第39話 天壊の女帝と、抱きつかれた男<1>
仕事から帰った御早 勇貴は集合ポストの中から一通の封筒を取り出すと、無言でそれを見つめていた。
その封筒の見た目が、普段自分に届くようなものとは明らかに違っていたからだ。
(何だこれは、結婚式の招待状か……? 俺の知り合いに結婚しそうな奴なんていたか……)
職場の同僚と、最近は会うことも少なくなった昔の友人の顔を何人か思い浮かべながら、封筒の裏面を確認する。
【天阪 路日】
そこに記された差出人の名前に心当たりはなかったが、『天阪』の二文字を見た勇貴の心中でざわつくものがあった。
◇◇◇
「勇貴さん、こんにちはー!」
土曜日の午後、玄関の扉を開けると亜麻色の長い髪を後ろにまとめた小柄な少女が笑顔で待っていた。
「おう。よく来たな、時乃」
「はい! 私、今日の午前中は知り合いの道場で剣術の訓練をしてきたんですよ。その分、午後は思いっきり遊ぶつもりで来ました!」
リビングへと向かう途中で時乃が言ったことが少し気になって、勇貴は彼女に尋ねる。
「時乃のお母さんはナントカっていう異名で呼ばれたすごい人だ、って話をお前のお姉ちゃんから聞いたが、そのお母さんが《祓う者》としての師匠というわけでもないのか?」
「あ……そうですね。《祓う者》としての基礎を教えてくれたのは確かに母です。以前は毎週末、母と実戦形式の稽古を家の訓練場でしていました。最近は……母の剣術の師でもある
「そうか……」
以前は毎週末、母と稽古をしていた――
その言葉の意味するもの、それは時乃と出会ったあの日……彼女が母親と喧嘩をしたというあの日から、《祓う者》の師でもある母との折り合いが悪いままだということだろう。
「そう言えば、勇貴さんとお姉ちゃんは秋野山の廃墟で戦った時に小さい声で何かお話していましたよね。一体どんなお話をされていたんですか?」
勇貴は廃墟の駐車場で天阪 弦羽と彼女の妹の話をしていた時のことを思い浮かべながら、リビングの扉を開けた。
「秘密だ」
「え、どうしてですか?」
「子供にはまだ早い話なんだよ」
「子供じゃないです! というか、戦いの途中でそんな子供向けじゃない話をする必要があるんですかっ!?」
(なるほど、もっともな反論だ)
***
「わあ……勇貴さん、やっと大魔王を倒せましたよ!」
「ああ、よくやったな、勇者トキノ!」
(まあ、例によってイサキはラスボス戦を生き残れなかったけどな)
彼と同じ名前を与えらえたそのキャラは最終決戦終了時にパーティメンバーで唯一、無様に地面に転がっていたのだった。
エンディングが始まってしばらくすると、画面を感慨深そうに眺めていた時乃がポツリとつぶやく。
「このお母さんはずっと……最後まで主人公のことを心配してくれて……少し、羨ましいです」
「えっ……」
勇貴にとってはタダ回復できる無料宿くらいにしか思っていなかった、ゲーム中の主人公の母親というNPC。
しかし、この少女……天阪 時乃にとってはそれだけの存在ではなかったらしい。
やがて画面にはスタッフロールが流れ始める。
「こんなに楽しく遊んだのに、終わってしまうと……寂しいですね……」
「そう感じるということはそれだけいいゲームだった、ってことだろうな。だが安心しろ、時乃」
「えっ?」
「本編はこれで終わりだが、まだクリア後ダンジョンや追加シナリオがあるからな。もうちょっとだけ遊べるぞ」
「あ、そうなんですか?」
「ああ。それが終わったらこのシリーズの続編や他のソフトだってある。……まあ、ゲームばかりやる必要もないが、時乃が飽きるまでは好きなだけやればいいさ」
「はい! まだまだ勇貴さんのお家に通い詰める必要がありますね!」
(……それほど時間が残されているかはわからないけどな)
***
「勇貴さん、それではそろそろ帰りますね」
ハンドバッグを持って時乃が立ち上がる。
勇貴は時乃が遊びに来た時から、あの手紙を彼女に見せるべきか迷っていた。
「……待ってくれ、時乃。お前に見せたい物がある」
「えっ、何ですか?」
机の引き出しから一通の封筒を取り出し、その裏面を時乃に見せる。
「あ……」
それまで満足そうにしていた小柄な少女の顔が、そこに書かれている【天阪 路日】の文字を見た瞬間に青ざめたように見えた。
「これが、勇貴さんのお家に……?」
「ああ、今週の始めにな」
「あの……中に何て書いてあったか聞いてもいいですか?」
遠慮がちに尋ねる時乃に、頷きながら勇貴は答える。
「中に入っている手紙、読んでいいぞ」
「は、はい。では……失礼します」
そう言って時乃が封筒から折り畳まれた手紙を取り出し、緊張した様子でその内容に目を走らせる。
「お母さんが……勇貴さんと……」
「直接会ってお話したいそうだ」
「この約束の日付、明日ですよね? どうされるんですか、勇貴さん……?」
「もちろん、行くつもりだ」
「でも、勇貴さんとお母さん……母が会うなんて……」
「そんなに心配するな。俺もいつかはこんな日が来るかもしれない、と思っていたんだ。ここで逃げるわけにはいかない」
「勇貴さん……。わかりました、明日は私もその場に立ち会います」
「時乃、それは……」
「勇貴さんは、私が守ってみせます……!」
自分の母親に会う男に対して女の子が言うセリフではないと勇貴は思ったが、時乃は瞳に強い覚悟を秘めた顔でそう宣言する。
「……わかった。明日は頼む、時乃」
「はい、頼まれました!」
「今から、また家の近くまで車で送ってやろうか?」
「あ、今日は帰る前に街でお買い物をするので大丈夫です」
母親の手紙を丁寧に封筒に戻しながら、時乃が答えた。
「ん、そうか」
「でも、あの……ご迷惑でなければ、駅まで勇貴さんと一緒に歩きたいです」
「よし、わかった。じゃあ、行くか」
「えっ! いいんですか?」
時乃の表情が一気に明るくなる。
こんなことくらいで大げさに喜んでくれる彼女の姿を微笑ましく思いながら、勇貴は外出する準備をした。
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