第3話 旅の『アヒル』がやってきた!
父が昨夜言っていたことを思い出す。
― 北の方から、何かよくないものが来てる。危険だから、しばらく森に近づいちゃダメだよドロシー。もし間違って近づいたとしても、すぐに戻ってきなさい。奥に入っていくのは絶対にやめるんだよ。いいね? ―
あんなに、丁寧に注意してくれたのに、どうして私は森の中へ来てしまったのだろう。
黒く巨大な恐ろしい魔物を目の前にして腰を抜かしてしまった私は、頭の中で「どうして」と何度も繰り返した。恐怖のあまり声を出すこともできない。
魔物が一歩、また一歩とこちらにゆっくり近づいてくる。
ああ、私は食べられてしまうんだ。
涙がこぼれる。
学校、行きたかったな。
巨大な口がゆっくり近づいてきて、目の前が真っ暗になった。
◇
湖とその向こうに見える低い山がとても美しい。風光明媚とはこのことだろう。故郷の自然も素晴らしかったが、ここはまた違った趣がある。キトラ村に住む人々の営みと雄大な自然が調和し、俺の心に透き通った光と爽やかな風を感じさせる。
用心棒をやるという条件で乗せてもらった行商人の馬車に揺られて、公都から何日もかけてこの村へやってきた。
俺達の目的地はウーデンスの都市オーレルだが、行商人のコパスが「キトラに寄って一夜を過ごすことは旅人にとって重要なことなんですよ!」と鼻を大きくして言い、馬車は湖の村へと停まることになった。
コパスは『旅人にとって重要なこと』というのが何なのか詳しくは言わなかった。だから村に辿り着く前に一度「何が重要なんだ?」と聞いたのだが「まぁ……あんた程剣の腕があって戦い慣れてる人にはそこまで重要じゃないかもしれんが、そうだな。村に着いて夜になればわかるさ!」
そう言われたもので、夜になるまで待つことにした。
湖のすぐそばに丸太を輪切りにしただけの簡素な椅子がいくつかあったので、そこに座って湖と山を眺める。
ふと「ぐあ。ぐあ」という鳴き声が右の方から聞こえてきた。鳴き声の方に目をやると、十数匹の家鴨がスイスイと泳いでくる。それを追いかけるように少女が水際を歩いてくる。何か考え事をしているのか、時々俯きながら家鴨のほう見ている。
少女は俺のことなど気にした様子もなく前を通り過ぎ、森の方へと向かっていった。
俺はその少女をしばらく見守りながら、湖を泳ぐ家鴨にむかって「ぐあ」と呟いた。
△
「そ、そこの旅の剣士さん!」
湖を眺めている変わった鉄兜をした剣士に一瞬戸惑いながら、リンヘンは慌てて声をかけた。
「どうか、しましたか」
リンヘンは剣士の独特の訛りから、異国の出身なのだと理解した。
「家鴨は家に戻って来てるのに、娘がさっきから見当たらないんだ!あんた見てないか?俺と同じ明るい茶褐色のおさげ髪で、口の右下辺りにホクロがあって首飾りをしてるんだ……!」
「……首飾りは見えなかったが、さっき女の子と家鴨が、向こうの森へ」
「なん!!てことだ……!!昨日あれほど、危険だから森に行くなと言ったのに!!」
「森は危険なのか?」
「いつもは違う。ただつい最近、森の様子がおかしくって、北の山から危険な魔物がやってきたかもしれないんだ。だから森にはしばらく近づくなって言っておいたのに!それに、ドロシーは向こうの森に滅多に入らないのに、どうして……!」
それを聞いた剣士は椅子から腰を上げてリンヘンに向き直って言った。
「俺が見てこようか」
「本当か!?」
「ああ。戦は何度も経験したし、魔物討伐も何度かやった」
その言葉に希望を感じたリンヘンがわずかに表情をやわらげた時、ちょうど日光が剣士の襟についてる小さな何かに反射して思わず目を細める。よく見るとそれは、公国の『騎士号』を表すバッジだった。
「あんた……。いや、あなたは騎士なのか!?」
「客員だけどな」
「お名前は?」
「『アヒル』」
「はい?」
「『アヒル』」
「……冗談ではなく?」
「『アヒル』と、呼んでくれ。本名は別にあるが、……好きなんだ」
そう言ってアヒルの騎士は少し遠くにあるリンヘンの家の庭へ視線を向けた。
リンヘンも、目の前の鉄兜の騎士が自分のはるか後方を見ているような気がして振り返る。
「家鴨……」
リンヘンは再び騎士の方を見る。
その変わった見た目の鉄兜が、少しだけアヒルの形をしているような気がしてきた。
ハッとしたリンヘンは「とにかく!あなたがいれば頼もしい!さっそく探しに行こう!」
そう言って特に準備もせずに森へと走ろうとするリンヘンの服をアヒルの騎士が掴んで止める。
「どうしたんです!?早くしないと娘が!!」
「わかっている。すぐに見つけてくる。だから、ここで待っていてくれ」
そんな。と言いかけた所で、『アヒル』を名乗る騎士は鉄兜の面をカシャンと押し上げて森の方を眺める。兜の中がチラッと見えたが、顔の殆どが布で覆われている。ただ、不思議な緑の輝きを放つ右目だけが見えた。
小さな突風が起こる。
リンヘンが咄嗟に顔を守るようにして覆った手を退けると、目の前にいた奇妙な兜の騎士がいなくなっている。
地面にはえぐられたような痕跡
「え?」
森の方を見ると、木々が風に揺られて動いており。それは奥の方までずっと続いているのだった。
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