第46話 天壊の女帝と、抱きつかれた男<8>

 ◇◇◇


 二人でジャンボパフェを食べ終わった後、時乃に誘われるままに施設内のゲームコーナーやアトラクションで遊んでいると、いつも彼女が家に帰る時間が近づいてきたことに勇貴は気付いた。


「時乃。明日のこともあるし、そろそろ帰るか」


「え……あっ、もうそんな時間なんですね……」


 名残惜しそうに園内を見渡した時乃の視線が一点で止まる。


「あの、勇貴さん。最後に観覧車に乗りませんか……?」


「そうだな……行列もないみたいだし、いいんじゃないか」


 すがるような目でお願いする時乃の頼みを断れるはずもなく、二人は観覧車乗り場へと向かうことになった。


「それではしばしの間、空の旅をお楽しみくださーい!」


 ゴンドラ内に入り、係員が扉をロックすると……その個室はゆっくりと上昇していく。


「はぁ……勇貴さんが今日遊園地に連れて行ってくれる、ってわかっていたら……午前中に道場に行かないで、朝からお邪魔したのになー」


 勇貴の向かいに座った時乃が残念そうにつぶやきながら、それこそ小さな子供のように脚をパタパタとさせる。


「まあ、俺の方も思い付きでの行動だったからな。仕方ないさ。《天壊の女帝》なんて呼ばれている最強の《祓う者》との戦いを前に遊園地に行くなんて、時乃が今日遊びに来てくれるまでは想像もしていなかったからな」


 徐々に高度が上がるゴンドラの窓からは神残湖が見え始めた。遊覧船が航走波こうそうはを発生させながら湖の奥へと進んでいく。


「《天壊の女帝》……天阪家当主……お母さん。勇貴さん、私……がんばります! 絶対に勝ちましょう!」


(そうだ、負けるわけにはいかない。今度の戦いは晴の野郎や弦羽との戦いとは全く意味が違う。これが最後の……もっとも重要な戦いになるはずだ)


「ああ、もちろんだ」


 ゴンドラの上昇に伴い遠くの山々が視界に入る。天阪 弦羽と戦った秋野山の廃墟はあの辺りだろうか。


(そう言えば……妖の力を強引に引き出すために跳び上がったあの時、この観覧車が見えたな。まさか、時乃と一緒に乗ることになるとは思わなかったが)


 いつの間にか日の位置がずいぶんと落ちていた。もう少し待っていればゴンドラ内から夕日を拝めたかもしれない――

 そんなことを考えながら窓の外へ視線を向けていると、不意に時乃から声をかけられる。


「あの、勇貴さん」


「ん、何だ。時乃」


「また、勇貴さんと一緒に遊びに来たいです」


 日の光に照らされた亜麻色の髪の少女は、穏やかな表情でそう言った。

 その姿は彼女の背に広がる遠上市の豊かな自然の風景と相まって、どこか神々こうごうしいものさえ感じる。


 御早 勇貴は明日の彼女の母親との決戦、そして――

 天阪 時乃との年齢差も忘れてしまうほどに、その顔に見惚みとれてしまった。


『おじさんが自分に優しくしてくれる、大切にしてくれるとわかったら……あの子はきっとあなたに甘えて、依存してくると思います。それでも――』


 彼女の姉に言われた言葉が脳裏に浮かぶ。


(弦羽はああ言ったが……このままでは俺の方が……いや、そうなる前に決着を!)


「……そうだな。また来れるといいな」


 自分を真っ直ぐに見つめてくるその少女に向かって、ハッキリとまた連れて来てやる、などと約束することは……今の彼にはできなかった。


 ◇◇◇


 決戦の日。

 勇貴は一週間前と同じく、天阪家の門の前に立っていた。あの時とはまた別の緊張感を抱えながら。


 インターホンを鳴らすと、すぐに応答があった。


『はい、どちら様ですか?』


「! 時乃か? 御早 勇貴だ」


『あ、勇貴さん! お待ちしていました、すぐに門を開けますね。私もお迎えに行きます!』


 この豪邸に住むお嬢様の声が聞こえた後、巨大な門が開いていく。


(さて、生きて再びこの門を通れるかな……)


 門が開くのを待ちながら、勇貴はそんなことを考えた。


 ◇◇◇


 よく手入れされた庭を歩いていくと、全身黒ずくめの長身の男、その足元で男のブーツに鼻先を押し当てる赤毛の柴犬の姿が見えた。


「ふっ、遅いぞ。御早 勇貴!」


「晴……? お前、どうしてここに」


「話は聞かせてもらった」


「誰にだよ」


「時乃ちゃんのためなら、この僕も一肌脱ぐとしよう」


「お前はまず、その暑っ苦しいロングコートを脱げ」


「とは言え、相手があの路日さんではそう力になれるとも思えないがな」


「……どうした、イケメン。珍しく弱気な発言じゃないか」


「ふん、愚民め。貴様はあの人の強さを知らないから、そんなことが言えるのだ」


「おいおい、あまり脅かすなよ。……ところで晴、たぬきがお前のコートを噛んでいるけど、いいのか?」


 神妙な顔で勇貴に警告する千剣 晴の黒いロングコートの裾を、柴犬のたぬきが一心不乱に噛みしめていた。


「む……? ッ! こら、たぬきち! やめないかっ!」


「いつまでもそんなコートを着ているからだよ。わんこさんは臭いものが好きだからな」


「失敬な! 臭くない!」


「勇貴さん、こんにちは! ……晴くんも?」


 名前を呼ばれて振り向くと、玄関の方から亜麻色の長い髪をなびかせて小柄な少女が駆け寄ってくる姿が見える。


 妖の討伐に向かう時によく着ているスポーツウェアとスパッツ姿、そして……霊剣の入った袋を肩に掛けた天阪 時乃だった。

 昨日フードコートで女の子の髪型について尋ねられた時に勇貴が答えた、髪の上半分を後ろにまとめるヘアスタイルの彼女が、飼い犬と戯れる男二人を交互に見比べる。


「よう、時乃」


「ちょうどいいところに来てくれた、時乃ちゃん。たぬきちを何とかしてくれないか」


「あ……たぬき! いたずらしちゃダメだよ!」


 たぬきは主の命令に素直に従い、すぐに晴のコートを解放する。しかし、その黒いロングコートの裾にはクッキリと歯の跡が残っていた。


「やれやれ……助かったよ、時乃ちゃん。まったく、たぬきちにも困ったものだ」


「晴くん、そのたぬきち、って呼び方やめてください。たぬきが自分の名前はどっちなのか、混乱しちゃいます」


(大して変わらないと思うが……まず柴犬にたぬき、ってところから改める気はないのか)


「ところで晴くん、今日はどうしてこちらに?」


「うむ。時乃ちゃんの危機を知って馳せ参じたのだ。サプライズと思って門を飛び越えて参上したのだが、ここでたぬきちのかわいさに捕まってしまった」


「何がサプライズだ、不法侵入だろ!」


「あなたたち……これからあの化け物と戦うのにずいぶん余裕そうですね」


 いつの間にそこに現れたのか、天阪 弦羽が立っていた。

 妹と違い普段着姿の彼女は、おそらくこの戦いに参加する気はないということだろう。しかし、その右手には鞘に収められた鳥類の翼のような装飾のつばを持つ剣が見えた。


「弦羽ちゃん、キミも参戦してくれるのかな?」


「まさか。ヒマなので冷やかしに来ました」


「冷やかし、ってお前な……」


「それより、準備ができたなら訓練場へ向かった方がいいと思いますよ。時間にはうるさいですからね、あのババアは」


(またババア、って言った……)


「うん……そうだね、お姉ちゃん。それでは勇貴さん、行きましょう。訓練場へ案内します」


「おう」


「時乃ちゃん、僕もいるぞ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る