。


「トフカ?どうしたの?」ほとんど濃い茶褐色の家鴨の中でこの子だけが灰色なので私は『トフカ』と呼んでいる。


「連れて行ってほしいんじゃないか?そいつ一番お前に懐いていただろう?餞別だと思って持っていけ」父さんが「非常食にもなるし」と付け加えるとトフカは不満そうに「ぐあ」と鳴いた。


 馬車の荷台に乗り込み、いよいよ車輪が回り始めた。


 私は荷台の後ろから村の皆に手を振り続けた。ジェティが途中まで走って追いかけてくる。妹の姿が見えなくなり「おねえちゃあああああ」という大声もだんだんと聞こえなくなる。涙が止まらない。


 村を出発してから十分ほど。

 ようやく落ち着いたところで、アヒルさんが声をかけてきた。


「その家鴨は『トフカ』といのか?」


「えっ、はいそうです。この子だけ灰色なのでそう呼んでます。他の子には特に名前はつけてなかったんですけど」


「そうか。……もう少し違う名前をつけないか?」


 アヒルさんのその言葉は意外だった。トフカも「ぐあ?」と言っている。でも、せっかくだし。旅立ちを記念して新しく名前をつけるのもいいかもしれない。


「そう……ですね!なにかいい名前が?」


「『ホッペ』」


「『銀』ですか……!とってもいいと思います!」


「ぐあ!ぐあ!!」当の家鴨も喜んでいるようだ。


「うん。気に入ってもらえて、よかった。それと……これから、よろしく頼む」


「はい……!!こちらこそ、よろしくお願いします!!」



 こうして、私とアヒルの騎士さんとホッペと、それから行商人コパスさんの旅が始まりました。


 この後、ウーデンスの都市オーレルを目指す私たちの行く先々でいろんな出来事が待ち受けているのですが、この時の私にはそんなこと当然わからなかったし、アヒルさんがいれば何も心配ないと思っていました。


 村を出て二日後。


 どれほど頼もしい人が近くにいても旅に危険は付き物だということを、私は思い知る事になるのです。

 

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