第55話 天壊の女帝と、抱きつかれた男<17>
「う゛ぐっ!」
うめき声と共に、時乃へ向けた大剣を下ろす路日。
そこに、誇らしげな高笑いが聞こえる。
「ふははははッ! やったぞ、命中した! 恥を忍んで明に特訓を頼んだ甲斐があったというものだ!」
雷の矢を放った人物は、今さら確認するまでもなく晴だった。
「晴くん、うるさいっ! 時乃、今です!」
「うむ」
「うん、お姉ちゃんっ! 北遠心陰流奥義……」
弦羽の声を合図に、時乃は下段から燦令鏡を一気に振り上げる。
「
霊剣の軌跡から現れた三日月状の巨大な光の刃が、訓練場の床を削りながら路日に迫る。
「っ! 時乃……!!」
動きの鈍った右腕で太陽の装飾が施された大剣を持ち上げ、月のように輝く刃を受け止める女帝の姿には強者の意地が垣間見えたが――
「もらった!」
時乃の奥義を受けて、明らかに構世術の圧力が低下したその瞬間を狙い、勇貴は前のめりに倒れそうな勢いで残りの力を叩きつける。
「……!!!」
時乃が霊剣から放った巨大な白刃と、勇貴が妖の腕から撃ち出した暴力的な黒い力。
《天壊の女帝》はついに、その二つの力に押し負けた。
「ぐうっ!」
訓練場の壁に激しく叩きつけられた路日だったが……驚くべきことに、倒れることなく壁から背を離して笑みを浮かべてみせる。
その身体は構世術の発動を意味する、緑色の光に覆われていた。
「あの状況で防御の構世術を展開してダメージを最小限に抑えた……呆れた化け物ですね」
うんざりした様子で弦羽がつぶやく声が聞こえた。
「この私をここまで追い詰めるとは……しかしっ! まだ終わりではありません!」
「いや、終わりですよ。……時乃っ!」
不屈の闘志を持つ女帝は戦闘続行の意思を示したが、床に倒れた勇貴は目の前に転がっていた物を拾うと時乃に向かってそれを投げる。
「えっ? あっ!」
彼女のいる場所の少し手前に落ちたそれを拾い上げて、時乃がつぶやく。
「これは……お母さんの首飾り?」
「!! 何ですって!?」
時乃が手にした金色の首飾りを見て、路日が慌てた様子で自分の首元を確認する。
「まさか……」
天阪家当主が唖然とした顔を見せ、手にした大剣を下ろした。
それを見届けた勇貴は、うつ伏せで倒れたまま一つ息を吐く。
時乃が遊んでいたゲームにおける最終決戦終了時の『イサキ』同様の床に転がった姿ではあるが、それでも……少しは彼女の役に立つことができただろうか、そんなことを考えながら。
「ふっ、勝負あったな……!」
ほとんど床に座っていただけの晴が偉そうに言ったその言葉通り、戦いは終わった。
◇◇◇
ソファに座って室内をぼーっと見ていた勇貴に、窓の外を眺めていた晴が話しかけてきた。
「見ろ、御早 勇貴! たぬきちのあのだらしない姿を! あれではとても番犬など務まるまい」
「お前はたぬきに捕まっていただろ」
適当に返事をすると外で扉を叩く音が響き、ついで天阪 路日の声がした。
「入りますよ、御早さん」
「あ、どうぞ」
部屋の扉を開けて、母親を先頭に着替えを済ませた天阪家の女性三人が入室してくる。
「勇貴さん!」
勇貴の顔を見て、手に大事そうに小瓶を持った時乃が近寄ってきた。
「これ、例のお薬ですよ。また塗ってあげますね!」
(あの成分が怪しい傷薬のことか)
「俺はいいよ。それより自分に使ってくれ。女の子の身体に傷が残るのはよくないだろ」
「あ、私は先ほどシャワーを浴びた後に、お姉ちゃんとお互いに塗り合ったので大丈夫です!」
「そうか」
(時乃と弦羽がシャワー上がりに薬を塗り合った……か)
目の前で穏やかに微笑む時乃にはとても言えないような妄想が勇貴の脳内に浮かぶが、そこに彼女の母親の声がかかる。
「時乃。今から私は御早さんとお話があります。あなたは少し遠慮してもらえますか?」
「あ……は、はい」
時乃は勇貴の隣に座り、心配そうに彼と母の顔を見比べる。
それを見て、テーブルの反対側の椅子に座った天阪家当主が口を開いた。
「御早さん、お疲れ様でした。久しぶりに若い頃のような血の騒ぐ戦いができて、私も楽しかったですよ」
冗談なのか本気なのかわからないが、あれだけの戦いを終えた後で満足そうに女帝は笑った。
「そ、そうですか」
「フッ、さて……あなたたちは確かにこの天阪家当主に打ち勝ちました。そして、御早さん。あなたが時乃のことを本当に大切に想っていることもわかったつもりです。ですから――」
「え……」
「私のことを……大切に想っている……?」
不思議そうな表情で顔を覗き込んでくる時乃の視線が痛い。
部屋の壁に背を預けて立っている弦羽が笑った気がした。
(くっ、余計なことまで言わなくてもいいだろ!)
「時乃に普通の高校生らしい生活や家庭を与えてほしい、でしたね。……約束通り、御早さんの進言を受け入れましょう」
「!! 本当ですか!」
「勇貴さん、お母さんとそんな話を……」
「とは言え、今さら私に真っ当な母親らしく振る舞うことはできません。私は人の親としてよりも《祓う者》の師として娘を育てることを選んだ人間ですから。……結局、その弟子二人にも逃げられてしまい、母親にも師匠にもなれませんでしたけどね。私は
天阪家の当主として光剣を振るい、鬼神の如き圧倒的な力を見せた《天壊の女帝》が……目の前で寂しそうに笑ってみせた。
「お母さん……そんなこと言わないで!」
そんな母の言葉を時乃が立ち上がって否定する。
「時乃……?」
「私はお母さんにもらったこの力があったから……あの日、勇貴さんに会えた。あの時、勇貴さんを助けることができた。私は……お母さんに《祓う者》として育てられたことに感謝しています」
「そう、ですか……」
「でも、あのね……私も普通の同級生の子みたいに部活に入ったり、今はいないけど……お友達と放課後に遊んだりしてみたい」
「好きにしなさい、時乃。あなたは勝者なのだから――」
「それから、お母さんやお姉ちゃんと一緒にご飯を食べに行ったり、遊びに行きたい!」
「えっ……しかし、私はともかく弦羽はこの母と一緒に行動など――」
「私はかわいい妹の頼みなら構いませんけど」
壁に背を預けたまま、弦羽は静かにそう告げた。
「弦羽……」
「あのね! 勇貴さんに連れて行ってもらった美味しいお店があるんですよ、お母さんたちと一緒に行きたいです!」
母に話しかける少女の嬉しそうな横顔を見上げて、勇貴は肩の荷が下りた思いがした。
(よかったな、時乃。本当に……よく頑張ったぞ。俺もこれで、お役御免か)
勇貴は充実感と一抹の寂しさを感じながら席を立ち、路日に挨拶をする。
「お話し中のところすみません、自分はこの辺で失礼させていただきます」
「おや、そうですか。まだ少し時間がありますが、せっかくなので夕飯をご一緒できればと思っていたのですが」
「あ、私も賛成! いいですよね、勇貴さん!」
「すみません、お気持ちは嬉しいですが……こんなボロボロの服装でいつまでもうろうろするのもどうかと思いますし、遠慮しておきますよ」
「では、一度帰って着替えていらしたらどうでしょう。損傷した衣服の弁償もさせていただきます」
「いや、自分も訓練場の床とか壊してしまったし……お互い様、ってことで」
「そうですか……わかりました。残念ですが無理にお引き留めするわけにもいきませんね。では、お気を付けてお帰りください。私との手合わせを希望するなら、またいつでも遊びに来てもらって構いませんよ」
「あ……はは、どうも」
「勇貴さん、帰っちゃうんだ……あっ、せめて門の前までお見送りを――」
「時乃、お前だって疲れているだろ。ここでいいよ」
「む~……わかりました」
勇貴はそのまま部屋を出るつもりだったが、扉の近くまで足を進めたところで意を決して口を開く。
その少女に顔を見られないように、背を向けたまま。
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