第52話 天壊の女帝と、抱きつかれた男<14>

「……えっ? 今何と言いましたか、時乃」


 虚をつかれたような表情で娘に聞き返す母の顔を真っ直ぐに見返して、時乃は答える。


「取り消して、と言いました。お母さん……!」


「取り消す……? 一体、何を――」


「私と勇貴さんが過ごした大切な時間……それをくだらないと言ったこと、今すぐ取り消してください!」


「! 時乃……」


「そうしてくれないなら、いくらお母さんでも……本気で斬ります!」


 近くに転がっていた霊剣・俊純を手に取り、時乃はゆっくりと立ち上がる。

 激しい怒りの感情が胸中で渦巻くが、それを妖の精神攻撃に抵抗する技法の応用で抑え込む。


 感情のままに剣を振るうだけでは、驚いた顔でこちらを見つめているあの女性に勝つことはできない――

 それを、時乃はよく知っていた。そう教えてくれたのは他でもない、母だったからだ。


「本気で斬る、ですか? あなたが私を? フッ、面白いことを言いますね。いいでしょう、久しぶりに剣術の稽古をつけてあげますよ、時乃!」


「……お母さんっ!」


 時乃が駆け出すのを見て、路日も大剣を振り上げて向かってきた。

 訓練場の中央で、天阪家の現当主と次期当主候補が激しく刃を打ち合う音が鳴り響く。


「……ふっ! はあっ!」


「ぬっ! 時乃っ!」


 鈍く光る俊純の刃が、無駄に露出度の高い戦闘服を着た路日の二の腕、太ももをかすめる。


「すごいぞ、時乃ちゃん! 路日さんを剣術で押しているではないか!」


 晴の声に苛立ちを見せる母親とは対照的に、時乃は自分でも驚くほど冷静に霊剣を振るっていた。


「……おのれっ!」


「う゛っ……」


 母の繰り出した膝蹴りがわき腹に命中し、時乃は体勢を崩す。

 その隙に路日は後方に大きく跳び、娘が追撃をかけてこないことを確認してから、その場で大きく息を吐いた。


「ふうっ、剣を振るうだけが剣術ではないのですよ、時乃。あなたは体術だけは昔から苦手でしたね。……それにしても、これほど腕を上げているとは驚きましたよ。今のあの子の剣の技量は私に匹敵すると言ってもいいかもしれない……大剣の太耀皇を振るう私の方が斬り合いでは不利か……しかしっ!」


 母親の身体が青白い光を纏うの見て、時乃はすぐにそれに対抗する次の手を考える。


「この神空を使った超高速の戦闘術なら、剣の取り回しの差など些細ささいなこと! まだ身体の出来上がっていないあなたにこの構世術を教えなかったことが、こんな形で自分の利に繋がることになるとは……私も思っていませんでしたよ」


 時乃は母の言葉に耳を貸さず目を閉じた。深呼吸と共に、改めて心を落ち着ける。


「……時乃。それは、何の真似ですかっ!」


 暗闇の中で路日の声と床を強く蹴る音、そして母親が自分に向ける攻撃の意志――敵意を、五感を研ぎ澄ました天阪 時乃は感じ取った。

 その敵意へと無心で霊剣を振るう。


「……っ!」


 それは一瞬の交差だったが、無数の金属音が訓練場に響いた。


「まさか……神空を発動させた私の連撃を全て受けきった!? 時乃……あなたは一体何をしたのですか! 神空を使った攻撃を正面から捌くには神空と同タイプの構世術で対抗する、もしくは……手にした者に数秒先の未来を見せる能力を与えるとされる、一等級の神剣・閃明剣を使うくらいしかないはず……!」


「二階堂のおじいちゃんに教えてもらった奥義……心月しんげつです」


 目を開けて、動揺を隠せない様子の母に時乃は答えた。


「何っ! 心月!? 対峙する相手の殺気を感じ取り、まるで先読みをするかのようにあらゆる攻撃を見切ると言われる……あの秘術のことですか。私も極めることのできなかった北遠心陰流ほくえんしんかげりゅうの……二階堂先生の奥義を、あなたが……!?」


「この心月は……孤独で自分の存在すら見失いそうになっていた私を見つけて、認めてくれた人に出会って、初めて体得できた奥義です。自らの強過ぎる輝きで周りの人を傷つけて、それを気にも留めないような人には……会得できない奥義だと思います……!」


「ほう! ……言ってくれますね、時乃っ!」


 再び青白い光に包まれた母の身体が眼前から消えた。

 時乃も目を閉じ、それに応じる。

 激しい剣戟の音が響いた後――


「ぐっ!」


 母親のうめき声が聞こえて、時乃は目を開ける。

 大きく背中が開いた黒い戦闘服を着用する路日の背に、彼女の愛刀・俊純がつけた一筋の赤い傷が走っていた。


「……時乃ちゃん、やはりキミはすごいな。あの《天壊の女帝》を翻弄ほんろうしている! 僕もこのままで終われないな……!」


 遠くから晴の感心するようなつぶやきが聞こえる。

 一方で母、路日は太耀皇の切っ先を時乃に向けると笑みを浮かべた。


「フッ、まさか心月を極めるとは……恐れ入りましたよ。……しかしっ! 心月は所詮、剣術の奥義。いくら先を読むように動くことができたとしても……剣では捌けない、避けることもできない攻撃を仕掛けられたら、その奥義では対応できないでしょう。……違いますか? 時乃っ!」


「!!」


 その言葉を聞いた時乃は防御の構世術を使うため、身体に流れる霊力を操り始める。


(大気よ……わざわいを遠ざける隔壁かくへきと成れ……!)


「今再び、太耀皇の輝きを目に焼き付けなさいっ!」


 太耀皇の刀身から撃ち出された光熱波が届くその前に、時乃は完成させた構世術を発現させる。


「絶界っ!」


 周囲の景色が歪み、見えない大気の壁が時乃を襲う光熱波を遮る。


「この光剣による攻撃を構世術で受けることのできるあなたは……やはり我が娘ながら大したものですよ、時乃。フフフ……それではっ!」


 不敵な笑み浮かべた母親が左腕を高く掲げる姿を見て、時乃は思わず息を呑んだ。


「次はこの天阪 路日、最強の構世術の威力を見せてあげますよ……! 光剣と最強の構世術による攻撃、この二つの力をあなたの得意とする防御の構世術で受けきれますか、時乃っ!」


(!! やっぱり、あれを使う気だ……!)


「……天壊図てんかいずっ!!」


 路日の左手から大雨の日の川の流れを思わせる、膨大な量の光の奔流ほんりゅうが放出される。

 右手の太耀皇と左手の天壊図。二つの破壊的な光のエネルギーを撃ち出す母のその姿は、まるで双頭の火吹き竜が炎を吐くかのようだった。


「く……うっ!」


 時乃の作り出した構世術の壁は光剣の光熱波に加え、母親自慢の天壊図まで受けたことで急速にその力を失っていく。


(光よ……身を守る鎧と成れ……!)


 見えざる防御壁が完全に消滅する前に、時乃は霊力を自らの身体に纏う別の防御の術を発現させようとするが――


「あっ……!」


 天阪家を、そして彼女を支配してきた女帝の本気の攻撃は想像以上の勢いで構世術の大気の壁を撃ち破り、その光の中に時乃は飲み込まれた。

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