第42話 天壊の女帝と、抱きつかれた男<4>

「あの子は誰に似たのか、意外と頑固なところがありますからね。私が言ったところで納得するとは思えません。御早さんから言われたらさすがに諦めるでしょう」


(時乃に……別れを告げる、か)


 以前、千剣 晴との戦いの最中……時乃は勇貴だけが自分の居場所なのだと悲しそうな表情で訴えた。

 しかし、今の時乃のそばには勇貴よりも身近な存在である彼女の姉――弦羽という心強い味方がいる。勇貴との別れを少しくらいは寂しいと思ってくれるかもしれないが、逆に言えばその程度で済むかもしれない。


(だが――)


 今日、時乃の母親――天阪 路日に会ってその話を聞いたことで、ハッキリわかったことがある。

 この天阪家当主の考え方を何とか改めさせないことには、時乃の悩みが本当の意味で解消することは……この立派な豪邸が彼女の安心できる居場所になることはない、勇貴はそう思った。

 やはり、このまま路日の言い分だけを聞いてすごすごと帰るわけにはいかない。天阪家を支配するこの女帝に、自分の進言を聞き入れてもらわなければ帰れない。


「お母さん」


「御早さんにお母さんと呼ばれるような関係ではないと思いますが、何でしょうか?」


「おっと、失礼。自分が時乃さんの元を去る前に、天阪家の当主にお願いしたいことがあります」


「ほう……伺いましょうか」


 路日の目が鋭いものへと変わった。勇貴はこれから彼女に問いただすことを整理しながら深呼吸をする。


「最近、時乃さんと一緒に食事を取ったことはありますか?」


「え? さあ、記憶にありませんね。こう見えて私も忙しいので。ただ、最近はどういうわけか姉の弦羽と一緒に食べることが多いようですね」


 その質問は予想外のものだったのか、女帝が意外そうな顔を見せた。


「時乃さんと一緒にどこかへ遊びに行くようなことは?」


「そうですね……あの子に燦令鏡を与えてからはなかったはずです。小学生の時に遊園地に行ったのが最後でしょうか」


 これ以上聞いても無駄だと思いながら、勇貴は最後にもう一つ、路日に尋ねる。


「では、妖や《祓う者》といった家業のこと以外の話題で、時乃さんと話をするようなことは? 学校の話とか……あるいは悩みの相談とか」


「ないですね。あのくらいの年の子は親とあまり話をしないのでは?」


 他人事のように答える、時乃の母親。

 その顔を見ていると勇貴は自身の内側から、言葉にできない理不尽な怒りが湧き上がってくるのを感じた。


「そうですか、よくわかりました」


「御早さん……? 今の質問は一体? あなたの言ったお願いと関係があるのでしょうか」


「ええ、ありますよ。自分の……俺の望みはただ一つ。時乃……さんに普通の高校生の女の子らしい生活を、家庭環境を与えてほしい」


「……!」


「別に難しいことじゃないはずです。可能な限り一緒に食事を取ったり、休日にどこかへ出かけたり、くだらないテレビ番組を見て笑ったりとか、そんなことでいい。きっと、あの子にはそれが一番必要なはずなんです」


 そう言い終わった後、勇貴はずいぶんと傲慢な意見を述べたものだと思った。自分は一体何様のつもりだ。こんな大それたことは以前の、天阪 時乃と出会う前の彼なら絶対に言わなかっただろう。


 しかし――

 今はこうすることが、泣きながら自分の居場所がない……そう言った命の恩人の少女のためだと確信して、それを彼女の母親に伝えたのだった。


 真意を伺うような目で勇貴の訴えを黙って聞いていた路日は、一呼吸置いてから静かに口を開いた。


「御早さん」


「……はい」


「あなたは一体どんな権利があって他人の家の事情に……それも普通の家庭とは違う、この天阪家の内情に意見しているのでしょうか?」


 当然の反応が路日から返ってきた。


「そうですね。そんな権利なんてありませんよ。しかし、ここで俺が何もしないまま引いたら、あの子のかりそめの居場所が消えたら……時乃さんはまた自分の居場所を失うことになるかもしれない」


「時乃の居場所……ですか?」


「はい。時乃さんが以前そう言ったんですよ。自分には居場所がない、家にも学校にも……それどころか、消えてしまいたいなんて言い出して……!」


 勇貴は《祓う者》の少女と初めて会った日の夜、彼女の頼みを断って泣かせてしまった時のことを思い出しながら、絞り出すように言葉を続ける。


「《先祖返り》の一件が解決した後も俺が時乃さんのそばにいたのは、命を助けられた恩人に何かできることはないかと考えたからです。精神的に追い詰められていた天阪 時乃が、自分の力で立ち上がることができるようになるその日まで、あの子の……かりそめの居場所になってやりたいと思った。本当に、それだけです」


 勇貴の口にしたその言葉の中には、ウソが混じっていた。


「俺があの子の前から消えるなら、代わりの……いや、代わりでもかりそめでもない本当の居場所を……時乃さんが笑って過ごせる居場所をあの子に与えてください。それが、自分の……願いです」


 彼のウソを見抜いたのかどうかはわからないが、時乃の母親はため息をついてから天阪家当主としての見解を述べ始める。


「お話はよくわかりました。御早さんの考えが正しいかそうでないかの言及は、えて私の口からは致しません。しかしながら、あなたが悪意を持って時乃に近づいた者ではないということはわかったつもりです。……その上で、私の立場から言わせてもらうのなら――」


 一つ間を置いて、女帝が力強いまなざしで勇貴の目を見つめる。

 壁時計が時を刻む音が妙に大きく聞こえた。


「余計なお世話です」


(……ッ!!)


 頭の中心部でどす黒いものが膨らんでいく感覚を、勇貴は意識を集中して抑える。そんな彼に向かって天阪家の支配者は冷たく言い放つ。


「それでは、お引き取りを」


(くそ……少しばかり強い力を手に入れたところで、結局俺には高校生の女の子一人救えないのか……!)


 勇貴が偶然手に入れた、巨大な力――《先祖返り》の力。その力で彼は無数の妖を倒し、そして《祓う者》と戦ってきた。

 しかし、今この場面においてそんなものは何の役にも立たなかった。


『殺せ――天阪 時乃を苦しめる存在など、この世から消してしまえ!』


 そんな声が、聞こえた気がした。

 それは彼の中のもう一人の《彼》、妖の声か。あるいは人間、御早 勇貴の心の叫びなのか。

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