第35話 突かれた男と、神速の剣舞曲<10>

「私が時乃の居場所に……?」


「あんたや晴の野郎が言っていたように、俺がいつまでも時乃の近くにいるよりは……あの子の姉がその役を務める方が自然だからな」


「……無理ですよ、そんなの。あの子から聞いたかもしれませんが、私と時乃は今では話さえほとんど――」


「姉の自分を差し置いて……次代の当主に選ばれた才能溢れる妹の面倒なんて見たくない、か?」


「!」


 勇貴の言葉に弦羽の顔がこわばる。


「そんなことはないはずだ。もしそうなら、今こうして俺と戦っている理由がないからな……!」


「あ、あなたと戦っているのは、あの子が誤った道へ進もうとしているのを止めたかったから……身内としての最低限の役割を果たそうとしているだけです!」


「姉として妹を心配することは決して間違っていないはずだ。それを身内としての最低限の務め、なんて言うあんたも……相当難儀な性格だな」


「私の性格に難があることくらいは、あなたに言われるまでもなく自覚していますよ」


「……まあ、いいや。姉のあんたが無理、って言うなら……!」


 勇貴はそう言いながら、両膝に力を込めて立ち上がる。


「っ!」


 それを見た弦羽が反射的に後方へ跳び、間合いを取って再び臨戦態勢をとった。


「他人の俺が、もう少し意地を張るしかないみたいだな」


「あ……勇貴さん! 大丈夫なんですかっ!?」


「弦羽ちゃんと何を話していたのか知らんが……あれだけ一方的にやられていながら、まだやる気のようだな」


 再び立ち上がった《先祖返り》の男の姿を見て、遠くで時乃と晴の声がした。しかし、勇貴はそれには応えず、目の前の《祓う者》へと意識を集中させる。


「晴くんの言う通りです。本当にまだやるつもりですか。あなたが勝つ見込みなんてほぼないと思いますが」


「天阪姉。あんたの針で突いたり、爪でひっかくような攻撃をいくら食らったところで、俺には大して効かないんだよ」


「あなたは……よくそんな強がりを言えますね。つい今まで地面に膝をついていた人が」


「今のは少し休憩していただけだ。おっさんは隙あらば休もうとする生き物だからな。それに、妖になっている時の俺の身体は傷の治りが異常に早くなるんだよ。あんたにやられた傷程度なら、もうほとんど治っているんだぜ」


「!! ……もしそうだとしても、消耗した体力はそのままのはずです。おじさんが動くことで消費したエネルギーや、失った血液まで元に戻ったわけではないですからね。遅かれ早かれ、あなたが力尽きて倒れることには変わりないのではないですか」


(さすがに冷静な判断だな……さて、どうする。このまま第二ラウンドを始めても、このお姉ちゃんの言う通りスタミナ切れになるのがオチか)


「どうしました? あなたから来ないのでしたら、こちらからいきますよ。……ふふっ、心配しないでください。それほど痛くはないはずですよ、どうせ針で突くような攻撃ですから、ね……!」


 勇貴の言葉への意趣返しのつもりなのか、弦羽がそんなことを言いながら霊剣・跳翔を水平に構えると、その刀身が光を帯びるのが見えた。


(……いや、それほど冷静でもないな。天阪 弦羽……一見冷静に見えて意外と煽り、挑発に乗りやすいお姉ちゃん……これを利用するか)


 挑発に乗って赤ちゃん言葉で敵対する相手を褒める弦羽の姿を思い出しながら、勇貴は一つの賭けに出ることを決める。


「あんたの攻撃なんて効かないとは言ったが、さすがに急所を突かれたら俺もヤバいかもな。たとえば……や、とかな」


 勇貴は自分の眉間みけんと、胸の中心を順番に指差して見せた。


(他にも致命的でわかりやすい急所はあるが……そこには触れないでおくか)


「……何の真似ですか。私にそこを攻撃させて、カウンターでも狙うつもりですか。そんな挑発に私が乗るとでも?」


 先ほど妹の話をしていた時はそれなりに表情やしぐさに変化を見せていた弦羽だったが、今は再び氷のような瞳で勇貴を見据えている。


(乗ってくれないと困るんだよ)


「さあな。いくらスピードを生かした戦闘スタイルがウリのお姉ちゃんでも……攻撃箇所がわかっている相手からの反撃を避けつつ、自分だけが一方的に、っていうのは難しいだろうからな」


「それで煽っているつもりですか……? いいでしょう、それではあなたが指定した場所の部分を狙うと予告してあげます。……お姉ちゃん言うな」


「あ、そう」


 勇貴は両腕を下ろして、防御の姿勢もとらずに棒立ちで敵を見据えた。


(狙いを二箇所示したのは……一箇所だけに的を絞らせてしまっては、さすがに誘いに乗ってこないと思ったからだ。さあどうする、天阪 弦羽。お前の狙いは俺の……眉間か、胸部か、それ以外か)


「……ふっ!」


 弦羽が短く息を吐き、霊剣を手にした左腕を突き出しながら一気に間合いを詰める。そして――


「う……ぐっ!」


 勇貴の眉間に鋭い痛みが走り、そこから生暖かいものが流れる気配がした。一瞬、視界に映る景色がぐらりと揺れる感覚がしたが、気を張って膝に力を込める。


「勇貴さんっ!」


「あの男……弦羽ちゃんを捕まえたのかっ!?」


 晴がそう叫んだように、勇貴は自分の胸部へあと数センチと迫る跳翔の刃先、そしてそれを持つ弦羽の左腕を掴んでいた。霊剣の刃を素手で握った左手からは、湧くように赤い血が溢れる。


「ふへへ……痛いな、ちくしょう! まさか俺が指定した二箇所を狙ってくるとは、やっぱりいい性格してるぜ……天阪姉! だが、眉間の方だけを突かれて離脱されていたら、おそらくそのまま逃げられていたはずだ……!」


「くっ……!」


「それに、お前がしれっと金的を突いてくるようなキャラだったらどうしよう……とかちょっとだけ考えていたが、杞憂きゆうに終わってよかったぜ」


「なっ……金的……っ!?」


「ああ。あれだけイキりながら挑発しておいて、その直後に股間を押さえて駐車場に転がっていようものなら、もういろんな意味で再起不能になるところだった」


「あなたという人は……ふざけている場合ですかっ!?」


 間近で見る天阪 弦羽の顔は、街ですれ違ったら思わず振り返ってしまうのではないか……と思うほどの美しさだったが、今は悔しそうにその顔を歪ませていた。


「天阪姉。いくら速く動けても、これならもう関係ないな。ようやく俺のターン、ってところか。お前の腕力では今の俺の力は振りほどけないはずだ」


「腕力ではそうかもしれませんね……!」


 そう言って弦羽が右手を掲げるのが見えた。


「!」


そくば――」


 弦羽が何かを言いかける前に、勇貴は反射的に行動を起こしていた。


「かはっ……!」


 妖の黒い力を込めた強烈な蹴りが《祓う者》の腹部を深々と貫く。肺から空気が漏れるような短い悲鳴だけを残して、まるで実験映像で車にはねられたマネキン人形のように弦羽の身体は駐車場の隅まで飛んでいった。


「お、お姉ちゃん!」


「あの愚民め! 加減と言うものを知らんのか!?」


 後方から自分の姉を心配する声と、勇貴の行動を非難する声が聞こえた。右手で眉間の血をぬぐうと、勇貴は一つ息を吐く。


(とっさに反撃したせいでほとんど手加減できなかった……大丈夫なのか、お姉ちゃん)


 後味の悪さを感じながら弦羽の様子を伺っていると、しばらく動かなかったその身体がピクリと動き、やがて顔をこちらに向けて起き上がった。


「……うっ、ぐっ……」


(さすがは《祓う者》か。一般人とは鍛え方が違うみたいだな)


「お姉ちゃん、よかった……」


 姉の立ち上がる姿を確認して、時乃の少し安心したような声が遠くに聞こえた。

 腹部を右手で押さえながら自分を見据える弦羽に向けて、意を決して勇貴は切り出す。

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