あの夏を、また蘇らせて

「わーい」

「祭りだどー!」

「楽しも〜」


 子供たちははしゃぎ、恋人たちがたくさん集うこの時間はまさに誰にとっても幸せな一時なのだ。


 そんな一時が崩れ落ちることを誰だって思い描くことなどないのであろうに―








「やっほ〜紬」


 杏奈は今日も元気一杯に紬の名を呼ぶ。


「杏奈、元気ね」


 こんなお祭りの日だろうと、紬は一切明るい様子は見せない。


 二人は今日も通常運転だった。

 いつもと違うと言えば、二人揃って浴衣を着ていることだろうか。

 杏奈は白っぽい花がらの浴衣を、紬は黒と赤色を基調とした浴衣を着ていた。それぞれが二人の好みのもので、それぞれが二人の個性を表しているようだった。




 時刻は間もなく六時。夕日に染まる空の色に、昼間より涼しいそよ風が祭りにやってきた人々の肌を通る。


「まず何からまわる⁉楽しみで楽しみで全然眠れ寝なかったよお」


 そこら辺ではしゃぎまわる子供のように杏奈はその場で軽く足踏みをしている。


「私はやっぱり綿飴を食べたい」


「紬は綿飴本当に大好きだよね〜何でそんなに好きなの?」


 杏奈は突然紬に尋ねる。

 だがたしかに紬の綿飴への愛情は実に強かった。尋常じゃないくらいに綿菓子を食べているイメージが杏奈にはあった。



「何でだろう…でも何となく懐かしくて…もしかしたらお母さんが作ってくれてたのかもね」


「そっかー。ま!綿飴買いに行こうよー」


「そうだね」


 二人は浴衣によって狭められた小さな歩幅でこつこつと綿飴の店を目指す。


 街は美味しい匂いで包まれていた。甘い焼き菓子の香りやスパイスの効いた食欲を注ぐような香りは街に祭りを知らせるようだった。




 屋台は神社に続く道までずらりと並んでいて、先がまだまだ見えない。

 二人が目指す綿飴の店は神社側なので少し先だったので実に長い道のりだった。


「あ、みいちゃんだ!」


 ふと、杏奈は友達の美花を見つけたようで大きく手をふっている。

 杏奈を見つけた美花は直様二人のもとに駆けつけた。



「あんちゃんやーん!それに紬ちゃん」


 美花はいつものような男子っぽい口ぶりでにこっと笑ってみせた。



「美花さん、こんばんは」



「てかさ〜ラムネ飲みたくね?」


 唐突にその話題を持ち出し、美花は杏奈の腕をぐっと引き寄せた。



「え、でもえっ〜とね」


 杏奈は少し言葉に詰まった。紬と綿飴の店に行く約束をしたのにも関わらず、美花にも誘いを受けてしまったからだ。


 杏奈は人の願いを断るのが苦手なタイプだったので、美花を断ることに躊躇った。

 しかもそれだけではなく、紬はラムネが大の苦手だったので一緒に行こうとも言いづらいのだった。

 



「杏奈行ってきなよ。私ちょっとトイレも行っておきたいし、後で合流できるから」



「ふーん。紬ちゃんは行かんのか〜まぁうちらで行くか!かっちゃん達もいるからいくぞー」


「え⁉紬?」


 紬は黙って二人を見送り、トイレに行くかと思いきや、くるりとUターンして向かい側にあるりんご飴の店で赤いまんまるのりんご飴を買った。



 もう紬は綿飴は諦めてしまった。下手に奥に行くと、美花達のグループに遭遇してしまいそうだったからだ。


 紬は彼女達を嫌っているわけではない。ただ、邪魔をしたくなかったのだ。杏奈の邪魔を。

 だから紬は大人しくりんご飴を食べた。



 硬い林檎を包む飴を舌で味わった。甘く溶け、舌に飴がまだ残っている。

 林檎まで到達したところでひとかじり。その一口は実に小さく、紬は口に入れた分だけ飲み込む。


 紬は手を止め、辺りを見渡した。

 左手側にはあの奥にある大きな神社とは違う、小柄な稲荷を祀る神社があり紬はそれを目にし、思わず見とれてしまった。


 色褪せてしまった鳥居とその後ろに密かに立つ狐の像が二匹。

 皆、あちらの神社ばかりが目に入ってこっちには目もくれていなかった。


「綺麗…」


 何とも伝えにくい紬のこの感情―


 紬の足は無意識に稲荷神社へと動いていく。まるで吸い込まれていくかのように。


 一瞬にして鳥居の前に紬は立っていた。



「あっ」


 我に返ると、傍にある狐の像の方へと目を向ける。

 そこには目を瞑ったままの少女が狐の像に触れている姿があった。


 小顔で、そのまとめ上げられた落ち着いた髪色と簪が印象的だった。 

 少女の着物は美しい。夏を感じさせる淡めの色合いで、華やかな帯が素敵であった。



 よく目で見てみれば、触れているはずの少女の掌は狐には触れていないようだった。

 紬はもしや…と思い、唇を動かす。


「貴方――」



「……!」


 少女は紬の方を見ると明るい表情になり、小走りで近づいてくる。

 紬はいきなり焦るを感じ、身を引いた。


 だったのだが、少女は紬とすれ違っていった。 どうやら目的のものは紬ではなかったらしい。



 紬は振り向いた。背後にいるであろう誰かの存在を目にするために。


 後ろには人影一つなくただただ少女が鳥居より外に足を踏み入れないまま、誰かを待っているように見えた。



「隠れておかなきゃ…」



 紬の耳には階段をゆっくりゆっくりとのぼっていく靴の音が聞こえた。

 緊張した。こんな稲荷神社に何が来るのか、どんな人が来るのか全く予想できなかったからだ。


 次第に音は近くなっていき、とうとうその音の正体がわかるところまで来ると、紬は一瞬にして心にあった緊張感が解れた。



―彼の姿を目にしたから



 階段をのぼってきたのは見知らぬ高校生だった。

 だったのだが、何故かただの高校生ではなかったように紬は思えた。見ていて眠くなってしまいそうになるくらいその優しい顔が、懐かしいような何とも言えない感情に襲われるのだ。




 まるで彼が来てくれたことを喜ぶかのように少女は感激していた。


 その彼は鳥居を潜らないまま、両手を綺麗に重ねた。そのまま瞼を下ろし、唇を軽く結んでいる。




 紬ははっとした。

 なんと、先程の少女が今までの幽霊たちと同じように光を灯って薄くなっていたのだ。拭いきれないほど涙を流し、その水滴でせっかくの美しい浴衣を濡らしてしまいる。



 少女はその涙に触れることもせず、泣いて、笑って、嬉しそうに、悲しそうな顔して口を開いた。




「――おめでとう」


 震えた声は彼と紬の気を引いた。

 何かを祈っていた彼は顔を上げ辺りを見渡し、紬は動揺を見せた。




「…ぇ」


 突然、紬の視野が濛々とした煙のようなものに襲われ何かが見え始めた。きっとこれは

―夢に違いない


 夢は一年前のこの街で起こった少女の悲劇がうつしだされた。

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