受難その②

 オイデクレス=コンラッド=セオドル=マーテリー3世は滂沱ぼうだの涙を流していた。


嗚呼ああ、フラウ、乱暴にしてごめんよ…君の美しい身体ボディーに傷がつかなくて本当に良かった」

 ひざまずいて愛車の前面の優美な曲線を掌で撫でさすりながらズルズル鼻を啜っている。

 

 謎の車を振り切って、中央省庁の地下駐車場に到着したのは数分前。

 ニールが無駄に張り切ったせいで時間にはまだ余裕がある。

 毎回愚図るオイデクレスを見越して早めに出勤時間を設定している事は、本人だけが知らされていない最高極秘事項トップシークレットだ。


「安定の気持ち悪さですね。毎回それやるのやめて貰えます?女性恐怖症なのに女の名前車につけるとか超ウケるんですけど」

 全くウケていない様子のニールが苛々と腕を組む。

 オイデクレスは激昂げっこうして顔から色んな液体を飛び散らせながら立ち上がった。

「何を言う!ただの女ではない!美と豊穣の女神フラウヤからつけた名前だぞ!女神は神聖なものだ!」

神々あいつらに夢見すぎでしょ。童貞ですか?愛しのフラウヤちゃんだって双子の兄貴とデキてたし人間よりドロドロしてんじゃねえの?」

 上からのしかかる勢いでまくし立てるオイデクレスに、ニールは眉一つ動かす事なくツラツラと毒を吐く。

 堂々と神をあいつら呼ばわりする。なんと罰当たりな。

「私は童貞ではない!魔物きさまに何が分かる!?」

「あ、そう。まあどうでもいいですけど。俺の兄弟が神に殺された時の話します?結構酷いですよー?」

「遠慮する。創世神話は書物で読んだ」

「まあそう遠慮せずに」

 ニールは小さな顔一面に『ニタア』という笑顔を貼り付けた。

 こういう時の彼は微に入り細に入り残虐描写を語って聞かせるのだ。臨場感を出す為なのか、時には変化へんげしたり魔法で映像を見せたりする。

 オイデクレスは岩を刻んだような強面こわもての顔を青くして後退った。

「分かった、分かったからやめてくれ」

「そう…あれは忘れもしない5000年前…」

「分かった!すまん!申し訳ない!私が悪かった!」

 結局はその言葉を言わせたいだけなのだ。

 何千年も前から存在する魔物は、暇潰しに人間をからかうのが楽しいらしい。


 ニールはついてもいない埃を腕から払う仕草をしながら、わざとらしく溜息をついた。

「分かりましたよ。童貞の夢を壊しても可哀相ですしね」

「だから!!私は童貞ではない!!」

 拳を握り締めオイデクレスが絶叫したその時。


「君たちは朝っぱらから何をやってるんだね?」

 呆れたような壮年男性の声が背後から響いた。

 振り返ると護衛を伴ったウェセル国・外務大臣のチャールズ=バーケットが、2人を眺めていた。


 この日の朝からオイデクレス=コンラッド=セオドル=マーテリー3世に『天才』『変人』『引きこもり』『潔癖症』『女性恐怖症』の他に『童貞』の文字が追加され、裏でまことしやかに囁かれる事になった。


――彼の受難は続く。

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