第4話 『アヒルの騎士』が飛んできた!


 一年を通して雪が積もり、切り裂くような吹雪があらゆる生き物の生命を奪うと言われているラドガル山。

 その恐ろしい『死の雪山』を越えてきた怪物がいた。

 

 見た目は、黒い毛を全身に生やした巨大なトカゲ。目は殆ど退化しており、代わりに鼻が発達している。動きは鈍重で、その巨体と生命を維持するために必要な、獲物を手に入れるということが困難に思える。

 だが、この魔物は俊敏さが皆無である分『獲物をおびき寄せる』能力に特化しており、汗腺から動物を誘引する魔力を含んだ分泌物を出して空気中にばら撒き、しかもある程度の指向性を持たせて放つことができた。風に運ばれてきた『誘引香』を動物が吸うと、軽く催眠術にかかったようになり、香りの強い方へと誘われる。そうして最終的には毛むくじゃらの大トカゲの口に辿り着くという仕組みだ。

 ちなみに人間が誘引されることは滅多にない。動物よりも嗅覚が優れていないことと、ある程度意識すれば異変を感じて匂いから遠ざかることができるからだ。

 実際にこの魔物がラドガルの山を下りてキトラの森にやってくるまで、いくつかの村や町の近くを通ったが、人間が餌食になることはなかった。そのかわり、大量の野生動物や家畜が犠牲になった。

 鈍重な動きの魔物を討伐しようとする人はいなかった。巨大で不気味な怪物に向かって動物達が自ら捕食されに行く様子を見て、それに近づかないようにするのは当然とも言える。


 ドロシーが森の近くまで歩いて行ったのは、ただの偶然だ。前日の夜に父から聞かされていた事もしっかり覚えていた。しかし、考え事をしていた彼女はつい、最近の日課にもなっている家鴨との散歩をしてしまっていた。

 家鴨は途中で家の方へ戻ったのだが、村人の中でも鼻がきくドロシーは甘くてうっとりするような香りを嗅いでしまっていた。

 「なんだろうこのいい匂い……」考え事に夢中だった彼女の意識は、魔物の誘惑に抗うことができなかった。


 偶然と言えば、ドロシーの胸の辺りにチクッと痛みが走ったのも、意識が戻った拍子に尻もちをついてのも偶然であった。

 そうでなければ今頃ドロシーは魔物の胃の中に収まっていただろう。ただ、恐怖に竦んでしまい逃げることができないでいるため、魔物の餌食になるのは時間の問題だった。

 そして魔物の口が、気を失ったドロシーの目前まで来た。

 

 魔物は一歩、二歩と後ずさる。


 何かがとんでもない速さで向かってくるのを察知した魔物は身構えた。


 ド ッ ン


 という音と衝撃。


 横っ腹に突進してきた何かによって魔物は吹っ飛ばされた。数本の木が倒れる。


 そして、突進した何者かもぶつかった衝撃で魔物とは反対方向に少しだけ吹っ飛んだ。

 そこには鉄兜の剣士が倒れていた。



   ◇


 まさか。


 俺が大の字になって倒れている。


 迂闊だったか。いや、これは運が悪かった。


「そういう特性か……!」


 軽やかに起き上がり、瞬時に辺りを見回す。


 少女が、気を失って、倒れている。

 

 命に別状は無し。それならば、ひとまずは安心だ。

 

 さっき、何が起こったか。……途中までは覚えている。森を眺め、少女と魔物を。そしてほぼ最短距離で踏破し、魔物を切り裂いて終わりのはずだったのだが……、途中で意識が持っていかれていた。

 。それの匂いにまんまとやられた。魔力を含んでるのもまずかった。している時に、全くの無警戒であんなものを吸ったら、なるほど俺はこうなる。


 要するに天敵だ。


「危なかった」


 呼吸を整える前に、意識に壁を作る。その外側にもう一枚、さらにもう一枚。そうやって肉体を覆うまで何重もの壁を。


 そうやって並べた全ての壁を、一つに。


 甲高い音が鳴り響く感覚。

 魔物の誘引香は完全に遮断された。


 吹き飛んだ魔物がゆっくりとその巨体を起こし、こちらに顔を向ける。そして威嚇するように大きな口を広げ、ゆっくりと後ずさっていく。


 逃がしはしない。


 腰に提げた剣を抜き放ち、上段に構える。近づく必要はない。


「いいかげん、こっちのコツも掴まないとな」


 さっきと同じ要領。剣の周囲に何重もの壁を作る。研ぎ澄まされた思念の壁を。

 壁はやがて一枚の膜となり、刀身を覆う。

 そしてさらに膜の内側、刀身に力を籠める。

 飛ぶ。跳ぶ。離れる。走る。奔る。届く。触れる。伝わる。斬る。切る。裂く。割く。断つ。絶つ。

 

 渾身の意志を込めて、剣を振り下ろす。


 空間を震わせながら、剣気の波紋がひろがる。それは吸い寄せられるように、大口を開けた魔物の頭部中央へ。


 シャッ 


 かすかに聞こえたその後に、血と肉と骨をまとめて無理やりブッた斬ったようなズシャアアという音がする。


「うまく、できたな」


 よし。この感覚を忘れないようにしなくては。


「あとは、……いや、ひとまず少女を連れて村に戻るのが先か」


 顔を気を失っている少女の方へ向ける。


「あ」


 気を失っているはずの少女は体を起こし、目を見開いている。その瞳の奥には間違いなく驚きと好奇の混ざった光があった。


「……魔物を斬るところ、見ていたか?」 


 少女は首を縦に振った。


 

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