第24話 懐かれた男と、晴天の雷刃<12>

(だが、あれは自分の意思で使えるようなものでは……!)


 勇貴は目を閉じて、右手に意識を集中させる。


(腕まで妖化しろなんて贅沢は言わない、手首までだけでもいい、俺の中の妖……今起きないとこのまま死ぬかもしれないんだぜ、少しは力を貸してみせろ!)


「……どうだッ!?」


 目を開け、彼の中のもう一人の《彼》へ向けた訴えの結果を確かめると――


 その人差し指だけが、黒く太い異形の指と化した自分の右手がそこにあった。


「……は?」


 その光景に、思わず間抜けな声が勇貴の口から出ていた。


(いや、指一本だけ妖の指になったからどうだっていうんだよ!? 一本だけじゃあ目潰しもできないぞ、なめてんのか! せめて中指ならデコピンくらいは――)


「何をやっているんですか、勇貴さん!? 晴くんが……!」


(! しまった!)


「ガあアッ!」


 自分の妖の力を引き出すことに夢中になっていた勇貴が、時乃の叫びを聞いて顔を上げると、すでに目の前まで接近していた晴が霊剣・陰狼を上段から振り下ろす姿が目に入った。


「ちっ!」


 竹林に鈍い音が響き渡る。


「……ナにッ!?」


 とっさに顔の前に出した勇貴の妖化した黒い指先が、晴の振るう陰狼の凶刃を受け止めていた。


(くっ……痛いことは痛いが、指が飛んでいなくてよかったと言うべきか……!)


 動揺した晴の動きが止まったのを見逃さず、勇貴はその腕に掴みかかった。


「ぐウッ、貴様……!」


 晴の身体に流れる陰狼の力が大きくなっているせいか、先ほどのように一方的には押し切れない。


「千剣 晴! 建前とは言え、俺が理性を失って暴走しないように監視する役目を時乃からお前が引き継ぐ、って話じゃなかったのか? そのお前がこのザマでどうする気だ……!? こんな呪いの武器なんて捨てちまえ!」


「黙レ……オ前なんカに……時乃ちゃんヲ渡スわケには……イカなイッ!」


「……!」


「僕ハ、僕だッテ……ズッと昔カラ、時乃ちゃんヲ……」


「! お前……! ぐッ!?」


 晴の膝が勇貴の右わき腹にめり込み、怯んだ隙に陰狼の銀色の刃が首元に迫る。勇貴は晴の腕から手を放し、地面を転がるように後退して間合いを取った。


「はぁ、はぁ……っ!」


(くそ、キツイぜ……奴から霊剣を奪う前に俺の体力が尽きそうだ。……それにしても)


 十メートルほど先で、ゆっくりとした動きで晴が陰狼を上段に構える。


(晴の野郎……俺のことを気味が悪いとか言っていたが、お前も似たようなものだろ。もっとも、奴の方が年は近いか……)


 霊剣の刀身が稲妻を纏うのが見えた。あの必殺剣とやらを使うつもりだろう。

 しかし、今の勇貴は顔から出血しながら鬼のような形相で自分を見据える晴を、全力で迎え撃つ気が薄れていた。


(どうする。剣を取り上げて、一発ぶちかましてやるつもりだったが……あいつの真意を知ってしまったら、俺の方に奴を打ち負かす大義名分がないように思えてきたぜ)


 人差し指一本だけ妖となった自分の右手を眺める。


(この化け物の力を試す実戦の場として奴との勝負に臨んだが……もう、それは充分だろう)


 雷のほとばしる長剣を構えた晴が姿勢を低くして、仕掛けるタイミングを計る様子を見せた。


(……俺が引くのが一番か)


 出会いが特殊だったとは言え、高校生の少女……天阪 時乃といつまでも怪しい交友関係を続けるのは、やはり世間的には肯定されるようなことではない。

 ここで勇貴と彼女たち《祓う者》との縁が途切れたら、彼も彼女たちも、今までの……元通りのそれぞれの生活に戻れるはずだ。


 どういうわけか自分をしたってくれる、命の恩人の少女に強く言えない勇貴にとっては、ある意味いい機会なのかもしれなかった。


(どうにかして、あの剣を奪って……後は適当に負けたフリでもするか)


 ジリジリと間合いを詰める晴と向き合いながら、勇貴はその結末を選ぶことに決めた。


(来いよ、晴。勝ちは譲ってやる……!)


 勇貴の心の声が聞こえたわけではないだろうが、相対する黒ずくめの男がロングコートを翻して空中へと飛び上がる。

 高台の時乃をチラリと見やると、祈るように手を組む彼女の姿が見えた。


(悪いな、時乃。あのゲームを最後まで遊ばせてやれなくて……)


 この状況で思い残すことがそれかと、勇貴は自分で思ったが――


『私は、私の居場所は……勇貴さんだけなんです……!』


 突然、時乃の言葉と彼女の悲しそうな顔が勇貴の頭に浮かんだ。


(……ッ!)


「コレで……終ワりだッ!!」


 落雷のように振り下ろされた陰狼の一撃。

 その刃を、勇貴の黒い右手が掴んでいた。

 雷の走る刀身を握り締める妖の右手から赤い、人の血が流れ落ちる。


「! マさカ……僕ノ必殺剣ヲ……!?」


「妖の手……!! このタイミングでようやくお出ましかよ……だが、これじゃまるで……」


(何だかんだ言って……本心では時乃と離れたくない、手放したくない、そういうことなのか……? 犬や猫じゃあるまいし、ちょっと自分に懐いてくれた子供にいつまでも執着してどうするつもりだ……!)


「……我ながら、気持ち悪いなッ!」


 完全に妖と化した黒い右手に力を込めて、強引に霊剣を晴の手から奪い取る。


「ア゛ッ……!」


 晴がすがるように両手を伸ばすが、勇貴はその長剣を力任せに投げ飛ばす。赤い血をまき散らし、回転しながら勢いよく飛んでいった霊剣は竹林の奥へと消えていった。


「ヴッ……アアッ!」


 彼を支配していた陰狼に宿る妖の魂と切り離されたことで、晴が頭を抱えてうめき声を上げ、膝をつく。

 そんな彼にトドメの一撃を加えるために、勇貴は無言で右手を握るが――


『僕ハ、僕だッテ……ズッと昔カラ、時乃ちゃんヲ……』


「……目を覚ませ、イケメン!」


 勇貴がそう言って晴の額を黒い中指で弾くと、彼は崩れ落ちるようにその場に倒れた。

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