第34話 突かれた男と、神速の剣舞曲<9>

 ***


「はぁ……はっ、はぁ……!」


(くそ……マジで当たらねぇ……!)


 徐々に身体に蓄積されていく痛みと疲労に負けて、勇貴はついに膝をついた。

 一向に弦羽を捉えられない苛立いらだちに拳で地面を叩くと、荒れ果てた駐車場の舗装に新しいひびが入り、そこに血の混じった汗が流れ落ちる。

 そんな彼を挑発するかのように、勇貴のほぼ目の前で弦羽が立ち止まった。


「もっと早く降参するかと思いましたが、意外と根性はあるみたいですね。跳翔の力を発動させた私の連続攻撃にこれだけ長時間耐えられることはすごいことですよ。褒めてあげてもいいくらいです」


「はっ……はぁ……そうかい。じゃあ、褒めてくれよ。俺は褒められて図に乗るタイプなんでな。えらいでちゅねー、とでも言ってもらおうか?」


 勇貴は今朝、弦羽に会った時と同じような挑発をしてみるが――


「……いいですよ、別に」


「はぁ……は?」


 意外な答えが返ってきた。


「え、えらいでちゅねー! こ、こんなにわたしのこうげきにたえられるなんて、すごいでちゅよー!」


 照れくさそうに視線を泳がせながら、赤ちゃん言葉で勇貴を褒める弦羽。そんな彼女の姿を、その言葉を求めた当の勇貴は呆然と見つめていた。


「……こ、これで、満足ですか?」


「お、おう……。お褒めに預かり光栄です……」


(えぇ……こいつ、マジでやりやがったぞ。どういう感情の動きでそうなるんだよ……!? 負けず嫌いなのか何だかわからんが、別に俺の挑発から逃げないで受けて立てば勝ち、ってルールでもないだろ! ……いや、聞かされた俺の方が恥ずかしいから、やっぱり姉の勝ちになるのか?)


「……恥ずかしい」


 勇貴が弦羽の行動の真意について考えていると、当の彼女はポツリとつぶやいて顔を背けた。


「いやいや……恥ずかしいなら無理してやるなよ」


「……コホン。と、とにかく、あなたの強い意志とその打たれ強さは認めます。しかし……私に指先を触れることすらできないのでは、これ以上やっても意味はないのではありませんか」


「意味はあるさ。お前の体力だって無限、ってわけでもないだろ。その霊剣の力を使って霊力だか精神力だかを削られながら、さらにそれだけ動き続けてスタミナを消耗し続ける戦い方が、いつまでもできるとは思えないぜ」


「私と持久戦でもするつもりですか? 妖の血を活性化させることで、身体に大きな負担がかかっているのはあなただって同じはずです。《祓う者》としての訓練を受けた私よりも、疲労と蓄積されたダメージであなたが先に倒れる方が先だと思いますが」


「……かもな。でも、俺が倒れる前にラッキーパンチが偶然当たって一撃KO、なんてことがあるかもしれないぜ」


「はぁ……。なぜあなたがそこまでするのか聞いてもいいですか? あの子の……時乃のためにやっているつもりですか。それとも、おじさんの個人的な意地というものですか」


 呆れたようにため息をつき、霊剣を持つ手を下ろして弦羽が尋ねた。

 ひび割れた地面をしばらく見つめた後、勇貴は顔を上げて答える。


「両方、と言いたいところだが……時乃のためという気持ちの方が強いかもしれないな」


 勇貴は素直に自分の気持ちを認めた。


「……そうですか。では、どうしてそこまであの子に執着するのですか? まさか、本当にあの子のことを――」


「やめてくれ、そんなんじゃない。あんたがさっき言っていたように、あの子の抱えた悩みを少しでも何とかしてやりたいと思った……それだけだ」


「あの子の悩み、ですか……」


「……なあ、天阪姉。この距離でこのくらいの声で話せば、時乃には聞こえないと思うか?」


 チラリと時乃の方へと顔を向けると、心配そうな表情で自分を見つめる彼女と目が合う。


「え? ええ、そうですね。大丈夫だと思います」


 彼の意図が伝わったのか、弦羽が妹のいる方向を見てそう答える。

 続きを促すように自分の方へ向き直った《祓う者》の涼しい顔を見返して、改めて勇貴は口を開いた。


「俺は一度、自我を失って完全な化け物……妖そのものになったことがある。そんな俺と戦い、元の人間へと戻してくれたのが……あんたの妹の天阪 時乃なんだ。妖になっていた間の記憶はほとんどないが、それでも遠くであの子が何度も俺の名前を呼んでくれたことは覚えている。だから、俺はそんな時乃に少しでも借りを返したいと思った」


「そうですか……。しかし、あの子はかつて《天壊てんかいの女帝》の異名をとった母の後継者です。それくらいのことはできて当然ですし、一般人のあなたが借りなどと思うことは――」


「だが、あの子は怖かった、と言った」


「え?」


「俺が正気を取り戻した時……時乃は身体を震わせながら怖かった、と言ったんだ。それでも、あの子は俺を見捨てないで助けてくれた」


「時乃が……そんなことを」


「そして、時乃は俺と初めて会った日から何度か言ったんだよ。自分には……家にも学校にも居場所がない、ってな」


「えっ……」


「その後、なりゆきで毎週のように時乃と遊ぶようになった。褒められたことじゃないのはわかっているが、俺があの子のためにできる恩返しなんて遊び相手になってやることくらいしか思いつかなかった」


「……」


「妖なんて言う化け物、それと戦う《祓う者》。自分の知らない世界で生きるあの子の悩みをどうこうできると思うほど傲慢ごうまんでもなければ、話だけでも聞いてやろうとするほどの勇気も俺にはない。だからせめて、時乃が自分の力で本当の居場所を見つけるまでの間の……かりそめの居場所になってやりたい。あの子の悩みを解消するための、根本的な解決策になっているわけではないけどな」


 勇貴は目線を落とし、自嘲気味に笑う。


「かりそめの居場所……ですか」


「そうだ。時乃はいずれ、自分の力で新しい場所へと飛び立つ日が来るはずだ。俺はそれまでの間、あの子が羽を休めるための止まり木に……いや、通り雨をしのぐ安物の傘くらいにでもなれたらそれでいいんだ」


「しかし、あの子は……時乃は優等生を演じようと振る舞ってはいますが、本質的には甘えん坊ですよ。あなたの前でどうかは知りませんけどね。おじさんが自分に優しくしてくれる、大切にしてくれるとわかったら……あの子はきっとあなたに甘えて、依存してくると思います。それでも――」


「いいんじゃないのか、別に」


「えっ?」


「時乃は《祓う者》としては天才でも、まだ高校生なんだぜ。俺はもちろん、姉のあんたから見ても子供だろ。あのくらいの年の女の子が誰かに甘えて、それの何が悪いんだ」


「それは……」


 勇貴は再び、遠くの階段の方へ顔を向ける。こちらの会話の内容が聞こえていないせいか、天阪家の天才少女は困ったような顔で様子を見守っていた。

 そして勇貴の言葉を聞いた彼女の姉もまた、戸惑うような表情で彼を見下ろしていた。


 先ほどの交戦中もほとんど表情を崩さなかった天阪 弦羽が、妹のために感情を見せている――

 勇貴はそのことに内心で安堵しながら、彼女の顔を見上げて続けた。


「だが、その時乃が甘える誰かというのは別に俺である必要はない。だから、天阪姉。あんたが俺の代わりに時乃の居場所になってくれると言うなら……俺は今すぐにでも喜んで降参するぞ」

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