第37話 突かれた男と、神速の剣舞曲<12>

 ◇◇◇


 ほんの数秒後、御早 勇貴の姿ははるか上空にあった。

 高層ビルのエレベーターにでも乗っているかのように、見る見るうちにその目に映る景色が俯瞰的ふかんてきなものへと変わっていく。

 眼下に今朝歩いて来た道や電車の線路、周囲には新緑に覆われた山々と神残湖かんざんこ、遠くには遊園地の観覧車と遠上市のランドマークの影も見えた。


(うーむ……ここまで跳ぶとは……)


 妖の血によって身体能力が高まっているとは言え、自分の脚力だけで跳び上がったとはにわかには信じがたいその光景を前に、勇貴は他人事のようにそんなことを思った。

 死の危険を感じるほどの高さまで自力で跳ぶことができなければ、勇貴の作戦はその時点で失敗だったが、すでにその点に関しては充分過ぎるほどの高度を確保している。

 上空を流れる風は想像以上に強く冷たく、戦闘で熱くなった身体を冷やしていく。勇貴は深呼吸をして、自分の中の妖の力を吐き出した。


「!」


 徐々に上昇の勢いが衰え、一瞬の静止の後――落下運動が始まった。


(うおぉ……気持ち悪い感覚!)


 勇貴はその落下の感覚が苦手だったが、遊園地のその手の乗り物よりもはるかに高い場所から落ちる体験をこれから味わうことになると思うと、今さらながら背筋が冷たくなった。


(くっ!)


 強風に煽られて態勢が崩される。


啖呵たんかを切って跳び上がったのはいいが……着地点がズレてあさっての方向に落下でもしたら、かなり恥ずかしいなこれは)


 そんなことを考えていると、あっという間に勇貴の足元にあの廃墟と駐車場が近づいて来るのが見えた。


(俺の中の妖……この景色が見えているなら力を貸せ。いつも使っている表面的な力じゃない、二日山で時乃を助けた時に見せたような力だ! そうしないとこのまま地面に叩きつけられて、情けない自爆で終わることになるぞ……!)


 地上が近づく。

 豆粒のようだった人影が、その顔を判別できるほどにまでに迫っていた。


 身体の中の妖の血が活性化していない、今の普通の人間の耐久力でこのまま地表に激突したなら……確実に死を迎えることになるだろう。

 しかも、それを目撃した時乃たちの目には、突然自分で大ジャンプしてそのまま自爆するという……何をしたかったのかわからないマヌケな死に様としか映らない。


(頼むぞ……上手くいってくれ……!)


 祈るような思いで右手を握り締めて、拳を作る。

 駐車場からこちらの様子を伺っていた弦羽の身体が青白く光り、その場から消えるのが見えた。落下地点を狙ってトドメを刺しに来るつもりか……あるいは危険を察して離脱をしたのかはわからないが。


(これで逃げられて終わったら、この捨て身の行動もまるで無意味になっちまうな……我ながら、ガバガバな作戦だぜ……!)


 勇貴は身体を捻り、右腕を振り上げる。

 ほんの数秒後に待ち受ける死への恐怖――それを打ち消すように頭の中心部でどす黒いものが弾けた。


「……クソったれッ!」


 地表へと振り下ろした黒い腕から放たれた拳圧とほとばしる妖の力が、古い駐車場の経年劣化したアスファルトの舗装をガラスでも砕いたかのようにまき散らす。勇貴の身体はその反動で空中へ数メートルほど戻された。

 さらに黒い力の余波が嵐のように巻き起こり、暴風となって廃墟に吹き荒れる。


「ぐっ!」


 自ら起こしたその破壊的な技の威力に自身も吹き飛ばされながら、勇貴はその視界に人の姿を捉える。

 見えない壁のようなもので暴風と舞い散るアスファルトの破片から自身と千剣 晴を守る、天阪 時乃。

 そして……拳圧の余波に飲み込まれて空中へと放り出される、天阪 弦羽。


 それを見届けながら、勇貴の身体は地上へと落ちていった。


 ◇◇◇


「まったく、無茶なことをする。危うく僕たちまで巻き込まれるところだったではないか!」


 晴の嫌味は聞き流し、自分が破壊した駐車場の跡を見渡す。


(ずいぶん派手にやっちまったが……器物損壊罪とかに問われないだろうな、これ)


 勇貴は改めて自分の中に潜む妖の強大さを認識した。


「勇貴さん! 大丈夫ですかっ!?」


 朽ち果てた階段を駆け下りて、亜麻色の髪の少女が走り寄って来る。


「まあな。時乃も何かバリアみたいの張ってたし、ケガはなさそうか」


「はい、私は……」


 そう言って時乃が視線を向けた方を見ると、土が露出した地面の上に彼女の姉の姿があった。

 うつ伏せで倒れたまま、その先にある霊剣・跳翔の元へと身体を這わせる弦羽を見て、勇貴も足を踏み出す。


「あ……勇貴さん……」


 背中越しに聞こえる時乃の声には応じず、勇貴は霊剣と弦羽の間に立ち塞がって彼女を見下ろした。


「天阪姉、俺の必殺技の感想はどうだ? 以前、複数の妖が合体した塔みたいな奴を一撃でぶっ飛ばしたことがあるんだぜ」


 土埃と汗で汚れた顔を苦痛で歪ませながら、弦羽が苦々しげに口を開く。


「……必殺技? あんなものは……技とは呼べません。強大な力を暴力的に振りかざしただけです……!」


 この状況でもダメ出しなどしてくる彼女の負けず嫌いな姿勢に、勇貴は苦笑しそうになる。


「仕方ないだろ。俺は《祓う者》じゃないんだ、構世術みたいなスマートな技は使えないんだよ。……それより、まだやるつもりか?」


 後方に転がっている、美しい装飾の施された霊剣へと視線を向け、弦羽に尋ねる。


「当然です……」


 強気な表情で勇貴を見上げるが、その瞳には先ほどまでの鬼気迫るような闘志は感じられなかった。


(まったく……このお姉ちゃんは)


「そうかよ。じゃあ、もう一発……技とは呼べない暴力的なものを振りかざすとするか!」


 凄まじい疲労感が残る黒い右腕を、やせ我慢を悟られないようにゆっくりと振り上げる。四十肩とはこんな感じなのだろうか、などと勇貴は思った。

 一方で、それを見た弦羽は観念したように目を閉じる。

 そこに――


「もうやめてください、二人とも!」


 姉をかばうように二人の間に割って入った時乃が、両腕を広げて勇貴の顔を見つめる。


「勇貴さんも、お姉ちゃんも、こんなに傷ついて……どうして、こんな……!」


 そう言うと、その小柄な少女はうつむいて黙ってしまう。


「……どうする、天阪姉?」


 勇貴は振り上げた拳を下ろし、改めて弦羽に尋ねた。


「……仕方ありませんね。私の……負けを認めます」


 天阪 弦羽の絞り出すような声が聞こえた。

 妹の身体の影になった彼女の顔は、勇貴には見えなかったが。

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