第43話 天壊の女帝と、抱きつかれた男<5>

「……と、言いたいところですが」


 己の無力さに打ち震える男の耳に、路日の声が聞こえた。勇貴が顔を上げるのを見て、天阪家当主は続ける。


「御早さん。あなたが一般人でありながら時乃と共に妖を討伐し、人々の生活が脅かされる可能性を未然に防いだ功績は評価されることだと私は思います。……本来は国や個人から、相応の報酬をいただく危険な仕事ですからね。《先祖返り》から戻ったとは言え、妖の力を扱えるようになるにはそれなりに苦労もしたのではないですか?」


「……」


「そして、御早さん。無知故の無謀な過ちか、それともあの子のことを本気で想った故の行いか、いずれにしても天阪家の当主にハッキリと物申す者など久しぶりでしたよ。そこで……あなたに一つ、機会を与えましょう」


 口元に手を添え、いたずらっぽく路日が笑ってみせた。


「機会……ですか?」


 彼女の言っていることの意味を理解できず、勇貴はオウム返しのようにその言葉を繰り返す。


「そう、機会ですよ。この天阪 路日が一度決めた方針を改めさせる機会を……御早さんに与えます」


「!! 本当ですか! どうすれば……!」


 勇貴は思わず身を乗り出して、テーブル越しに座る路日に詰め寄る。


「戦いなさい」


 目の前の男の顔を見つめ返して、女帝はそう言った。


「戦う、って……あなたとですか」


「フッ、他に誰がいますか? 天阪家当主の考えが間違っていると、あなたが本気で思っているのなら……力でそれを証明するのです。私をただしてみせなさい。《天壊の女帝》などと呼ばれたこの私と刃を交える覚悟があるのなら……!」


(時乃の母親と戦って、力で言い分を通してみせろ……? まったく、《祓う者》の一族はどうしてこうも好戦的なんだ。……だが、これで望みは繋がった!)


「俺は霊剣なんて物は扱えないので、残念ながら刃を交えることはできません……代わりに妖の拳で応えますよ」


「フフフ、そうですか……! いいですね、久しぶりに楽しくなりそうです!」


 勇貴の返答を聞いた路日の瞳が獲物を狙う肉食動物のようにギラリと輝いた時、部屋の扉を叩く音がした。


「失礼します。あの……お母さん、時乃です。私も同席させてください。勇貴さんに……頼まれて来ました」


 扉越しでも緊張していることが伝わる、天阪 時乃の声が室内に響く。


「時乃……どうぞ、お入りなさい」


 母親の了解を得て、ゆっくりと扉を開けて時乃が入室する。

 亜麻色の髪を丁寧に編み込んで後ろにまとめた髪型は、ずいぶん手間がかかっていそうに見える。その服装も部屋着というよりは、よそ行きの服といった感じに勇貴の目には映った。

 その着飾った姿は彼女なりの正装としてこの場に挑む覚悟の現れなのだろうか。


「……失礼します。勇貴さん、遅くなってごめんなさい。もうお話が始まっているなんて……」


 申し訳なそうにうなだれる時乃に、勇貴は慌てて声をかける。


「いや、気にするな」


(時乃には悪いが……母親と一対一だけだから話がまとまったようなところもあるからな)


「フッ、時乃。ちょうどいいところへ来ましたね。あなたも……御早さんと一緒に私と戦う気はありませんか?」


「えっ、戦う? お母さんと……?」


 この場に現れたばかりの彼女からしてみればあまりに唐突な母の発言に、時乃はキョトンとした顔でその言葉の意味を勇貴に求めてくる。


「俺の要望を時乃のお母さんに受け入れてもらうために、そういうことになったんだ。お前抜きで話を進めてしまったことは謝るよ。でも、これは俺が勝手に決めたことだ。時乃が戦う理由はないさ」


「勇貴さん……」


「さて、御早さん。私はそろそろ失礼させていただきます。決戦の日時と場は……来週の日曜日に今日と同じ時間、場所はこの敷地内にある訓練場でどうでしょうか?」


「わかりました、それでいいですよ。念のため、月曜日は有給休暇を取っておきます」


「フフフッ、そうですか。休息に必要な時間が月曜日一日だけで済めばいいですけどね」


 椅子から立ち上がった路日は物騒なことを言い残すと、入室した時と同じような勢いで颯爽さっそうと部屋を横切って出ていく――と思われたが、困惑の表情を浮かべたまま立ち尽くす娘の前でその足を止める。


「時乃。あなたが御早さんと共に私と戦うかどうかは、自分自身の意思で決めることです」


「……はい」


「彼が私と戦うことを選んだ理由は、どうやらあなたのためのようですよ。……時乃、あなたはどうなのですか。私と戦う理由はありませんか? もしも、私に言いたいことがあるのなら……あなたも覚悟を決めることですね。天阪家の次期当主として!」


「……!」


「それでは失礼」


 扉へと向かう路日の背を見送りながら、勇貴はあることを思い出す。


「すみません、お母さん!」


「あなたのお母さんではありませんが、何でしょうか」


 ソファに置いてあった袋を持って、路日へと駆け寄る。


「こいつは失敬。えー……路日さん。すっかり渡すのを忘れていましたが、これをどうぞ」


 持参した手土産の入った袋を手渡すと、天阪家当主の顔がわずかにほころんだ。


「おや、これは私が好きなお菓子……よくご存じでしたね。時乃に聞いたのでしょうか」


「えっ? まさか。時乃に……いや、時乃さんに母親のことなんて聞けるわけがありません、ただの偶然ですよ」


「そうですか。ちなみに私はナッツ入りが特に好きなのですよ」


「へ? あ……詰め合わせなので、それも入っているはずです」


「それは結構。しかし、御早さん。これを受け取ったからといって、来週の決戦で私が手心を加えるなどとは思わないでくださいね」


「もちろんです。それは大事な娘さんに俺みたいな怪しい男が付きまとってきた詫びとして、受け取ってください」


「フフ、面白いことを言いますね。そういうことなら、遠慮なくいただいておきますよ。では……」


 好物の菓子が入った袋を持って路日が退室した後、時乃がポツリとつぶやく声が聞こえた。


「……いいなぁ、あのお菓子……」


 物欲しそうな顔で扉を見つめる小柄な少女に向かって、たくさんあるんだから少し分けてもらえばいい、と言いかけた勇貴だったが……それができるような親子関係ではないことを思い出し、別の言葉を口にする。


「時乃、また機会があったら何か甘いものでも奢ってやるから、そんな顔するな」


 娘に付きまとった詫びと称して母親に菓子折りを渡した直後に、またこんなことを言っている自分に気付いて、勇貴は内心で苦笑した。


「えっ、本当ですか? で、でも理由もなく奢ってもらうなんて……」


「子供は遠慮なんてしなくていいんだよ」


「もう、また子供扱いする……」


 いつもより着飾ったその姿で、期待通り時乃は不満そうに頬をふくらませる。そんな彼女の反応を見たくて、勇貴はついこんな意地悪を言ってしまうのだった。


「悪かったよ、時乃。子供と言ったお詫びに奢らせてくれ。これならいいか?」


「ついでに私もごちそうになってもいいですか」


 急に部屋の扉の方から声をかけられて振り向くと、いつの間にか天阪 弦羽が壁に背を預けて立っていた。

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