第16話 懐かれた男と、晴天の雷刃<4>

「っ! 勇貴さん! あれを見てください!」


「はぁ……はぁ……やっと追いついたか……ふぅ。それで、何を見ろって?」


 時乃が指差したその先――

 坂の上の開けた場所に、いくつもの黒い影が積み重なり不気味にうごめく塔のようなものがあった。


「うっ……何だあれ、気持ち悪っ!」


「低級の妖が集合・合体したみたいですね。このような変化を起こしたのは私も初めて見ましたけど……」


(初めて見た、か。……俺の妖の血のせいで妙な刺激を与えて変化した、ってことはないだろうな)


「妖気の格的には中級かそれ以上……もしかすると、上級の妖と言ってもいいレベルかもしれません」


「上級……!? 時乃、やれるのか!?」


「はい。この前の……妖になった勇貴さんの方がずっと怖かったですよ」


 時乃は冗談なのか本気なのかわからない、そんなことを言って笑ってみせる。

 その言葉への返答に勇貴が困って妖の塔に目をやると、その巨体が膨らんだように見えた。


「おい、時乃!」


「! 来ます!」


 時乃がそう叫ぶのを合図としたかのように、妖の塔から砲弾のように黒い影が撃ち出される。


「っ!」


 しかし、その直線的な動きはこの《祓う者》の少女に通じるものではなかった。

 撃ち出された妖はあっさりと霊剣に斬られて、無へと還っていく。


 さらに、間を置かずに時乃が妖の塔へと向かって駆け出して行く。


「構世術で塔を崩して……燦令鏡で斬れば……!」


 そこに再び塔から妖の砲弾が発射される。その標的は……御早 勇貴だった。


(……! 来な! この手でぶっ飛ばしてやる!)


 そう言って勇貴が握り締めたその右拳は――


「あれ……?」


 あの黒い妖の手ではなく、見慣れた彼の……人間の手だった。


(よりによって、このタイミングで元に戻るか……!? そりゃないだろ! 空気読め、俺の中の妖!)


「勇貴さんっ!」


 状況を察したのか、時乃が慌てて戻って来るのが見えた。さらに、狂ったように妖の塔から黒い砲弾が連続で発射される。


「ッ! 時乃、戻って来るんじゃない! 俺のことは気にするなと言っただろ!」


「嫌ですっ!」


 勇貴の前に飛び出した時乃が霊剣を振るい、砲弾を打ち払った。

 しかし、その硬直を狙ったかのように塔から撃ち出された妖弾が、彼女の背後を襲う。


「くっ……時乃ッ!」


「きゃっ!?」


 勇貴はとっさに左腕を伸ばして、目の前の小柄な少女を自分の方へと引き寄せる。

 驚いた声を上げた時乃が勇貴の腕の中に納まるが、眼前には妖の砲弾が迫っていた。


(無理矢理ついて来た挙句にこの子にケガでもさせたら……俺は足手まとい以下のクソだろうが……!)


「何とかしてみせろよ……《俺》ッ!」


 叫びながら勇貴が突き出した――その黒い腕が目の前の妖、それに連なるように発射された数体の後続もまとめて打ち砕いた。

 さらに拳から放たれた妖の力の余波が周囲の木々をなぎ倒していく。

 その先にあった妖の集合体に巨大な力の衝撃が伝わると、まるで砂でできた建造物を破壊するかのように妖の塔を容易たやすく粉砕する。バラバラにちぎれた黒い影が空に舞い上がると、そのまま消えていった。


「すごい……」


 勇貴の腕の中の時乃が顔だけを後方に向けて、ポツリとつぶやいた。


「はぁ……はぁ……!」


(まったく、ギリギリまで追い詰められないと本気を出さないなんて、俺そっくりだな……この妖の力とやらは! それにしても、さっきは手首だけだったのが、今度は肘の辺りまで黒く……妖の腕になっている。今のバカみたいな破壊力はそのせいなのか?)


 勇貴は妖の腕と化した、自分の右腕を見つめる。


(しかし、今のを一発撃っただけで右腕に力が入らない……とてもじゃないが連発できるようなものじゃないな、これは。格ゲーでいうなら超必殺技、ってところか)


 そんなことを考えていると、自分の身体に何か柔らかいものが当たっている感触に勇貴は気付く。ふと見ると――


「……」


 小柄な少女が勇貴に抱えられた腕の中で、無言でジッとしていた。


「と、時乃!? すまん! つい勢いで……!」


 勇貴は慌てて左腕を放して時乃を解放しようとするが――


「いえ、お構いなく……」


 時乃は一言そう答えるだけで、そのまま動こうとはしなかった。


「……いや、何がだよ」


 ◇◇◇


「うん! このサンドイッチ、美味しいです!」


 二日山総合運動公園のベンチで、勇貴の隣に座った時乃が満足そうに笑った。


「おう、そりゃよかった。このスーパーのパンはどれも結構イケるぞ。あと外で食べると余計に美味しく感じる、ってのもあるな」


「そうですね。それに……やっぱりご飯は誰かと一緒に食べた方が美味しいと思います」


 自分はともかく、家族と一緒に暮らしているはずの時乃がそんなことを言ったことに勇貴は引っ掛かるものがあった。しかし、今それを口にしても仕方ないと思い、別の話題を振る。


「……そうだな、親しい人と食事を共にするだけでもオキシ……何とか、っていう幸せホルモンが分泌ぶんぴつされるらしいからな」


「へえ、そうなんですか?」


「ああ。犬を撫でたり触ったりして癒されるのと同じ効果を得られるそうだ」


(まあ、出会ったばかりの俺と時乃には関係ない話だろうが)


「ふふっ、じゃあ今の私と勇貴さんにはその幸せホルモンが出ているんですね!」


 時乃は何やら納得した様子で、勇貴の胸中でのつぶやきとは真逆のことを口にする。勇貴はそれを肯定も否定もせず、手にしたエビカツバーガーを口に運ぶ。


「あの、勇貴さん」


 勇貴が黙々と食べ続けていると、時乃の方から話しかけてきた。


「どうした」


「今まで黙っていましたけど……昨日、家に帰った後に《先祖返り》について少し調べてみたんです」


「《先祖返り》について……そうか。それで?」


「はい。《先祖返り》から戻った人は、その後……妖としての力を制御して自在に使えるようになった人もいたみたいです」


「へえ……」


「《祓う者》のように妖と戦うことを生業とした人もいるとか。……ただ、当時の《祓う者》との仲はあまり良くなかったみたいですけど」


「まあ、《祓う者》にとっては倒すべき相手の力を持ったイレギュラーだからな。仲良くできるような関係ではないだろう」


「わ、私は違いますよ! 勇貴さんと……もっと、仲良くなりたいです」


「え? お、おう……そうか」


「は、はい! ……えーと、それでですね。《先祖返り》から戻った人は、強い戦闘能力を持っていたのは確かみたいですが……妖の力を使い過ぎて、再び《先祖返り》を起こして……」


「……人に戻れなくなった、か」


「はい。もし、この話を聞いた勇貴さんが妖の力に興味を持って、それでまた《先祖返り》を起こしてしまったら……そう思って、今まで黙っていました。……ごめんなさい」


「謝るなよ、言っていることはわかるさ」


「でも……さっき勇貴さんが言っていた、自分の力を知りたいという気持ちは私にもわかります。だから、かつて妖の力を使った人がいたという事実だけでも知っていただければと思って……」


「ああ、わかった」


 今は人の腕に戻った、自分の右手をジッと見る。

 あのおぞましい妖の塔を吹き飛ばした直後は、指さえ動かせないほど力が入らなかった。しかし、今は多少筋肉痛のような症状があるものの、普通に動かせようになっていた。

 ふと隣に座った時乃を見ると、心配そうな表情で勇貴の顔を覗き込むように見ている。


「そんな顔するなよ。過去にあの力を制御して使えた人間がいた。それがわかっただけで十分だ」


「はい……」


「時乃。この後は、お迎えの車とかは来てくれるのか?」


「いえ、来た時と同じように電車とバスで帰るつもりです」


「そうか。……その、お前さえよかったら俺の車で送ってやってもいいぞ」


「えっ、本当ですか!?」


「お家の方やご近所さんの目もあるだろうから、家よりは少し離れた場所で降ろすことになるけど……それでもいいか?」


「はい! お願いします!」


「おう、わかった」


 時乃の表情が明るくなったのを見て、勇貴は内心で安堵したのだった。

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