第38話 突かれた男と、神速の剣舞曲<13>

 ◇◇◇


「時乃……あなたには謝らないといけません」


 しばらく無言だった弦羽が、帰りの電車内で唐突にそう言った。


「えっ……お姉ちゃん?」


 勇貴の隣の席に座った時乃が、戸惑い気味に返事をする。


「あなたの《祓う者》としての才能は私より上でも、この世に生を受けてから経った時間は私の方が少し長い。だから……あなたが人として間違った選択をするのなら、それを止めたいと思っていました」


「お姉ちゃん……」


「ですが、間違っていたのは私だったのかもしれません。私は妹の才能に嫉妬し……いつしかあなたを遠ざけていた。あなたに本当に必要なのはこんな出来の悪い姉ではなく、おじさん……御早さんの方で……私はただの邪魔者――」


「そんなことないよ、お姉ちゃん。私……本当は昔みたいにお姉ちゃんと仲良くしたかった。でも、お姉ちゃんが私のことを避けていることも知っていたから……」


「時乃……」


「だからね。お姉ちゃんが妖の討伐に行かないか、って久しぶりに誘ってくれた時はすごく嬉しかったんだ。しかも勇貴さんも一緒に、って言ってくれて。結局、二人は戦うことになっちゃったけど……」


「……そうですね」


「あのね、お姉ちゃん。また昔の、小さい頃みたいに……ううん、昔みたいにはいかないかもしれないけど……また私と遊んだり、お話してくれませんか……?」


「そ、それは……あなたがこんな情けない私を姉として認めてくれるのなら……」


「そんなの……認めるも認めないもないよ。私のお姉ちゃんは、弦羽お姉ちゃんだけなんだよ」


「……そう、ですか。そうですね、時乃」


「うん!」


「ふっ、美しい姉妹愛ではないか! 何だかよくわからんが、一件落着だな!」


 弦羽の隣の席で晴が満足げに頷く。


「いや、お前は何もやってないだろ」


「御早さん、あなたにも謝らないといけませんね」


 勇貴の向かいの席に座った弦羽が神妙な顔で切り出す。


「ん?」


「私はあなたとの戦いの最中に、もしかしたら間違っているのは時乃が必要としている人物を引き離そうとしている自分の方ではないか……そう思い始めていました」


 電車の窓から見える外の景色へと視線を向けて、弦羽が続ける。


「だけど、それを認めてしまったら……困っている妹に手を差し伸べるどころか、さらに苦しめてしまうどうしようもない姉の存在を……妹の才能を憎み、時乃と向き合うことから逃げ出した……弱く、醜く、情けない自分の存在を認めることになってしまう気がして――」


「だが、あんたはその戦いの中で時乃のことを嫌いなわけがない、と言ったじゃないか。俺を遠ざけようとした目的が、嫉妬や憎しみによって妹を孤立させることだったのなら……そんな言葉が出るはずがない。天阪姉の行動だって、決して間違ってなんかいないはずだ。妹のために姉としての務めを果たそうとしたお姉ちゃんの強い意志は、俺にも伝わったからな」


「……お姉ちゃん言うな」


「まあ、天阪姉妹が仲直りするキッカケに少しでも役に立ったのなら、俺も死にそうな思いをして戦った甲斐があったよ」


「御早さん……」


「ふふっ、やっと勇貴さんとお姉ちゃんが仲良くなってくれた。朝からずっと喧嘩ばかりしてるんだもん」


 勇貴の隣で時乃が満面の笑みを浮かべる。


「時乃……まあ、確かにそうだな」


「あの、それで御早さん」


 まだ何かあるのか、弦羽が少し目線を外しながら勇貴の名を呼ぶ。


「ん、どうした。天阪姉?」


「その、あなたが戦いに勝ったら私に頼みたいことがある、と言っていましたが……」


「え? ああ、アレか」


「本当に……私にえっちな要求をするつもりはないんですね?」


「ほあっ!? まだそんなことを言っているのかよ、お前なんかにそんなもの求めるか!」


「む……お前なんかとは失礼ですね。では、私に一体何をしろと?」


「もういいんだよ、それは。俺が余計なことを言うまでもなく解決したみたいだからな」


「え? それはどういう意味ですか」


「俺が勝ったら……天阪姉には時乃と仲直りしてほしい、そう言うつもりだった。昔はよく遊んでいた、っていう過去形の話を前に時乃から聞いていたからな。俺以外にも、時乃の近くで話を聞いてくれる人がいた方がいいと思ったからだ」


「……そうだったんですね」


「勇貴さん……覚えていてくれたんだ」


「まあ、そういうわけだ」


「うむ。つまり、一件落着ということだな!」


「うるさいぞ、晴! 何件落着してんだよ!」


「あの、みなさん今日は一日乗り降り自由の切符でこの電車に乗っているんですよね? どこかの駅で降りて一緒にお弁当を食べませんか!」


 話が一区切りついたところを見計らって、時乃が自分の膝に乗せたリュックを抱き抱えながら提案するが――


「あ……悪いな、時乃。俺はパス」


「お弁当ですか……そう言えばそんなことを朝に言っていましたね。時乃、すみませんが私もこのまま家に帰ります」


 電車の窓側の席に座る二人は参加辞退を伝える。


「ええっ!? どうしてですか!?」


「疲れているのもあるが……誰かさんのおかげで、買ってからそう日が経っていないトレーニングウェアがボロボロだからな」


「それはお互い様ですよ、御早さん。私だって……あなたに衣服をこんなに破られてしまって……恥ずかしいです」


「おいっ!? 事情を知らない一般の方が聞いたら誤解されそうな言い方をするな!」


 勇貴はそう言いながら目の前に座る弦羽の服を見ていると、あることに気付く。


「……天阪姉。お前、その……上着の破れたところから何か青いものが見えているけど、それは見えていいやつなのか?」


「え? 青い……? っ!!」


 勇貴の指摘を受けて自分の衣服を確認した弦羽は、顔を真っ赤にしながら慌てて胸元を両手で隠す。


「あ、あなたはどこを見ているんですかっ!? お前みたいな奴には興味ない、なんて言ったくせに……! もしかして、私の衣服をこんな風にしたのもわざとでは……!?」


「落ち着け、俺にそんな器用な真似ができるわけないだろ! とりあえず、晴のロングコートでも貸してもらったらどうだ。よくあるだろ、そんな取ってつけたような演出」


「む? そうか、そうだな。よし、弦羽ちゃん! これを――」


「嫌です。それを着るくらいなら、この格好のまま家に帰った方がマシです」


 晴が黒いロングコートを脱ぎかけたが、弦羽は氷のような目でそれを拒絶した。


「お前……そこまで全力で嫌がらなくてもいいだろ」


「じゃあ、御早さんが借りればいいじゃないですか」


「冗談言うな、何が悲しくてそんな罰ゲームをしないといけないんだ」


「自分が罰ゲームだと思っているものを人に押し付けないでくれますかっ!?」


「待ちたまえ、キミたち。人のトレードマークを罰ゲーム、押し付けるなどと……まるで僕の服装に問題があるかのように!」


「問題あるんだよ」


「自覚してください」


「何だとッ!? 愚民はともかく、弦羽ちゃんまで同調するとは!」


 ふと気付くと、隣に座る時乃が自分の胸に手を当て深刻そうな顔をしていた。


「どうした、時乃」


「あ……やっぱり、勇貴さんもお姉ちゃんみたいに大きい方がいいのかな、って……」


「何の話だよ。それより、みんな一度帰って着替えてから、改めてどこかに集まって時乃のお弁当を食べるというのはどうだ?」


「え? あ……でも、お家に帰ってからもう一度集まるなんて、私のわがままのためにそこまでしなくても……」


「時乃、私は構いませんよ」


「うむ。僕は着替える必要はないし、時乃ちゃんのお弁当をいただけるならどこへでも行くぞ!」


「ある意味、一番着替える必要があるのはお前だと思うが……」


 窓の外へ視線を向けると、先ほど上空から見た神残湖が広がっていた。空を覆っていた分厚い雲の切れ間から差し込む光が、その湖面に降り注いでいる。

 勇貴はその景色を見ながら、あくびを噛み殺した。

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