第36話 突かれた男と、神速の剣舞曲<11>

「天阪姉、聞こえるか! 立ち上がったのはさすがだが、そのダメージでは今までほどの速さでは動けないはずだ。……もういいだろ、俺たちがこれ以上やり合っても時乃は――」


「……くっ……あなどらないでください……! 私だって、天阪家の《祓う者》……あの子の見ている前でこんな無様な姿を見せて、引き下がるなど……あり得ません!」


(そう言うだろうとは思っていたけどな)


「……神空しんくうっ!」


 手負いの弦羽が一言叫ぶと、彼女の身体が青白い光に包まれる。


「お姉ちゃん、それは……!」


「神空だと……弦羽ちゃん、そこまでするか!」


(何だ……シンクウ? どういう技なんだ?)


 古びた階段の上で声を上げた《祓う者》二人の反応から、ただ事ではない技らしいことだけは勇貴にも伝わってきた。


「どこを見ているんですか、おじさん。よそ見をしているヒマはないと思いますよ。もっとも……目を凝らしても私の姿を捉えることはできないと思いますけど……!」


 そう言い終わると、天阪 弦羽の姿が文字通り――その場から消えた。


「……!?」


 勇貴は慌てて周囲を見渡すが、朽ち果てた駐車場内には弦羽の姿はなかった。代わりに何かを強く叩くような音が人気ひとけのない廃墟一帯にこだまする。

 その正体が弦羽が地面を蹴る音ではないかと想像した瞬間――突風が巻き起こった。


「がッ!」


 後頭部に激しい衝撃を受けて、勇貴は前のめりに倒れそうになる。


「くッ!?」


 後ろを振り向くが、そこに人影はない。


「……構世術・神空」


「ッ!」


 痛打された衝撃が残る頭部を右手で押さえながら声のした方へ向き直ると、車止めブロックの近くに落ちていた霊剣・跳翔を拾う弦羽の背中が視界に映った。


「身体能力を強化する構世術の中でも、敏捷性びんしょうせいを高めるものとしては最上位の術です。さらに……」


 弦羽が左手に持った霊剣が再び淡い光を纏う。


「霊剣・跳翔の特性による瞬発力の強化と構世術・神空。この二つの組み合わせによる超高速戦闘術……それこそが私の本来の戦闘スタイル。これでもう、本当にあなたに私を捉えることはできないと思ってください」


(超高速戦闘……人間が目に見えないほどの速さで動くなんて真似が、本当にできるのか……!)


「そして……瞬発力の強化に加えて加速度の乗った一撃は、私の腕力や跳翔の非力さを補うには充分ですよ……!」


 そう言って弦羽が振り向く。その顔から大量の汗がにじんでいるところを見ると、やはり先ほどの勇貴の蹴りのダメージはかなり大きいようだった。あるいは、超高速戦闘術とやらで身体にかかる負担の影響を物語っているのかもしれない。


「お姉ちゃん! もうやめて!」


「! 時乃……」


 妹に名前を呼ばれた弦羽が、古階段の方へと視線を向ける。


「どうしてそこまでするの……!? そんな高度な構世術を使ってまで、私から勇貴さんを遠ざけたいの!? やっぱり、お姉ちゃんも……私のことが嫌いなの……?」


 今にも泣き出しそうな顔で、時乃は自分の姉に問いただす。


「時乃ちゃん、そんなことは……弦羽ちゃんが戦っているのはキミのことを想って――」


「そうですね、時乃。私は確かに、あなたの全てが好きというわけではありません。どんなに近しい、親しい間柄だろうと、人が他者の全てを受け入れ、許容することなど……私はできないと思っています」


 時乃を慰めようと晴がうろたえながら絞り出した言葉を、弦羽の声がかき消す。


「……はい」


「それでも、あなたは私のたった一人の妹です。……嫌いなわけがないですよ」


「えっ……?」


「本当は……私が間違っているのかもしれません。それでも、一度抜いた刀を鞘に収めることはできないのですよ。……私はこんな性格ですから、ね!」


 最後に冗談めかして妹へそう告げると、弦羽は勇貴へと鋭い目つきを送る。


「お待たせしました、おじさん。それでは再開しましょうか」


「……天阪姉。もう俺とお前が戦う理由はないんじゃないのか。あんたが時乃のそばにいてくれるなら俺は大人しく引く――」


「御早さん。私はあの子の……天阪家の次代の当主の姉です。負けるわけにも、情けをかけられるわけにもいかないんですよ……!」


 切羽詰まった表情でそう言い残すと、再び弦羽の身体が青白く輝き……そして消えた。襲撃へのカウントダウンを思わせる、地面を蹴る音だけが不気味に響く。


(まったく……何が情けをかけられる、だ! 本当に面倒くさいお姉ちゃんだな……!)


 勇貴がそんなことを思った瞬間、右腕と左足に激しい痛みが走った。


「ぐっ!」


 その痛みに耐えながら、がむしゃらに両腕を振り回す。だが、そんな子供の悪あがきのような反撃が当たるわけがなかった。さらに背後から腰に強烈な打撃を受け、その勢いで勇貴は膝をついてしまう。


「勇貴さん!」


 それを見た時乃の悲鳴が上がる。

 勇貴は顔周辺を守るために両腕でガードを固めるが、姿の見えない襲撃者は動かなくなった標的に不規則な間隔で攻撃と離脱を繰り返しているようだった。


(ちぃッ……! こいつはキツイぜ……!)


 弦羽がそう言っていたように、一撃、一発の攻撃がそれまでよりも重くなっている。

 昔、近くの用水路の前で目にした、二羽のカラスが一匹の小さなヘビが動かなくなるまで交互に攻撃を繰り返す様子が、勇貴の脳内に浮かんだ。


(このままだと、本当にあのヘビみたいになぶり殺しだ……どうする!?)


 目の前の自分の両手を見つめる。


(あの妖の黒い手……アレを使えたとしても、目に見えないほどの速さで動く相手を捉えることができなければ意味がない。……晴の野郎が使った広範囲を攻撃する技みたいなものが俺にも使えれば……!)


「う゛ッ!?」


 背中を激しく蹴飛ばされたのか、勇貴は前のめりに転倒する。


(好き放題やりやがって……!)


 腹立たしさを紛らわすように右手で拳を作り、舗装された地面を強く叩く。いくつかのアスファルトの破片が勢いよく飛び散った。


「……!」


 それを見た勇貴の頭に閃くものがあった。


(二日山で妖の塔をぶっ飛ばした、あの技。アレを地面に向かって撃ち出せば……その余波で周辺を攻撃することができるはずだ。それならいくら弦羽が速くても逃げ切れないはず……! だが、あの黒い腕はよっぽど俺の命が危なくならないと発現しない……)


 嵐のように吹き荒れていた姿の見えない敵の攻撃が止んだことに気付いて、勇貴は顔を上げる。前方に弦羽の姿が見えた。


「はぁ、はぁ……おじさん……もう、降参した方がいいのではないですか? はぁ、はぁ……!」


(くそ、追い詰められているという意味なら今の状況だって充分そうじゃないのか。一撃死の危険ではなく、ジワジワと削られているから発現しないとでもいうのか……? そんなことだと、本当にヤバくなった時にはもう身体が動かなくなっているはずだ。……寝ぼけてんじゃねえぞ、妖!)


 弦羽の降伏勧告を無視して、勇貴は思考を巡らせる。


「はぁ……はぁ……おじさん、聞いていますか……?」


「ふん、あの男もさすがにこれまでか……」


「勇貴さん、これ以上……お姉ちゃんに傷つけられる勇貴さんも、そんなことをするお姉ちゃんの姿も見たくありません。だから……お姉ちゃんの言う通り、降参してください。もう、私のことはいいですから……っ!」


 言葉を詰まらせながら勇貴に訴えかける声が聞こえた方へ視線を向けると、その瞳に光るものを浮かべた時乃の姿が見えたが――


「時乃、ちょっと待ってろよ。今から……からな。お前はもう少し遠くまで避難していろ。晴の野郎は……どうでもいいか」


 ゆっくりと立ち上がりながら、勇貴はそう告げた。


「えっ……勇貴さん……?」


「御早 勇貴! 何の話だかわからんが、この僕がどうでもいいとは何事だ!?」


「……おじさん」


 自分の名前を呼ばれたわけではないが、勇貴はその声を発した人物……弦羽の方へと視線を向ける。


「今から……起こしてくると言いましたか? ……奇跡を起こすとでも?」


「ふん、そんなにいいものじゃないな。黒くて気持ちの悪い……化け物だ!」


 吐き捨てるようにそう言うと、勇貴は両足に力を込めて思いっきり地面を蹴る。

 蹴りつけた部分の舗装が砕けるほどの衝撃の反動で、《先祖返り》の身体は瞬く間に妖の巣と化していた灰色の建物を越えるほどの高さに跳び上がり、なおもその高度を増していく。


 勇貴のその行動の意味を理解できずに空を見上げる弦羽の顔も、少し離れた場所の時乃と晴の姿も、あっという間に小さくなっていった。

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